歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

絶対者の人格性と非人格性-1

2005-06-24 |  宗教 Religion
絶対者の人格性と非人格性をめぐって-人格的なるものと最も普遍的なるもの―

田中 裕



日露戦争で弟を亡くした西田幾多郎にたいして鈴木大拙は次のような英語の一四行詩を捧げて追悼の意を表している。(注1)

O human life, what a fragile thing thou art! 
ああ、人の命よ、汝はなんと儚いものか
A drop of dew on a weather -beaten leaf, 
風雨に晒された木の葉の上の露の一滴
By passers’ feet down-trodden; and how brief 
行く人に踏まれ、そしてかくも短き
Thy glitter! Too soon fated to depart 
汝の輝き!あまりにはやく逝く定め
To a region, who perhaps didst thou first start. 
おそらくは汝の来たりし初めの場所に
The mornful thought doth follow us like thief; 
弔う思いは秘やかに我らに従い
Heavily opressed we are without relief;  
打ち沈む我らに安息はない
Eternal void, would thou allay our heart!  
「永遠の空」よ、我らの心を癒やし給え
And yet ours is to strive, to weep, to bear;  
しかし我らの心は、苦しみ、泣き、忍び
Human are we, with fire in our veins burning; 
人である我らには血潮がたぎる
To Reason’s hollow talk let’s not concede. 
理性の空虚な話には耳を貸さぬように
Our tears run free, the heart its woes declare! 
涙を存分に流し、心は悲しみを叫ぶ
From every grief endured life’s lesson learning 
耐えた一つ一つの悲みから人生の教えを学び
Into the depths of Mystery we read.  
「不可思議」の奥底にそれを深く読みとる


この追悼詩のなかで、若き大拙が、キリスト教徒ならば、神(God)と呼びかけるべきところにで、「永遠の空」Eternal Void と云い、次に「汝(thou)」と呼びかけている事に注意したい。すなわち、キリスト者ならば

「神」よ、我らの心を癒やし給え     God, would thou allay our heart!

と人格神によびかけるべき場所で、大拙は

「永遠の空」よ、我らの心を癒やし給え  Eternal Void, would thou allay our heart!

と呼びかけているのである。そこでは、あたかも「空(eternal void)」が人格化され、「汝」として呼びかけられているかのようである。 大拙は、何故このような表現を使ったのであろうか。 
何故にEternal Void という否定的な表現から、「我々の心を癒す」べき「汝」という人格への呼びかけが可能となるのであろか。また、それは、絶対者の人格性、ないし、非人格性という問題に対して、どのような関わりを持っているのであろうか。

語の普通の意味に解するならば、Eternal Void は、肉親あるいは自分にとってもっとも親しきものの死に直面した空虚感、やるすべのなき感情であろう。 何によっても癒されることのない「空しさ」という意味が第一の意味である。それは、この世の儚さがもっとも切実に感じられる瞬間であろう。その「空しさ」は、理性によって克服されるものではなく、ただ「苦しみ」「泣き」「忍ぶ」という人間的な感情をそのままに吐露することによってのみ耐えることが出来る。そういう、全人格的な存在の根柢から「汝」という呼びかけが起きる。そして、「理性の空虚な話」には耳を傾けずに、「涙を存分に流し」「耐えた一つ一つの悲しみから人生の教えを学び」「神秘の奥底にそれを深く読みとる」ことを詠んで、このソネットは終わっている。

「永遠の空」といっても、それは佛教哲学で理論的に語られている「空性」のように、非人格的なものではなく、そのただなかから「汝」への呼びかけを可能ならしめるような「空」である。
この詩を捧げられた頃の西田自身もまた、鈴木の書簡に呼応するかのように、肉親の死に見舞われた友に宛てて次のように文を残している。(注2)
ものには皆値段がある。一人、人間は値段以上である、目的そのものである。いかに貴重なる物でも、そはただ人間の手段として尊いのである。世の中に人間ほど尊いものはない、物はこれを償うことはできるが、いかに詰まらぬ人間でも一のスピリットは他の物をもって償うことは出来ない。(中略)
今まで愛らしく話したり、歌ったり、遊んだりしていたものが、忽ち消えて壺中の白骨となるというのは、いかなる訳であろうか。もし人生はこれまでのものであるというならば、人生ほど詰まらぬものはない。ここには深き意味がなくてはならぬ、人間の霊的生命はかくも無意義のものではない。死の問題を解決するというのが人生の一大事である。死の事実の前には生は泡沫の如くである。死の問題を解決し得て、始めて真に生の意義を悟ることが出来る。

この西田の文には、あきらかに、人間を手段としてではなく目的として扱うべきことを説いたカントの人格主義の影響があるが、たんなる実践理性の倫理的な要請としてではなく、肉親の死という出来事に直面したときの個人の根源的な悲哀の情念と、それにもとづく全人格的な応答として書かれている。

哲学が絶対智を問題にするとすれば、それは、プラトンの「善」やアリストテレスの「不動の動者」のごとき非人格的・非歴史的なる超越者を志向するのが一般的である。ユダヤ・キリスト教的な宗教的世界のごとく、人格的・歴史的なる「神」への信仰は、哲学的知恵から見れば「愚かなこと」であり、理解しがたい世界である。しかしながら、「善の研究」の宗教論のテーマは「神」でり、最終章に付加された「智と愛」において、西田は、
神は分析や推論に由りて知り得べきものでない。實在の本質が人格的の者であるとすれば、神は最人格的なものである。我々が神を知るのは唯愛又は信の直覺に由りて知り得るのである。故に我は神を知らず我唯神を愛す又は之を信ずといふものは、最も能く神を知り居る者である。
と云っている。(注3)すなわち、当時の西田にとっては、人格的なる實在の本質は、非人格的なるものに向かう分析的知性によってではなく、「愛」または「信」という絶対者への人格的関係によってこそ認識されるものであったといえよう。

『善の研究』では、「意識現象のみが唯一の實在である」という実在論の立場がとられたが、当時の西田が理解していた意識現象とは知・情・意のすべての精神活動が含まれており、人格的存在と不可分のものであったと言ってよい そのような個人的精神の働きは、「神性の分化せるもの」であり、「各自の発展は即ち神の発展を完成する」ものである。我々が何事かを知るという働き、何事かを感じ、そして愛するという働き、何事かを意欲するという働き等、すべての意識現象の根柢にある「統一的或るもの」を「神」として人格的に把捉せしめる「愛」もしくは「信」の働きが強調されている。

我々の個人的な知情意の根柢に、分析的知性の及ばぬ人格的な絶対者を信仰によって直観するという議論は、鈴木大拙の「大乗佛教概論」(Outlines of Mahayana Buddhism)にも見られる。「善の研究」が西田哲学の原点ということが言えるとすれば、鈴木大拙の「大乗佛教概論」は、彼の佛教思想の原点が何処にあったかを我々に教える書でもある。この書は、二十世紀の米国の読者に向けて書かれた大拙自身の「大乗起信論」という性格をも持っている。それは、中国を経由して日本に伝えられた大乗佛教の伝統の中から、現代に通じる普遍性を持つ宗教思想を大乗佛教者として生きている大拙自身が主体的に選び取ったものであったが、大拙は、大乗佛教に於ける絶対者の人格性の問題と深く関わりを持つ「法身(dharmakaya)」の概念について、次のような注目すべき独自の見解を示している。 (注5)
法身は基本的に三種の面で我々の宗教的意識の中に映し出される。第一は知恵、第二は愛、第三は意志である。法身が知恵であることは、法身が宇宙の流れを盲目的にではなく合理的に方向付けるという言明から知ることが出来る。また、法身が愛であることは、それが一切の生き物を慈父の優しさで包み込むことから知られる。そして、それが意志であると考えざるを得ないのは、この世の一切の悪が最終的には善になっていくことを確固たる活動の目的にして居ているからである。意志がなければ、愛と知恵は現実化しないであろうし、愛がなければ、意志と知恵は推進力を失ってしまう。そして知恵がなければ、愛と意志は不合理なものとなってしまうであろう。実際、この三つの側面は互いに協力しあって法身の唯一性を成り立たせているのである。(中略)佛教者たち、とくに浄土系の佛教者達は、法身のうちに、全能の意志、すべてを包含する愛、そして一切を知る知恵が存在していると考える。しかし、彼等は、より知性的でない信奉者やちの心に、もっと具体的な表象を、もっと人間的な姿で著し出そうとする。そして其の結果、法身は絶対的なものであるにも関わらず、一切衆生を生死の苦しみから解放するために、自分自身に向けて祈るのである。しかし、法身が自己の内奥の本質から起こす、この自分自身に向けられた祈りこそが、まさしく法身の意志をかたちづくるものなのではないか。(But are not these self-addressed prayers of the Dharmakaya which sprang out of its inmost nature exactly what constitutes its will?)
ここで、大拙のいう「自分自身に向けられた祈りself-addressed prayers」という言葉に注目したい。この祈りは、自己自身に向けられた「法身」の祈りであるが故に、神々と人間との取引としての祈祷―相対的な祈り-とはことなり、絶対者としての法身自身の本性に従う自発的なる「意志」として捉えられている。すなわち大拙は浄土真宗に云う「本願」を、究極的には、そのような法身の「自己自身に向けられた祈り」として捉え、それを法身自体の「自らなる意志(spontaneous will)」と解釈しているのである。(注6)  

