縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

いざ サグラダ・ファミリアへ・後編 (スペイン紀行4)

2006-11-23 18:05:35 | もう一度行きたい
 サグラダ・ファミリアは、正式名を聖家族贖罪聖堂という。イエス、聖母マリア、そして聖ヨセフの聖家族に捧げられた教会である。1882年3月19日、聖ヨセフの祝日に着工され、未だ建設が続いている。以前は完成にはまだ100年も200年もかかると言われていたが、最近、観光客による寄付金の増加や技術の進歩から、あと20、30年で完成するとの話も聞かれる。それであれば、なんとか生きているうちにサグラダ・ファミリアの完成を見ることが出来るかもしれない。長生きせねば。

 ところで、不謹慎かもしれないが、ヨセフがなぜ“聖”ヨセフなのか不思議である。正しい人、聖家族のかしら、イエスの養父(父ではない)であり守護者としてイエスを守った、聖母マリアを不義姦通罪で訴えることなく受け容れた、等が理由のようだが、あまり釈然としない。
 聖母マリアや聖ヨセフへの信仰はカトリック、特にここスペインで強いようだ。そして、サグラダ・ファミリアは聖ヨセフ聖霊協会により建設が進められたのである。

 さて、いよいよサグラダ・ファミリアへ。まずは大きさに、その威容に圧倒された。ガウディらしさは比較的抑えられているが、それでもあまり教会には見えない。現代のゴシック建築というべきなのだろう。いずれにしろ、このようなガウディの設計を認めた当時の方の度量の深さに感心してしまう。
 バカと煙は、ではないが、エレベーターで塔の上まで上がった。バルセロナの町は勿論、反対側の塔にある彫刻など、下からはわからないサグラダ・ファミリアを見ることができる。それがおもしろかったので、もう一方の側の塔を、今度は階段で登ってみた。螺旋階段が続く。時折、踊り場があり、そこから外が見える。鳩や、何かよくわからない彫刻がある。朝からずっと歩いていた疲れのせいか、螺旋が永遠に続くように思えた。やれやれ。僕は途中で引き返した。
 下に降り、今度は3つの門を見た。生誕、受難、栄光の門。各々の門は聖書の場面を表す彫刻で飾られている。彫刻、そう、サグラダ・ファミリアにガウディらしさを少ないと感じる理由は彫刻にあるのだろう。彫刻を多くせざるを得なかったため、彼独特の装飾が抑えられているのだ。まあ、その方が教会らしくなって良いと思うが。

 ガウディはサグラダ・ファミリアの建設に携わったことで大きく変わった。仕事を引き受けたとき彼は31歳。服装は常にモーニングにシルクハット。時間があれば乗馬やオペラ、芝居を楽しんだという。それが次第に強い信仰心に目覚め、命に関わるほどの断食を行い、菜食主義者になり、身なりにもまったく気を遣わなくなった。おかげで晩年は物乞いの浮浪者と見分けがつかなかったらしい。
 サグラダ・ファミリアの建設資金が不足したことから、彼は自らの収入を注ぎこみ、また、1912年頃からは他の仕事を断り、サグラダ・ファミリアの建設に専念した。そうした中、1926年、彼は市電に轢かれ命を落とした。
 ガウディが自らの命を懸け、精魂込めて取り組んだサグラダ・ファミリア。見る者には年月の重みともに、そんな彼の鬼気迫る迫力、篤い思い、情熱が伝わってくる。

いざ サグラダ・ファミリアへ・前編 (スペイン紀行3)

