縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

ほんとのギムレット

2007-03-26 23:41:57 | 芸術をひとかけら
 昨日本屋に行ってびっくり、なんと村上春樹が『ロング・グッドバイ』を訳していた(えっ、気が付くのが遅いって、すみません。)『ロング・グッドバイ(長いお別れ)』といえば、レイモンド・チャンドラーの代表作、私立探偵フィリップ・マーロウの活躍するハードボイルドの名作である。ハードボイルドと村上春樹、うーん、ちょっと結び付かない。彼の小説の主人公といえば、ハードボイルドの主人公というより、どこか不完全な、不安定な人物。そう、どちらかと言えば、もとい断然『ライ麦畑でつかまえて』のホールデンの方が近い。
 村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』は僕のお気に入りだが、それ以外、彼の小説の中で“ハードボイルド”という言葉すら見た記憶がない(ちょっと言い過ぎ?)。それほど村上春樹とハードボイルドとは対極の存在に思えた。

 僕自身は彼の訳で『長いお別れ』を読んで見たいとは思わない。が、彼の訳を通じ、ハードボイルドに関心を持つ人が増えると嬉しい。
 軟弱な時代のせいか、このところハードボイルドはとんと人気がない。ハードボイルドというと冷酷非情なイメージ、暴力とセックスのイメージなのかもしれないが、それは違う。ある意味、それは男の美学であり、ロマンなのである。

 「強くなくては生きていけない。やさしくなくては生きている資格がない。」

 これは『プレイバック』の中のマーロウのセリフ。いやー、こんなセリフ、普通言えない。本当に強い人間、肉体的には勿論、精神的にもタフで、そして自らの信念を決して曲げない強い人間でなければ言えない。

 ついでに、『長いお別れ』の中の“ほんとのギムレット”の話を。テリー・レノックスがマーロウに言う、「ほんとのギムレットはジンとローズのライム・ジュースを半分ずつ、ほかに何も入れないんだ。」
 しかし、この“ほんとのギムレット”、“ハードボイルド”とは程遠い飲み物だ。甘くてとても飲めやしない。プロに聞いたところ、そもそもギムレットにジュースを使うことすら邪道、フレッシュのライムがなければギムレットを作らないのが正しい、とのこと。

 今まではこんな話をしてもまったく通じなかったと思うが、村上春樹のおかげで『長いお別れ』が改めて陽の目を見れば、夜のバーでこんな会話が交わされるかもしれない。ウンチクを垂れる彼に、尊敬の眼差しで見つめる彼女。
 そして別れ際に彼が言う、「僕にとって君に『さよならを言うことは、少しの間死ぬことだ。』(注:ちょっと引用の仕方、脈絡に無理があるが、同じく『長いお別れ』より)その間の僕の人生に意味はない。」
 うーん、やっぱり“ハードボイルド”は男のロマンだ??(どこか意味が違うような・・・・)

ボギーに乾杯

2007-03-21 16:41:08 | 芸術をひとかけら
 ひょんなことからアメリカ映画協会(AFI)がアメリカ映画100年を記念して行ったランキングを見つけた。輝く第1位は『市民ケーン』。そして、第2位『カサブランカ』、第3位『ゴッドファーザー』、第4位『風と共に去りぬ』、第5位『アラビアのロレンス』と続く。
 同じアンケートを日本でやれば、『ゴッドファーザー』が落ちて、『ローマの休日』か、ご年配の方が多ければ、西部劇の最高傑作『駅馬車』(ジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン主演)あたりが入るのではないだろうか。僕は『ゴッドファーザー』が大のお気に入りだが、日本では主題歌『愛のテーマ』ほど、映画そのものの人気は高くはない。

 AFIは、このほかにもいくつかのランキングを発表しており、その中に“名セリフ・ベスト100”というのがある。この第1位は『風と共に去りぬ』のセリフ。大抵の日本人は、「そうか。やっぱりスカーレットの “ Tomorrow is another day ! ” か」と思うに違いない。僕もそうだった。が、これは31位に過ぎない。では、1位はというと、ラスト・シーンの前、レット・バトラーがスカーレットの元を去って行くときに言う捨て台詞 “ Frankly my dear, I don’t give a damn. ” (訳せば「正直言って、俺の知ったこっちゃないぜ」といった感じだろうか)である。
 なぜこのセリフが1位か、我々日本人には理解し難いが、実は、このセリフ、アメリカ映画史上においては大変意味のあるセリフなのである。それは、映画で初めて four-letter word (ここではdamn)を使ったセリフだからだ。今と違って、昔、映画は上品だったのである。

