縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

スウェーデンで和食の偉大さを知る(北欧の話その4)

2016-09-28 22:23:14 | もう一度行きたい
 ストックホルムの“Smorgastarteriet”(注:正確には oの上に・・、両方のaの上に〇が付く)というレストラン、今回の北欧旅行で一番印象に残っている店である。

 まずはこの店に行った経緯から。
 僕らは、残念ながら、コペンハーゲンであまり美味しい食事にありつけなかった。中でも最悪は、夜遅くでも開いていた地元のステーキ・チェーン店。ミディアム・レアを頼んだのに出てきたのはどう見てもウェルダン!仕方なくそれを食べ(お腹が空いていたので)、僕らはスゴスゴとホテルに戻った。
 ホテルに帰った僕は、怒りにわなわなと震え(?)、「よ~し、ストックホルムでは絶対美味いもの食うぞ!」と決意したのである。早速ネットで「トリップアドバイザー」を開き、明後日の夜に予約できる一番順位の高い店を予約した。それがこの“Smorgastarteriet”である。2,500軒を超すストックホルムのレストランの中で確か第5位だったと思う。
 
 お店はストックホルム中央駅から北へ、タクシーで6、7分の所にある。Vasaparkenという公園のすぐ側。一応上着を着て行ったが、無くても構わないカジュアルなお店だった。
 が、値段はまったくカジュアルではない。料理はコースのみでスウェーデン・クローナ(SKE)750.-。それにワインのペアリングSKE650.-を付け、〆て一人SKE1,400.-、日本円にして一人17,000円もした。

 コースは、アミューズを含め料理6品とデザート2品。それにワインを5杯(盛りがいい!)付けてくれた。6品も料理が食べられるかと心配する必要はない。料理はどれも小ぶり。そして見た目が美しい。手が掛かっている。まるで懐石料理を食べているようだ。料理は月替わりであり、これもまた懐石っぽい。旬の食材(スウェーデンの場合、種類は少ないと思うが)を味わって欲しいという配慮であろう。

 この料理の印象から、ウェイターに「シェフは日本料理の勉強をされていたのか?」と聞いてみた。「特に勉強はしていないが、彼は“Esperanto”で修行していたので、あの店はフュージョン、多国籍だから、その影響ではないか。」との答えだった。
 “Esperanto”ってなんだ? エスペラント語なら知っているが、そんなレストランは知らない。ただ彼の口ぶりが知ってて当然的な感じだったので、取り敢えず、なるほどと頷くふりをした。

 後で調べたところ、“Esperanto”はストックホルムにあるミシュラン1つ星のレストランだった。ホームページには、「ここ数年私たちは日本料理に情熱を傾けており、我がスカンジナビアの土壌と日いづる国の香り、技、器、さらにはその美学との融合を料理で図ろうとしている。」と書いてある。
 なるほど、漸く合点が行った。“Esperanto”の人たちは、彼らの料理を和食のように五感で楽しんで欲しいと考えている。ここのシェフもそうした思い、和食への憧れを引き継いでいるのだろう。

 ん、ちょっと待って。去年行ったリスボンのミシュラン2つ星レストラン、“Belcanto”(ベルカント)でも和のテイストが感じられた。最近まで日本人シェフが働いていたというし、その料理にも、全体に小ぶり、美しい盛り付け、触感や組み合わせの意外性など和食の良さが取り入れられていた。
 思うに、ヨーロッパのレストラン、とりわけフランスやイタリア以外のレストランが、それこそ星の数ほどある西欧料理のレストランの中で注目されミシュランの星を獲得するには、何か強い個性・特徴がないと無理なのではないだろうか。料理が美味しいのは当たり前で、さらなる喜びや感動を与えるプラス・アルファが。
 このプラス・アルファとして、今、和食がヨーロッパで脚光を浴びている気がする。世界遺産となった和食、やはりその力は伊達じゃない。日本から遠く離れたスウェーデンの地で、僕は改めて和食の素晴らしさを認識した。

