縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

軽減税率の問題は新聞だけ?

2017-10-30 21:45:40 | 最近思うこと
 小泉進次郎議員が、先の選挙特番で唐突に「新聞への軽減税率はおかしい。」と言い、話題になっている。
 確かに食品と新聞だけが消費税の軽減税率の対象というのは若干奇異な感じがする。ニュースはインターネットで十分と考える人が増えており、50百万部以上あった新聞の発行部数はこの10年で10百万部も減っている。それなのに、なぜ殊更に新聞を食品と並ぶ生活必需品として軽減税率を適用する必要があるのだろうか。
 もっとも、個人的にはもう一歩踏み込んで軽減税率自体必要なのかと小泉議員には言って欲しかった。というのは、昨年2月に軽減税率の導入が決められたとき、代替財源の確保以外、問題点の議論を聞いた覚えがないからである。

 軽減税率の導入は、国民の増税への抵抗感を弱めるための策に過ぎない。更に言えば、これはひとえに与党の選挙対策である。ポピュリズムであり、そこには理念も何もない。
 公明党は、弱者保護のお題目の下、軽減税率の導入を強く主張しており、一方の自民党は、公明党の選挙協力を得るためには導入已むなしとの考えだった。かくして2019年10月の消費税10%への引き上げの際、①酒類・外食を除く飲食料品と、②週2回以上発行される新聞(定期購読契約に基づくもの)に、8%の軽減税率が適用されることになったのである。

 この軽減税率、課税の三原則 - 公平・中立・簡素 - に照らして考えると、大変おかしな仕組みである。
 まず「公平」の観点。消費増税は逆進性を高める、つまり低所得の人ほど負担が大きくなるというのが、軽減税率導入の最大の根拠となっている。しかし軽減税率は逆進性対策として必ずしも効果的ではない。一つは絶対額の差。高所得者の方が食品への支出額は大きいので、軽減税率導入の恩恵、軽減される金額は、高所得者の方が大きくなってしまう。
 また、この議論は「低所得者の方が消費に占める食費の割合(エンゲル係数)が高い」との前提に立っているが、実はエンゲル係数の所得水準による差はあまり大きくない。金持ちだからといって衣食住の食だけ増やすのではなく、衣や住、それに旅行やレジャー、教育等への支出も増やすからである。
 例えば、手取り月20万円の家庭と、月100万円の家庭を考えてみよう。エンゲル係数を25%とすると、各々食費は 5万円、25万円となり、よって軽減税率の効果はその2%、1,000円と 5,000円。絶対額は高所得者の方が断然大きい。仮に月100万円の家庭のエンゲル係数が20%だったとすると軽減税率の効果は 4,000円に減る。手取り額に対する軽減税率の効果を考えれば、月20万円の家庭は 0.5%、月100万円の家庭は 0.4%。この程度の差なら、絶対額の違いもあるし、低所得者に税額控除や給付等を実施した方が逆進性対策として有効だと思う。

 次に「中立」。テイクアウトや宅配は軽減税率の対象になるが、外食やケータリングは対象にならない。お弁当や惣菜の店、スーパー・コンビニにとっては有難いが、外食業界にとっては由々しき問題である。最近コンビニでイートインが増えているが、これは2年後の軽減税率を睨んでのことかもしれない。特にオフィス街の飲食店にとっては大きな脅威であろう。
 また、中小企業にとっては軽減税率に備えたシステム対応への負担も小さくない。

 最後の「簡素」についても軽減税率は問題がある。まず対象品目の線引きが難しい。上述の通り、飲食店でテイクアウトや出前をすれば軽減税率となるが、同じ物であっても、それをお店で食べれば軽減税率にはならない。ところが、お店で食べても、それがコンビニで買った物をイートインで食べるのであれば軽減税率になる。不思議な話だ。
 もう一つ、「一体資産」というのがある。おもちゃ付きのお菓子や、綺麗な器に入った食べ物など、食品と食品以外のものがあらかじめ一体となった商品をいうらしい。これは一定の条件を満たせば軽減税率の対象になるというが、これまた分かりにくい。

 小泉議員が何を思って新聞の軽減税率を採り上げたのかは解らない。聖教新聞を持つ公明党に喧嘩を売っているのか、はたまた公明党の組織票頼みの自民党に活を入れているのか。その真意はともかく、これを機に軽減税率の意味が改めて議論されると良い。
 それにしてもポピュリズムというか、政治家の日和見主義は何とかならないのだろうか。

(写真:食べるならテイクアウト?)