このような大拙の大乗佛教解釈は何処に由来するのであろうか。それを解く鍵の一つは、大拙自身が英訳した「大乗起信論」の真如熏習を論じている次のような箇所であろう。注7
普遍的な知恵と普遍的な意欲をもってすべての佛陀と菩薩は一切の衆生の普遍的な救済を達成することを望む。彼等の側にあってはこの要求は永遠であり自ずからなるものである。そしてこの知恵とこれらの意欲が一切の衆生を熏習する力を有するので、衆生は、佛陀や菩薩を思い想起させられ、ときに彼等に聴き、ときに彼等を見、一切衆生は(霊的な)利益を得るのである。すなわち、純一な三昧に入り、彼等が出会う障害を滅ぼし、宇宙の絶対的な一性を意識することを可能ならしめ、無数の佛陀と菩薩を見ることを可能にするすべてを貫く洞察を獲得するのである。

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絶対者の人格性と非人格性-2

2005-06-23 |  宗教 Religion
絶対者の人格性と非人格性-人格と最も普遍的なもの-2

 次に、「大乗起信論」の帰敬偈をみてみよう。ここでは、よく読まれてきた真諦譯のテキストと、鈴木が従った實叉難陀譯のテキストの両方を考察する。

佛法僧への三帰依を表明する偈は、キリスト教において三位一体の神への信仰を表す信仰宣言が多くの宗派に共通であるのと同じく、佛教の諸宗派に共通して重んじられ、佛教的な信の根本をなすものであろう。後で、キリスト教に於ける信仰宣言の代表的なものとして使徒信条をとりあげるが、それらを対比することは、佛教とキリスト教に於いて、信仰宣言あるいは三帰依のよりどころである絶対者の持つ人格性ないし非人格性の特質を考察する手掛かりになるであろう。 まず、真諦訳のテキストの帰敬偈を英訳とともに参照する。
帰命盡十方 最勝業遍知 色無礙自在 救世大悲者、及彼身体相 法性真如海 無量功徳蔵、如実修行等。為欲令衆生 除疑捨邪執、起大乗正信、佛種不断故。

I take refuge in the Buddha, the greatly Compassionate One, the Savior of the world, omnipotent, omnipresent, omniscient, of most excellent deeds in all the ten directions; And in the Dharma, the manifestation of his Essence, the Reality, the sea of Suchness, the boundless storehouse of excellencies; And in the Sangha, whose members truly devote themselves to the practice, May all sentient beings be made to discard their doubts, to cast aside their evil attachments, and to give rise to the correct faith in the Mahayana, that the lineage of the Buddhas may not be broken off. 注9

「佛」に対するこの帰依文は、大乗佛教に於ける人格的なものに対する「信」を表していると言ってよかろう。最初に云われる「佛」を the Savior of the world, omnipotent, omnipresent, omniscient, of most excellent deeds in all the ten directions と単数形で訳し、さらに、omnipotent、omniscient, omnipresent という用語を使って訳しているためでもあるが、この英文に訳された「Buddha」は、殆ど一神教的な印象さえ与える。「佛」をキリスト教の「神」と言い換えてもさほど不自然さを感じないであろう。

そして、次に帰依されるべき「法」は、「彼の身の體相」といわれている。「法」を「佛」という人格的存在の「本質の顕現」としたうえで、かかるものとしての「法」への帰依が説かれている。すなわち、佛という人格性が、我々にとっては先なるものであり、「彼の本質の顕現 the manifestation of his Essence」が「法」として位置づけられている。いいかえれば、三宝それ自体は三一的であるが、修行者が帰依を表明する場合、「佛」が最初に帰依されるべきものであり、次に、「佛の本質の顕現」としての「法」への帰依が説かれ、しかるのちに「僧」への帰依が語られる。

次に實叉難陀のテキストに従う大拙の英訳を参照する。

帰命盡十方 普作大饒益 智無限自在 救護世間尊、及彼体相海 無我句義法 無辺徳蔵僧、勤求正覚者。為欲令衆生 除疑去邪執、起信紹佛種、故我造此論。

Adoration to the World-honored Ones in all ten quarters, who universally produce great benefits, whose wisdom is infinite and transcendent, and who save and guard [all beings].
[Adoration] to the Dharma whose essence and attributes are like the ocean, revealing to us the principles of anatman and forming the storage of infinite merits.
[Adoration] to the congregation of those who assiduously aspire after perfect knowledge.
That all beings may rid themselves of doubt, become free from evil attachment, and, by the awakening of faith, inherit Buddha-seeds, I write this Discourse.

大拙訳は、Hakeda訳とは違って、「佛」は、単数ではなく複数であり、盡十方の世界にあまねく存在する「世間尊」(the World-honored Ones)としての「佛」への帰依となっている。 「法」とは「世間尊」の教えた「無我の教法」であり、その「法」の「本質と諸属性=體相」が海の如く無限の功徳をもつと訳している。

 このように三帰依においては、人格的存在としての「佛」への帰依が最初に来ものであり、次に、その人格的存在の本質ないし諸属性(體相)としての「法」への帰依がいわれ、最後に「如実に修行する」僧への帰依がいわれる。

 これに対して、起信論の本論の叙述に於いては、その「発起序」において「有法能起摩訶衍信根、是故応説」とあるように、「信」を起こす「法」が説かれ、その「法」のありかたが、「一心二門三大」として具体的に縷説されるが、そこでは、事柄自体に於いて、「法」は「佛」よりも先なるものとして叙述されている。そこでは、必ずしも「教法(佛陀の教え)」というにとどまらず、教法や佛陀という人格の根柢にあるもの、法を法として成り立たせ、佛陀をして佛陀たらしめている根源が「真如」という言葉によって指示されている。

衛藤即應は、「大乗起信論講義」において、事柄自体に於いては、「法」が「佛」の根源であるということについて次のように云っている。 注9
佛の教法とは、佛が佛になることに由って、佛を通して始めて見出された常恒不變の法を衆生に示されたのである。もし後から法と佛とを離して見るならば、法は佛によって今始めてある所のものではなくして、始めより有りし所のものとして佛陀の自覚の絶対性を裏付けてゐるものである。かくて、法は佛に論理的に先行するもの、即ちアプリオリティを持つものである。
衛藤に依れば、佛教に於いては、法は佛よりも、高き位置を占めるものであって、それでこそ覺者の絶対性が保証されるが、これを衆生に対して見る時には、「佛は法よりも高き位置を占むるものであり」「佛は法の上に位し、佛法僧の三寶の順序が成立する」と云う。つまり事柄自体に於いては非人格的なる「法」こそが、人格的なる「佛」よりも根源的であるが、我々衆生にとっては、「佛」のほうが、「法」よりも先なるものであるというのが、起信論に限らず、佛教に汎通的であると思われる。
しかし、「法身の(平等無差別の)意志」を云う大拙の場合は、どうであったのだろうか。彼に於いては、むしろ、形而上学的な原理である「真如」ではなく、根源的な人格性を帯びている法身そのものが、宗教としての大乗佛教の根底をなすものであった。大拙は「宗教的對象」としての「法身」について次のように云う。 注10
法身は一心であり意志を持ち認識する存在であり、それ自体が意志と知性、思想と活動にほかならぬ一なるものである。大乗佛教徒が理解しているように、法身は真如のような抽象的な形而上學的原理ではなく、思想のみならず自然界にもその姿を現している生きた精神である。この精神の一表現としての宇宙は、盲目的な諸力の意味のない戯れではないし、様々な機械的な諸力の闘技場でもない。そのうえ、佛教徒は、法身には無数の功徳と美徳、絶対に完全な知性があると考え、それを愛と慈しみの無盡蔵の源泉とするのである。
上のような大拙の「大乗」佛教觀が、たとえばインドで成立した大乗佛教の客観的・学問的な解説として歴史的に妥当するかどうか、については様々な異論があるであろう。しかしながら、「大乗」という言葉を、インドに於いて歴史的に成立し、中国やチベット、朝鮮や日本に伝えられた特殊な宗教運動としてのみ捉えるのでなく、ちょうど「起信論」著者がそのように解したように、「大いなる教え」すなわち、「本質に於いても属性に於いても働きに於いても、最も「大いなる」教え、最も普遍的な宗教的教えという意味にとれば、大拙の概論は、そのいみでの「佛教の普遍性」を現代人に示した書物なのである。

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注1 『鈴木大拙未公開書簡』(井上禅定 禅文化研究所 1989)による。日本語訳は英文から、筆者が直接に訳した。

注2 「國文學史講話」の序(西田幾多郎全集第一巻 418頁)

注3 「善の研究」の最終章(西田幾多郎全集第一巻 200頁)

注4 『善の研究』で西田の云う「意識」は、西欧哲学のconsciousnessが、意志とは区別されるのに対して、「意志」という要素を「感情」とともに含む事、精神的現象のすべてを含むことに注意すべきである。

注5  D.T.Suzuki、Outlines of Mahayana Buddhism, Schocken Books, New York, 1963, pp.240-241.