 では、一番セリフが多くランキングされている映画は何か。それは『カサブランカ』。言わずと知れたイングリッド・バーグマンとハンフリー・ボガードの名作である。6つのセリフがランキングされており、2位の『風と共に去りぬ』や『オズの魔法使い』の3つを大きく引き離し、堂々の1位である。
 この6つの中のトップはお馴染みの「君の瞳に乾杯!」(因みに、全体では第5位)。英語では “ Here’s looking at you , kid. ” である。「君を見つめる喜びに乾杯」といった意味かと思うが、それを「君の瞳に乾杯!」と訳した翻訳者には恐れ入ってしまう。バーグマンの大きく、つぶらな瞳のなせる技かもしれないが、本当にお見事としか言いようがない。まったく脱帽である。

 こうしてセリフを見ると、とてもロマンチックな感じがするが、映画で実際に聞くと、まったくロマンチックではない。ボギーはいつもの調子で、舌足らずで早口にこのセリフを言っている。ボギーといえばハードボイルドの代名詞でもあり、女に甘い顔など見せられないということなのだろうか。
 元々、ボギーは2枚目ではない。昔はギャングとか悪役俳優だったのが、『マルタの鷹』のサム・スペード役で当たり、そして同じ路線である、この『カサブランカ』のリック役でハードボイルドのイメージが定着したのである。

 『カサブランカ』にはもう一つ有名なセリフがある。バーグマンとボギーが再会するシーン、バーグマンが昔馴染みのピアニストに思い出の曲をリクエストするとき言った、“ Play it, Sam. Play ‘As Time Goes By’ .”である(このセリフは28位)。このあと、「覚えておりません(I can’t remember it.)、マダム。」「私がハミングするわ。」で、ハミングを聞き、仕方なくピアニストが弾き語りを始める、「君は覚えているに違いない(You must remember this ~)」と。本当によく出来た映画だ。
 よく出来ていると言えば、先日テレビで『カサブランカ』を見た時、最後に警察署長がヴィシーのミネラル・ウォーターの瓶を、水が入っているのに、ぽいとゴミ箱に捨てるシーンがあった。ナチス・ドイツの傀儡政権であるヴィシー政権を揶揄したジョークである。なかなか洒落っ気のある映画だ。

公取の生き残り戦略、あるいは陰謀

2007-03-18 18:16:31 | お金の話
 昨日の続き、公取への事前相談の話である(正確には、事前相談のための事前相談である)。

 業況の極めて厳しい会社があり、その再建のためには事業構造を大胆に見直す必要があると考えられた。赤字の事業を工場ごと売却し、会社の経営資源を残る事業に集中しようというのが銀行の、僕の上司の案。僕はまだ入行2年目の若造、上司は良い経験になるだろうと、僕をそのプロジェクトに加えてくれたのであった。確かに、物事の考え方、案を具体化して行く方法など、本当に勉強になった(といっても、僕のやった事といえば、資料をワープロで打つことと、独禁法の問題を調べるくらいだったが)。

 当時、法律に疎い僕は、独禁法といえば文字通り独占を防ぐための法律だろう程度の知識しかなかった。本件は上場会社間での事業譲渡であり、加えて当該事業が赤字とはいえ相応のシェアを持っていたことから、案件成立の前提として、まず独禁法上の問題の有無を確認する必要があった。
 昨日も書いたが、当時は企業結合審査に関するガイドラインなどなかった。本で独禁法を勉強し、過去の事例を見、そして当該事業の業界事情(製品特性、用途、需給、価格、製造メーカー、ユーザー等)を調べた。その上で独禁法に強いと言われる弁護士のところに相談に行った。