2つのアメリカ ~ 夢や希望を持てる社会と、持てない社会

2017-10-17 21:04:14 | 海外で今
 自分をショットガンで撃ち殺そうとした人間を許しただけでなく、その犯人の死刑に反対する訴えを起こし、さらに犯人の前科のある薬物依存の娘に支援の手を差し伸べた人間がいる、との話を聞いた(ANAND GIRIDHARADAS(2014),"The True American" このテーマで TED のプレゼンもある)。信じられないが、実話である。

 9.11 同時多発テロの10日後、事件は起きた。男は、テロへの怒りから、テロとはまったく関係のないイスラム教徒とおぼしき男をショットガンで撃った。彼にとってはそれが正義だったのである。3人撃ち、2人が死んだ。唯一辛うじて一命を取り留めたのが、バングラデシュからの移民、レイスデン・ブーヤンであった。

 レイスデンは右目の視力を失い、家も職も失いホームレスとなり、そしてフィアンセは彼のもとを去って行った。彼に残ったのは治療費6万ドルの借金だけ。医療保険に入っていなかったのである。
 両親には国に帰って来るよう言われたが、僕には夢があるからと言って彼はアメリカに留まった。彼はアルバイトをしながらITの勉強を続けた。その努力の甲斐があって次第に仕事のレベルは上がり、ついに彼は一流IT企業に就職、数十万ドルの年収を得るまでになった。夢を、アメリカン・ドリームを実現したのである。

 レイスデンが犯人を許したのは成功を手に入れたからではない。イスラムの慈悲の精神もあったが、それ以上にアメリカの現実を知ったことが大きかった。
 彼はバイトの同僚たちを通じて、アメリカには自分が与えられたような第2のチャンスが与えられない人間がたくさんいることを知った。いや、第2はおろか、最初のチャンスすら与えられない人間が如何に多いかを知ったのである。
 貧しいバイト仲間のほとんどは、皆多くのトラウマを抱えていた。両親など家族のアルコールや薬物への依存、DV、犯罪、家庭崩壊、そして自らが麻薬や犯罪に手を染めることも。満足な教育を受けられず、社会常識すら身に付けることができない。そうした家庭環境や社会では、夢や希望を持って生きることなど到底できない。何をやっても、どんなに頑張っても、何も変わらないとの諦めが体に染み付いてしまう。そして、彼らの子供たちも同じようにそこから抜け出すことはできない。
 悲しいかな、これがもう一つのアメリカの現実だとレイスデンは知った。犯人もこの病んだアメリカの犠牲者の一人に過ぎない、これは彼だけの責任ではないとレイスデンは考えたのである。

 レイスデンを撃った犯人ストローマンは、テキサスの貧しい家庭に育った白人である。彼は、母親には金がなかったからお前を中絶できなかったと言われ、荒れた生活を送っては少年院や刑務所に入り、薬物に依存し、そして思いつきで白人至上主義者になった。もっとも、そんなのは彼の周りではざらだったが。

 ところで、アメリカでは近年中産階級が大きく減少している。1970年代には全体の6割強を占めていたが、足下は半分程度まで減っている。中流から下流へと転落する人が多いのである。特に、かつて石炭や鉄鋼など製造業で栄えていた街や、中西部や南部の小さな街で顕著だという。こうした地域では、もはやアメリカン・ドリームは、文字通り、ただの夢に過ぎない。
 彼らには、その多くは労働者階級の白人やその子供たちであるが、政治家や金持ちにいいようにされている、苦しめられているといった被害者意識がとても強い。トランプが大統領選で勝利できたのは、自分は既存の政治家と違い、彼らの味方だと訴えたからであった。しかし、そのトランプにしても、実際のところ有効な解決策はないようだ。