注6 このような法身觀は、鈴木の「大乗佛教概論」の書評を書いたプサンによって「法身の意志という考えは、インド大乗佛教の特質ではなく」「鈴木の思想は、佛教ではなくヴェーダンタ哲学や、キリスト教的な一神教的世界に近い」と批判された。(The Journal of the Royal Asiatic Society of Great Britain and Ireland, 1908, pp.885-894)(鈴木大拙、「大乗佛教概論」、佐々木閑訳、岩波書店、2004、428頁の訳者注参照)この書評で、プサンは鈴木の大乗佛教思想に対する日本真言宗の影響を示唆しているが、鈴木の思想は、真言宗の法身觀に直接に影響されたものというよりは、真言宗の教義にも多大の影響を与えた「大乗起信論」そのものに由来すると考えるのが適切であろう。

注7 Suzuki & Goddard, The Awakening of Faith in the Mahayana and its Commentary, The Principle and practice of Mahayana Buddhism, SMC Publishing INC, Taipei, p.93
This book was first published in 1907 by Luzac and Company, London.
これは、實叉難陀譯の漢文テキストに依るものである。参考までに漢訳原文を示すと、
一切諸佛及諸菩薩以平等知恵平等志願普欲抜濟一切衆生。任運相續常無斷絶。以此知願熏衆生故令其憶念諸佛菩薩或見或聞而作利益。入浄三昧随所斷障得無礙眼於念念中一切世界平等現見無量諸佛及諸菩薩。(兩譯對照内容分科 大乗起信論 明石恵達著 永田文昌堂 昭和62年、38頁)

注8 この英訳は、Yoshito S. Hakeda, Awakening of Faith Attributed to Asvaghosha, (Columbia Univ Pr 1974)による

注9 衛藤即応 「大乗起信論講義」(大蔵経講座12 名著出版 復刻版 昭和六〇年)

注10 Suzuki、op.cit. pp.222-223.

注11 池田魯山「現代語訳 大乗起信論-佛教の普遍性を説く」(大蔵出版 1998)では、「大乗」を「普遍性」と訳している。
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絶対者の人格性と非人格性-3

2005-06-22 |  宗教 Religion
絶対者の人格性と非人格性-人格と最も普遍的なもの-3

前節で、大乗起信論の帰敬偈について考察した。それは佛・法・僧への三帰依のあり方を考察したのである。「佛」が人格的、「僧」が社会的であるとすれば「法」は、その根柢にある非人格的なるものである。しかし、「佛を見るものは法をみる」というごとき言い方に如実に表れているように、佛法僧の三帰依は一体をなしており、不即不離の関係にある。

佛教の場合、「佛陀Buddha」 という言葉自身に「覺者(目覚めたもの)」という意味が含まれているのであるから、第一義的には「覺の宗教」である。佛陀が覚するものは「法」であり、「法」は釈尊という一人の人格的存在が歴史的に登場する以前から、いうなれば久遠の昔から、厳然としてあるものであり、その「法」の真實とその働きに目覚めた「人」が「佛」である。釈尊は、そのような佛の一人、すなわち先覚者であろう。したがって、佛教に於いては、いかに崇敬されるべき教祖といえども、法はその人個人の専有物ではなく、むしろすべての佛陀を佛陀として生かす根源として、それ自体は非個人的ないし超人格的なる「普遍」として了解されていたと言ってよかろう。
しかしながら、『善の研究』を書いた頃の西田幾多郎にとっても、また『大乗起信論』を英訳し、みずから『大乗佛教概論』を書いた鈴木大拙にとっても、實在の根柢には人格的なものが深く関わっていたことを確認した。そして、大乗起信論の三帰依や、法身の概念、大拙による人格的な捉え方を検討することによって、「佛教の普遍性」としての「大乗」という概念に至った。

この節では、焦点を佛教からキリスト教に移し、まず、使徒信条を手びきとして、キリスト教の普遍性という問題を考察する。そして、キリスト教の有する「普遍性」は、他ならぬ「この私」という絶対的に個的な人格と不可分であることを示したい。

使徒信条は、いわゆるローマンカトリック、アングリカン・カトリック(聖公会)、プロテスタントの諸宗派に共通する信仰宣言であり、キリスト教信仰の要をなす三位一体の神への信仰を告白したものである。

その内容を理解するために、日本語の典礼訳だけでなく、原文のラテン語と英訳を参照しつつ、とくに「カトリック教会とは何か」という問題に焦点を合わせて考察したい。

使徒信条は、父と子と聖霊の三位一体の神への信仰を宣言したものだが、その三番目の、聖霊への信仰を宣言する箇所で、「聖なる普遍の教会」という言葉が出てくる。

日本語典礼訳:聖霊を信じ、聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだの復活、永遠のいのちを信じます。アーメン。

ラテン語典礼文 Credo in Spiritum Sanctum; sanctam ecclesiam catholicam; sanctorum communionem; remissionem peccatorum; carnis resurrectionem; vitam æternam. Amen.

英訳 I believe in the Holy Ghost; the holy catholic Church; the communion of saints; the forgiveness of sins; the resurrection of the body; and the life everlasting. Amen.

まず、注意すべき事は、信仰宣言のもつ人称性である。それは、「私は信じる」と述べるものなのであって、決して「我々は信じる」ではない。常に「一人称単数」で宣言するところに、信仰宣言ないし信仰告白(Credo=I believe)の特徴がある。それは、信仰共同体としての「我々」の中に個の主体性を埋没させることではなく、あくまでも「一個人に徹する」ことを通じて、「普遍の教会」を信じることを「公に」宣言するのである。

次に、「聖霊への信仰」が、同時に「聖霊のうちにある信仰」であること。聖霊こそが、そこにおいて「私は信じる」という信仰の生起する場所なのである。そして聖霊の場に於いて「聖なる普遍の教会」すなわち「カトリック教会」への信仰が生起する。

日本語典礼訳の「聖なる普遍の教会」は英訳では、 the holy catholic church すなわち「聖なるカトリック教会」と訳されている。この点では、日本語訳の方が、良いと思う。ここでのカトリックとは、プロテスタントを排除するものではないからだ。アメリカのプロテスタント教会では、the holy Christian Churchと訳して、catholic という語を避ける場合もあるし、日本のプロテスタント教会では、「聖なる公同の教会」と訳すことが多い。ようするに、カトリックとは、公同的、普遍的といのが原義なのである。

「普遍の教会」という原点に立ち返って考えるならば、そこでいうカトリックとは、けっしてプロテスタントに対するカトリックという如き意味に特殊化されるべきではない。プロテスタント教会もまた、使徒信条を自らの信仰の拠り所としている限りでは、カトリックでなければならないからである。ローマン・カトリック=カトリックと考える人もいるが、真に普遍的なものに、西も東もなく、ローマも東京もないであろう。ラテンアメリカの人も、アフリカの人も、ヨーロッパの人に劣らずカトリック的であり得る。それ故に、真のカトリックとは民族という特殊性から自由でなければならないし、特定の教派からも自由でなければならない。 私は、さらにもう一歩を進めて、日本の「無教会主義」のキリスト教、とくにその原理を旧約聖書にまで遡って、理解しようとした関根正雄の「無教会思想」のなかにもまた、本来的な意味でのカトリックの原点を見る。ここに云う「無」は教会の否定ではない。「無」の場所に徹するところに「聖霊への信仰」があり、聖霊の内にあることこそ、新たに誕生し、あるいは刷新されるべき教会の原点なのである。 もし「無」が西田哲学に於けるように、決して主語として対象化され得ない究極の普遍であるとするならば、「無教会」こそが真の「普遍の教会」であると云うことも出来よう。そのような、究極の普遍としての「無の場所」において「私は信じる」と個人の信仰を「公に」宣言するところに、真正の意味に於けるカトリック信仰があるであろう。
  
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絶対者の人格性と非人格性-4

2005-06-21 |  宗教 Religion
絶対者の人格性と非人格性-人格と最も普遍的なもの-4

前節では、使徒信条に於ける個人の人格と普遍の教会との関係について論じたが、『大乗起信論』の帰敬偈が拠り所とする「佛法僧」の三位一体と比較して、使徒信条の三一神への信仰告白は、それらが一人称単数で、自己の責任に於いて語られるという事を指摘した。

この一人称単数の「私」のもつ普遍性、公同性は、キリスト教信仰の特質である。そして、そういうカトリック的信仰においては、更に、信仰の対象そのものが、歴史的な存在であるイエス・キリストの人格に関わるものであるということは云うまでもないであろう。とりわけその受肉、十字架上の死、黄泉への降下、死者の内からの復活、昇天して父の右に座すキリストという歴史的人格的な存在への信仰をキリスト者が告白する点で、そこには佛教よりも遙かに人格的な色彩の強いものがある。

それは、非歴史的な普遍者を原理とするギリシャ的な哲学的理性とは容易にふれ合わぬものであるが、一個の歴史的人格を原点とする福音書の物語的な統一性が、人格から人格へと響き渡るメッセージを内包することによって、歴史的世界に於ける個人の人格的な行為を直接に喚起するという働きを持っている。

