縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

高樹沙耶と『かわいい女』

2016-10-31 22:33:34 | 最近思うこと
 この週末、テレビで高樹沙耶のニュースを見ていたら、ふとチェーホフの『かわいい女』を思い出した。高樹沙耶の容姿云々の話ではない。彼女の性格というか、過去の交際相手との関係を聞き、そう思ったのである。

 『かわいい女』を読んだのはもう30年以上も前。細かい内容までは覚えていないが、バカもここまで行くと憐れを通り越し、かえって立派、かわいいといった話だったと記憶している。
 主人公の女性は一途で夫や恋人にのめり込むタイプ。ひたすら相手のことだけ考え、相手のために尽くす。そして話すことといえば相手の男性の仕事の話ばかり。当然男が変われば話題もがらりと変わる。自分というものがなく、男がいなくなった途端、私は何を話せばいいの、話すことがないわ、と嘆く始末だ。
 ねっ、バカでしょ。が、しかし、何の見返りを求めることなく、ただ盲目的に愛する主人公の姿を見て、かのトルストイまでこの小説を大絶賛したそうだ。今の世の中だと女性蔑視と怒られそうだが、この小説が書かれたのは19世紀終わりのロシア。ご容赦願いたい。

 さて、翻って高樹沙耶。ワイドショーで彼女の男性遍歴を事細かに話していた。シンガーソングライターの中西圭三との離婚後、ハワイに移住。そこで知り合った水中カメラマンと付き合ったことからフリーダイビングに傾倒。ついにはフリーダイビング・ワールドカップで日本記録を樹立し、銀メダルを獲得したとのこと。
 その後彼と別れ日本に戻り女優業に復帰したかと思えば、エコロジカルな生活を目指すと千葉の房総に移住。このときは自然農法家の男性と同棲していたという。
 そして、今回一緒に逮捕された大麻草研究家(?)の男性。彼との出会いにより彼女は大麻に手を染めることになった。

 『かわいい女』の主人公と違い、高樹沙耶はしっかり自分というものを持っている気がする。さらに、女優としての成功、フリーダイビングの腕前、森林を自ら開墾し宿泊施設を建設等から考えるに、彼女は類稀な才能や行動力に恵まれているのであろう。きっかけはパートナーの男性だったとしても、彼女はすぐさまその分野で相手に追い付き、あるいは凌駕する知識や実力を身に付けたのではないだろうか。そして『かわいい女』の主人公のように、自分の意見、考えとしてそれを話すのである。

 が、いかんせん、彼女には男運というか、男を見る目がなかった。なぜ、男の影響を受けるのではなく、自らの意思で、自らの信じる道を進めなかったのだろうか。彼女ならそれが出来た気がしてならない。それとも、彼女は強いように見えて実は弱く、誰かからほめられ、ちやほやされ、そして支えてもらわないと生きていけない性格だったのだろうか。
 
 もし彼女が実際の人生でも『相棒』の杉下右京のような男性と巡り会っていれば、まったく違う人生を歩んでいたに違いない。自らが逮捕されるのではなく、逆に逮捕する側であったり、社会の安全や治安を守る仕事に携わり成功を収めていたかもしれない。そう思うと本当に残念だ。
(あっ、そういえば『相棒』の中でも、たまきさんは右京さんと離婚していたんだ。やはり彼女は、現実・虚構問わず、男運がないのだろうか・・・。)

『思横秋祭り』 ~ 新宿西口・思い出横丁の街バル

2016-10-27 20:33:10 | おいしいもの食べ隊
 昨日『思横秋祭り』に行って来た。10月24日から26日までの3日間、新宿西口・思い出横丁で行われた街バル・イベントである。なんと6軒の店を回ってはしご酒。つい気が大きくなり、家までタクシーで帰ってしまったが、実はこれが一番高くついてしまった・・・。

 『思横秋祭り』は今年で4回目。思い出横丁の40の飲食店が参加している。3,000円で4枚綴りのチケットを買い、チケット1枚で料理1品と飲み物1杯というシステム。1軒あたり750円というと、街バルで、それも思い出横丁にしては高い気がしないでもないが、どのお店も結構充実した内容でお得感があった。
 また併せてスタンプラリーも行われていた。3店舗以上でスタンプをもらった人には抽選で1等・韓国旅行など豪華賞品が当たるとのこと。僕らは見事にはずれたが、それでもノートとウエットティッシュがもらえた。