 夢を持ち、明日を信じて生きていける社会と、夢や希望が持てない、あるいは持っても仕方がない社会とに分断されたアメリカ。これが行き過ぎた資本主義の結果なのかもしれないが、いつの日か皆が理解し合い、一つになる日は来るのだろうか。また、アメリカと程度の差こそあれ、これは経済格差が拡大する我が国の問題でもあるだろう。


 


インフィニティ温泉 in 別府

2017-10-10 21:25:17 | 別府の話
 最近流行りのインフィニティ・プール、そしてその次に来るのがインフィニティ温泉??
 別府『潮騒の宿 晴海』で、あたかも湯船と海が一体となったように見える海辺の露天風呂に入った。

 この 3連休で別府に行って来た。ささやかながら別府を応援しようと(詳しくは、2017/1/23、「別府に行こう! ~ 熊本地震からの復興」をご覧ください)、今年2度目の訪問。とか言いながら、本当は単に別府好き、温泉好きなだけだが・・・。

 今回はいつもと少し違う旅にしようと、1泊めは別府駅近くの宿に“朝食のみ”で泊まり、そして夜の街へと繰り出した。目指すは“かも吸”で有名な老舗居酒屋『チョロ松』さん。かも吸とはこの店のオリジナル料理で、合鴨とゴボウ、ネギ、コンニャク、豆腐を塩コショウで煮込んだ鍋である。と聞くと和風な感じがするが、とてもスパイシーで、あのシンガポールの肉骨茶(バクテー)の鴨版といった感じである(因みにバクテーは豚肉)。美味しく、クセになる味だ。お酒の良いあてになるし、ご飯も進む。あと地鳥のたたきも美味しかった。おまけに安い!次回は、多くのお客さんが頼んでいた豚天(見た目は豚の唐揚げっぽい)を食べてみたい。

 こうして 1泊めを安く抑えた代わりに 2泊目はちょっと奮発。別府湾に面し、全室オーシャンビューかつ露天風呂付き、そしてインフィニティ温泉がうりの『晴海』に宿泊したのである。伊豆や熱海だと 2人で 1泊10万円以上しそうだが、半分程度で済むのが別府の良いところ。それでも十分高いが、何かのお祝いや記念日などに泊まれば良い思い出になること間違いなしだ。

 さて、肝心のインフィニティ温泉は 1階の大浴場「潮騒の湯」の露天風呂である。風呂の縁から海までの距離は10mもないだろう。遠くに水平線を望み、波の音を聴きながら湯船に浸かっていると、本当に海の中にいる気持ちになる。
 この風呂はよく計算されている。風呂は源泉掛け流しで、溢れたお湯は海側の縁全体から流れ出るようになっている。さらに、縁が手前から海側へと斜めに切られているため、流れるお湯で縁は見えない。この工夫が海との一体感を一層高めている。のんびり、海にたゆたうかの気分は最高だ。日常の忙しさや、嫌なことも忘れられる至福の時間。

 ただ、この夢のお風呂にも二つ問題というか、注意すべき点がある。
 一つはその大きさ。案外小さい。 概ね 3m四方といったところだろうか。運悪く、混雑した芋洗い状態のときに当たってしまうと、のんびり感傷に浸ることはできない。インフィニティ(無限)を感じるどころではなく、最悪、他の入浴客しか見えないかもしれない。
 これを避けるには風呂に入る時間を選ぶ必要がある。実は、僕は 3連休の真っただ中に行ったにも拘わらず、風呂に入った 2回とも貸切状態でインフィニティ温泉を楽しむことができた。1回目は夕方の 5時過ぎ。僕は「潮騒の湯」は 3時から 5時が混雑のピークだと思った。「潮騒の湯」の入浴は午後3時から。宿泊客に加え食事客も入浴できるため、3時前のロビーは人でごった返していた。また宿泊客も明るいうちに早めに入りたいと思っているはず。こう考えた僕は、日没前の、少し遅めの時間を選んだ。
 そして 2度目は朝の 7時半過ぎ。朝食が始まる時間帯ゆえ、もう空いているかなと思って入ったが、案の定誰もいなかった。
 勿論、僕がたまたま運が良かっただけかもしれないが、参考にして頂けると有難い。