移民の効用?(北欧の話その3)

2016-09-22 11:10:32 | もう一度行きたい
 コペンハーゲン2日目、市内散策。
 この日、2人のイタリア人と出会った(デンマークでの話です、念のため)。

 一人目はシェフ。
 出会ったのは、早めの昼食で訪れたシーフード料理の店。市内中心部、ストロイエ通り(世界一長い歩行者天国らしい)のデパート「イルム(ILLUM)」のレストラン街にある。時間が早かったせいかお店の人が少なく(因みに客も僕らだけ)、奥にいた彼に質問したのがきっかけだった。
 彼はコペンハーゲンに経済学を勉強しに来たという。経済学ならイギリスでは?と思ったが、そもそもなんでシェフを?と思い尋ねてみた。すると、彼曰く「なんでって、イタリア人だからさ。」うん、妙に納得。

 二人目はバーテンダー。
 “Ruby”というバーで、中心部のはずれ、クリスチャンスボー城を臨む運河沿いにある。店の看板もなく入口が極めて分かり難いが、オリジナルのカクテルが美味しい店だ。コペンハーゲンに行く機会があれば、お酒好きの方は是非訪ねてみて欲しい。
 僕らはカウンターに座ったが、30代くらいのきれいな女性が目の前でカクテルを作ってくれた。シェーカーを振る姿がとってもクール。聞けば、彼女もイタリア人。ブーツのかかとと言うから、プーリアの出身だろう。

 単なる偶然なのか、コペンハーゲンで話したのが続けざまにイタリア人だったとは。それとも、イタリア人は暑いイタリアに疲れ、涼しさ(寒さ?)を求め、ここデンマークに大挙してやって来ているのだろうか。

 最近のデンマークは移民や難民の受け入れに極めて厳しい。外国人は、たとえデンマーク人と結婚しても、簡単にデンマークに住むことができないという。偽装結婚を恐れているのである。以前は労働力として移民を歓迎していたデンマークであるが、高福祉へのただ乗りと批判され、また最近では犯罪やテロの問題もあり、移民への規制が強まっている。
 もっとも日本と同じ単一民族国家で人口僅か 570万人のデンマークに既に60万人近い外国人がいるというから、人口の2%弱しか外国人の居ない日本がとやかく言える話ではない気もするが・・・。

 しかし、イタリアなどEU加盟国の人間に移民規制は関係ない。なぜならEUは基本目標の一つとして、EU市民がEU内を自由に移動し、居住し、働くことを可能にする「域内国境のない領域」を掲げているからである。つまり、EU全体が一つの大きな国のようなものである。
 ただEU内での移民についても、加盟国間の経済格差の存在により、今なお種々議論がある。事実、移民問題はイギリスがEUを脱退した理由の一つであった。

 一般に、食材の豊かな国の方が料理に懸ける情熱、探究心が強く、必然的に料理人の腕が上がると思う。そう考えると、デンマーク人の作る料理より、イタリアやフランスのシェフの料理の方が断然美味しい気がする。気候が厳しく農業に向いていない北欧は、食材の種類に乏しく、料理はいたって素朴である。
 そうそう昔イギリスに行ったとき「食べるならイタリアンか中華が良いよ。両方ともイギリス人が作ってないから。」と聞いたことを思い出した。なにせ1970年代にEC(EUの前身)に加盟するまで、新鮮な野菜を出すだけで“よく手に入ったね”とか“ご馳走だ”とか言われたイギリスの話である。デンマークなど北欧も大差ないであろう

 最後に、胃袋の出した結論:むやみに移民を規制してはいけない、移民には意味がある!


映画『はじまりはヒップホップ』は”やる気スイッチ”?

