昨日、東京マラソンの応援に行った。雨で寒かったにも拘わらず大勢の人が走っていること、そして思いのほか沿道で応援する人の多いことに驚いた。今朝の新聞で知ったが、出場者3万人、沿道の観衆178万人の大イベントだったらしい。確かに出場者が10人に応援をお願いし、遠い、雨、面倒くさい等々の理由で半分しか来なかったとして5人×3万人の150万人、まあ178万人はおかしな数字ではない(でも、観衆をどうやって数えたのだろう?野鳥の会にお願いした?まったく不思議だ)。
で、僕はというと、おつきあいで応援に行ったのであった。妻の知人が参加し、だいたいこの時間に我が家の側、佃大橋を通過するから応援に来てくれと頼まれたのである。彼は、雨のせいか若干遅れたが、ほぼ予想タイムで佃大橋を通過して行った。
それはさておき、ここからが本題、あなたは東京マラソンに参加しましたか? 答えがNoの方、あなたの知り合いで東京マラソンに参加した方はいましたか? これまた答えがNoの場合、ではその知り合いの知り合いでは?
「自分は運動が嫌いだし、まして40キロ以上もひたすら走るやつの気が知れない。そもそも自分の周りにそんな知り合いはいない。友達の輪が100人くらいにならないと、そんな奇特な人間には辿り着かない。」と思われた方、心情的にはよくわかるが、統計学的には大きな間違いである。
例えば、あなたに30人の友達がいるとしよう。30人は少ない、もっと沢山いるって。それはわかるが、友達が重複していることを考え、ひとまず友達の数は皆30人とする。話を戻す。あなたの30人の友達に各々30人の友達がいるとする。そうすると、あなたの友達の友達の数は30人×30人で900人になる。そして、そのまた友達は27,000人。で、これを繰り返すと6回目の友達で7億2千9百万人となり、軽く日本の人口をオーバーする。つまり、“友達の友達は友達だ”的発想で行くと、日本全国皆友達ということになる。
友達を辿れば松井秀喜や仲間由紀恵だろうが、誰にでも行き着くのか。俄かには信じがたいが、統計学的には行き着くのである。もっとも、この二人はウチの近所に住んでいるらしいので(松井秀喜も家は未だにキープしているとの噂)、なんとか辿り着く気はしないでもないが。
僕はこの話をマーチン・ガードナーという人の本で知った。その本では“「世間はせまいね」パラドックス”として紹介されていた。それは、飛行機で偶然隣あった二人に共通の友達のいる確率は意外に高い、という内容の話だった。
又、こうした統計学的アプローチではなく、実際に実験をしてみた人もいる。アメリカの心理学者、スタンリー・ミルグラムである。アメリカで無作為に2名の人間を選び、一人にもう一人の情報を与え、彼あるいは彼女に手紙を出して下さい、と頼む。もし対象の人物を知らなければ、あなたの友達(ファーストネームで呼び合う人)の中で、その人を一番よく知っていそうな人間に手紙を書き、その人への連絡を頼んで下さい。これを繰り返し、何人で対象の人物に辿り着いただろうか。
アメリカは広い、統計学の理論は当てはまらないだろうって、ふっふっふ、これが当てはまるんですね。実験の結果、3人から11人で目標の人物に手紙が届き、その中央値は6人だったという。ちょっと出来すぎの感じがするが、実際そうだったのである。
昨日、雨で寒いのに何故こんなに大勢応援の人がいるのだろう、と思ったことから、ふと昔の話を思い出した。
でも、日本全国、皆友達の友達だったら、どうして日本でいじめや、殺人・強盗などの犯罪が起きるのだろう? これは道徳教育というより数学(統計学)教育の欠如か、はたまた統計学の誤りだろうか。
で、僕はというと、おつきあいで応援に行ったのであった。妻の知人が参加し、だいたいこの時間に我が家の側、佃大橋を通過するから応援に来てくれと頼まれたのである。彼は、雨のせいか若干遅れたが、ほぼ予想タイムで佃大橋を通過して行った。
それはさておき、ここからが本題、あなたは東京マラソンに参加しましたか? 答えがNoの方、あなたの知り合いで東京マラソンに参加した方はいましたか? これまた答えがNoの場合、ではその知り合いの知り合いでは?
「自分は運動が嫌いだし、まして40キロ以上もひたすら走るやつの気が知れない。そもそも自分の周りにそんな知り合いはいない。友達の輪が100人くらいにならないと、そんな奇特な人間には辿り着かない。」と思われた方、心情的にはよくわかるが、統計学的には大きな間違いである。
例えば、あなたに30人の友達がいるとしよう。30人は少ない、もっと沢山いるって。それはわかるが、友達が重複していることを考え、ひとまず友達の数は皆30人とする。話を戻す。あなたの30人の友達に各々30人の友達がいるとする。そうすると、あなたの友達の友達の数は30人×30人で900人になる。そして、そのまた友達は27,000人。で、これを繰り返すと6回目の友達で7億2千9百万人となり、軽く日本の人口をオーバーする。つまり、“友達の友達は友達だ”的発想で行くと、日本全国皆友達ということになる。
友達を辿れば松井秀喜や仲間由紀恵だろうが、誰にでも行き着くのか。俄かには信じがたいが、統計学的には行き着くのである。もっとも、この二人はウチの近所に住んでいるらしいので(松井秀喜も家は未だにキープしているとの噂)、なんとか辿り着く気はしないでもないが。
僕はこの話をマーチン・ガードナーという人の本で知った。その本では“「世間はせまいね」パラドックス”として紹介されていた。それは、飛行機で偶然隣あった二人に共通の友達のいる確率は意外に高い、という内容の話だった。
又、こうした統計学的アプローチではなく、実際に実験をしてみた人もいる。アメリカの心理学者、スタンリー・ミルグラムである。アメリカで無作為に2名の人間を選び、一人にもう一人の情報を与え、彼あるいは彼女に手紙を出して下さい、と頼む。もし対象の人物を知らなければ、あなたの友達(ファーストネームで呼び合う人)の中で、その人を一番よく知っていそうな人間に手紙を書き、その人への連絡を頼んで下さい。これを繰り返し、何人で対象の人物に辿り着いただろうか。
アメリカは広い、統計学の理論は当てはまらないだろうって、ふっふっふ、これが当てはまるんですね。実験の結果、3人から11人で目標の人物に手紙が届き、その中央値は6人だったという。ちょっと出来すぎの感じがするが、実際そうだったのである。
昨日、雨で寒いのに何故こんなに大勢応援の人がいるのだろう、と思ったことから、ふと昔の話を思い出した。
でも、日本全国、皆友達の友達だったら、どうして日本でいじめや、殺人・強盗などの犯罪が起きるのだろう? これは道徳教育というより数学(統計学)教育の欠如か、はたまた統計学の誤りだろうか。