 独禁法の場合、「一定の取引分野における競争を実質的に制限」するか否かがポイントである。まず「一定の取引分野」が問題。広く○○業界で捉えて良いのか、主要製品毎に考えるべきか。公取から、この明確な基準が示されていないため、如何にこちらの都合の良い方向に話を持って行くかが重要だ。
 若干話が反れるが、わが国の合併で一番センセーショナルな案件といえば、今でも新日鉄の合併であろう。業界1位の八幡製鉄と2位の富士製鉄との合併であり、政財界、更には学会も含め国論を二分する議論が行われたという。単純に粗鋼(注:各種鉄鋼製品に加工される前の鉄と思えば良い)ベースで考えると、両社を合算したシェアは3、4割であっただろう。結局、合併は認められたが、このとき特にシェアの高い鉄道用レール、食缶用ブリキ、鋳物用銑、鋼矢板(注:主に土木工事で土留めに使われる板)については第三者への譲渡が求められた。
 こうした例より「一定の取引分野」は製品の用途に応じ判断すべきと考えられ、自らのシェアを勘案しつつ、多くの製品の中、どこで線を引くのが良いか、つまり、どうすればシェアを低く抑えられるか考えるわけである。
 次に「競争を実質的に制限」するか否か。これは証明が難しいが、製品の特性、業界他社動向、価格決定方法、ユーザーとの力関係、輸入圧力の有無等の説明が必要になる。

 いずれにしろ、合併や事業譲渡に関する明確な、具体的な判断基準がないことから、独禁法上の問題の有無については公取の判断次第となる。これが予見可能性が低いと言われる所以である。よって当方としては、如何に公取の納得するロジックを組み立てられるかが成功の鍵を握る。本件は、弁護士のアドバイスもあり、公取から特に問題ないだろうとのお墨付きを得ることが出来た。そして、我々が事業譲受候補として考えた先にその旨打診した。

 さて、その後であるが、事業を譲渡した会社はそれを機に業況が改善し、又、成長性のある分野に特化したと評価され株価は上昇した。我々が譲渡の話を持ちかけたときは、そんな必要はない、会社にとって大切な事業だ、東証1部上場会社として売上規模が小さくなってしまう、等々、強く抵抗していたにも拘わらず、勝てば官軍、その後は自らの判断で事業譲渡を行ったかのように言っている。一方、事業を譲り受けた会社は元々規模の大きな会社であり、当該事業の影響は小さいが、我々の銀行に対する見方が変わった、信頼に繋がったのではと思う。

 今回のガイドライン見直しにより公取の判断基準は以前よりも明確になっているが、海外企業との関係をどこまで考慮するのかなど、まだ公取の裁量に委ねられている点が多いのも事実である。公式やルールでスパッと割り切れるものではないだろうが、今後さらに改善するよう検討願いたい。
 ん、待てよ、あまりに判断基準が明確になると、もう公取は要らない、更には独禁法に強い弁護士も要らない、ということになりはしないか。とすれば、独禁法の運用をわざと解り難くしているのは、自己防衛のための彼らの作戦なのだろうか。

合併審査のガイドライン見直しについて

2007-03-17 18:48:57 | お金の話
 M&Aの増加、案件の大型化により、独占禁止法に抵触するリスクが高まる。合併により会社の規模が大きくなる、市場のシェアが高くなると、公正な競争が阻害される懸念が高まるのである。このため「一定の取引分野における競争を実質的に制限する」ことのないよう、公正取引委員会が合併時に審査を行っている。
 一方、わが国の産業界からは逆に合併が容易になるよう独禁法を見直すべきとの声がある。「海外の大企業と伍して競争して行くには、日本企業の規模は小さく、合併により規模を拡大したいが、そのとき独禁法が制約になる。そもそも、公取がいかなる基準を以って判断しているかよくわからないし、このグローバル化の進んだ中、日本だけのシェアで判断されては堪らない。」というものである。

 今、「企業結合審査に関する独占禁止法の運用指針」の見直しが行われている。先日新聞記事を見たが、「今回の見直しにより国際的なシェアに基づき合併が審査されるようになった。かつ容認されるシェアの水準が高まった。これで合併が容易になり、わが国企業の国際競争力強化に資する」といった内容だった。某一流経済新聞の記事だが、これは一面しか見ていない、問題を矮小化した記事と言わざるを得ない。