2006-11-21 23:54:52 | もう一度行きたい
 僕は旅先で写真を撮らない。昔は写真が好きだったのだが。高校生の時、写真好きの友人の真似をし、なけなしのお年玉で一眼レフを買った。翌年には望遠レンズも買った。もう20年以上も前の話、まだデジカメなどない。ペンタックス、昔ながらの写真フィルムを使った、いわゆる銀塩カメラだ。今は押入れの奥で眠っている。おそらく、まだ使えるだろう。そのうち『開運! なんでも鑑定団』にでも出そうかと思っている。我が家では妻の祖母からもらった壺と並び(これも怪しい?)、同番組の有力候補である。
 いっぱしのカメラ小僧だった僕が、いつからだろう、ぱったり写真を撮らなくなった。結婚式や何かの会では写真を撮るが、旅先では撮らない。そもそも旅行にカメラを持って行かない。なぜか。それは、あるとき写真の構図やカメラのアングルしか考えず、景色を楽しまない、楽しめない自分に気が付いたからだ。一期一会と言うと大げさだが、景色をしっかり自分の目で見、脳裡に焼き付けよう、印象に残そう、と思ったのである。

 ガウディの話のはずが、こいつ何を言っているのだろうと不思議に思われた方、そう、長々と書いたのは実はお詫びからである。“ガウディ”ネタのブログにはつきものの写真がここにはない。皆様には不自由をかけ申し訳ないが、読んで関心を持たれた方は他のブログで写真をご覧になって欲しい。

 気を取り直し、ガウディの話。バルセロナにはガウディを、特にサグラダ・ファミリアを見に行った。中世のゴシック建築の教会ならいざ知らず、19世紀の終りから既に100年以上の歳月をかけ、作り続けている教会。ガウディを好きというのではない。それどころか、ガウディの前衛的というか、突拍子も無く過剰な装飾には付いて行けない気さえしていた。が、しかし、サグラダ・ファミリアにはとても興味があった。

 まずカサ・ミラやそこの博物館でガウディの基礎を勉強。次にグエル公園へ。グエルはガウディのパトロンであり、良き理解者である。グエル公園は、当初、公園ではなく住宅分譲地だった。高台の緑の中にある素敵な“ガウディ・ワンダーランド”にお家はいかが、というのがコンセプトである。緑に加え、広場や噴水もあり、それに妙な、もとい、ガウディらしい装飾の数々。
 環境としては申し分ない。ただ、これがガウディのデザインでなければ、というのが僕の率直な感想。凡人の僕にはもっと平凡な方が良い。

 もっとも、そう思ったのは僕だけではないようだ。なんと住宅は2軒しか売れなかったのである。それもグエルとガウディ本人。このためここは公園になった。まあ、今の我々にしてみると、不幸中の幸いである。公園としては悪くない、いや、悪くないどころか、おもしろいし、とても洒落ていると思う。
 公園の中で音楽を聞いた。スピーカーから流れるBGMではない。そんな野暮ではない。バイオリン弾きだ。行ったのは、真夏、猛烈に暑い時だったが、バイオリンが響く、そこだけは別世界だった。写真はないが、鮮やかな印象として心の中に残っている。美しい、どこか物悲しいバイオリンの音が大変よく似合う、ここはそんな公園である。

 さて、まだ本題に行きつかないが、続き、サグラダ・ファミリアの話は次回にする。悪しからず。

フリードマンに捧ぐ ~ 自由と平等

2006-11-19 17:29:24 | 最近思うこと
 フリードマンが亡くなった。11月16日、享年94歳。4月にはガルブレイスが亡くなったし、かつて彼らの本で学んだ者としては大変寂しい。

 フリードマンはマネタリズムを代表する経済学者である。彼は、ケインズのいう政府による有効需要管理ではなく、その放漫財政によるインフレの危険を指摘し、小さな政府を、通貨供給量管理の重要性を主張した。
 市場の失敗というが、政府も失敗する。政府による管理や裁量的な政策はインフレに繋がる恐れがあるし、財政政策だけでは足元のスタグフレーション(不況下でのインフレ)に有効な対策を示すことができない。政府の役割を小さくし、規制を無くして市場に任せる、民間の活力を引き出す、1980年代当時、こうした彼の主張は大変新鮮だった。又、90年代、米英が成長を続ける中での日本の低迷を見るに、この説が正しかったようにも思える。

