今週、銭湯巡りをしている。家の給湯機が壊れたのである。暖かくなってきたとはいえ、さすがに水風呂・水シャワーはまだ辛い。で、今週一杯、銭湯に通うはめになった次第。
今どき珍しいと思うが、家の近所に銭湯が3軒ある。佃・月島に銭湯が多いのは、昔この辺りに鉄工や機械の工場が多かったことや、ここが未だに長屋が残る下町だからであろう。
ふと気になって調べてみたが、銭湯(統計上は「一般公衆浴場」)の数は昭和30年代後半がピークで、全国で23千軒あったという。それが今では5千軒しかない。ひどい時には1日1軒銭湯が廃業したと聞いたが、あながちそれも嘘ではあるまい。家風呂の普及による利用者の減少に加え、銭湯経営者の高齢化や後継者難により廃業が後を絶たないのである。
そういえば、銭湯や古い(安い?)温泉宿でお馴染の、黄色のケロリン桶。なんとこの桶を製造していた睦和商事という会社が、今年の3月に倒産したという。理由は、銭湯の減少による営業不振。幸い、広告主である内外薬品(注:あの桶は頭痛薬「ケロリン」の広告のため作られたもの)が、引き続き桶の販売を行うとのこと。銭湯の必需品・ケロリン桶が無くならないと聞き、どこかほっとした。
さて、最初の日は運動がてらスポーツクラブに行って風呂に入ったが、次の日から僕の巡礼の旅ならぬ“巡湯(?)”の旅が始まった。
まずは「旭湯」。ここは3軒の中で最も昔ながらの銭湯の趣きを残している。他の2軒はマンションや商店などビルの一角にあるが、ここの建物は銭湯だけ。番台もあれば、壁には富士山ではないが立派な絵もある。天井は高く、脱衣所も洗い場も湯船も広い。僕は学生時代ずっと銭湯に通っていたが、その頃にタイムスリップしたような感じがする。お湯も43度と一番熱く、それも良かった。
次に行ったのは「日の出湯」。ここはアパートの1階にある。銭湯だけでは生活が厳しいから上をアパートにしたのであろう。全体に狭いが、雰囲気としては昔の銭湯である。
最後が「月島温泉」。ここは商業ビルの2階にある。雰囲気的には地方の温泉にある日帰り入浴センターといった感じ。入り口では男湯・女湯に分かれていない。まず受付があり、中に入ってから男湯と女湯に分かれる形だ。「洗い髪が芯まで冷えて、小さな石鹸カタカタ鳴った」という『神田川』のような経験は望むべくもない作りである。ここもちょっと狭いが、サウナもあるし、全体に新しく、きれいだった。
各々タイプの違う3つの銭湯であるが、一つ共通点があった。番台(あるいは受付)に座っていたのが皆お婆さんだったのである。確かに、高度成長期が全盛で、その後廃業はあっても新たな参入がないとすれば、銭湯の方の高齢化は否めないであろう(1970年代、『時間ですよ』で番台に座っていた森光子さんも昨年亡くなってしまったし)。
では、銭湯に未来はないのだろうか。個人的には旭湯のような銭湯に残って欲しいと思うが、時代の流れとしては月島温泉のような形でないと生き残りは難しいのかもしれない。それこそ村上春樹にでも『人生で必要なことを僕はみな銭湯で学んだ』とかいう本でも書いて応援してもらわないと無理かもしれない。子供にしてみれば、共同生活のルールというか、大人とのつきあい方、お爺さん・お婆さんあるいは自分よりも年下の子供へのいたわりなどを学べる良い場所だと思うが。
郷愁にふける中年おやじの独り言である。
今どき珍しいと思うが、家の近所に銭湯が3軒ある。佃・月島に銭湯が多いのは、昔この辺りに鉄工や機械の工場が多かったことや、ここが未だに長屋が残る下町だからであろう。
ふと気になって調べてみたが、銭湯(統計上は「一般公衆浴場」)の数は昭和30年代後半がピークで、全国で23千軒あったという。それが今では5千軒しかない。ひどい時には1日1軒銭湯が廃業したと聞いたが、あながちそれも嘘ではあるまい。家風呂の普及による利用者の減少に加え、銭湯経営者の高齢化や後継者難により廃業が後を絶たないのである。
そういえば、銭湯や古い(安い?)温泉宿でお馴染の、黄色のケロリン桶。なんとこの桶を製造していた睦和商事という会社が、今年の3月に倒産したという。理由は、銭湯の減少による営業不振。幸い、広告主である内外薬品(注:あの桶は頭痛薬「ケロリン」の広告のため作られたもの)が、引き続き桶の販売を行うとのこと。銭湯の必需品・ケロリン桶が無くならないと聞き、どこかほっとした。
さて、最初の日は運動がてらスポーツクラブに行って風呂に入ったが、次の日から僕の巡礼の旅ならぬ“巡湯(?)”の旅が始まった。
まずは「旭湯」。ここは3軒の中で最も昔ながらの銭湯の趣きを残している。他の2軒はマンションや商店などビルの一角にあるが、ここの建物は銭湯だけ。番台もあれば、壁には富士山ではないが立派な絵もある。天井は高く、脱衣所も洗い場も湯船も広い。僕は学生時代ずっと銭湯に通っていたが、その頃にタイムスリップしたような感じがする。お湯も43度と一番熱く、それも良かった。
次に行ったのは「日の出湯」。ここはアパートの1階にある。銭湯だけでは生活が厳しいから上をアパートにしたのであろう。全体に狭いが、雰囲気としては昔の銭湯である。
最後が「月島温泉」。ここは商業ビルの2階にある。雰囲気的には地方の温泉にある日帰り入浴センターといった感じ。入り口では男湯・女湯に分かれていない。まず受付があり、中に入ってから男湯と女湯に分かれる形だ。「洗い髪が芯まで冷えて、小さな石鹸カタカタ鳴った」という『神田川』のような経験は望むべくもない作りである。ここもちょっと狭いが、サウナもあるし、全体に新しく、きれいだった。
各々タイプの違う3つの銭湯であるが、一つ共通点があった。番台(あるいは受付)に座っていたのが皆お婆さんだったのである。確かに、高度成長期が全盛で、その後廃業はあっても新たな参入がないとすれば、銭湯の方の高齢化は否めないであろう(1970年代、『時間ですよ』で番台に座っていた森光子さんも昨年亡くなってしまったし)。
では、銭湯に未来はないのだろうか。個人的には旭湯のような銭湯に残って欲しいと思うが、時代の流れとしては月島温泉のような形でないと生き残りは難しいのかもしれない。それこそ村上春樹にでも『人生で必要なことを僕はみな銭湯で学んだ』とかいう本でも書いて応援してもらわないと無理かもしれない。子供にしてみれば、共同生活のルールというか、大人とのつきあい方、お爺さん・お婆さんあるいは自分よりも年下の子供へのいたわりなどを学べる良い場所だと思うが。
郷愁にふける中年おやじの独り言である。