日本語に於いて、「人格の尊厳」、「人格の回復」、「人格の形成」などの成句に見られるように、「人格」という言葉は既に市民権を得ている。基本的人権とは、「個人の譲渡できぬ生得的権利」のことである。また、「人格への配慮 cura personalis」とは、多くのカトリック系の教育機関が標榜している「人間教育」の基本原理である。

しかし、たとえば、「人間」と「人格」は何処が違うのか。日本語に即して云えば、人間が文字通り「人と人の間」(関係性)すなわち、社会性を含意するのに対して、「人格」は「個人性」をも含意するようにも思われるが-その両者、すなわち社会性と個人性とは如何なる関係にあるのか、こういった基本的な事柄に対して、必ずしも我々は明瞭な自覚を持っているとは言い難い。

嘗てジャック・マリタンは、「個体(individu)」と「人格(personne)」を区別して使うことを提案し、「個体は社会のために存在するが、社会は人格のために存在する」という原則を以て、キリスト教的な人格主義の原則となした。この定式は、今から六〇年以上も前のものではあるが、当時のヨーロッパを席巻していた全体主義的イデオロギーを批判すると同時に、資本主義諸国に於けるブルジュア的個体主義をも同時に批判し、個人の人格の尊厳を第一義的とみなすキリスト教的な人格主義のあり方を提示するという文脈の中で提出されたものである。「個人」と「人格」との区別は、存在論的な議論を必要とすると同時に、社会福祉のような実践の場面に於いて深い関わりを持つものである。(注12)

しかしながら、日本に於いて「人格」や「個人」という言葉は、宗教的な背景ないし含意は捨象された上で使用されることが多いのではないだろうか。個人の人格を何よりも重んじるという考え方は、キリスト教信仰によって人類の思想史に提供されたものである。それは、単なる哲学的思索ではなく、哲学に先行するキリスト教信仰の所与にほかならぬ聖書の読解から生まれたものであること-このことをまず確認しておこう。

人格神の概念は、我々が聖書に於いて出会う神とは誰か-キリストとは誰かという、キリスト教にとって二つの枢要なる問いかけから生まれたものである。 信仰が自己反省を始めるやいなや、これらの根本的な問いかけに対して、キリスト教的な思索はギリシャ哲学に於いてはそれまで使用されていなかった「人格(prosopon=persona)」という概念を使った。それによって、キリスト教的思索はこの言葉に新しい意味を与え、新しい次元を開いたといえる。
ここでは、人格概念の成立を廻る教理の歴史にたちいる余裕はないが、幾つかのポイントを押さえておきたい。  

まず取り上げるべき思想家はテルトリアヌスであろう。彼は「三つの人格的存在をもつひとつの実体una substantia―tres personae」という三位一体論のなかで 人格的存在(persona)という語を用いて、キリスト教的な神概念を定式化した。テルトリアヌスは、「不合理故に我信ず」とか「アテネとエルサレムとのあいだに何の関わりがあるか」という言葉で知られている護教家であるが、聖書の神の本質(essentia) ないし実体(substantia)が不可知であるにしても、神の内なる三つの人格的存在は、不可知なる神の本質を我々に分かる言葉によって、聖書の啓示として語ることを可能にするのである。人格的なる神は、決して知性による認識を絶する闇の中に留まっているわけではない。それは、我々にむけて語られる聖書のメッセージの中に現存している。

いうなれば、神の不可知なる本質から、言葉へと語り出るところに三位一体という「人格的存在(persona)」が立ち現れるのである。したがって、このような三位一体の人格神の意味するものは、「信仰の神秘」を知性に解消することなく、むしろ知性を「信仰の神秘」へと人格的な言葉を通して導くものである。 三位一体論は、人間の知性による内在的了解を常に越えでるものであるが、それを把握することから、神と人との人格的関係と内的対話に基づくキリスト教的思索が始まるという意味で、決して反知性的なものではない。

もっとも神を人格化して語ると云うことだけならば、かならずしもキリスト教的とは云えないであろう。古典ギリシャ時代には、ヘシオドスやホメーロスの如き詩人はテオロゴイ(神を語る人=theologian)と呼ばれたが、彼等は、物語に生気を与えるために、神々を人格的存在として描き、彼等に語らせ、それによって物語を進行させる。人格的存在は、様々な「役割」をもっており、そのもろもろの役割を通して、行為が対話の中で描き出されるのである。もともと、「ペルソナ」とは、「役割」を意味し、俳優の付ける仮面を意味していたことが想起されねばなるまい。神話や物語に生命を与えるために詩人達が創造した劇的役割、対話的役割を明らかにすることは、「人格的釈義」と呼ばれたが、初代の教父達もまた、この人格的釈義を聖書釈義に盛んに応用した。教父達は、神が複数形で導入され、自己自身と語るという事実を、人格的に釈義したのであり、それによって、「人格」という言葉に新しい意味が生まれた。

二世紀中頃にユスチノスはすでに「聖なる著者は異なる人格的存在(persona)、異なる役割を導入している」と書いている。聖書の釈義家達によって導入された「役割」は、対話的な実存として、単なる現象にはとどまらぬものを持っているので、「預言者があたかも一人の人が語っているかのように述べるのを聞くとき、諸君は、それらが霊に満たされた者達(すなわち預言者)によって話されたと思ってはならない。そうではなくて、それは彼等を動かしている御言葉(ロゴス)によって語られている」と ユスチノス は言う。だから、預言者によって導入された対話的な役割は、決して単なる文藝上の装置ではない。

「役割」はたしかにあるが、それは、「ペルソナ」であり、「顔で」あり、此処で真実を語りつつ、預言者との対話的関係に参入する「御言葉」そのものである。

 人格的存在の概念は、聖書を読みそれを釈義することの中から生まれたが、それは、対話の観念、より詳しく言えば、対話的に語る神現象の「人格的釈義」に起源を有つ。神自身が物語る聖書、人との対話のなかに現存する神が人格の概念を成立させたのである。我々が聖書によって導き入れられる根本現象は、物語る主体としての三位一体の人格神であり、語りかけられる個人(=person)である。このように、人格の観念は、その起源に於いて、対話の観念と対話的存在としての神の観念を表現している。人格は、ロゴス(言葉)の中に現存し、「私」「あなた」「我々」のような言葉から成立する存在としての神を示している。

五世紀を迎えると、キリスト教神学は、「神は三つの人格に於ける一つの存在」であるというキリスト教的な人格神のテーゼの含意するところを、ギリシャ哲学の論理的なカテゴリーを踏み越えて表現できるような段階に達した。神学者は「人格」は「実体」としてではなく「関係」として理解しなければならない、ということに気づいたのである。

神における三つの「人格的存在」は、並列するあるいは序列を有つ三つの異なる実体なのではなく、具体的な活動としての関係に他ならない。活動する関係、ないし関係づけられて活動することは、「人格的存在」という「実体」に付け加えられる何ものかであるのではなく、それは「人格存在」そのものなのである。その本性に於いて、人格的存在はただ関係としてのみ活動するのであって、実体として存在するのではない。

たとえば第一の人格的存在(父)は、第二の人格的存在(子)を生むという活動をなすが、この働きはすでに完成した人格的存在に付加されるものではなく、その人格的存在が、生むという活動、自己を与えるという活動、自己を発出させるという活動そのものなのである。人格的存在とは、この自己贈与の活動と同じである。

一つの人格的存在は他の人格的存在に向けられた純一な関わりであるが、さらに人格的存在を、相互内在をもたらす関係性すなわち、ペリコーレーシス(回互性)と捉えることができる。父と子と聖霊は、どのひとつの人格的存在をとっても、他の二つの人格的存在が内在するといういみで、純一なる他者への関係となるのである。人格は実体のレベルにあるものではなくー実体は一である-対話的な現実性、他者への純粋な関係性のレベルにある。

かつてキルケゴールは「死に至る病」のなかで、人間精神を「関係が関係自身に関係するような関係」と規定したが、それはここでいう人格の規定にも当て嵌まる。他者への活動的な関係において、自己自身に関係し、自己同一を保持する純一なる関係こそが、「出来事」であると同時に「存在」でもある人格を形成するのである。

======================================

注12 キリスト教における「人格主義」と、人格概念の起源に関する文献は多い。ここでは特に以下の文献を参考にした。

Jacques Maritain, “The Human Person and Society”, in Scholaticism and Politics, Books for Libraries Press, 1940,
Hans Urs von Balthasar,“On the Concept of Person,”Communio 13 (1986);
Josef Ratzinger, Concerning “Retrieving the Tradition Concerning the Notion of Person in Theology, ”Communio 17(1990).