 ケインジアンの政策か、マネタリストの政策か、どちらが正しいのか、どちらを取るべきかと問われたら、私は答えに窮してしまう。
 政府に広い裁量を認める、積極的な政府の活動を認めるというケインジアンの政策は、極論すれば、政府がオールマイティ、いわば全知全能の神に近い場合にのみ成り立つ話である。つまり、人々の嗜好、価値観、はたまた為替や原油価格の動向、海外の情勢等々、政府があらゆる情報を知った上で、常に適切な判断を下すという前提である。まあ、どう考えても無理な話、夢物語。さらにわが国の政治家や官僚を考えると・・・・。
 では、マネタリストの政策はというと、こちらの前提は市場が正しく機能すること、即ち、変な規制や、不当な圧力を受けること無く、人々が自由に判断、活動できる社会が前提である。今の日本の社会、その政治家、官僚、特定の利益団体等を考えると、こちらも難しい気がする。
 小泉改革というのは後者に近い考えを前提とするが、抵抗勢力の前に改革は思うように進まなかったし、規制緩和が格差社会を拡大したとの批判も受けた。

 ところで、フリードマンは自由主義者である。市場信奉は自由主義の帰結なのである。彼は“自由”の本質は、個人の尊厳を信じ、他人が自分と同じことをする自由には干渉せず、自己の能力と機会を最大限に利用する自由を信じること、だという。自由と平等は両立するともいう。ここでいう平等とは、結果の平等ではなく、神の前での平等、即ち、機会の平等である。

 世界で最も成功した共産主義国家と揶揄された日本。即ち、わが国は資本主義国家でありながら共産主義のどの国よりも所得分配が平等、分配の結果が平等だと言われた。
 僕自身、何が正しいのかわからないし、だんだん年を取ると“結果の平等”が心地良く思えてくるが、社会全体が豊かになり、価値観が多様化する中、格差や平等の意味について、もう一度よく考えてみてはどうかと思う。現実の社会が、フリードマンの理想とする社会に少しでも近づくように。

一瞬の輝き : オルセー美術館展

2006-11-18 23:59:00 | 芸術をひとかけら
 芸術の秋に因み、今日はちょっと文化の薫る話を。

 神戸でオルセー美術館展が開催されている。来年1月8日まで、神戸市立博物館において『オルセー美術館展 十九世紀 芸術家たちの楽園』というテーマで行われている。その後、東京でも開催される。1月27日から4月8日まで、場所は東京都美術館である。
 今回の展示には、マネの「すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ」、シスレーの「洪水と小舟」、ゴッホの「アルルのゴッホの寝室」等、140点近い絵が来ているそうだ。

 オルセー美術館には一度行ったことがある。前身の印象派美術館と比べると、随分綺麗になったなという印象だった。印象派美術館は文字通り印象派の作品が主体であったが、オルセーでは印象派は勿論、ポスト印象派から20世紀初頭が対象と若干範囲が広くなっている。
 又、印象派美術館では一部絵画に西日が平気で差すなど、陳列というか保存の状態がひどいと思ったが、それも、当然といえば当然だが、建物が変わって改善された。オルセーの建物自体は1900年のパリ万博に合わせて建設された旧オルセー駅であるが、改造され、随分モダンな作りになっている。

 話は変わるが、東京でも木々が色付き始めた。毎朝、近くの公園を抜けて出勤するが、木の葉が赤や黄色に変わり、朝日の中で輝いている。やれ、桜が綺麗だ、新緑が鮮やかだと、つい最近思った気がするのに、季節の移ろいは早い。
 この紅葉した葉を見て思い出したのだが、印象派の特徴は何かというと、まさしく印象、つまり、そのとき、その瞬間に感じたこと、思ったことを絵にすることであり、それも感じたままの色で表現することだと、聞いたことがある。黄色く紅葉した葉は黄色であるが、緑の葉でも光線の関係で黄色や赤に見えたり、さらには輝いて金色に見える瞬間があるかもしれない。そうした一瞬の驚き、印象を絵にするのが印象派だと。
 19世紀、絵の具の進歩もあって野外で絵を描くことが増え、これに当時の自由な雰囲気とが相俟って、印象派が生まれたのであろう。

 以前(3月?)、「プラド美術館展に行こう!」という記事を書いたが、結局行かなかった。混雑が嫌、忙しい等理由はあるが、人に勧めておきながら自ら行かなかったことに変わりは無い。今回はこの反省を踏まえ「オルセー美術館展に行こう!」とのタイトルは止めた。芸術の秋ならぬ、食欲の秋で終りそうな気もするし・・・・。
 というわけで、皆さんにお勧めはしないが、神戸の方、それに東京の方、19世紀の画家が、マネ、モネ、シスレーが感じた、一瞬の驚きや感動を自らも体験したいと思う方、そして人混みにメゲない方は、『オルセー美術館展』にトライしても良いかもしれない。(って、十分勧めてる?)

