縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

1Q73、渚にて

2009-09-16 01:26:10 | 最近思うこと
 30数年振りに、室蘭に行ってきた。

 室蘭は北海道の南西部、ちょうど太平洋と噴火湾(内浦湾)の境に広がる町だ。天然の良港を持ち、石炭の積み出し港、そして新日鐵、日本製鋼所など鉄の町として栄えた町である。1986年の円高不況を機に鉄鋼業は衰退し、往時20万人近くいた人口も今は10万人を切っている。
 僕は、小学5年から中学1年に掛けての2年間、ここ室蘭に住んでいた。高校時代に一度訪れたことがあるが、それ以来、約30年振りの室蘭である。

 僕が室蘭に来た1973年は、米軍がベトナムから撤退し、日本では『ジョニーは戦場へ行った』が大ヒットし(この映画を見たのは大学生になってからだが、その大きな看板の絵が妙に記憶に残っている)、ジャイアンツがV9を達成、そして石油ショックの起きた年である。当時プラモデルに凝っていた僕は、その値段が急に跳ね上がったことを覚えている。僕にとってはトイレットペーパーよりプラモデルの方が大問題だった。
 又、煙突からもうもうと立ち上る煙が、あたかも成長の証しかの如く考えられている等、公害のひどい時代だった。

 久しぶりに訪れた室蘭の印象はというと、まず、“さびしいな”、“さびれたな”との思いである。昔よく行った中央町や輪西(わにし)という町は、人通りも少なく、本当に寂しかった。商店街のアーケードはなくなり、シャッターの下りている店が多かった。室蘭の中心、繁華街が、市の東部に移ったせいもあるが、あの昔の活気はどこに行ってしまったのだろう。
 家が商売をしていた同級生がいたが、そのクリーニング屋も、美容院も見つからなかった。栄枯盛衰は世の常とはいえ、30年という月日が重い。

 次に、“きれいになったな”、という印象。これには二つある。一つは空気、空気がきれいになっている。鉄鋼の生産量が減少したこともあるが、それ以上に脱硫技術や集塵装置など公害防止技術の進歩が大きいのだと思う。
 僕の住んでいた町は風向きの関係からか市内で最も大気汚染のひどい地域だった。家の壁は黒くすすけていたし、洗濯物を外に干すことなど論外だった。が、もはや当時の面影はまったくない。

 もう一つ きれいになったのは道路。人が少なくなったわりに道路が随分立派になっていた。そして、ふと見ると鳩山由紀夫のポスター。そう、室蘭は北海道9区、鳩山由紀夫の地元。まあ、全部が全部、彼の実績、貢献ではないだろうが、事実は事実である。果たして公共投資削減は大丈夫であろうか。

 しかし、変わらないものもある。

 以前住んでいた家は海の側にあった。イタンキ浜という、太平洋に面した砂浜の側だ。当時は遊泳禁止だったが、その後整備され、夏は海水浴場になっている。又、今では北海道のサーフィンのメッカとしても有名である。

 子供の僕は、時々ここに来ては、ぼーっと海を眺めていたものだった。当たり前といえば当たり前だが、久々に見た、この海はちっとも変わっていない。寄せては引く波は変わらない。岬の先に見える、あの大きな岩もそのままだった。目の前に懐かしい光景が広がる。

 長い年月が経って、変わるもの、変わらないもの。

 この広く、変わらぬ海を見ていると、なんだか人間がとてもちっぽけな存在に思えてきた。さびしいとか、きれいになったとか言っても、この自然を前にして、それにどれだけの意味があるだろう。イタンキの海は、僕の生まれる何万年も前から、同じように寄せては引いてを繰り返してきたし、これからもずっとそれを続けて行くのである。