 さて、今回行ったのは順に、『たっちゃん』(居酒屋)、『カブト』(鰻串)、『岐阜屋』(中華)、『えんなすび』(焼鳥・おでん)、『寿司辰』、『若月』(ラーメン)の6店舗。最後の『若月』は、僕が〆に焼きそばを食べたくてイベントとは別に寄った。そう『秋祭り』の料理と飲み物は各店で事前に決められている。因みに『若月』は餃子と瓶ビール(大)だった。あと『カブト』と『岐阜屋』はもともとよく行く店で、前を通ったとき運良く席が空いていたので思わず入ってしまった。
 今回の収穫、新たな発見は『寿司辰』。一人がチケットでマグロづけ3貫と瓶ビール(中)を頼み、もう一人はサンマ2貫を頼んだ。シャリは小さめで、やわらかくふわふわした感じ。ネタとのバランスが良い。マグロもサンマも美味しい。『沼津港』が東口に移転し西口で行く寿司屋が無くなってしまったが、ここなら良いかもしれない。一度普通のときに来てみよう。

 街バルはこれで3回目(以前の2回は新富町中野をご覧ください)。少ない経験ではあるが、今回の『思横秋祭り』、
 「思い出横丁はあったかいな~。」
というのが僕の印象である。お店の方が皆やさしい。店は通常通り営業しており、イベント客より普通のお客さんの方がお店にとってはありがたいはず。が、お店の方は、嫌な顔一つせず、我々イベント客を暖かく迎えてくれた。それどころか「スタンプ貯めるの頑張ってね。」と、励ましの言葉を掛けてくれた方も一人ではなかった。
 そもそも思い出横丁は半ば観光地化し、外国人観光客も多く、いつ行っても混んでいる。今さら街おこしや宣伝などは必要ないだろう。ということは『秋祭り』の目的自体、「日頃のご厚意に感謝」的な意味合いが強いのかもしれない。そう考えると、このやさしさも分かる気がする。

 一方、今回閉口したのは、贅沢な悩みではあるが、ビールを沢山飲まないといけないことだ。ビール会社3社が協賛しているためか、飲み物はビールという店が多かった。行く先々でビール、ときに大瓶など出されては、もう無理。行って 2軒が精々だ。大勢なら、皆がチケットで頼むのではなく、何人かは別途食べ物だけ注文するなど工夫した方が良いかもしれない。僕らも最後の 2軒ではそうした。

 僭越ながら、最後に街バルに参加される方への注意事項を。
 「長居はやめよう!」
 昨日僕らが『カブト』に入るとお店はそれで満席。ふと見ると1組を除き皆バル客。中には飲み食いよりも話に夢中の人達もいる。「お前、早く食って早く出ろよ。」と思わず僕はつぶやいた、心の中で。『カブト』はいつも並ばないと入れないお店で、昨日も満席で諦めて帰った人がいたに違いない。バル客たる者、そんな人のことや、バル客では儲けが少ないお店のことも考えないといけないと思う。
 その点僕らは模範生。昨日の『秋祭り』、8時過ぎに行き、帰ったのは10時前。僅か100分足らずで、つまり 6軒を平均15分強で回った。スマートだね、粋だね。
 もっとも、そんな短い時間でお酒をたくさん飲んだせいか、昨日タクシーに乗ってからの記憶が断片的にしかない・・・。そして“爽やかな朝”ではない今朝。う~ん、まだまだ粋なバル客になるための修行は続く。

コンピュータの将棋や囲碁の実力は?

2016-10-25 23:29:46 | 最近思うこと
 日曜日にEテレのNHK杯将棋トーナメントで今話題の三浦九段の対局が放送されていた。あの将棋ソフト不正使用疑惑の三浦九段である。対戦相手は橋本八段。疑惑が表面化する前の収録らしい。僕は途中から見たが、急戦で展開が早く、なかなか面白い将棋だった。
 三浦九段が対局中に将棋ソフトを不正に利用していたのか、現状、その真偽の程は定かではない。状況証拠から絶対にクロだという声もあるが、本人は否定しており、かつ確たる証拠があるわけでもない。本件どう決着するかはわからないが、勝負の世界の話であり、僕は白黒をはっきりつけた方が良いと思う。そうでなければ日々研究、精進している棋士の方々に対し失礼であろう。

 ところで、こうした疑惑、囲碁の世界では今のところ考えられない。いや、将棋の世界でも十年くらい前まではまったく考えられなかった。理由は簡単、人間の方がコンピュータより断然強かったからである。

