松山櫨(はぜ)復活奮闘日記

失われてしまった松山櫨の景観を復活させようと奮闘していく日々の記録。

島原の蝋屋さん見学

2008-06-15 21:27:55 | 復活奮闘日記
今日は島原の本多製蝋へ、元・中川製蝋の社長と荒木製蝋の社長と一緒に見学に行きました。
滅多に乗らないフェリーに乗って、雨にけぶる長栖を出発です。

本多製蝋は、昔ながらの伝統的な玉絞り製法で蝋を絞っており、
貴重な伝統製法に使用した道具類などがきちんと残っています。

先代が亡くなった後、今では教師をしている社長が一ヶ月に一度ほど機械を稼働させています。
大正時代から使っている機械ですから、修理する人もいないため
大切に扱われている様子でした。

集められた櫨の実。
以前は倉庫一杯に貯蔵されていた昭和福櫨の実ですが、
今ではちぎり子が激減し、集められる櫨の実も少なくなってしまいました。


櫨の実を砕いて粉にする機械


ボイラー。ちぎった実にくっついていた小枝などは、実と分離した後
ボイラーに入れられ燃料として使われます。


玉絞りの機械。
蒸した櫨の実を圧力で押しつぶします。


絞った後の蝋かす。
これにもまだかなり蝋が残っています。
これを畑においておくと、蝋かすが子供達の喜ぶカブトムシを引き寄せるのだとか。


型流しの木わく。こういったものを作る人も少なくなりました。


工場全体が資料館にもなっています。


雲仙普賢岳の噴火の時に落ちてきた石。
あの時の火砕流のおかげで、質のいい島原の櫨は壊滅的な被害を受けました。


本多製蝋はこの製蝋所を維持していくだけでも、経済的に大変な負担のようでしたが、
製蝋所の現場は貴重な歴史の宝庫でもあるだけに、
なんとかして維持だけでもできればと思います。

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4 コメント

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Unknown (ぷりりん/まりりん)
2008-06-15 22:37:47
早速の島原レポート掲載ありがとうございます。これまで多くの製蝋所が閉鎖されていくなか、うごく資料館は大変貴重な存在ですね。これからもどうにか維持してほしいものです。数年前にネットで検索したとき知ったのですが、蝋分の多い昭和福櫨の原木も同災害で残っていないらしいですね。今はその分身たちが昭和から平成へ時代へ移った櫨蝋産業を支えているのですネ。ガンバレ平成を担う昭和世代!とエールを送りたいです。
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ぎりぎりな感じで (elster)
2008-06-16 16:26:52
本多製蝋は日本で唯一の玉絞り製法です。(荒木製蝋は溶剤抽出製法なので)玉絞りは、蝋の抽出能力は溶剤に比べると劣りますが、より自然な状態で絞っていますので、蝋として一番質が良いようです。しかし櫨の実の収穫も激減してますし、今では子供達のための研修や見学の博物館みたいになって、せっかくの道具類が埃かぶっているのを見ると、何か心が痛みます。本来ならどんどん蝋を生産してほしいと願っていますが、なかなか難しいもんですね。
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 (紅の豚)
2008-06-16 17:16:43
私の田舎 甘木市(現朝倉市)にも沢山の櫨の木が植わってた事を思い出しました、佐田川の土手には沢山の櫨の木が有り、秋には真っ赤な葉ぱが綺麗でした、田んぼの中の道には櫨の木があり、池も周りにも沢山ありました。友達が櫨の木の下を通って櫨負けしたことを思い出しました、そう言えば昔通った道にも櫨の木が姿を消してますね、昔 藩の経済を支えた櫨も今となっては不要の物になってしまったのですね、和蝋の伝統を守る為にに力を入れてらっしゃるようで伝統を未来に伝える為にも頑張ってください。
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甘木の櫨 (elster)
2008-06-16 20:49:00
私も小さい頃、甘木の櫨を見た記憶があります。それはもう美しかったですね。実は今度、甘木でも櫨にまつわる展示の話も出てきていますから、その時は私も全面的に協力する予定です。ぜひお楽しみに。
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