30数年振りに、室蘭に行ってきた。
室蘭は北海道の南西部、ちょうど太平洋と噴火湾(内浦湾)の境に広がる町だ。天然の良港を持ち、石炭の積み出し港、そして新日鐵、日本製鋼所など鉄の町として栄えた町である。1986年の円高不況を機に鉄鋼業は衰退し、往時20万人近くいた人口も今は10万人を切っている。
僕は、小学5年から中学1年に掛けての2年間、ここ室蘭に住んでいた。高校時代に一度訪れたことがあるが、それ以来、約30年振りの室蘭である。
僕が室蘭に来た1973年は、米軍がベトナムから撤退し、日本では『ジョニーは戦場へ行った』が大ヒットし(この映画を見たのは大学生になってからだが、その大きな看板の絵が妙に記憶に残っている)、ジャイアンツがV9を達成、そして石油ショックの起きた年である。当時プラモデルに凝っていた僕は、その値段が急に跳ね上がったことを覚えている。僕にとってはトイレットペーパーよりプラモデルの方が大問題だった。
又、煙突からもうもうと立ち上る煙が、あたかも成長の証しかの如く考えられている等、公害のひどい時代だった。
久しぶりに訪れた室蘭の印象はというと、まず、“さびしいな”、“さびれたな”との思いである。昔よく行った中央町や輪西(わにし)という町は、人通りも少なく、本当に寂しかった。商店街のアーケードはなくなり、シャッターの下りている店が多かった。室蘭の中心、繁華街が、市の東部に移ったせいもあるが、あの昔の活気はどこに行ってしまったのだろう。
家が商売をしていた同級生がいたが、そのクリーニング屋も、美容院も見つからなかった。栄枯盛衰は世の常とはいえ、30年という月日が重い。
次に、“きれいになったな”、という印象。これには二つある。一つは空気、空気がきれいになっている。鉄鋼の生産量が減少したこともあるが、それ以上に脱硫技術や集塵装置など公害防止技術の進歩が大きいのだと思う。
僕の住んでいた町は風向きの関係からか市内で最も大気汚染のひどい地域だった。家の壁は黒くすすけていたし、洗濯物を外に干すことなど論外だった。が、もはや当時の面影はまったくない。
もう一つ きれいになったのは道路。人が少なくなったわりに道路が随分立派になっていた。そして、ふと見ると鳩山由紀夫のポスター。そう、室蘭は北海道9区、鳩山由紀夫の地元。まあ、全部が全部、彼の実績、貢献ではないだろうが、事実は事実である。果たして公共投資削減は大丈夫であろうか。
しかし、変わらないものもある。
以前住んでいた家は海の側にあった。イタンキ浜という、太平洋に面した砂浜の側だ。当時は遊泳禁止だったが、その後整備され、夏は海水浴場になっている。又、今では北海道のサーフィンのメッカとしても有名である。
子供の僕は、時々ここに来ては、ぼーっと海を眺めていたものだった。当たり前といえば当たり前だが、久々に見た、この海はちっとも変わっていない。寄せては引く波は変わらない。岬の先に見える、あの大きな岩もそのままだった。目の前に懐かしい光景が広がる。
長い年月が経って、変わるもの、変わらないもの。
この広く、変わらぬ海を見ていると、なんだか人間がとてもちっぽけな存在に思えてきた。さびしいとか、きれいになったとか言っても、この自然を前にして、それにどれだけの意味があるだろう。イタンキの海は、僕の生まれる何万年も前から、同じように寄せては引いてを繰り返してきたし、これからもずっとそれを続けて行くのである。
海を見ながら、つまらないことで くよくよするのは もうよそう、と思った。
が、しかし、東京に帰ってきて現実の生活に戻ると、つい・・・・。
いつか、また海の側で暮らしたい。
室蘭は北海道の南西部、ちょうど太平洋と噴火湾(内浦湾)の境に広がる町だ。天然の良港を持ち、石炭の積み出し港、そして新日鐵、日本製鋼所など鉄の町として栄えた町である。1986年の円高不況を機に鉄鋼業は衰退し、往時20万人近くいた人口も今は10万人を切っている。
僕は、小学5年から中学1年に掛けての2年間、ここ室蘭に住んでいた。高校時代に一度訪れたことがあるが、それ以来、約30年振りの室蘭である。
僕が室蘭に来た1973年は、米軍がベトナムから撤退し、日本では『ジョニーは戦場へ行った』が大ヒットし(この映画を見たのは大学生になってからだが、その大きな看板の絵が妙に記憶に残っている)、ジャイアンツがV9を達成、そして石油ショックの起きた年である。当時プラモデルに凝っていた僕は、その値段が急に跳ね上がったことを覚えている。僕にとってはトイレットペーパーよりプラモデルの方が大問題だった。
又、煙突からもうもうと立ち上る煙が、あたかも成長の証しかの如く考えられている等、公害のひどい時代だった。
久しぶりに訪れた室蘭の印象はというと、まず、“さびしいな”、“さびれたな”との思いである。昔よく行った中央町や輪西(わにし)という町は、人通りも少なく、本当に寂しかった。商店街のアーケードはなくなり、シャッターの下りている店が多かった。室蘭の中心、繁華街が、市の東部に移ったせいもあるが、あの昔の活気はどこに行ってしまったのだろう。
家が商売をしていた同級生がいたが、そのクリーニング屋も、美容院も見つからなかった。栄枯盛衰は世の常とはいえ、30年という月日が重い。
次に、“きれいになったな”、という印象。これには二つある。一つは空気、空気がきれいになっている。鉄鋼の生産量が減少したこともあるが、それ以上に脱硫技術や集塵装置など公害防止技術の進歩が大きいのだと思う。
僕の住んでいた町は風向きの関係からか市内で最も大気汚染のひどい地域だった。家の壁は黒くすすけていたし、洗濯物を外に干すことなど論外だった。が、もはや当時の面影はまったくない。
もう一つ きれいになったのは道路。人が少なくなったわりに道路が随分立派になっていた。そして、ふと見ると鳩山由紀夫のポスター。そう、室蘭は北海道9区、鳩山由紀夫の地元。まあ、全部が全部、彼の実績、貢献ではないだろうが、事実は事実である。果たして公共投資削減は大丈夫であろうか。
しかし、変わらないものもある。
以前住んでいた家は海の側にあった。イタンキ浜という、太平洋に面した砂浜の側だ。当時は遊泳禁止だったが、その後整備され、夏は海水浴場になっている。又、今では北海道のサーフィンのメッカとしても有名である。
子供の僕は、時々ここに来ては、ぼーっと海を眺めていたものだった。当たり前といえば当たり前だが、久々に見た、この海はちっとも変わっていない。寄せては引く波は変わらない。岬の先に見える、あの大きな岩もそのままだった。目の前に懐かしい光景が広がる。
長い年月が経って、変わるもの、変わらないもの。
この広く、変わらぬ海を見ていると、なんだか人間がとてもちっぽけな存在に思えてきた。さびしいとか、きれいになったとか言っても、この自然を前にして、それにどれだけの意味があるだろう。イタンキの海は、僕の生まれる何万年も前から、同じように寄せては引いてを繰り返してきたし、これからもずっとそれを続けて行くのである。
海を見ながら、つまらないことで くよくよするのは もうよそう、と思った。
が、しかし、東京に帰ってきて現実の生活に戻ると、つい・・・・。
いつか、また海の側で暮らしたい。