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絶対者の人格性と非人格性-5

2005-06-20 |  宗教 Religion
絶対者の人格性と非人格性-人格と最も普遍的なもの-5


西谷啓治の「宗教とは何か」はReligion and Nothingness というタイトルで University of California Press から1982年に出版された。そのなかで、とくに「宗教に於ける人格性と非人格性」という章をとりあげ、彼のエックハルトに対する考え方を手引きとして、佛教とキリスト教に通底するものを確認しておきたい。

西谷の「宗教とは何か」の議論は、「人格」と「絶対無」との関わりを巡って展開する。彼は次のように言う。
人格としての人間という観念が、従来現れた最高の人間観念であったということは疑ひない。人格としての神といふ観念についても同様である。主体的自覚が確立されて以来、人格としての人間といふ観念は殆ど自明的になってゐる。しかし、人格といふものについて従来一般に考へられてきたやうな考へ方が、果して唯一の可能な考へかたなのであらうか。(注13)


「人格といふものについて従来一般に考へられてきた考え方」ということで、西谷が意味しているものは、おそらく、デカルトの自我の概念、あるいはカントの人格概念などの近代に固有のものに限らず、ギリシャ哲学にまで遡る基本的な思惟のありかた指して語っており、「我」を何らかの形で実体化して捉える人格概念を指してていると思われる。

我々は第一節に於いて、『大乗起信論』や大拙の『大乗佛教概論』を手引きとして、佛教的な思索の展開の中で、とりわけ佛法僧の三一性において如何に人格的なるものが語られ得るかを論じた。いうまでもなく、佛教の根本は「無我説」であり、実体化された自我の存在は斥けられる。しかしながら、佛教には「法灯明」「自灯明」という佛陀の遺言にみられるように、客観的な「法」とともに、主体的な「自己」が拠り所である。そのような自己は、他者に対して閉ざされた實體ではなく、前節でキリスト教的な「人格主義」の説明で述べた言葉を使うならば、「個体」ではなく、「人格」であるということができよう。

人格を實體としてとらえる伝統は確かに西洋哲学には古くからあるものである。「理性的本性を有つ個別的実体である Persona est natura rationalis individua substantia」とはボエティウスに遡る定義である。このように人格を「個的実体」ととらえる理解は、優れてギリシャ的、あるいはアリストテレス的であるといってよかろう。実体とは、存在するために他を必要としないものであり、アリストテレスの意味では、第一実体としての基礎個体である。それは「理性的本性をもつ」という人間に固有の特有性によって特徴づけられ、他の生物学的個体や単なる物体から区別されている。西谷啓治が言及した「人格」の伝統的なとらえ方に、是が含まれることは間違いない。
西洋の形而上学の伝統の中では、とくに人間という物質的な基盤を持つ存在については個的實體としての人格概念が主流であったが、キリスト教的哲学には、そういう實體概念とは別のもうひとつの人格概念がある。それは、前節で言及したキリスト教の三位一体論に由来する「人格」概念の伝統である。それは、人格を「実体」ではなく「関係」と見なす伝統といってよい。

中世の初めに於いて、聖ヴィクトルのリシャールは、キリスト教の内部から由来する人格概念を、「霊性を有つ通約不可能な実存=spiritualis naturae incommunicabilis existentia」と定義している。ギリシャ哲学では、常に主題となるのは「類的存在」ないし「種的存在」としての本質を備えた「人間」であり、個人というものは視野に入っていない。あの人間もこの人間も、「人間性」という共通の本性に於いては通約可能であり、そのかぎりで学問的な研究の対象になる。しかし、人格とは、第一義的には共通本質ではなく通約不可能な実存(existentia)である。

また、「霊的spiritualis」という言葉も、理性的と同義ではない。聖書の伝統では、霊的なるものは、理性だけではなく感覚的な身体を含む人間の全体を指すのであり、身体から分離された精神的な実体ではない。

「通約不可能な実存」としての人格は、すぐれて個々の人間の自由と責任の問題、類的存在のような共通性に還元されぬ代替不可能な生きた全体としての人間に関わりを持つ。この考え方こそ、掛け替えのない個人の価値を第一義的に考えるキリスト教の伝統を表すものと言ってよいであろう。このような「個人への配慮 cura personalis」こそ、人間論を実践哲学へと架橋するキリスト教的哲学の核心にあるものといえる。

「宗教とは何か」における西谷の人格論は、エックハルトの思想に依拠し、そこにおける「神と神性の区別」をもとにしている。 エックハルトは鈴木大拙も西田幾多郎も非常に早い時期から注目していたが、ある意味で、それはキリスト教の佛教にも通底する普遍性を我々に課題として示した先覚者であると言ってもよかろう。

西谷によれば、エックハルトのいう「神性」とは神の本質essentia であり、「神をして神たらしめるもの」である。西谷には「神と絶対無」というエックハルト研究があるが、そこではこの神性を「絶対無」と等値している。しかし、本質essentia とは、アリストテレスに由来する哲学用語であり、それはものが「何であるか」を言い表す説明方式(ロゴス)であり、実体のカテゴリーについて本来言われるべき事である。 従って、神の本質としての神性というとらえ方自体が、存在を表す言葉essentiaに派生するのであるから、それを「絶対無」とよぶことが果たして妥当であろうか、という問が生じるであろう。

もちろん、エックハルトが、ある文脈に於いて、「無」に該当する言葉を使っていることは、その通りである。しかしそれは、どういう文脈であろうか。

それは、「神が何であるか」を、我々が、人間の理性の立場ではけっして知り得ないと言うこと、人知の限界を承認することを意味するのである。そして、それは否定神学の正当なる主張を摂取したトマスの根本主張でもあり、エックハルトもこの先人の考えに従っているのである。

したがって、「神性が無である」ということは、神性については我々はロゴスによって語ることが絶対に出来ないと言うことを意味する。そのかぎりで「無」ということは適当である。エックハルト自身、被造的存在を「有」というその尺度を当てはめる限り、神は決して「有」ではないといったのであるから。しかし、この主張の裏にあるもう対立的主張を見落とすべきではなかろう。
すなわち、神の存在を「有」とする尺度をあてはめるならば、どの被造物も決して「有」ではあり得ないという対立命題であって、それと組み合わせて始めて、「神性」を「無」とよぶことが動的な転換をしめす命題として生きてくるのである。

エックハルトのラテン語著作を読む限り、彼は「esse(動詞としての有)」を機軸として考えるトマスの伝統を受け継いでいる。その伝統では、神性は、純一なる「有」というべきであって、決して、「絶対の無」とはいえない。

エックハルトの著作を後世に伝えたニコラウス・クザーヌスは、「神は有でも無でもない」とし、有無の対立を超越した神を「絶対に最大なるもの」すなわち「究極の普遍」として言い表した。この考え方は、真の意味でのカトリックを目指すキリスト者にとって指針を与える。

 究極の普遍は、それを限定するものを持ち得ないが、あるものを「無」とよぶ場合は、必ず「有」を否定することによる限定が伴うのである。その限りで、有無はつねに相関しており、その両者を越えるものを言い表すことは出来ない。 

西谷においても、又一般に所謂京都学派に於いても、「絶対無」という言葉は、有を聊かも含まない絶対的無という意味ではなく、有無の対立を越えた絶対無、有の否定ではない無という、独特の意味で使われているが、「我はありてあるものである(ego sum qui sum)」という言葉で自己を啓示する聖書の人格的なる神、かかる宗教的経験に立脚する絶対者を言い表すのに、「絶対無」は適切とは思われない。しかし、そうかといって、それを「有」というギリシャ哲学の用語で概念化するのも不適切である。そこで、出エジプト記の神名の啓示を手掛かりとして、ヘブライ語の動詞「ハヤー」をもって、「有無を超える純一なる生成」を言い表すーこれがキリスト教的な普遍を表すもっとも適切な言葉であろう。

 存在論と神学との結びつきを絶ち、「実体の形而上学」ではなく、真の意味でのキリスト教的形而上学は、「オントロギア」(存在論)ではなく「ハヤトロギア」(現成論)でなければならない。 (注14) 

 ここでは詳説しないが、佛教においてすら、有無を超える「絶対」を再び「無」とは、必ずしも呼ばないのではないだろうか。「中論」で明示されているごとく「空」は「縁起」と同義なのであり、決して老荘的な「無」ではない。大乗起信論では、佛の根源は「法身」であり、法の根源は「真如」であるが、真如は「絶対無」というよりは、離言と依言、「空」と「不空」の二つの側面を持つ根本原理である。 

==============

注13  西谷啓治「宗教とは何か」(創文社、昭和三六年、79頁)「現成」という言葉は、道元の「正法眼蔵」にある言葉であるが、「ハヤトロギア」を日本語化するにあたって、私は、それに最も近いと信じる佛教者の言葉を使った。道元は、「正法眼蔵」において、無や空を「絶対化」せず、有無を超える絶対を「現成」と言っている。

注14 「現成」という言葉は、道元の「正法眼蔵」にある言葉であるが、「ハヤトロギア」を日本語化するにあたって、私は、それに最も近いと信じる佛教者の言葉を使った。道元は、「正法眼蔵」において、無や空を「絶対化」せず、有無を超える絶対を「現成」と言っている。
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絶対者の人格性と非人格性-6

2005-06-19 |  宗教 Religion
キリストは今どこにおられますか-クザーヌスの公現の主日の説教に寄せて

我々は、四節で西谷啓治のエックハルトに関する議論に言及し、エックハルトのいう「神性」が、有無の二元対立を越えつつ、「無」と「有」の二つの側面を持つ動的原理であることを示唆した。そのさいに、神の本質essentiaは、絶対無という言葉よりは、クザーヌスのいうごとき有無を越えた「絶対的に大なるもの」という言い方がより適切であると述べた。