 海を見ながら、つまらないことで くよくよするのは もうよそう、と思った。

 が、しかし、東京に帰ってきて現実の生活に戻ると、つい・・・・。
 いつか、また海の側で暮らしたい。

発見、『ZAGAT長野版』 ~ 『丸一』で信州を味わう

2009-09-07 23:28:45 | おいしいもの食べ隊
 長野の食事といえば、やっぱり蕎麦。それか、最近は素材の味を活かしたフレンチやイタリアンもお勧めだろう。
 が、本日ご紹介したいのは“とんかつ屋”である。

 木曽音楽祭の帰り、我々は「塩尻で塩いかを買って来て。」という妻の友人の一言で、塩尻経由で東京に戻ることにした。(注:“塩いか”は いかを茹でて塩漬けにしたもの。海のない長野県ならではの食材といえ、普通にスーパーで売られている。良い酒の肴である。)
 「桔梗ヶ原に寄ってワインを買えるし、ちょうど良いか。それに、そこまで行くなら『片倉館』で温泉に入ろう。」二人の意見は即座に一致した。

 そこで次なる問題。“どこで何を食べるか。”

 ただ車を運転するだけで特にすることのない二人、その頭の中は既に食べ物のことでいっぱい。我々にとって何を食べるべきかは、ハムレットの ” To be, or not to be ”級の大問題だったのである。
 2泊3日の旅、宿の食事以外、蕎麦は初日に食べたし、イタリアンは二日目に食べた。はてさて、長野での最後の晩餐、もとい午餐、何か食べ残したものはないだろうか?美味しいものが僕らを待っているに違いないはずだが。

 ここで登場したのが『ZAGAT長野版』。塩尻に向かう道の駅で偶然(必然?)見つけ、思わず買ってしまった。これで漸く一安心だ。
 と、思ったのも束の間、片倉館のある上諏訪に適当な店がない。蕎麦(もう食べた)、焼き鳥屋(営業は夜のみ)、居酒屋(当然、夜のみ)・・・・。不届きにも、一瞬、「なんだ『ZAGAT』、高いのに役に立たないな。」と思ってしまった。
 が、「上がだめなら下があるさ。」と気を取り直し、今度は『ZAGAT』の下諏訪を見ると、ありました、ありました、とんかつ『丸一』に『うなぎ小林』。
 で、長野で肉に飢えていた二人は『丸一』を選んだのであった。

 『丸一』は“レトロな店”(注:“すすけた感じ”ともいう)で、学生街の定食屋のようである。
 我々は、『ZAGAT』に「肉汁があふれ出てくるほど柔らかくジューシー」とあるロースかつ定食を一つと、単品で鳥の唐揚げと馬刺しを注文した。「ロースかつは時間が掛かりますが、よろしいですか。」と聞かれた。「3センチ以上ある、分厚い、感動もののロースかつ」(同じく『ZAGAT』より)、おそらく低温でじっくり揚げるのだろう。時間など何の問題もない。

 ロースかつは最後に出てきた。厚い、というか、でかい。かつを一人前にしておいて良かったと思いつつ、一口噛んだ。さくさくした衣、そしてやわらかい肉。厚さはまったく気にならない。本当にジューシーである。待つだけの価値はある。

 しかし、『丸一』を紹介したのは、このとんかつが理由ではない。確かに、ここのとんかつはうまい。が、東京にも、値段は多少高くつくが、同じようにとんかつの美味しい店はあるだろう。最近メタボの気になるお年頃ゆえ、とんかつはほとんど食べないのだが、きっとそうに違いないと思う。

 では、なぜ『丸一』なのか。

 『馬刺し』である。

 熊本、大阪それに東京でも馬刺しは食べたことがある。が、ここの馬刺しは生涯食べた馬刺しの中で最高だった。新鮮さが違うのだろうか。臭みはなく、あっさりとした味わい。口に入れると、やわらかく、とろけるようだ。高いお金を出して牛刺しを食べるより、この馬刺しの方がずっと良い。

 そして二人は決心した、今度は泊まりで下諏訪に来るぞ、『丸一』に車では来ないぞ、と。

 こんなにおいしい馬刺しを食べながら、お酒の飲めない二人。東京は遠い。
(事実、高速道路1,000円のせいで中央道の大渋滞にはまり、大変な目にあった二人だった。)