 二つ目はインフィニティ温泉ならではというか、海との間に何の障害物もないがゆえの問題である。そう、海から丸見えなのである。僕は全然気にしなかったが、女性の方は遠くに漁船やボートの影が見えたら気になるかもしれない。まあ、皆が皆望遠鏡を抱えた覗き魔ではないだろうし、大らかな気持ちで温泉に入るか、それともアキラ100%のように隠す技を磨くか、それは皆さんにお任せするが。

 (冒頭の写真は部屋から見た日の出。覗き魔ではないので風呂の中の写真は撮れなかった。悪しからず。)


ビルバオ大好き?(バスク旅行その7)

2017-10-05 22:29:24 | もう一度行きたい
 「ワオー、ビルバオの大ファンなんだぁ~!」とホテルのフロントのお兄ちゃんが目を丸くして言った。

 僕らがビルバオは2回目だと聞き、彼は喜ぶというより驚いたようだった。ビルバオは、グッゲンハイム美術館が出来てから一躍観光の街となったが、何度も訪れるほどの名所・見所があるわけではない。それなのに はるばる日本から2度もやって来るなんて・・・、といった感じである。
 ここで「いや、サン・セバスチャンに来たついでだよ。」などと本当のことを言って彼をがっかりさせるのは忍びない。僕はただニコッと笑顔を返した。

 到着早々ちょっと良いことをした気分だ。僕らは、足取りも軽く、ホテルを出てリベラ市場へと向かった。歩いて2、3分の距離である。が、油断大敵、ここで大失敗をしでかしてしまった。
 大きな建物の手前側は多くのバルが並ぶフードコートで、その奥が市場になっている。僕らは迷うことなくフードコートへ。サン・セバスチャンからの移動がちょうどお昼にぶつかり、昼食を食べていなかったのである。まずはビールとピンチョスで腹ごしらえ。そして満を持して奥の市場へ・・・。
 と思ったら、あれ、市場が閉まっている。今日は土曜日。15時で市場は終わっていたのであった。う~ん、順番を間違えた。先に市場だった。明日は日曜で市場は休みだし、もう今回は諦めるしかない。市場好きの僕らにはショックが大きい。
 しかし、済んだことを悔やんでも仕方がない。どうせ閉店間際で魚などは売り切れだし市場を見ても大したことなかったさと自己の行動を肯定しつつ、気を取り直し、僕らは次の目的地・グッゲンハイムへと向かった。
 
 グッゲンハイムで念願の“パピー”とご対面。子犬と言う名前なのに高さはなんと12.4mもある。鉄の骨組みに様々な花を植え込み、きれいに刈り込んだ大きな彫刻(?)作品である。言ってみれば巨大な立体犬型花壇。花は定期的に植え替える必要があり、実は前回来た時(6年前のゴールデンウィーク)はちょうどその植え替えのタイミングだった。悲しいことにパピーはネットで覆われていた。今回ビルバオにはそのリベンジで寄ったのである。
 パピーは想像していたより地味だった。菊人形のように華やかな色遣い(花遣い?)を期待していたが、パピーは全体に落ち着いた色調である。しかし考えてみれば、お祭りならどんなに派手でも構わないが、常にあるオブジェとしては、このくらい抑え目の方が品があって良いのかもしれない。

 ところで、昔、地理の授業でビルバオは鉄鋼の街だと習った記憶がある。鉄鉱石が取れ、製鉄業が発展した街だと。しかし、街を歩く限り、その面影はまったくない。
 翌朝、市の中心部を流れるネルビオン川沿いを歩いた。新市街に入ると、竹細工のような白いアーチ橋・スビスリ橋や、凛とした佇まいのイソザキ・アテア、すべてガラス張りの保健衛生局など、グッゲンハイム美術館以外にもユニークな建物が多い。歩いていて楽しい街だ。いや、建物だけではない。衰退する工業の街から一転芸術の街へと再生を遂げたビルバオそのものがユニークなのである。