しかし、この「絶対的に大なるもの」を、最も普遍的なるものと解するならば、『大乗起信論』における三大にかんする議論と同じく、キリスト教的な普遍性へと開かれた議論に導かれる。

以下では、あくまでもひとつの試論に過ぎないが、この「もっとも普遍的なるもの」のもつ「場所性」ということを論じたい。

1456年の公現の主日にニコラウス・クザーヌスは 「イスラエルの王として生まれた方は今何処にいますか?」 (Ubi est qui natus est rex Iudaeorum?) というラテン語の説教をしている。
(注15)

 クザーヌスといえば、東方教会の伝統、とくに偽ディオニシウス文書に代表される否定神学、キリスト教的プラトニズムと、マイスターエックハルトの独逸神秘主義の伝統を継承した思想家である。彼は真にカトリック的なもの、すなわち、「真に普遍的なもの」を探求し、教会の一致と、イスラム教との平和共存を説いた先駆的な思想家でもあった。彼の「智ある無知」や「隠れた神」などの主著は既に邦訳されているが、ここで言及したラテン語説教の様なものは残念ながら翻訳されていない。しかし、私の考えでは、この説教は、彼の根本思想を、我々自身の自己の実存の問題に架け橋する上で重要なものであると思う。

 「イスラエルの王」とはキリスト(救世主にして王、あるいは神の子)のことである。したがって、「イスラエルの王として生まれた方は今何処にいますか?」 (Ubi est qui natus est rex Iudaeorum?)という問は、「キリストはいま何処にいますか?」 という問と同じである。

ルカ傳が伝えるキリスト生誕の物語ならば、答えは「ベツレヘムにおられます。空の星があなたを導いて下さるでしょう」という答えですむであろう。

 しかし、1456年のクザーヌスにとって、「キリストは今どこにいますか?」という問いは、過去の歴史的な事実に関する問だけではすまぬものを持っている。そして、2005年のこの物語を聞く私にとっても、「キリストは今何処にいますか?」という問は、単に、「ベツレヘムに」とかあるいは「ナザレに」とかいう空間的場所を指し示すだけではすまないものがある。
「キリストは今何処にいますか?」

この問に対して、あなたならばどう答えるのか-それは単純な問ではあるが、公現の主日に発せられた基本的な問である。それは、キリストは何処にいるか、と問うと同時に、キリスト者であるあなたは今何処にいるのか、と問いかけている様にも思われる。

 神学者ならば、このような問に答える仕方を何通りも知っているであろう。たとえば、「死せるものと活けるものとを裁くために今、キリストは父の右に座しておられる」などと。神学者でない人は、たとえば公共要理などの専門家によって書かれた権威ある書物を繙くかも知れない。しかし、クザーヌスは、自己を学者(ソフィスト)ではないと断言したソクラテスの弟子でもある。「無学者」として、一人の信仰者として、彼は聴衆に語る。その場合、神学が与える様な他人ごとの知識ではなく、彼自身が自らの実存の深みに於いて端的に了解し、そこにおいて生き、行為すべき答えこそが、説教者には求められるのである。

 興味深いことに、用心深い神学者ならばキリストというべきところで、クザーヌスは、もっと端的に、あの大工の一人息子、イエスの名をもって語る。即ち、

  「イエスはいま何処にいますか?」Ubi est Iesus?  (Where is Jesus?)

という三語によっても語る。「キリスト」は元来、普通名詞である。これに対して、イエスは固有名詞であり、肉体を持って生きた歴史上の人物ー一個人(person)-の名前である。

 イエスという一個人の名前は、キリストという名前と不可分であり、キリスト者とはイエスがキリストである、と証言するもののことである。すると、この問に対して、如何なる答えが可能であるのか。ある意味で、出来合の答えというものはない。各人が、自らのキリスト者としての実存をかけて、それぞれ生涯をかけて答えるべき根源的な問であるとも言えよう。
クザーヌス自身はどう答えたのか。彼は、ある端的な答えを与えている。それは、

  Ubi est Christus. (Where is Christ). と。

すなわち、 「何処(ubi)」すなわち「場所(locus)」こそがキリストである、と。すなわち、私はキリストにおいてあり、キリストこそが私の「場所」に他ならない、と言うのがクザーヌスの答えであった。

 イスラエルの王としてのキリスト、ユダヤ民族の救世主(メシア)としてのキリスト、あるいは全能永遠の神の一人子としてのキリスト、というような神学者の言葉に寄ってではなく、もっと端的に、「キリストは私の場所である」というのである。その意味するところをさらによく考えてみよう。

 まず、「キリストに於いてen Cristw=in Christ」という言い方はパウロ書簡で多用される表現であることに注意したい。「私はキリストに於いて真実を語る」というように。そこでは、キリストは自己とは別の実体ではなく、そこに於いて私が生き、語り、証する場所として捉えられている。キリストとは、私の主体性がそこにおいて成り立つ「場所」なのである。

 この「キリストという場所」は、メシア(王あるいは救世主)という伝統的な意味とどのような関係にあるのか。ヨハネ福音書は一つの手がかりを与える。それはイエス自身が、「あなたはキリストなのか?」と問われたときに、「我在りego eimi = I AM」と答えている箇所に注意したい。それは、決して、「私こそユダヤの王である」等という意味に解されてはならぬであろう。もっと端的な「我在り」こそがイエス自身の証言であった。

 このように、キリストをキリスト者の場所として捉える見方は、キリスト教だけに固有のものであろうか。私にはそうは思われない。旧約聖書に於いては、信仰が向けられるものは、決して固有名をもたない。それは対象化を許さぬものであるから、世界の中にあるひとつの対象ではないのである。だから、神を有限なる実体としてではなく、無限なる場所として捉える見方は、旧約聖書の伝統の中にも厳然として存在する。ヘブライ語のマーコムという言葉が、「場所」に該当するが、ミドラシュの伝承に寄れば、神は世界の中には存在しないが、世界は神の中に(神に於いて)存在すると明言される。

 世界の中にある有限なる対象は、如何なるものも神ではない。更に言うならば、存在するものの総体である世界そのものが有限なる存在である。そういう世界を構成する一要素、あるいは世界の全体を神と等値する思想(汎神論)は聖書的ではない。しかし、このような神の超越性だけを述べるのはまだ一面的である。この考えでは、神は絶対的に超越的であって、人間と神、世界と神の関係は疎遠なままに留まるでだろう。これに対して、「神は世界の場所である」という命題に於いては、神はそこにおいてある世界、世界の構成要素たる個々の人間と不可分でありながら、有限なる世界には還元されぬ無限者なのである。

 このような旧約の伝統における超越者、いうならば名付けることの出来ない無限なる「吾が主」が、一個の人格と如何なる関係にあるのかという根本問題を、一個人の「私」の場所としてのキリストを機軸にして考えることーこれが「私はキリストに於いて語る」というキリスト者のメッセージの核心にあるものではないだろうか。この世界の場所、個人の人格がそこに於いて成りたつ場所という思想は、キリスト教的人格がそこに於いて成立する場所であるが、同時に、有限なる世界を無限に超越することを可能ならしめる場所でもある。そして、その場所は、キリストという人格、個々のキリスト者という人格と不可分であり、また「キリストによってキリストと共にキリストの内にある」教会の典礼に与る諸々の人格の共同体の成立する場所でもあると言えよう。

====================
注15  Josef Koch, Cusanus-Texte: Ⅰ. Predigten 2/5, In die Epiphaniae, Brixinae,1456, pp.84-117


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花の美学 その1

2005-06-18 | 美学 Aesthetics
一 連歌に於ける「花」の句の扱い

(定座)

連歌では百韻で「四花七月」、歌仙では「二花三月」といい百韻では「花の句」を四句、「月の句」を七句、歌仙では「花の句」を二句、「月の句」を三句詠みこむ。

月、花の句の詠まれるべき場所を「定座」という。この「定座」も最初からきまっていたのではなく、元来は花の句を一巻で適当な箇所配分するということのみが定められていた。しかし、俗に言う「花を持たせる」礼儀を尊重する余り、連衆が互いに譲り合い、折端の短句までいってしまうと、それでは一巻の飾りであり賞翫の花として尊重するという本意が薄れてしまう。したがって、歌仙ならば、折端の前の長句である初裏の十一句目、名残の裏の五句目に必然的に詠まれる場所が定まっていったと思われる。百韻は四折であり「月の句」はそれぞれの折の表と裏に一句ずつ詠まれ、名残の折ではあっさりと終わらせるべき所であるから、そこに月と花の句があるのは煩わしいために「月の句」は詠まないことになっている。歌仙もこれに準じており、「花の句」はそれぞれの折の裏に詠まれることになっている。

(正花)