『木曽音楽祭』にて ~ 小さな音楽祭の醍醐味

2009-09-06 18:59:04 | 芸術をひとかけら
 今年も木曽音楽祭に行って来た。
(音楽祭の説明は2008年 8月28日『 “おらが音楽祭”~『木曽音楽祭』に行って 』をご覧ください。)

 やはり自然に囲まれた中でゆったりと音楽を聴くのは良い。

 音楽祭の会場は緑の中にある。静かだ。外に出ると、ただ木々のざわめきや水の流れる音が聞こえるだけ。都会の喧騒の中、仕事帰りにサントリーホールで音楽を聴くのとはまったく違う。
 東京で演奏会に行くと、気持ちがほぐれるのに時間が掛かってしまうことが多い。が、ここでは「よし、音楽を聴くぞ」という心構え、気持ちの準備など必要ない。自然のなせる業か、演奏が始まった途端、音楽がすんなりと、素直に心の中に入ってくる。音楽を聴くことに没頭でき、それこそ音を楽しむことができる。

 もう一つ、こじんまりした この音楽祭の良い点は、演奏家との距離が近いところだ。

 会場が小さいことから、文字通り、物理的に演奏家との距離が近く、演奏家の表情は勿論、その指の動きや息遣いまで感じることができる。
 今回の演奏中、ヴィオラの弦が緩んで音が狂うというアクシデントがあった。オーケストラであれば後ろの人とヴィオラを交換すれば済むが、今回は小編成ゆえ そうは行かない。演奏を止め自ら弦を調節するS氏。なすすべもなく、ただ顔を見合わせる残りのメンバー。そこに長老とおぼしきK氏がにこやかに一言、「申し訳ありませんが、いったん演奏を中止させて頂きます。」皆、後ろに下がった。
 演奏家の皆さんの力関係というか、人間関係を垣間見ることができ、おもしろい。

 運が良いと、演奏家の方とお話することもできる。

 2日目の幕間、当日オフだったコントラバスの星さん(読響首席奏者)と話すことができた。休憩で外に出たところ、近くに星さんの姿があった。目ざとく見つけた妻が「私、星さんの演奏、好きです。いつも読響で聞かせて頂いています。」と話しかけた。
 これは嘘ではなく、我々は10年来 読響の会員である。話は常任指揮者のスクロヴァチェフスキ氏の話に。実は、氏はもう80歳を超す大変ご高齢の指揮者である。星さん曰く、「 “おじいちゃん”は本当に元気。それこそ、こっちの方が先に死んでしまうんじゃないかと思うくらい元気。いつも練習には一番早く来るし、彼の音楽に対する取り組み方、姿勢は大変勉強になる。」
 何も知らず、もう少し若い指揮者の方が良いのにと思っていた自分が恥ずかしい。9月後半の読響は半年振りにスクロヴァチェフスキ氏の指揮である。今度は心して聴きに行こうと思う。

 しかし、「演奏家との距離が近い」といっても、やはり“見て見ぬふり”も必要かもしれない。

 今回我々は温泉宿に泊まっていた。そこは日帰り入浴もやっていて、演奏家の方もよく来ているらしい。食事を終え旅館に戻った我々の前に、どこかで見たことのあるオジサンが。風呂上りで、すっかりくつろぎ、緊張感のかけらもない。一仕事終え、もはや完璧にオフ・モードなのである。
 そこに妻が一言、「○○さん、今日の演奏、とっても素敵でした。」
 それを聞いた○○氏、“突然、こんな場所で、なぜ”と少し呆気にとられた様子で、「いや、どうも。」と返すのがやっと。鳩が豆鉄砲を食らったような、キョトンとしていた彼の顔が忘れられない。

 まあ単純に声を掛けられて嬉しいという気持ちも彼にはあったと思うが、プライベートには入らない、それも若干だらしがない所は見ないふりをするという武士の情け(?)が必要だった気が・・・・。