『東京いい店 うまい店 2007-2008年版』発売

2006-11-11 22:07:56 | おいしいもの食べ隊
 社会人になって間もない頃から、もうかれこれ20年近くになるだろうか、いつもこの『東京いい店 うまい店』を買っている。東京のレストラン・ガイドである。この間、3年半程、静岡にいたが、このときも欠かさず買っていた。もっとも、これは2年に1度の本なので、冊数にすると10冊に過ぎないが。
 『いい店 うまい店』は、食にこだわった人間が覆面調査を行っており、数あるレストラン・ガイドの中で一番信頼の置ける本だと思う。僕は他のガイドは買わない。ウェブで飲食店を探すことはあるが、結構当たり外れが多い。その点、『いい店 うまい店』は裏切られることが少ない。

 新しい版が先月の終りに出たので早速買った。一通り、ざっと目を通した。定点観測のごとく、2年毎に見ていると、やはり店の移り変わりというか、大げさにいえば諸行無常を感じてしまう。特に、フレンチ、イタリアン、更にエスニックも含め、海外の料理を出す店の変遷。新勢力の勃興が著しい。この20年で食の国際化は進み、それこそ東京が世界で一番国際色豊かな食事を楽しめる町かもしれない。
 例えばエスニック料理。昔、タイ料理といえば有楽町の『チェンマイ』しか聞かなかったし、ベトナム料理といえば赤坂の『アオザイ』だった。それが今ではアフリカや中東の料理を出す店まである。この本には載っていないが、僕の会社の側にはクロアチア料理を出す店もある。
 又、フレンチやイタリアンでも、本場のシェフの来日や本場で修行をしてきた日本人シェフの帰国によって、新しい店がどんどん増えている。フレンチでは、『マキシム』、『レカン』といった老舗、『コートドール』、『シェ・イノ』など評価の定着した名店は採り上げられなくなったが、それでも載せる店には事欠かない。

 さて、こうした中、動きの少ないジャンルもある。それは何か。古い、少なくとも江戸や明治の昔からある日本の料理である。ただ、すし、そば、天ぷらなどは当てはまらない。名店で修行した料理人が独立し優れた店を出す場合があるからだ。これは日本料理や酒亭も同じだ。
 これに対し、うなぎ、どじょう、ふぐ、すきやきは動きが少ない。まあ、古く、それなりに名の通った店の多い中、新しく店を出す者などいないのだろう。価格を抑えたチェーン店などは出てきているが、この本の対象とする味やサービスのレベルで戦おうとする者はいない。

 中でも“どじょう”の動きは少ないというか、ない。そもそも東京でどじょう料理専門店は5軒しかないらしい。この内の3軒が20年間変わらず載っている気がする。『伊せ喜』、『桔梗屋』、『駒形どぜう』である。これからの季節、どじょうの柳川も良いが、どじょうといえばやっぱり鍋。骨の有無で“丸”なべと“ぬき”なべに分かれるが、わが家は丸なべ。ネギをたっぷり入れ、それに『駒形どぜう』では、これまた たっぷり“ささがきごぼう”を入れる。ごぼうを入れると味が深みを増す。
 明日は久々に『駒形どぜう』に行こうかな。ごぼうの沢山入った丸なべを食べ、日本酒をぐびぐび飲んでいる美男美女(?)のカップルがいたら、それは私達です。見掛けたら声を掛けてください。生活に疲れたおじさん・おばさんの酔っ払いコンビではないので、くれぐれもご注意の程を(本当は・・・・)。