元・還暦社労士の「ぼちぼち日記」

還暦をずっと前に迎えた(元)社労士の新たな挑戦!ボチボチとせこせこせず確実に、人生の価値を見出そうとするものです。

光秀は謀反人か・孟子の禅定と放伐(政権交代)・朝廷の勅使を安土城で待つ意味

2021-02-07 22:00:00 | 社会保険労務士
 「光秀の謀反人」は秀吉の戦略>徳川では謀反人の影は薄れたこと

 明智光秀は「謀反人」か? 戦国時代にあっては、謀反は普通の日常茶飯事であったのではないか。どうも信長の実質的な後継者となった豊臣秀吉から、謀反人としてうまく扱われたのではないかと思う。別の言い方をすれば、下剋上の世の中にあって、謀反人とそうでない者の違いってなんだというわけである。
 
 山崎の戦いで信長を打った明智光秀に勝った豊臣秀吉が、自分が信長の後継者として世を治めるため、彼を謀反人として悪人として扱ったのではないかということである。というのも、豊臣政権が倒れ徳川政権の世になった時代には、彼の謀反人としての影は薄れ、世にもてはやされるようになったのである。

 当時武士がたしなむ「孟子」に、政権交代として「禅定」と「放伐」という用語がある。童門冬二氏※は、これを次にように分かりやすく説明しています。 ※徳川3代の人間学、童門冬二著、NHK出版

 人民を治める王にはがなければならない。徳がなければ仁の政治がおこなえないからからだ。徳を失った王は徳のある後継者に後を譲るべきである。この話し合いによる平和な政権移動を禅定という。
 徳を失ったにもかかわらず王が、いつまでも王座にしがみつくときは、徳のある者が実力を行使してその王を排除することができる。これは謀反ではない。なぜなら、徳を失った王は単なるつまらない人間にすぎないからだ。この実力行使を放伐という。

 では、徳がないとかあるとかとは誰が判断するのか。光秀が一人判断したのであれば、それは独りよがりではないか。以前の論で、信長の企業は、すでにパワハラ化、ブラック起業していたと述べたが、それを光秀一人で判断したのであれば、それは独りよがりにすぎなく、正統性はない。しかし、織田家の中においては、誰もが徳がなくなっと感じていたはずである。

 放映された「麒麟がくる」の中で、その契機となるような出来事から、著者の脚色もあることも考慮しても、次のようなことがある。
 
 ・信長の光秀への家康接待時の暴行 ・信長が昔からの重臣である佐久間信盛の働きが悪くなったゆえの追放 ・光秀が正親町天皇から横暴な(?)信長のいくすえを見守るよう依頼される ・信長が正親町天皇へ譲位を強要 ・信長は将軍足利義昭追放にあたって罪人扱い ・信長は四国長曾我部と始め協定していたが畿内に縁を持つ三好氏に接近し長曾我部と対立=光秀は長曾我部と親戚だったので両者の板挟み ・比叡山延暦寺の焼き討ちにおいて女・子供の殺害を信長は光秀等に命令 ・家康が光秀に築山殿等の殺害を信長に命じられたことを光秀に相談 ・荒木村重や松永弾正の信長への反発からきた謀反 ・光秀の尊敬する「道三ならどうしただろうか」と父道三に性格が瓜二つである帰蝶が、光秀に聞かれたときのセリフ「信長を作ったのは光秀など、ならば、それを作った光秀お前が始末するしかない」と 
 *しかし信長の最後の命令が、光秀が昔仕えた将軍足利義昭を殺せとはビックリしました、これでは信長か義昭かということになり、本能寺の変は不可避となる。「麒麟がくるー最終回」
 (思いつきまま記述したので、出来事順ではない)
 
 彼の中で、放伐の実施は、自分だけの判断だけでないという思いが芽生えたとしても不思議ではない。

 つまり、光秀にいわせれば、悪役非道を行い、人心が離れる信長に対して、麒麟の来る平和な世の中を治めるために、「放伐」を行ったのである。光秀の主殺しは、彼なりの「義」を重んじる結果であったのであろう。※
※戦国時代の争いはすべて孟子の説く「放伐」の実行であって、光秀が信長を殺したのも、家康が豊臣家を滅ぼしたのも、この放伐の論理によったものであるという。(徳川3代の人間学、童門冬二著、NHK出版)

 そこで、光秀は、信長討伐の公認そして信長後継者として、後付けであるが、朝廷の詔勅を得る必要があったのである。「本能寺の変」後に安土城に入り、4日間もそこにとどまったのは、信長の居城である安土城で勅使吉田兼見を迎える必要があったからといえる。この間に平定の軍備を整えるよりも、なによりも義という論理を重んじた結果、勅使を待った。しかし、そこへ秀吉の「中国大返し」による思いがけない急襲によって、光秀は敗れることになる。
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森会長女性蔑視発言=女性は競争意識が強いは誤りで私も発言していいんだとの意識

2021-02-07 11:11:31 | 社会保険労務士
 競争意識が強いは誤りの指摘=女性は最初なかなか入っていけないところに原因<三浦瑠麗>

 テレビ番組「ワイドナショウ」で、 東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の森喜朗会長の発言「女性が多い理事会は時間がかかる」に加え「女性というのは競争意識が強い。誰か一人が手をあげて言うと自分も言わなきゃと思うのだろう。それでみんな発言する」と言ったことが女性蔑視として取り上げられていた。

 この場合、女性の三浦瑠麗氏は、女性は競争意識が強いというのは間違いであると指摘。まず、女性は最初はなかなか入っていけなくて、一人がしゃべったら「自分も発言してもいいんだ」ということになるんだという。※

 森会長の「競争意識」のことばをなんとなく聞いていた男性の自分、ことばとして聞き逃していたことになる。そうなんだ「自分も発言していいんだ」という意識には、思い浮かばなかった自分である。

 ここらの意識の違いを認識しないと男女平等社会には、ほど遠いのかなあと思う。

 ※確かに、何とか協議会とか委員会とか、シナリオに沿ったもので、後はシャンシャンという形で終わりというのがある。特に女性の 委員等は占める割合が少ないのであれば、何か議論がおかしいと思っても、そのままになってしまうというのが今までのパターンではなかったか。 
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