縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

東京マラソンと統計のうそ(?)

2007-02-19 22:40:31 | 最近思うこと
 昨日、東京マラソンの応援に行った。雨で寒かったにも拘わらず大勢の人が走っていること、そして思いのほか沿道で応援する人の多いことに驚いた。今朝の新聞で知ったが、出場者3万人、沿道の観衆178万人の大イベントだったらしい。確かに出場者が10人に応援をお願いし、遠い、雨、面倒くさい等々の理由で半分しか来なかったとして5人×3万人の150万人、まあ178万人はおかしな数字ではない(でも、観衆をどうやって数えたのだろう?野鳥の会にお願いした?まったく不思議だ)。
 で、僕はというと、おつきあいで応援に行ったのであった。妻の知人が参加し、だいたいこの時間に我が家の側、佃大橋を通過するから応援に来てくれと頼まれたのである。彼は、雨のせいか若干遅れたが、ほぼ予想タイムで佃大橋を通過して行った。

 それはさておき、ここからが本題、あなたは東京マラソンに参加しましたか? 答えがNoの方、あなたの知り合いで東京マラソンに参加した方はいましたか? これまた答えがNoの場合、ではその知り合いの知り合いでは?
 「自分は運動が嫌いだし、まして40キロ以上もひたすら走るやつの気が知れない。そもそも自分の周りにそんな知り合いはいない。友達の輪が100人くらいにならないと、そんな奇特な人間には辿り着かない。」と思われた方、心情的にはよくわかるが、統計学的には大きな間違いである。

 例えば、あなたに30人の友達がいるとしよう。30人は少ない、もっと沢山いるって。それはわかるが、友達が重複していることを考え、ひとまず友達の数は皆30人とする。話を戻す。あなたの30人の友達に各々30人の友達がいるとする。そうすると、あなたの友達の友達の数は30人×30人で900人になる。そして、そのまた友達は27,000人。で、これを繰り返すと6回目の友達で7億2千9百万人となり、軽く日本の人口をオーバーする。つまり、“友達の友達は友達だ”的発想で行くと、日本全国皆友達ということになる。
 友達を辿れば松井秀喜や仲間由紀恵だろうが、誰にでも行き着くのか。俄かには信じがたいが、統計学的には行き着くのである。もっとも、この二人はウチの近所に住んでいるらしいので(松井秀喜も家は未だにキープしているとの噂)、なんとか辿り着く気はしないでもないが。

 僕はこの話をマーチン・ガードナーという人の本で知った。その本では“「世間はせまいね」パラドックス”として紹介されていた。それは、飛行機で偶然隣あった二人に共通の友達のいる確率は意外に高い、という内容の話だった。
 又、こうした統計学的アプローチではなく、実際に実験をしてみた人もいる。アメリカの心理学者、スタンリー・ミルグラムである。アメリカで無作為に2名の人間を選び、一人にもう一人の情報を与え、彼あるいは彼女に手紙を出して下さい、と頼む。もし対象の人物を知らなければ、あなたの友達(ファーストネームで呼び合う人)の中で、その人を一番よく知っていそうな人間に手紙を書き、その人への連絡を頼んで下さい。これを繰り返し、何人で対象の人物に辿り着いただろうか。
 アメリカは広い、統計学の理論は当てはまらないだろうって、ふっふっふ、これが当てはまるんですね。実験の結果、3人から11人で目標の人物に手紙が届き、その中央値は6人だったという。ちょっと出来すぎの感じがするが、実際そうだったのである。

 昨日、雨で寒いのに何故こんなに大勢応援の人がいるのだろう、と思ったことから、ふと昔の話を思い出した。
 でも、日本全国、皆友達の友達だったら、どうして日本でいじめや、殺人・強盗などの犯罪が起きるのだろう? これは道徳教育というより数学(統計学)教育の欠如か、はたまた統計学の誤りだろうか。

長湯で長湯?