和歌では「花」といえば「桜」であるが、連歌では「花」といっても「桜」とは限らない。逆に「桜」といっても、それは「花の句」の扱いを受けないということである。四季折々の花には「桜」「牡丹」「木槿」とそれぞれであるが、それらの名を出して句作したときにはあくまでもその個有な植物に限定された花の印象だけになってしまうであろう。それでは、連歌で意図する「花の句」としての意味が失われる。連歌での「花の句」は連歌的美の象徴としての「正花」として詠まれなければならない。

これは「花の句」が一巻全体の「花」であり、「賞翫の惣名」であるとの考えからきている。つまり、定座に「花の句」として詠むことのできる「正花」には、賞美の意が込められていなければならないのである。「花」は、普通は春季としての扱いを受けるが、句の転じ方によっては「花の定座」が春だけではないこともある。そのようなときに用いられるのが「他季の正花」である。俳諧の連歌を例にとると、夏には「余花」秋には「花相撲」「花燈籠」、冬には「帰り花」「餅花」などがある。その他に「雑の花」としては「花嫁」「花婿」などが、正花として扱われた事例がある。

(花の句)

連歌では、ただ単に「桜」といってもそれは「花の句」としての扱いを受けないといったが、その理由は「花」といえば春の句とされるが、「花の句」は四季に咲く花々の美しさを含めての賞翫の総称を意味するものであり、「桜」といっただけでは植物個有の特性を表すだけで賞翫の意はないと考えられるからである。

以上、連歌における花の句の扱いに関する先人の所説を纏めてみたが、これらはあくまでも大体の標準的見解であり、絶対的なものではない。

たとえば、「桜」が「花の句」としての扱いを受けた例もある。『猿蓑』に入集の凡兆・芭蕉・野水・去来四吟「灰汁桶の」歌仙では、名残の折の裏五句目に

  糸桜腹いっぱいに咲にけり

とあり、「花の定座」に「花」の詞がなく、代わりに「糸桜」が詠まれている。このことについて『去来抄』では、
卯七日、猿蓑に、花を桜にかへらるるはいかに。去来日、此時、予花を桜に替んと乞。先師日、故はいかに。去来日、凡花はさくらにあらずといへる、一通りはさる事にして、花婿・茶の出花なども花やかなるによる。花やかなりといふも、よる所あり。畢竟花はさくらをのがるまじとおもひ侍る也。先師日、さればよ、いにしへは四本の内一本は桜也。汝がいふ所も故なきにあらず。ともかくも作すべし。されど尋常の桜にて替たるは詮なからんと也。予、糸桜はら一ぱいに咲にけり、と吟じければ、句我儘也、と笑ひ玉ひけり。

という記述がある。
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花の美学 その2

2005-06-17 | 美学 Aesthetics
住するところなき心―無常のなかに花を求める

まさに住するところ無くしてその心を生ず(金剛般若経)

人の心にめづらしきとみるところ、すなはちおもしろき心なり。花と、おもしろきと、めづらしきと、これ三つは、同じ心なり。いづれの花か散らで残るべき。散るゆゑによりて、咲くころあれば、めづらしきなり。能も、住するところなきを、まづ花と知るべし。住せずして、余の風躰に移ればめづらしきなり。(世阿弥「花伝」)

めづらしきといへばとて、世になき風躰をし出すにはあるべからず。(同)

時・をりふしの当世を心得て、時の人の好みの品によりて、その風躰を取り出だす。これ、時の花の咲くを観んがごとし。花と申すも、去年咲きし種なり。能ももと観し風躰なれども、物数を究めぬれば、その数をつくすほど久しし。久しくて観れば、まためづらしきなり。(同)

抑、花とは、咲くによりて面白く、散るによりてめづらしき也。有人問云、「如何無常心」。答、「飛花落葉」。又問、「如何常住不滅」。答、「飛花落葉」云々。
面白と見る即心に定意なし。さて、面白きを諸藝にも上手と云、此面白さの長久なるを、名を得る達人と云り。然者、面白き所を成功まで持ちたる爲手は、飛花落葉を常住と見んがごとし。(世阿弥「拾玉得花」)

ここで引用されている禅的なる問答の典拠は不明であるが、その内容は、対立規定の一致をとく大乗仏教の「矛盾的相即」の論理を、「飛花落葉」というイメージのかもしだす情意の空性のうちに感性的・美的に表現したものである。謡曲「箙」にも

飛花落葉の無常はまた、常住不滅の栄をなし

とある。世阿弥にとって「美の本質」は「時間において」存続しないことによってその永遠性を現す。もし桜の花に散るということが無く、いつまでも咲き続けたとすれば、その花を愛でるということがあるだろうか。それは、まさに「散る花」であり「存続」に執着しないが故に、「美しい」。「飛花落葉」が無常であり同時に常住不滅であるとは、生は死によってあり、死は生に依ってあること、ゆえに生死一如の現実の生成流転のただ中にこそ「永遠の美」を現成すべし、という教えである。それは、時間と存在に関する独特の新しい見方であり、生死の根本問題に対して答える大乗仏教の空觀ー矛盾的相即の論理-を我々の美的構想力の情意の地平に射影し、観想と言語行為、身体的な芸術表現として現成せしめた物なのである。
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花の美学 その3

2005-06-16 | 美学 Aesthetics
 美のイデア(実相)

爰に私のあてがいあり。性花・用花の兩條を立たり。性花と者、上三花、櫻木なるべし。是、上士の見風にかなふ位也。中三位の上花を、既に正花とあらはす上は、櫻木なれ共、此位の花は、櫻木にも限るべからず。櫻・梅・桃・梨なんどの、色々の花木にもわたるべし。ことに梅花の紅白の氣色、是又みやびたる見風也。然者、天神も御やうかんあり。又云、當道の感用は、諸人見風の哀見を以て道とす。さるほどに、此面白しと見る事、上士の證見〔な〕り。然共、見所にも甲乙あり。縱ば、兒姿遊風なんどの、初花ざくらの一重にて、めづらしく見えたるは、是、用花也。これのみ面白しと哀見するは、中子・下子等の目位也。上士も一たんめづらしき心たて、是に愛づれ共、誠の性花とは見ず。老木・名木、又は吉野・志賀・地主・嵐山なんどの花は、既に、當道に縱へば、出世の花なるべし。かやうなるを知るは上士也。上下・萬民、一同に諸花褒美の見風なるべし。上士は、廣大の眼なるほどに、又餘花をも嫌ふ事あるまじき也。爲手も又如此。九位いづれをも殘さゞらんを以て、廣覺の爲手とは申べし。「萬法一に歸す。一いづれの所にか歸す。萬法に歸す」と、云々。如此、その分+ に依て、自然〔自然〕に、面白き一體のあらんをば、諸花と心得べし。然れ共、兒姿の面白さと、成功の達人の面白さも、同心かとの不審をひらかんがため、性花・用花の差別を申分る也。(世阿弥、「拾玉得花」)
世阿弥は「九位」という述作に於いて、藝道の位を九つに分類しているが、そのうちの上三位をもって「性花」といっている。この場合、「性花」という言葉は、世阿弥にとっての「永遠なる美のイデア」を、「桜の花」という具体的なイメージによって暗喩的に表現したものと言ってよかろう。禅門で云う「見性成仏」の「性」は仏性であり、我々自身の内なる仏性を直観することが成仏であり、我々自身の外に仏を求めないと云う徹底した立場が貫徹されるが、世阿弥は能という藝道に於いて、美の本性を桜の花によってイメージ的に表現したのである。九位のなかで最高の位は、「妙花風」と呼ばれるが、世阿弥が禅門における「妙」の用法を念頭においていたのは間違いはない。

上位
妙花風―「新羅、夜半日頭明らかなり」
寵深花風―「雪、千山を覆ひて、孤峯如何か白からざる」
閑花風―「銀椀裏に雪を積む」
中位
正花風―「霞明らかに、日落ちて、万山紅なり」
広精風―「語り尽す山雲海月の心」
浅文風―「道の道たる常の道にあらず」
下位
強細風―「金槌影動きて、宝剣光寒し」
強麁風―「虎生まれて三日、牛を食ふ気あり」
麁鉛風―「木鼠は五の能あり。木に登ること・水に入ること・穴を掘ること・飛ぶこと・走ること。いずれもその分際に過ぎず」

修道次第
―中初・上中・下後―

下三位からはじめてはならず、中位の「浅文風」から初める。広精風が藝の分かれ目で、そこを突き抜けると、「正花風」から上三位へと上れるが、正花風へいけない役者は下三位に落ちる。上三位の藝に達しないものが下三位を演じてはならない。
しかし、上三位に達したものが、元の高さを失わずに下三位の藝を演じることは可能であり、場合によっては藝が高き位に停滞することを潔しとせず、変化をもたらすために、名人にのみ許されるものとする。このことを世阿弥は、 却来、向却来といい、そういう位を「闌位(たけたる位)」ともいう。

「萬法一に歸す。一いづれの所にか歸す。萬法に歸す」という言葉は、多くの美しいものから一なる「美のイデア(妙花)」への帰還と共に、一なる美のイデアから多様なる美しきものどもへの発出という往還の運動を表現するものである。したがって、世阿弥は九位に分けた位を単純なる上下関係に捉えるのではない。一度、上三位に達した後に、下位の美しきものに下降するのは意味のあることなのであり、また下品なるものも上品なるものに劣らぬ価値を有するが故に、能楽の「美」はあらゆる人に「愛敬」されるべきものでなければならず、決して一部のエリートのみの専有物ではないというのが世阿弥の能楽論の特徴である。
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文学のトポス