 僕らは、フロントのお兄ちゃんお勧めのケーブルカーに乗った。展望台からビルバオの街が一望できる。山に囲まれたビルバオの街。緑が多い。古い町並みの中に近代的なビルも見える。
 お兄ちゃんが驚いたように、確かにビルバオは何度も観光に来る街ではないだろう。が、もし住むとしたら、僕はサン・セバスチャンよりビルバオを選びたい。全体に落ち着いた雰囲気でありながらも、新しさが随所に感じられる街。そしてバルをはじめ食の質も高い。
 結局、最初から最後まで食べる話ばかりだった気がするが、こうして8泊9日のバスク旅行が幕を閉じた。
 

秋の夜長に「色づく街」

2017-10-04 22:31:28 | 芸術をひとかけら
 あっ、南沙織の「色づく街」だ。
 アップデートしたついでに YouTube を開いたところ、その動画が出て来た。1991年の紅白歌合戦の映像。はじめは僕がよく昔の曲を聴いているので出て来たのかと思った。が、考えてみれば僕が聴くのは古い洋楽ばかり。やはりこの季節の歌、秋に因んだヒット曲ということなのだろう。

 南沙織といっても知らない方が多いと思う。彼女は1970年代を代表するアイドルの1人。天地真理、小柳ルミ子とともに新三人娘と呼ばれていた。もう引退して随分経つので、あの篠山紀信の奥さんで、俳優篠山輝信の母親と言った方が良いのかもしれない。

 さて、南沙織は1971年に「17才」でデビューし、78年に引退している。この91年の紅白は、引退後一時芸能活動を再開したときのものである。動画の彼女は、芸能界引退から10年以上経ち、おまけに40歳近いというのに、とても可憐で美しい。
 そして何より歌が上手い。勿論口パクではない。長いブランクをまったく感じさせない伸びのある歌声。ちょっと舌足らずなところも変わらない。

 南沙織に限らず、昔の歌手は歌が上手かった。思うに昔の歌、いわゆる昭和歌謡は歌がメイン。歌がバーンと前面に出ている。演奏は伴奏に過ぎず、あくまで歌を引き立てるための存在だった。このため たとえアイドルであっても歌を聴かせる力、歌唱力が必要だったのである(ときに浅田美代子のような例外もいたが・・・)。
 一方、最近の曲は、歌だけでなく、歌と演奏を合わせた全体を聴かせる、あるいはそれにダンスを加えたパフォーマンス全体を見せるようになっている。またシンセサイザーにより音もとても複雑になった。極論すれば、歌、つまり人の声も、全体のパーツの一つであり、楽器と変わらない。なので歌が多少下手でもまったく問題ない。他でいくらでもカバーが効くのだから。
 久々に聴いた昭和歌謡は懐かしくあり、また逆にどこか新鮮でもあった。

 などと偉そうに書いたが、実は僕は南沙織をテレビで見た記憶がほとんどない。南沙織が活躍していたのは僕が小学生から中学生にかけて。彼女の歌は青春時代の恋や別れの話が多く、子供の僕にはよくわからないし、興味もなかったのだろう。彼女の歌の世界は、僕にはまだまだ早かった。
 当時の小学生のアイドルといえば天地真理、そしてピンク・レディー。彼女らの歌は子供にも極めてわかりやすい。シンプルで明るく元気な歌。南沙織の歌にある物悲しさや情感といったものは全然なかった(もっとも「17才」など南沙織の初期の曲はシンプルで明るい曲だったが)。

 そんな僕が彼女の歌を聴くようになったのは大学に入ってから、彼女の引退後である。南沙織が大のお気に入りの友人がいて、試しに僕も聴いてみたのであった。大学生になり僕も漸く彼女の歌う世界を理解できるようになったのか、はたまたそんな世界に憧れていただけなのか、僕も南沙織が好きになった。
 しかし、この友人、僕と年はさほど変わらないのに小学生の頃から南沙織を聴いていたのだろうか。“真理ちゃん自転車”に夢中になったであろう世代なのに。とびきりませた女の子だった? 今となっては知る由もないが、いつまで経っても恋愛にかけては彼女に敵わない気がする。

 秋の夜長、久しぶりに「色づく街」を聴いて、物思い耽るのも悪くない(“物思い”と言うには、ちょっと程度が低いかな?)。