 見直し案については既にパブリック・オピニオンの募集が終わったので、まもなく見直しの確定版が出ると思う。詳細はそこで確認して頂きたいが、今回の見直しのポイントは大きく二つ、審査の予見可能性・透明性を高めることと、事前相談手続きの明確化である。
 前者は冒頭に書いた、公取がいかなる基準を以って判断しているかわからない、つまり実際に公取に相談してみないと合併に独禁法上の問題があるかどうかわからない、審査結果の予見が難しい、との要望に応えたものである。具体的には、「一定の取引分野」を決めるにあたって、海外についても考慮、市場の寡占度を示す尺度であるHHI(ハーフィンダール・ハーシュマン指数)の導入、等が盛り込まれた。
 マスコミは“海外も考慮”という点のみ採り上げ、即、国際的なシェアで合併が判断されると言っているが、それは違う。いくつか前提のある話である。独禁法の目的というのは、“わが国”において競争を実質的に制限する行為を防ぐことである。外国にその国だけで事業を行う大企業がいくらあったところで日本に何ら影響はない。その会社が、日本人の要求する厳しい品質をクリアできる、輸出余力がある、日本での販売やアフターサービスが可能(委託も含め)、かつ輸送コストや関税を考えても価格的に競争力あり、と考えられる場合、初めて日本に影響する、わが国における競争を制限する行為に対する抑止力として考えることができる。
 よって公取は、わが国の合併審査にあたり、国際的なシェアを単純に合算して合併の是非を考えるというのではなく、海外にこれらを充たす企業があればそれを考慮すると言っているだけである。

 誤解しないで欲しいが、だから今回の見直しが悪いと言っているのではない。記事の書き方が悪いと言っているだけである。私は、見直し案では合併審査に係る考え方がより具体的に示されており、予見可能性の向上の点では評価できると考えている。

 次に後者、公取への事前相談手続きについて。平成10年12月に企業結合審査に関するガイドラインが公表され、平成16年5月にそれが見直され、新しいガイドラインとして公表された。今回の見直しはその新ガイドラインをさらに見直すものであり、審査時に必要な資料が具体的に列挙される等手続き内容がより明確に示されている。とはいっても特段新しい内容ではなく、単に既定の事実を書いただけという気がしないでもないが。
 もっとも、以前に比べると公取も随分親切になった、オープンになった気がする。実は20年くらい前、公取に事業売却の件で事前相談に行ったことがある。明日はその時の話を書く。

おじさんにもっと“遊び”を

2007-03-11 21:21:52 | 最近思うこと
 昨日、ネットを見ていたら、「お父さんの昼食600円」という記事があった。農林中金の「現代の父親の食生活、家族で育む『食』」という調査の話である。首都圏の30代、40代の父親400人にアンケートしたところ、昼食代の平均は607.6円。又、その7割が500~900円であり、中には400円未満も1割いるという。おそらく400円未満の多くは社員食堂を使っている人だろう。最近はカフェテリア方式も多く、昔より高く付くようになったが、大体そんなところだ。
 かくいう私も500~900円の7割に入る。忙しくてコンビニのおにぎりだけで済ませることはあるが、逆に2、3千円もする豪華なランチというのはない。これは私にお金のないこともあるが、それ以上に時間がないからである。昼休みは1時間のみ。優雅な食事とは程遠い。
(レポートには他にも家族との食事や食育に関することも書いてある。ご関心のある方は農林中金のHPをご覧頂きたい。)

 所用で平日会社を休み、近所のレストランでランチを食べたことがある。午前中で用事が済み、ゆっくりワインでも飲みながら食事を楽しもうと思ったのである。その店はマンションの立ち並ぶ公園にあり、たまに夜行くといつも閑散としているので、本を読みながらのんびり時間を過ごすにはもってこいの店に思えた。
 が、しかし、その店は超満員だった。1時過ぎで、一人だったこともあり、なんとか座れた。それにしても、この店がこんなに混んでいるのを見るのは初めてだった。お客さんはというと、これが女性ばかり。小さい子供を連れた若いお母さんもいるが、多くは40、50代のおばさんである。2人だけの組から7、8人のグループまで組み合わせは様々。見ていておもしろかったのは、お客さん同士、知り合いの多いことである。帰りがけ、他のテーブルに「お先に」とか「○○さん、お元気」とか、互いに挨拶しながら帰る人が本当に多い。社員食堂でもここまで凄くない。
 この人達、毎日仲間でこんな2、3千円のランチ食べてるのかな、ダンナは知ってるのかな、そもそもダンナは昼に何食べているんだろう、日本のレストランは実はこうしたおばさんでもっているのかな、などと考えながら、僕は、僕としては普段では考えられない高いランチを食べた。