2005-06-02 |  文学 Literature
東條耿一について書く前に、彼に大きな影響を与えた北條民雄の場合、彼にとって文学がどんな意味を持っていたのかを振り返ってみよう。

北條民雄は川端康成に宛てた手紙で、自分は自殺することがどうしても出来なかった、残るは生きることしかない、そして自分にとって、生きることは文学をすること以外になかったと書いている。彼は、川端に文学の師となってもらうことを依頼しながら、こんな事を言うのは誠に申し訳ないが、「いのちの初夜」を書くとき、「良き文藝作品」を書くなどということは、實は自分にとってはどうでもよかったと書く。

しかし、「いのちの初夜」が文学界賞を受賞した後、北條は、作家として、それも癩文学の作家として評価され世間の注目を浴びた。その成功は彼自身にとって納得のいくものでなかった。できあがった作品は、北條から見ると、自己自身の生死の問題をすこしも解決するものではないということに本人が気づいたからである。文学を書かなければ自分は生きていけないが、同時に、その文学そのものを軽蔑せざるを得ない自分を発見する-ここに北條の置かれていた根本的な状況があった。

療養所の中にとざされた慰安としての文学も、また療養所の外部の世間が評価するような文学も、彼は全く信用していなかった。そこに「いのちの初夜」など絶版にしてしまえ、という彼の発言が出てくる理由があった。北條の場合、自己の生死の問題は、一個人が文藝に没頭したり宗教に入信したりすることで解決するようなものではなく、社会全体のシステムを変革する問題と切り離しては考えられなかったからである。しかるに「不治の病」にかかりただ死を待つしかない自分は、社会変革の最前線から脱落した廃兵にしか過ぎないーこれが彼の大きなジレンマであった。だから、北條は、「監房の手記」という作品(これは、らい院の監房に収監された社会主義者を主人公とする小説で、当初より北條が構想をあたためていた小説であるが、北條自身によって破棄されたため残存していない)を、検閲を通さずに川端康成のもとに送った後で、全生園を飛び出して各地を放浪、その挙句、どこにも自分の居場所がないことを知らされ、結局の所、療養所に舞い戻らざるを得なくなった。日本の何処にも彼の心を落ち着かせる場所は存在しなかったのである。

北條が唯一人心を許し「いのちの友」とよんだ東條耿一の場合はどうであったか。東條が最初に山桜に発表した作品「蚤」は、らい院の精神病棟に隔離された社会主義者を主人公としている。そのために、この投稿は伏せ字だらけである。また、東條がのちに発表した唯一の小説「霜の花」は精神病棟での介護体験をもとにしているが、その筆致は、驚くほど北條民雄のものと似ている。

共産党関係者が一斉に検挙され、続々と転向宣言を出していた時代に、東條も北條も、生きていた。明石海人もまた、私立の療養所ではもっぱら唯物弁証法の著作のみを読んでいたことが想起される。彼等はみな社会主義の革命運動のシンパだったのである。そういう思想を抱きながらも、一切の社会性を剥奪されて収容所で生を終えなければならぬことへのいらだち、それを伺わせる記述が、北條の日記の中にある。

明石海人の場合も、北條や東條の場合も、彼等が社会主義思想を抱いていたことがこれまであまりにも軽視されていた。批評家は、当時の文書がいかに過酷な検閲に晒されていたかを忘れていたのである。

東條の場合は、フランス人の神父によって造られた私立の神山復生病院でカトリックの洗礼を受けたが、おそらく全生園の内部に設置された教会のミサには、北條の葬式のときまでは出席していない。妹の津田せつ子は「なまくら信者」であったといっている。療養所の中の慰安活動として公認された文学を北條民雄が信用しなかったということは明かであるが、それとおなじく、東條のばあいは、療養所の中の患者の心の慰安を目指す宗教活動を全く信用していなかったといって良いであろう。

社会運動、患者の人権闘争などが、外島事件や長島事件で見るように徹底的に抑圧されていた時代、そして、絶対的に隔離された療養所の閉鎖性、そしてそれ自身がその反映にほかならない日本社会全体の持つ抑圧のシステム。そういうものからの自由を求めるための必死の闘い、それを私は、二人の生の軌跡のなかに辿る。それは、私自身がもっとも関心を持つのが、文学を否定する文学、宗教を否定する宗教が、まさに成立するトポスに他ならないからである。
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東條耿一詩集より

2005-06-01 |  文学 Literature
    鞭の下の歌

ちちよ ちちよ
いかなればかくも激しく 狂ほしく
はた切なしく われのみを打ちたまふや
飛び来る鞭のきびしきに耐え兼ね
暗き水面の只中を泳ぎ悶轉(まろ)べど
石塊(いしくれ)の重き袖は沈み 裳裾は蛇の如く足に絡みて
はや濁水はわれを呑まんとす
おお わがちちよ
なにとて おん身 われを殺さむとするぞ
死にたくはなし! 死にたくはなし!
卑しく 空しく いはれなき汚辱の下に死にたくはなし!
好みてかくも醜く 病みさらばへるにあらざるを
おん身の打ち振ふ 鞭は鳴り
鞭はとどろき
ああ 遂に--
鼻はちぎれ 額は裂けて血を噴けり
おおされどわれ死なじ 断じて死なじ!
たとへ鞭の手あらくなりまさり 濁水力を殺げど
おん身の心やはらぎ 憐情に飢ゆる時までは
おおその時までは 血を吐き 悶絶すとも
おん身の足下に われ泳がん 泳ぎて行かん。

      伴侶

義足よ つれづれの孤独の伴侶(とも) 私に力を借せよかし
人生(ひとのよ)の片影 そを安らかに歩むより 私に想望(おも)ふ事もなし
いまこそ疵も癒ゆたれば お前に学び 歩きたい
向ひの病室 あちらの花芥 凧(いかのぼり)の泳ぐ芝平ら
これは昭和12年の「山桜」に、1936年作品集として発表されたもの。この昭和12年は東條が次から次へと詩を創作していた時期で、この作品の後では、「夕雲物語」などの散文詩が続く。「鞭の下の歌」は、旧約聖書の詩編作者やヨブ記の主人公に自己自身を重ねた歌である。不条理な苦しみにあえぐ魂の渇き、すべてを支配しているはずの全能の父にむかって、捨て身で「何故に?」と問う。

旧約聖書ヨブ記 9:30-35に次のくだりがある。
雪解け水でからだを洗い/灰汁で手を清めても/あなたはわたしを汚物の中に沈め/着ているものさえわたしにはいとわしい。/このように、人間ともいえないような者だが/わたしはなお、あの方に言い返したい。あの方と共に裁きの座に出ることができるなら/あの方とわたしの間を調停してくれる者/仲裁する者がいるなら/わたしの上からあの方の杖を/取り払ってくれるものがあるなら/その時には、あの方の怒りに脅かされることなく/恐れることなくわたしは宣言するだろう/わたしは正当に扱われていない、と。
ここには、神から受けた仕打ちが不当であると宣言するヨブの言葉が記されている。この「あの方とわたしの間を調停してくれる者 仲裁する者がいるなら わたしの上からあの方の杖を 取り払ってくれるもの」を、キリスト教徒は、子なる神=キリスト を指し示す言葉と解釈した。神自身が、アガペー(あわれみ)となって我等の間に使わされるまで、というようにヨブの「旧約の神への抗議の声」を解釈したのである。こういうヨブ記の読み方が背景にあって、はじめて、「憐れみに飢えるとき」という詩句が生きてくる。人間が苦しむとき、神も又苦しむ、高き處から慈悲をたれるのではなく、神自ら、「憐れみに飢える」時が来る、つまり、みづから人間に代わって、人間の苦しみを引き受けるはずだ、そうでなければならない。
おん身の心やはらぎ 憐情に飢ゆる時までは
おおその時までは 血を吐き 悶絶すとも
おん身の足下に われ泳がん 泳ぎて行かん。
この詩があからさまに詠んでいるのは「嘆き」であり、やるすべもなき「苦しみ」である。しかし、決して、そういう嘆きや苦しみそのものが主題なのではない。作者が知りたいのは、その苦しみの意味なのである。意味への問いに答えが得られるまで、決してこの世を否定せずに生き続けようと言う作者の決意がある。「伴侶」 という詩は、この「鞭の下の歌」の次に置かれた詩である。耐えがたい苦痛がしずまり、作者に平安が訪れる。そのときに、作者は、感謝を込めて「義足」にむかって「伴侶」と呼びかけている。義足はたしかに作者の歩行を助けますから、伴侶と呼ぶにふさわしい物であるが、實は義足に限らず、作者は自分の日常生活を成立させているあらゆるものに向かって、「伴侶」と呼びかけているように感じられる。盲目となり歩行も困難であっても、それを手助けしてくれる物から学び、感謝する心がうまれたことは、その直前の歌が一種のカタルシスとして働き、そのあとに作者の心に平安が与えられたことを示している。

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