2007-02-17 20:12:01 | もう一度行きたい
 夫婦そろって温泉好きだ。なのに、もう4ヶ月も、それも1年で温泉が一番恋しくなる冬にもかかわらず、温泉に行っていない。そこで、せめて話だけでもと思い、今日は温泉の話。

 さて、どの温泉が好きかと聞かれても、それぞれ特徴があるし、又、行った時季、その時の体調や気分、更には温泉に入った宿や入浴施設の状態(質や管理は勿論、その時の混み具合なども)、等々にもよるので、一概にどこが好きとは言えない。ただ、歴史のある温泉、由緒ある温泉というのは、はずれの少ない気がする。近いところでは、草津や伊香保、遠くでは有馬、道後、別府などは良かった。
 外湯を回るのが好きだ。こうした古い温泉地にはたいてい外湯がある(特に草津や別府は外湯が充実している)。念のため、外湯というのは、早い話が銭湯、温泉による銭湯である。最近流行りの入浴施設というと、やれジャグジーだ、サウナだ、なんとか風呂だ、と様々な設備・サービスが整っているが、外湯はというと、ただ湯船があるのみ、きわめてシンプルだ。昔ながらの、という言葉が本当に相応しい。いつか、こうした古い温泉地、外湯の話をまとめて書きたいと思っているが、今日は別の話、珍しい温泉を一つ紹介したい。

 大分は僕ら夫婦の大のお気に入りで別府や湯布院にもよく行っている。確か2、3回目に大分に行った時だと思う、たまにはどこか違う温泉に行こうと言って、車を走らせたのが「長湯温泉」だった。湯布院から車で1時間くらい。炭酸泉?、あまり聞いたことないな、と思い、行って見ることにした。

 炭酸水は知っていても炭酸泉は知らない方のために。まずは定義、温泉1ℓ中に1,000 mg以上の炭酸ガスが溶け込んでいるものを“炭酸泉”といい、それより少ないと“炭酸水素塩泉”という。昔、化学の授業で習ったと思うが、気体は水の温度が低いほどよく溶ける(圧力一定の場合)。よって、そもそも炭酸は温泉に溶けにくいのだが、この長湯温泉には理論上考えられる上限に近い炭酸が溶けているそうだ。
 さらに凄いのは、源泉に溶けている炭酸の量だけでなく、実際に我々の入るお湯の中に残っている炭酸の量も多いことだ。昭和60年、花王が長湯温泉を「日本一の炭酸泉」と命名したほどである(因みに、花王のバブは昭和58年の発売だが、実はこの長湯温泉がヒントだったのではないだろうか?)。

 残念ながら長湯温泉には泊まっていない。『御前湯』という入浴施設で、正確には温泉療養文化館というが、温泉に入っただけである。長湯温泉は炭酸泉といっても、バブの溶け初めのように泡が浴槽の中でブクブクはしていないし、体に泡が付着することもない。もっとも浴槽全体に溶けている炭酸の量はバブのお風呂よりずっと大きいのであろう。湯に入っては炭酸ガスによる血行促進、湯を飲んでは胃腸の働きを活発にする効果がある。

 おそらく、これだけ聞いてもあまり感動しないだろう。フーン、でも遠いね、といった感じかもしれない。だが、是非、一度は長湯温泉に行って頂ければと思う。なぜか。それは不思議な経験ができるからだ。長湯では泡を体感できる、それもバブのような人工的な泡ではない、天然の泡を。体感と言ったのは、泡を見るのではなく、泡の音を聴けるからだ。
 長湯温泉は源泉かけ流しをモットーとしている。このため湯の注ぎ口からは常に源泉が流れている。そして源泉が湯船に落ちる側に行き、静かに耳を傾けて欲しい。ほら、聴こえる、泡の弾ける音が、プチ、シュワー、という音が。これは不思議だ。湯船に浸かりながら、中にコーラやサイダーをどばどば入れる人がいれば話は別だが、普通、こんな経験はできない。
 炭酸の効果で体はあったまり、加えて、他ではできない珍しい経験ができる、そんな長湯ワンダーランドを一度訪れてみては如何だろうか。