 チェスの世界では20世紀終わりにコンピュータが人間を追い越した。が、将棋はチェスより複雑であり、当時はコンピュータが人間に勝てるはずなどないと考えられていた。
 チェスと将棋を比較すると、マス目の数はチェス 64に対し将棋 81、駒の種類と数は、同じく 6種類32個に対し 8種類(+成駒 7)40個と、いずれも将棋の方が多い。さらに両者の差を決定的にしているのは、将棋では取った駒を自由に使えることである。チェスでは盤上に残っている駒しか使えない。この駒の再利用の可否により、次の1手の可能性に雲泥の差が生じている。

 しかし、この十年で将棋ソフトは格段の進歩を遂げた。これはコンピュータの計算能力向上もあるが、ソフト面の進歩の方がはるかに大きいという。
 将棋ソフトは、プロ棋士の棋譜(将棋の指し手を順に記録したもの)を徹底的に学習した。棋譜を丸暗記するのではない。それでは全てが同じ場面でしか役に立たない。将棋ソフトは指し手の持つ意味を学習したのである。つまり、ある局面においてプロにより指された手は、他の選ばれなかった手よりも優れている手だと学習し、自らの判断基準、評価関数を修正して行ったのである。これを膨大に繰り返した。繰り返しはコンピュータの得意とするところであり、生身の人間では到底太刀打ちできない。かくしてコンピュータは成長を重ね、将棋でも人間の上を行ったのであった。

 一方、囲碁では、コンピュータの実力はアマチュアの有段者レベルだという。まだプロ棋士の足元にも及ばない。囲碁は将棋よりも複雑で、大局観の判断、数値化がなかなか上手く行かないようだ。が、これはあくまで今現在の話。コンピュータがプロのトップ棋士を凌駕する日もそう遠くないであろう。
 もしコンピュータが囲碁のような複雑なゲームで大局的な判断ができるようになれば、いっそのこと政治を、たとえば地方議会の代わりに意思決定を任せてはどうだろう。コンピュータは、それこそ“ゲーム理論”により、効用を最大にする選択をしてくれるだろうし、少なくともカラ出張や白紙の領収書などは無くなると思うが。

フィンランドの有名人・後編(北欧の話その6)

2016-10-15 11:16:06 | もう一度行きたい
 二人目は、前編のムーミンからはガラッと変わって実在の人物、あの『フィンランディア』で有名な作曲家“ジャン・シベリウス”である。

 『フィンランディア』は単に音楽として有名なだけではない。20世紀初頭のフィンランドの民族意識の高まりや独立運動との繋がりから、『フィンランディア』は歴史の中でも有名である。スメタナの『モルダウ』と一緒に世界史の教科書にも出ていたと思う。それがシベリウスを優れた作曲家であるとともに、歴史上の人物として、広く世界に知らしめている理由となっている。

 1917年ロシア革命の混乱に乗じて独立を宣言するまで、フィンランドに自らの国は存在していなかった。古くからフィンランドの地に人は住んでいたが、国を形作ることはなかったのである。12世紀以降はスウェーデンによる支配が長く続いた。スウェーデンの属国というか、スウェーデンの一部、州のような扱いだった。
 皮肉なことに、フィンランドが初めて国家の体をなすのは、1809年のロシアによるフィンランド大公国の建国である。当時のロシア皇帝アレクサンドル1世はフィンランドの自治を認め、その結果としてフィンランド国民の中に民族意識が芽生え始めたという。しかし、この基盤の脆い自由は長続きしなかった。19世紀の終わり急速にフィンランドのロシア化が推し進められ、彼らの自由は取り上げられた。こうした中で『フィンランディア』は作曲されたのである。

 ここまでは世界史の話。僕も詳しく知らなかったが、フィンランドの哀しい歴史はまだ続いていた。独立を宣言したフィンランドは、その後第二次世界大戦と前後し、新たな隣国・ソ連との戦いに巻き込まれてしまう。その戦いに敗れたフィンランドは、ソ連に主要な領土を一部奪われたのであった。
 そうした中、国威発揚のため『フィンランディア』に愛国的な歌詞が付けられ、『フィンランディア賛歌』が作られた。『賛歌』は愛国歌あるいは第二の国歌として今でもフィンランド国民に歌い継がれている。

