縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

『コペンハーゲン・プライド』そして宴の後(北欧の話その1)

2016-08-31 00:04:58 | もう一度行きたい
 夏休み、避暑を兼ね、北欧へ行ってきた。というとお洒落に聞こえるが、実は飛行機がヘルシンキ便しか取れなかったのである。デンマーク、スウェーデン、フィンランドを駆け足で回ってきた。
 穏やかなイメージのある北欧であるが、旅の始まりはまったく逆、極めて鮮烈な出来事から始まった。

 成田からヘルシンキは飛行機で9時間。ヨーロッパとは思えない近さ、これは楽である。飛行機を乗り継ぎコペンハーゲンに着いたのは夜の8時過ぎ。まずはデンマーク料理をと思い、散歩がてら繁華街へと向かった。ライトアップされたチボリ公園がきれいだ。
 市庁舎前の広場でライブをやっている。広場を埋め尽くす人々。少し露店も出ているし、日本の夏祭りのようなものだろう。土曜日の夜、短い夏を皆大いに楽しんでいる。広場の隅を、人を掻き分けながら進み、漸く目指す通りに入った。

 なんだ、こりゃ?

 前に進めない。道路を占拠し、踊り、酒を飲み、大騒ぎする人、人、人。
 これもお祭りの一環で歩行者天国、いや路上クラブ(?)にでもなっているのだろうか。大音量の音楽が響く。道路にはビール缶や酒瓶が転がり、容器や食べかすが散乱している。中には派手な女装をしている男性もいる。意外に年配の方が多い。
 北欧の人は、物静かで思索にふけ、人生とは・・・などと語る人を勝手に想像していたが、ここにいる人達はまったく違う。真夏の夜の夢? やはり、直にやって来る暗く、寒く、長い冬を思えば、短い夏の一夜、ばか騒ぎの一つでもしたくなるのだろうか。であれば観光客の僕が文句を言えた義理はない。
 結局、僕らはほんの20mくらい行ったところでギブ・アップ。人にあたったというか、その喧噪に疲れてしまった。もう、これ以上は進めない。横道にそれ、目指すデンマーク料理は諦めざるを得なかった。おかげで北欧での初ディナーは、なぜかトルコ料理(それもケバブとかのファストフードの店)になってしまった。

 翌日、とあるお店の人から昨日の騒ぎはただの夏祭りではないと聞いた。なんと『コペンハーゲン・プライド』というLGBT(性的少数者)の世界的なイベントだったのである。確かに今にして思えば、レインボーの旗を何度か見たし、セブンイレブンの看板もレインボーになっていた。
 このイベントは8/16から8/21まで行われ、昨日(8/20)はイベント最大の呼び物である『プライド・パレード』があったという。今年は20周年ということもあり、世界各地からパレードに人が集まったそうだ。あの大騒ぎはパレードの打ち上げだったのである。

 デンマークは世界で初めて同性婚を認めた国だという。それが1989年。そんな経緯もあって『コペンハーゲン・プライド』は始まったのであろう。今ではイベントの参加者は20万人以上というし、市民も一緒にイベントを楽しんでいるようだ。セブンイレブン以外にも、スカンジナビア航空(SAS)、マイクロソフトなど名だたる企業がイベントを協賛している。市庁舎前のライブは靴のecco の協賛だった。

 LGBTの多様性を認め、尊重するデンマークの懐の深さを垣間見た気がした。
(もっとも僕の通りを自由に歩く権利も尊重して欲しかった!)

『トランボ』 ~ トランプに見て欲しい映画

2016-08-04 23:26:55 | 芸術をひとかけら
 時は第二次世界大戦後の1940年代後半から1950年代、アメリカでは共産党員やそのシンパを公職などから追放する「赤狩り」の嵐が吹き荒れた。なんと、あのチャップリンまでもがその犠牲となり、国外追放となっている。
 そしてこの映画の主人公、ダルトン・トランボも「赤狩り」の犠牲者。議会侮辱罪で有罪判決を受けた映画界の主要人物10人、「ハリウッド・テン」の中心人物であった。映画『トランボ』は、彼がその信条、反骨精神により、ハリウッド追放から苦節十数年、見事ハリウッドへの復活を果たす物語である。

 「赤狩り」は、冷戦という当時の時代背景を反映したものとはいえ、かなり乱暴なものであった。自白や密告の強要など、とても自由の国アメリカとは思えない。
 トランボは非米活動委員会の聴聞で、合衆国憲法修正第1条(信教および言論・出版・集会の自由)を盾に証言を拒むが、それゆえ刑務所に服役することになる。ハリウッドの中にもトランボらに理解を示す者もいたが、映画人の大多数は違った。長い物には巻かれろと、自己の保身、自らの生活のため、トランボらを批判し仕事を与えず、さらには共産党員だと仲間を告発する者までいた。

 が、彼は負けない。映画の脚本を書き続けた。彼が脚本家で俳優でなかったことが幸いした。俳優だと顔や声ですぐばれてしまうが、表に出ない脚本家は偽名を使えばわからない。もっとも脚本がトランボだと知れると映画はお蔵入りになってしまうため、脚本料は相当叩かれたようだ。苦しい生活が続いた。
 しかし、そんな中で彼は、1956年、偽名で書いた『黒い牡牛』でアカデミー原案賞を獲得した。また彼の死後、あの『ローマの休日』(1953年)が彼の執筆であったことが判明している。『ローマの休日』は、アカデミー賞の主演女優(勿論オードリー・ヘプバーン!)、衣装デザインそして原案部門で最優秀賞に輝いた。そう、トランボは2度アカデミー原案賞を受賞していたのである。

 ところで、僕はトランボを脚本家というより映画監督、『ジョニーは戦場に行った』の監督だと思っていた。『ジョニー ~』は彼が1939年に執筆した反戦小説で、ベトナム戦争真っ最中の1971年、トランボ自らが監督し映画化された。トランボは1960年に漸くハリウッドに復帰を果たす、つまり実名で脚本を書けるようになったのだが、世の中の「赤狩り」、「ハリウッド・テン」の記憶が覚め遣らぬ中、よく政府に盾突き反戦映画を作ったものである。彼の勇気、気骨には本当に感服する。
 僕は多感な学生時代にこの映画を見たが、映画が終わってもなかなか席を立てなかったことを覚えている。生と死について考えさせられる本当に素晴らしい映画だった。

 後年、トランボが「赤狩り」について語るシーンがある。
 「赤狩り」により職を失った者、さらには家族を失った者や、自らの命を絶った者までいる。一方で、仲間を密告、告発した者もいる。しかし、誰が良くて誰が悪いというのではない。皆が、誰もが犠牲者だったのだ、と。
 憎しみだけでは何の解決にもならない。前に進むことはできない。
 今話題の共和党の大統領候補トランプ、トランボと名前は似ているが、言うことはまったく違う。そもそもトランプは合衆国憲法修正第1条を理解しているのだろうか。