2016-09-20 21:56:53 | 芸術をひとかけら
 日曜日、『はじまりはヒップホップ』という映画を見て来た。日本では珍しいニュージーランド映画。ワイヘキという小さな島の老人会御一行様が、皆でヒップホップを始め、ラスベガスで開かれるヒップホップ世界大会に挑戦する話である。なんと、これは実話。ドキュメンタリー映画なのである。

 チーム名は“Hip Op-erations”。Hip Hopとoperationを掛けたもので、メンバーのほとんどが腰(hip)の手術(operation)をしていることから名付けたという。実際に世界大会に行ったのは27名。90代が5人に80代が7人と、平均年齢は軽く70代超え。60代などまだ若造といった感じ。世界最高齢のダンス・グループだ。
 目がほとんど見えなかったり、耳が聞こえなかったり、車いすが必要だったり、あるいは心臓や肝臓の病を抱えていたりと、皆、年相応のハンディキャップを抱えている。でも皆明るい、そして前向き。

 このチームを指導するのは、ビリー・ジョーダンという若い女性。彼女は2011年2月にクライストチャーチ地震(30人近い日本人留学生が犠牲になった、あの地震である)を経験したことで人生観が変わり、それを機にワイヘキに移り住んだという。それ以来、地元の高齢者の集まりにボランティアで参加し、皆と一緒に遊び、笑い、ときには悲しみ、苦楽をともにして来た。今では皆のリーダーであり、マネージャーであり、そして何よりもおじいちゃん・おばあちゃんの良い友達である。彼女は皆のことを愛し敬い、皆は彼女を信頼している。

 ヒップホップの振り付けも彼女の担当だが、彼女は踊りはまったくの素人。自ら「振付師としては世界でも最低レベル」と語り、もっぱらYouTubeや本で勉強しているとのこと。が、なかなかどうして、彼女の振り付けはパンチが効いている。肉体的な衰えゆえキレのある動きは望むべくもないが、幽霊(ゾンビ?)の動きを入れたりと、いろいろ工夫があって面白い。
 明日の我が身と思わず(失礼!)、おじいちゃん・おばあちゃんが嬉々として幽霊を演じる等、これも互いの信頼感のなせるわざだろう。

 信頼、絆という点では、Hip Op-erationsのメンバーとニュージーランドの若いヒップホップ・ダンサーとの繋がりも描かれている。彼らのダンスを見たメンバーは、信じられない、最高だと彼らを称える。一方若いダンサー達は、ヒップホップを毛嫌いする大人が多い中、ヒップホップに挑戦するなんて素晴らしい、自分達のことを解ってくれると感動し、Hip Op-erationsの皆を敬う。今風に言えば、リスペクトする。
 高齢者に若者の気持ちはわからないし逆もそうだといった先入観や、高齢者だから頭が固い、新しいことに挑戦できないといった偏見を、この映画は見事に打ち砕いてくれる。

 映画では何人かのメンバーの人生がフラッシュバックされる。皆さん様々な経験・過去をお持ちだが、誰一人として特別な人間ではない。自分の近所にいるような、ごく普通のおじいちゃん・おばあちゃんがこの偉業を成し遂げたのである。これがまた素晴らしい。
 高齢の方に出来るのであれば、若い人間は勿論、僕のような中年のおじさんにも、何かが出来ないはずはない。さあ、臆することなく、新しいことに挑戦しよう!と“やる気スイッチ”を押してくれる映画である。

(もっとも、ひねくれた僕は、チームが世界大会に行けなかったら映画はお蔵入りだし、もしや“筋書きのある”ドキュメンタリーだったのかな、などと思ってしまいましたが・・・。すみません。)

豊かさと幸せ、そして日本の将来(北欧の話その2)