祝1周年、そして明日への決意

2007-02-12 21:02:53 | 最近思うこと
 ブログを始めて1年経った。初めはいつまで続くかと思ったが、多少(ひどく?)ペースは落ちたものの、一応まだ続いている。自分の思うところ、考えるところを勝手に書いているだけなのに、それを多くの皆様に読んで頂き、本当に有難く思っている。改めて御礼申し上げたい。

 当初、日曜は時事問題(国内)、月曜は旅行、火曜は環境問題、水曜はグルメ、木曜は時事問題(海外)、金曜日は芸術、土曜は経済・経営、というテーマでスタートした。次第に気分の趣くままに書くようになり、そのルールは崩れてしまったが、自らの関心という点で、このテーマ、区分を、今のところ変えるつもりはない。現在金融関係の仕事をしており、それこそ会社の外に出ることすら少ない、狭い世界で生活しているが、仕事以外のことにも広く関心を持ち続けたいと思っている。
 このブログのタイトルにある“縁側”というのは、別にあってもなくても良いが、あるとちょっと贅沢、ゆとりを感じるものではないだろうか。一日の大半を仕事に取られるのは生活のため已むを得ないが、それでも“遊び”というか“むだ”の部分を無くしたくはない。そうした“遊び”や“むだ”の部分も含め、というかそれがメインかもしれないが、引き続き様々なことをブログに書いて行きたい。その中で何か皆様の興味を惹く話題があれば幸いである。

 今日、義理の祖父の誕生祝いの会があった。92歳である。ここ数年さすがに体の衰えはあるが、まだまだ元気である。祖母もまだ元気であることと、よく食べることが長生きの理由ではないかと思う。本当によく食べる。一緒に食事をすると僕らと同じ量を平気で平らげる。
 92歳というと1915年生まれ。戦時中、といっても第二次世界大戦ではない、第一次世界大戦中である。昭和の激動を生き抜いて来た世代だ。おもしろいので1915年生まれにどんな人がいるか調べてみた。日本では随筆家の山本夏彦や映画監督の市川崑、海外ではイングリッド・バーグマン、シャンソン歌手のエディット・ピアフ、ギタリストのレス・ポール、ジャズのビリー・ホリディなどがいる。市川監督以外は皆故人である。さすがに92歳まで生きる人は少ない。

 若い時代に粗食に耐えてきた僕らの祖父母や親の世代と違い、豊かな中で育ち、かつ生まれたときから添加物など多くの化学物質を摂取してきた我々の世代が、どこまで長生きできるかはわからない。医療の進歩はあるが、案外長生き出来ないかもしれない。一方でエネルギーや食糧の問題、更には地球温暖化などを考えると、これからの時代、長生きすることが良いかどうか自信が持てない。
 が、“Tomorrow is another day.”、希望を捨てず、明日も強く生きて行こう。
(つべこべ言わず明日もブログを書け、って。はい、すみません。)

レッドフォードと悲しい現実

2007-02-09 23:55:00 | 芸術をひとかけら
 会社からの帰り、思いがけぬ雨で濡れてしまった。ただ、今年は2月といっても暖かいし、又、金曜の夜という解放感もあって、さほど気にはならない。思わず『雨に濡れても』を口ずさんだほどだ。B.J.トーマスが歌う『明日に向かって撃て!』の主題歌、あの“Raindrops are falling on my head”で始まる、お馴染みの曲である。
 映画の中では、ポール・ニューマンとキャサリン・ロスが自転車を二人乗りして野原を走るシーンで使われていた。歌詞と違い、雨は降っていない。バート・バカラックのやさしく、ほのぼのしたメロディーが、束の間の休息を楽しみ、安らぐ二人の姿とマッチし、大変印象に残るシーンであった。

 ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードのコンビ、そう、『スティング』もこの二人だ。あれは最高におもしろい。最後のどんでん返し、思いも寄らぬ結末、こればかりは見てのお楽しみなので詳しく書けないが、映画史に残る名作の一つだと思う。
 レッドフォードは、この2作ではポール・ニューマンの存在感に押されてか、主役の一人ではあるものの、少し陰の薄い気がする。彼をそれほど男前だとも思わなかった。