 女・子供というと語弊があるが、女性や学生に支えられているのはレストランの高級ランチだけではない。演劇、コンサート、美術展、等々、わが国の芸術を支えているのは女性達である。農林中金ではちょっと畑違いかもしれないが、次回のアンケートで、最後に演劇を見に行ったのはいつか、ライブを聴きに行ったのはいつか、では映画は、等の質問をするとおもしろいだろう。男性と女性の結果の違いを見てみたい。
 わが身を振り返っても、学生時代とは打って変わり、最近は忙しさにかまけ、会社と家の往復だけの生活である。こんな人間にクリエイティブな仕事が出来るだろうか、斬新なアイデアが浮かぶだろうか、と言い訳しつつ、僕も少しずつ変わらなくてはと考えている。
 最近熟年離婚が増えていると聞くが、妻の側が日々文化度を高めているのに対し、夫の側が仕事ばかりで文化を疎かにしているのが大きな原因だと思う。フロ、メシ、ネルの3語の生活ではいけない。「中年よ、大志を抱け!」自分が変われば離婚も防げる。

 我が家は大丈夫、と思ったのも束の間、冷静に考えると“遊び”の面ではやはり妻の方が上。ということは、ウチにもその可能性が・・・・。

ビバ・トスカーナ!(イタリア紀行3)

2007-03-10 15:55:26 | もう一度行きたい
 今日は半年以上ご無沙汰していた“イタリア紀行”の続き。先週たまたま『トスカーナにおけるアンティノリの挑戦』というイタリア・ワインのセミナーを聴き、思い立った次第である。

 トスカーナといえばフィレンツェ。のどかな田園地帯の広がる中、ルネッサンスの中心であった、花の都、フィレンツェはある。そのシンボルといえるドゥオーモ、ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』や『春(ラ・プリマヴェーラ)』などがあるウフィッツィ美術館、そしてポンテ・ヴェッキオ。見所盛り沢山の町だが、申し訳ない、僕が一番印象に残っているのはワインである。

 フィレンツェの最初の夜、先週のセミナーで聴いたアンティノリのアンテナショップに行った。アンティノリは1385年からワイン造りを始めたという由緒ある名門、かつ近年のトスカーナのワインの変革をリードしてきた醸造会社である。が、そのときのワインにはあまり感動しなかった。グラスで何杯か飲んだが、キャンティ・クラシコやスーパータスカンの走りであるティニャネロなど、どれもおいしいと思わなかった。生意気に、ワインの醸造家もやっぱり大きな会社になると駄目だな、などと思ったほどである。
(この理由が今回のセミナーでわかった。僕はどうもサンジョヴェーゼというぶどう品種があまり好きではないようだ。キャンティ・クラシコ、ティニャネロともにイタリアを代表するぶどう、サンジョヴェーゼ主体で作られている。勿論、好みは人それぞれなので、どうぞアンティノリもお試しあれ。)

 サバティーニにも行った。ご存知の方も多いと思うが、東京にも支店のある有名なレストランである。ミーハーな僕としては、やはり行かねばと思い、勇んでディナーに向かった。僕らはここで、良く言えば日本人のイメージを変えた、悪く言えば変な奴らだと思われたのではないかと思う。
 まず団体ではなく二人だった点、次に日本人向けのコース料理ではなくアラカルトで頼んだ点、ここまでは良いが、最後に、なんとワインを2本空けたこと。何を食べたかはよく覚えていないが(Tボーン・ステーキは食べた)、飲んで食べているうち段々調子が出てきたのに、気が付けばもうワインがない。えーい、ままよ、と勢いで2本目を頼んでしまった。普段は二人でワイン2本を空けることなどないが、まさか外国でそんなに飲むとは思ってもいなかった。我々の名誉のために言うが、決して酔って暴れたりはしなかったし、吐きもしなかった(多少、陽気だったかもしれないが・・・・)。

 あと、チブレオというレストランにも行った。ここも有名な店である。で、ここでも何を食べたかよく覚えていない。さらに言えば、そのときですら何を食べたか正確にはわかっていなかった(少なくとも僕は)。というのも、この店にはメニューがなく、お店の人が口頭で説明してくれるのだが、開口一番「イタリア語と英語どちらにしますか?」と聞かれた。日本語の“に”の字も出てこない。まずい、と思ったものの時すでに遅し。が、料理はとてもおいしかった。
 そして、ここで飲んだワインが“オルネライア1998年”。先程のアンティノリの一族、ロドヴィーゴが独立し作っているワイン、それもスーパータスカンを代表するワインである。家族会議での厳正な協議の結果、現地イタリアでも結構いい値段だったが、日本に帰って買うことを思えば安い、との結論に達し、注文することにした。しっかりした果実味にスパイシーな香り、オルネライアはとても気に入った。
 が、実はオルネライアは、イタリア・ワインの世界的な評価を高めようと、イタリア独特のぶどうを使うことなく、カベルネ・ソーヴィニヨンやメルロー、カベルネ・フランといった国際的に定評のあるぶどう品種を使って作ったワインである。僕にしてみると、そこが良かった、サンジョヴェーゼが入っていないから良かったのかもしれない。また飲んで見たいと思うが、日本ではあまり見掛けないし、あっても高くて手が出ない。