2016-09-15 01:05:53 | もう一度行きたい
 ストックホルムからフィンランドのトゥルクという町までフェリーで渡った。フェリーは島々の間をぬって走る。市場で買った塩茹でのエビ(これが旨い!)とスモークサーモン(これもまた旨い!)をつまみに、ワインを飲みながら、ぼーっと外を眺めていた。大きな島もあれば、小さな島もある。どの島も船がなければ辿り着けないだろう。島は木々の深い緑に覆われている。橋はないし、おそらく道路もほとんどないと思う。
 が、しかし、なんとそこそこの大きさの島には大抵家が建っている。小さな集落もあれば、ポツンと1軒建っているのもある。ストックホルムから船で1、2時間とはいえ、さすがにここから通勤する人はいないだろう。別荘、サマーハウスに違いない。スウェーデンの人口は1千万人弱。ほとんどの家が別荘を持っているのかと疑うほどの数だ。スウェーデンの人は意外にお金持ちなのかなと、住宅ローンを抱え別荘など夢のまた夢の僕は羨ましく思った。
 そういえば、コペンハーゲンで市内の運河巡りをしたときもそう感じた。運河にはヨットやボートが所狭しと泊められている。船着き場を持った家にお洒落なコンドミニアム。う~ん、やっぱり金持ちはどこの国にもいるんだな、と。

 確かに一人当たり名目GDP(単位:米ドル、2015年、IMF)を見ると、北欧の国は皆日本より高い。デンマークは 52,114で8位、スウェーデン 49,866、12位、フィンランド 41,974、19位。これに対し我が日本は32,486で26位・・・。因みに今回行けなかったノルウェーは 74,822で堂々の4位であり、米国(55,805で6位)よりも上。まさに恐るべし北欧。
 もっとも北欧は国民負担率(国民所得に対する国民全体の税金と社会保障の負担割合)も6~7割と世界のトップクラス。日本の国民負担率は44.4%(平成27年度)と今のところまだ低い。消費税だけを見ても、北欧3国は25%(注:フィンランドは24%)。北欧の人々は高負担高福祉を受け入れている。行き届いた高齢者福祉は有名であるが、医療や教育も原則無料。また北欧の国々は所得格差が小さいとの特徴もある。

 ところで、国連の最新の幸福度ランキング(2016)を見ると、デンマークが栄えある第1位、そしてノルウェー4位、フィンランド5位、スウェーデン10位と、北欧の国は皆トップテンに入っている。悲しい哉、日本は53位、おまけに年々順位が低下している。

 なぜ北欧の人はそんなに幸せなんだろう。

 わずか1週間の短い滞在であったが、僕が思うに、北欧の人達は“あるがままを受け入れている”から幸せなのではないだろうか。無い物ねだりというか、そこに無い選択肢は考えないのである。
 例えば、日光浴。北欧では多くの人が日光浴しているのをよく見た。特に何かするわけでもなく、ただ座って日を浴びているだけ。それ自体が目的なのである。安上がりで良いが、他にやることがないのかと要らぬ心配をしてしまう。
 食事にしてもそう。寒さの厳しい地方ゆえ穫れる農作物は限られている。その種類は温暖な日本の比ではない。市場やスーパーを随分見たが、珍しいものはほとんどなかった。
 絶対的な自然の力を前に、冬が長く日照時間が短い、寒さゆえ食材の種類が乏しい等の現実を所与のものと受け入れ、その中での生活に喜びを見出し、満足してきた北欧の人たち。我々日本人から見ると選択肢の限られたシンプルな生活、刺激の乏しい生活かもしれないが、可能な選択肢の枠内では自由なのである。また、所得格差が小さく皆同じような生活水準であるため、他人と比べたり、羨んだりする必要もないのであろう。
 
 最後に少し飛躍した考えだが、こうした国民性ゆえ北欧では高福祉高負担が成立し得たのではないだろうか。厳しい自然を受け入れ共存して来た人たちだからこそ、社会民主主義が根付いた、高負担を受け入れる土壌があった気がしてならない。個人主義の強い中国が共産主義の理念と程遠いのも仕方がないと思う。
 と言いつつ、政治がだらしなく、国民の権利意識が強い日本は、果たして将来高負担を受け入れることが出来るのだろうか。