 しかし、『追憶』を見て、レッドフォードの印象はがらりと変わった。なんてかっこいい、ハンサムなんだろう、と彼の容姿に目を見張った。白の軍服姿がとても凛々しい。バーブラ・ストライサンドも良かった。『追憶』を見るまで彼女のことは、鼻っ柱が強く、小生意気な感じがしてあまり好きではなかった。だが、映画の中でかわいらしく、いじらしい女性の一面を演じるのを見、案外いい子かもしれないと思うようになった。

 などと、取りとめのないことを考えながら、雨の中を歩いて家に帰った。
 で、帰って愕然としたことがある。なんと、レッドフォードが今年で70歳のおじいちゃんになっていたのである。インターネットでそれを知ってショックを受けた。僕の記憶にあるレッドフォードは2枚目俳優、今風に言えばイケ面スターの代表選手である。それが今年で70歳?
 『追憶』の頃、彼は30代半ば、俳優として一番脂の乗った時期だった。そして僕が彼の映画を見たのは学生時代、そのときで封切り後10年以上は経っていたと思う。それからウン十年(?)、彼が70歳、確かに計算は合う。

 何が悲しい、ショックかというと、レッドフォードがおじいちゃんになり、あの素晴らしい容姿が衰えた(見る陰もない?)であろうことではない。ただ単に自分のトシを感じたからである。レッドフォードの年齢という客観的事実を突きつけられ、そうか、自分ももう若くはないんだと改めて気付かされたのである。
 ウーン、時の流れは容赦ない。金曜夜の解放感から、いきなり厳しい現実に引き戻されてしまった。やっぱり、雨は冷たい。

鰻といえば ~ 築地 『宮川本廛』

2007-02-07 23:19:21 | おいしいもの食べ隊
 仕事に疲れた平日の夜、ひどく疲れたり夜遅くなったときはブログを書く気がしない。疲れてはいるものの、幸い多少早く家に帰ってきた日は、何か書いてもいいかな、と思う。でも、深く考えるのは、重いテーマは嫌だ。というわけで、今日は前回に続き食べ物の話にした。あしからず。

 この週末、鰻を食べた。築地の『宮川本廛』である。鰻というと宮川に行くことが多い。一度、南千住の尾花とか、東麻布の野田岩に行って見たいと思うのだが、いかんせん遠い。ついつい、電車で一駅、歩いても行ける宮川に行ってしまう。気心知れたというか、安心感もある。
 大概、食べるものは決まっている。つまみに「やまかけ」、「うざく」、それに「うまき」。(因みに「うまき」は二人前からなので、一人で行ったときは「うまき」を食べられない。)そして締めは「うな重」。「うな重」は何種類かあるが(“中入れ”もある)、これだけつまみを頼むと「うな重」は一番小さいので(一番安いとも言うが)十分だ。それでも結構な大きさである。個人的に「肝吸い」はさほど好きではないので僕は注文しない。これがいつものコースだ。
 日曜に行くことが多く、残念ながら「とりわさ」はお休みだが、平日であれば「とりわさ」も良い。鶏肉は親戚がやっている、隣の『宮川食鳥鶏卵』から仕入れており、そこが休みの日曜日に鶏肉はないのである。この『宮川食鳥鶏卵』は珍しい部位の肉も小売しており、中でも“ネック”はお勧めだ。

 さて、その前日、土曜日の昼と夜、食べ物で挫折というか悲哀を続けざまに味わい、日曜日は意を決して(?)宮川に行った。一人だったので、「やまかけ」と「うざく」だけ頼み、日本酒を常温でちびちび飲みながら「うな重」を待った。ここは注文を受けてから鰻をさばくので、鰻が来るのに小一時間は掛かる。「うざく」や「うまき」でもそれ相応の待ち時間が必要である。そのため僕は本を持参して乗り込み、「やまかけ」で空腹を凌ぎつつ、ただひたすらに鰻を待った。
 宮川の鰻はふっくらして、とても柔らかい。おそらく蒸しが相当しっかりしているのだろう。たれの味はさっぱりとした辛口である。ところで、「うな重」も良いが、何よりもここでのお気に入りは「うざく」である。ご存じない方のために説明すると、早い話が鰻ときゅうりの酢の物である。鰻の“う”と、きゅうりを噛んだ時の“ざくざく”いう音とを合わせ、「うざく」になったらしい。うなぎと酢のハーモニー、あっさり味に、きゅうりの食感が加わり、何とも言えぬ旨さである。