 僕らはフィンランドの古都トゥルクにあるシベリウス博物館を訪れた。フィンランド唯一、ということは世界で唯一のシベリウスの博物館である。
 博物館は、トゥルクの中心部、マーケット広場から歩いて10分のところにある。トゥルク大聖堂の裏手、閑静な住宅街の中だ。館内にはシベリウス直筆の楽譜や日記・手紙のほか、彼の生い立ちや活動を説明するパネルが展示されている。彼は小さい頃からヴァイオリンを勉強していたといい、また姉や弟も楽器をやっていたというから裕福な家に育ったのだろう。
 建物の中央に小さなホールがあり、週1回ミニコンサートをやっているそうだ。それ以外の時は、椅子に座ってスピーカーから流れるシベリウスの曲を聴くことができる。リクエストに応じて曲を流してくれる。シベリウスの人生を想いながら、厳かな雰囲気の中で聴く『フィンランディア』は格別だった。

 トゥルクからタンペレに移動し、翌日、ムーミン谷博物館を見学した。その後電車でヘルシンキに向かったが、せっかくここまで来たのだからとハメンリーナで途中下車。シベリウスの生まれた町である。今でも生家が残っている。もっとも生家といっても借家である。こじんまりした平屋建てだった。
 医者をしていた父親は、シベリウスが2歳のときに亡くなった。その後一家は困窮し、ついには自己破産。兄弟そろって楽器を習う裕福な家かと思っていたら全然違うようだ。
 貧しい、苦しい中から音楽家として大成したシベリウス。フィンランドの人達は、そんな彼の人生にフィンランドの現状と将来の独立・繁栄とを重ね、希望を、生きる力を育んでいたのかもしれない。シベリウスの功績、そして音楽の力は本当に大きい。

だだちゃ豆とクラゲと『アル・ケッチァーノ』

2016-10-13 22:00:30 | もう一度行きたい
 そうだ、“だだちゃ豆”を食べよう。

 4月に突然思い立ち、ふるさと納税で山形県鶴岡市のだだちゃ豆をお願いした。8月に大量に届いただだちゃ豆は、茹でるのにも食べるのにも一苦労したが、強い甘みに濃い豆の味、やはり格別の美味さだ。心行くまで堪能した。

 ご存じない方のために簡単にだだちゃ豆の紹介を。
 だだちゃ豆は枝豆の一種である。が、そんじょそこらの枝豆とは訳が違う。枝豆界のスーパースター、そう、枝豆界のシャンパンである。フランス・シャンパーニュ地方で作ったスパークリング・ワインしかシャンパンと呼べないように、ここ山形県鶴岡市で作った豆しか“だだちゃ豆”と言えない。鶴岡の風土で育ってこそ、だだちゃ豆独特の美味しさが出るのだと言う。

 鶴岡市から、だだちゃ豆とは別に、ふるさと納税の御礼として市立加茂水族館の招待券が2枚送られてきた。あの世界一のクラゲ水族館である。
 これも何かの縁と思い、まあ先方の術中にはまった気がしないでもないが、鶴岡に行ってみることにした。ときは10月、もうだだちゃ豆は終わっているが、美味しい庄内の食材に沢山巡り会えるに違いない。僕は迷わず、庄内食材にこだわるレストランとして有名な『アル・ケッチァーノ』を予約した。あとは早起きするだけ・・・(勢いで羽田発6時50分の飛行機を予約してしまったのである)。
 
 朝8時に“おいしい庄内空港”(名前がすごい!)に到着。まずは早朝からやっている「さかた海鮮市場」で朝食。アオリイカや白バイ貝が美味しかった。
 そして加茂水族館へ。水族館としては小さいが、クラゲの展示には質・量とも圧倒される。さすがはギネスが認定したクラゲの種類数ナンバーワン。
 人を刺したり、大量発生し漁業に被害を与えたりと悪いイメージの多いクラゲ。しかし水槽の中のクラゲは繊細で、妖しいまでに美しい。色も様々だし、中にはネオンのように発光しているものまである。ずっと見ていても飽きない。癒される。

 さて、いよいよ『アル・ケッチァーノ』へ。市内からタクシーで15分、随分寂しい所にある。
 有名な奥田シェフの『アル・ケッチァーノ』、僕の期待は大きく、より楽しめるようにと事前にネットでお店のことを調べてみた。すると賛否両論、いや、どちらかというと厳しい意見の方が多かった。奥田シェフは忙しくて店にいない、商業主義だ、まったく味がない、こんなのイタリアンじゃない、値段の割に店が貧相、等々。大丈夫だろうか。