 と、“イタリア紀行”と言いつつ、フィレンツェの美しさ、ルネッサンスの文化や芸術には触れず、ワインのことしか書かなかった気が・・・・。まあ、その辺は別の機会に(ホントか?)ということでご容赦を。

ペコちゃんに明日はあるか

2007-03-04 23:55:24 | お金の話
 不二家の消費期限切れ原料使用問題発覚から1ヵ月半が過ぎた。発覚後の状況、次から次へと同社のずさんな生産管理体制が明らかになったことは皆さんご存知の通りである。それが、山崎製パンの技術支援の下、今月初めに加工菓子の生産を再開し、23日からは生洋菓子の生産も順次再開するという。
 まずは目出度しであるが、何分 口に入る商品であり、衛生面の問題という今回のダメージは計り知れない。信用を築くには長い時間が必要だが、信用を失うのは一瞬である。

 最近、同族会社の評判が頗る悪い。不二家、中毒事故のパロマ、業績悪化に苦しむ三洋電機、社内の対立で週刊誌沙汰になっているセイコーインスツル等々。又、ちょっと前になるが西武鉄道も同族経営だった。
 が、即、同族経営は悪だ、と考えるのは早計である。同族会社の中にも良い会社はあるし、逆に一般の会社の中にもひどい経営の会社はある。要はトップに立つ人間が、何を考え、どのように行動するかではないだろうか。

 不祥事を起こした不二家やパロマに通ずる問題は、直接的には危機管理の甘さ、そしてその根底にある価値観のズレだと思う。
 即ち、事件や問題の発生を前にしたとき、外に漏れたら、マスコミに漏れたら大変だ、会社(注:顧客ではない)の一大事だと狼狽する、あるいは(次元が低いが)社長に知れたら怒鳴られる、自分の将来が無くなるといった恐怖心が先に立つのである。
 勿論、こうした傾向は大なり小なりどこの会社にでもある。しかし、そうした状況に直面したとき、会社はどうあるべきか、自分はどう行動すべきかを決める判断軸が、不祥事で信用を失くす会社と、不祥事によるダメージを最小限に止める会社とでは決定的に違うのではないだろうか。

 社長が独裁的な力を持って君臨している会社では社長本位の判断軸になりやすい。同族会社のオーナー社長は絶大な権力を持っており、社長が自らを厳しく律する姿勢を示さない限り、その危険性が極めて高い。社員は都合の悪いことをすべて隠し、耳障りの良いことしか社長に伝えなくなる。その結果、現実を知らない“裸の王様”の社長と、社長がどう思うかを唯一絶対の判断基準とする、つまり顧客のことを後回しにする社員が生まれる。
 誤解してはいけないが、同族経営という仕組みが自ずとこうした悪、弊害を産みだすのではない。それは、そうした行動を引き起こす企業風土というか企業体制を作った、あるいはそれを変えることのできない社長の責任なのである。
 因みに監査でも、会社の内部統制評価で真っ先に着目する、重視するのは、企業の価値観や倫理観、経営者の姿勢、組織体制、人事育成など企業の経営環境、一言で言えば、企業風土、企業文化といったものである。

 で、今回、不二家を支援する山崎製パン。ここは山崎家の会社かと思いきや、それは違った。社長は飯島氏という。と、ほっとしたのも束の間、なんと同社は飯島家の会社、つまり同族会社だったのである。専務は飯島社長の義弟、社長の長男が取締役と、なかなかのものである。
 不二家が以前から資本関係のあった森永製菓ではなく、山崎を支援先に選んだのは、実は、山崎の方が同族経営の度合いが強い点に安心、居心地の良さを感じたからではないか。だとすると、ちょっと心配だ。
 もっとも、山崎製パンのことはよく知らないが、同族会社だからといって捨てたものではない、もとい立派な会社の可能性もある。小さい頃、ちょっとした贅沢の象徴であった、ペコちゃんの明るい未来を祈りたい。
(明日5日より、神楽坂下の不二家でペコちゃん焼きの販売を再開するそうだ。何はともあれ、嬉しい知らせだ。)