 日曜日の昼下がり、前日の怒りを忘れ、一人、僕は「うざく」を楽しんだ。やはり、宮川は期待を裏切らない。

人形町『柳屋』、美味“高級”鯛焼の謎

2007-02-03 23:56:00 | おいしいもの食べ隊
 今日、人形町に行った。近くに用事があったのだが、久々の人形町、懐かしく思い、少し歩いた。水天宮で節分際をやっていたせいか、なかなかの賑わいだった。

 昔、そう20年くらい前だろうか、近くに取引先があり、この界隈に何度か通った。その頃よく行った、あるいは気になっていた店が何軒かある。いずれの店もまだ残っている。
 いつかは一度入ってみたいなと思いながらも入ったことのない店。親子丼で有名な「玉ひで」と、その並びにある喫茶「快生軒」。「玉ひで」はいつも混んでいて入れなかったという単純な理由。昔も今もお昼の行列は変わらない。もう一つの「快生軒」は、気にはなるものの、ちょっと引いてしまったというのが正直なところ。大正8年創業(現存する喫茶店では日本最古?)のレトロな店で、メニューや味も古いのかなと、入るのを躊躇してしまった。いわば食わず嫌いである。

 一方、よく行った店は「柳屋」。鯛焼の店である。ここの鯛焼は旨い。本当に旨い。そんじょそこらの鯛焼とは全然違う。まず皮が違う。皮は薄く、かりっとしている。カステラ風のやわらかい感じではないし、最中とも違う。次に餡。甘さを抑えた上品な味である。この店は“高級”鯛焼本舗を謳っているが、看板に偽りなしだ。又、しっぽの先まで餡がぎっしり詰まっているのが嬉しい。
 
 が、一番違うのは焼き方だ。大抵の店は一度に沢山の鯛焼を焼いているが、ここは鯛焼きを一つずつ焼いている。つまり、普通は鯛の型が沢山ある焼き型を使っているが(タコ焼きと同じイメージ)、ここは一つの鯛の型しかない焼き型を使っている。鯛の形の焼き型には棒が付いており、何十個の焼き型・棒を使って鯛焼を焼いているのである。

 しかし、ここの焼き方の凄さはそれだけではない。鯛焼を一つずつ焼くのは確かに珍しいが、まったく無いわけではない。さらに上を行く凄さがこの店にはある。
 それは“踊り”。踊りながら鯛焼を焼くことだ。体をリズミカルに動かしながら、焼き型の棒を右に左に動かしては鯛焼を焼いて行く。その見事さ(ユニークさ?)には恐れ入ってしまう。見ていて飽きない。僕は列に並びながら、いつも楽しくその“踊り”を見ていた。
 “踊り”に何の意味があるのかはわからない。凡人の僕には却って疲れるだけの無駄な動きにしか思えない。もしかすると、それには深い理由、例えば、達人の技、長年の修行で見出した究極の焼き方、単なる癖、はたまた運動不足解消のため、等々があるのかもしれないが。

 さて、今日、あれっと思ったことが一つ。「柳屋」の行列は変わらない。相変わらず20人近い待ちだ。焼き方も変わらない。やっぱり踊っている。小柄なおじさんが体をくねくねしながら鯛焼を焼いている。ん、でもどこか変、何か違和感が。
 そう、焼き手、焼いているおじさんだ。背格好や頭の形は昔と同じだが、年が前より若くなっている。それに少し太った気も。僕の記憶は止まったままだったが、さすがに当時からもう20年近く過ぎ、既に代替わりしたのであろう。
 でも待てよ、人が変わっても同じ焼き方ということは、やはりそれには何か深い訳、おいしく焼く秘訣が隠されているのだろうか。それとも唯のパフォーマンスか? うーん、謎は深まるばかりだ。