 で、実際に行った感想であるが、やっぱり僕の中でも賛否両論(笑)。アミューズを入れて料理は14品。美味しいものもあれば、ごく普通のものもあった。玉石混交。ソースをなるべく使わない、必要以上に手を掛けない奥田シェフの料理、やはり素材が命だ。鯛やサンマなど魚は美味しかった。確かに味は薄い。ほとんどのものにコショウをバリバリ掛け、ときどき塩も振った。案の定、奥田シェフは不在だった。
 庄内の美味しい食材を沢山味わって欲しいとの親切心なのだろうが、一皿毎のポーションは小さいものの計14品の料理、その量たるや半端じゃない。妻だけでなく僕でも途中でお腹いっぱいになってしまった。
 あと料理の出てくる速さに驚いた。4種類のコースのみというのもあるが、満席のテーブルに次から次へと小気味よく料理が運ばれていく。相当下ごしらえ、あるいは冷製のものなどは作り置きしているのだろう。

 平日の夜はアラカルトもやっているようだ。年とともに食が細っているので(不思議と体の方は全然細らないが)、今日の量は若干辛かった。今度はアラカルトでゆっくり料理を味わってみたい。できれば奥田シェフのいらっしゃるときに。

フィンランドの有名人・前編(北欧の話その5)

2016-10-04 00:13:54 | もう一度行きたい
 あなたは「フィンランドの有名人は?」と聞かれたら誰を思い出しますか?

 Linuxの開発者? 失礼、名前を忘れてしまいました。
 ノキアの社長? フィンランドの会社ですが、社長はフィンランド人でしょうか?
 それとも、F1好きの方であればハッキネンやライコネン、スキージャンプがお好きな方であればニッカネンやアホネン、といったところでしょうか。あとはサンタクロース・・・。

 残念ながらサンタの住む村は遠いので、僕らは彼に次ぐフィンランドの有名人に会いに行くことにしました。
 
 一人目は“ムーミン”。

 みなさんご存じかと思いますが、ムーミンはカバではありません。フィンランドのどこかにある“ムーミン谷”に住む妖精の一種です。もう一度言います、妖精です。人を見かけで判断してはいけませんね。

 ナーンタリという町に“ムーミンワールド”というテーマパークがあって、夏の間だけオープンしています。今年は僕らがフィンランドに着いた8/25が最終日でした。僕らは、その日の早朝、隣町のトゥルクに着いたのですが、“ムーミンワールド”はお子様向けな感じがしたので行きませんでした。さすがにムーミンの着ぐるみに会って「嬉しい!」と感激する年ではないので。

 その代わり、タンペレの“ムーミン谷博物館”に行ってきました(因みに、今の博物館は10/30で閉館し、来年5/9に新しい場所にオープンします)。タンペレは、トゥルクから特急電車で1時間半くらいのところにあるフィンランド第2の都市です。もっとも人口は22万人しかいません。湖に囲まれたきれいな町です。
 博物館には、作者トーベ・ヤンソンが寄贈したムーミンの原画やムーミン屋敷の模型(ドールハウス)など多くの作品が展示されています。写真撮影は禁止で、カメラのシャッター音がすると屈強なお兄さんが飛んできて注意されてしまいます(体験談)。
 日本語のパンフレットがあり、ムーミンに詳しくなくても充分展示を楽しむことが出来ます。ただ説明の番号と展示の番号や順番が微妙に違うところがあり、若干の努力と忍耐が必要ですが。

 実は、僕はムーミンのアニメを見たことがないし、ムーミンに関する知識といえば主な人物の顔と名前を知っている程度でした。彼らの性格は勿論、ムーミンのストーリーもほとんど知りません。
 そんな僕ですが、今回博物館でムーミンの世界に触れ、ムーミンに対する認識を新たにしました。ムーミンを、童話や子供向けアニメだと考えてはいけません。大変奥の深い話です。「深イイ話」に投稿したいくらい。友情、勇気、やさしさ、そしてユーモアと皮肉。子供に教えたいだけでなく、知れば自分もちょっぴり元気になれる、名言、人生訓がびっしり詰まっています。
 やはりフィンランドの長い冬は人を哲学者にするのでしょうか。一度ムーミンの小説をしっかり読んでみようと思いました。

 で、二人目は・・・と行きたいところですが、思いのほか長くなったので、それは次回に。