縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

『アイミタガイ』 ~ 一歩前に踏み出す勇気

2024-11-15 21:47:01 | 芸術をひとかけら
 確かにいい人しか出てこない話って嘘くさいけど、これはファンタジーだから許されるだろう。見終わって、泣けたし、年齢に関係なく新しい一歩踏み出す勇気をもらえた映画だった。

 人は一人で生きているのではなく、どこかで誰かと繋がっている。そしてその誰かも、また違う誰かと繋がっている。そして、その誰かの先にも・・・。
 この映画は、かけがえのない親友を失った主人公、その親友の両親、戦争のトラウマを引きずる女性など、人生の希望や目標を失って立ち止まってしまった人たちが、周りの人々のやさしさや想いに触れ、それにちょっとした偶然もあり、それぞれがまた前に進み始める物語である。そう、再生の話だ。

 “アイミタガイ(相身互い)”とは、同じ境遇や身分の者どうしが互いに同情し助け合うことや、その間柄をいう。が、ここでは、この言葉を同情とかではなく、持ちつ持たれつや「情けは人の為ならず」的に捉えている。「情けは人の為ならず」は、情けを掛けるのはその相手の為にならないと誤解されがちだが、本当は人に情けを掛けておくと巡り巡って結局は自分のためになるという意味である。映画では、相手のことを思ってしたことや、ただ何気なくしたことが結果的に自分に良い結果をもたらしている。

 主人公を演じる黒木華をはじめ、その恋人役の中村蒼、かけがえのない親友役の藤間爽子、これら若手の自然な演技が良い。中堅・ベテランの役者が渋く脇を固める。そして、草笛光子。ちょっと存在感あり過ぎな気がしないでもないが、映画に欠かせない役を見事に演じている。

 映画を見て“アイミタガイ”は本当にいい言葉だとしみじみ思った。最近はあまり聞かないが、それだけ日本が殺伐とした世の中になったということだろうか。ロシアによるウクライナ侵攻、イスラエルのガザやレバノン、さらにはイランへの攻撃など、こんな世界だからこそ“アイミタガイ”が心に滲みる。
 自分のちょっとした行動で何かが少し変わるかもしれない。世の中の誰かにとって、はたまた自分にとって良くなるかもしれないのである。“アイミタガイ”の気持ちがあれば、きっと明日は今日より良い日になる。何の根拠もないが、そう信じさせてくれる映画だった。

舞台と映画の違い その2 ~ 『リトル・ダンサー(ビリー・エリオット)』

2024-11-08 17:34:07 | 芸術をひとかけら
 ミュージカルを映画化することは多いが(詳しくは舞台と映画の違い ~ 『ジャージー・ボーイズ』の場合、2014/11/25をご覧下さい)、その逆、映画をミュージカルにするのは、ディズニー・アニメを除き、少ない。この『リトル・ダンサー(原題:ビリー・エリオット)』はその中の大きな成功例である。映画を見たエルトン・ジョンがいたく感動しミュージカル化を熱望、自ら曲を書いたのであった。
 映画の公開は2000年、ミュージカル化は2005年。ロンドンで上演され、好評により公演は2016年までのロングランに。2008年にはブロードウェイでも上演され、トニー賞で作品賞はじめ10部門を受賞する大ヒットとなった。

 僕は、ミュージカルを2010年にロンドンで見たが、映画はほんの1週間前に見たばかり。正直、ミュージカルは時間の経過もあるし、そもそも英語でよく分からなかったこともあり、若干記憶があやふや。全体に映画の方が楽しめたと思う(やはり字幕は偉大)。音楽はミュージカルのエルトン・ジョンの曲の方が好きだが(実は劇場でCDを買った!)、映画のマーク・ボラン(T・レックス)の曲も躍動感があってなかなか良かった。

 そして、ストーリーというか構成は断然映画の方が上。映画もミュージカルも、「強さや逞しさを良しとする男性優位の炭鉱の町で、家族の反対や社会の偏見に負けず、ビリー少年がバレエー・ダンサーになる夢を追い求める」という基本は変わらない。家族の優しさや、保守的な町の人まで暖かく見守るというのも同じ。
 しかし、映画の方がストーリーに深みがあるというか、多くの要素を盛り込んでいた。例えば、炭鉱ストライキの生々しさ等当時の社会情勢、子供のため仲間を裏切ろうとする父親の苦悩、LGBTやヤングケアラーを彷彿させる話、ませた女の子の小学生とは思えない会話など。

 一方、ミュージカルは話を単純化している。「バレエに惹かれる少年、家族そして社会の偏見、生来の才能と努力、家族や地域社会の変化、夢の実現」がメインの道筋。映画にはあっても、この筋に必要性の薄い出来事や話題はびしばしカットしている。よって話は分かりやすく、感情移入もしやすい。余計なことを考えずに観客はフィナーレへと向かって盛り上がって行く。ビリー少年の夢が、明日に希望の持てない炭鉱の町全体の夢になるという独自の演出もより感動を高める。まったくよく出来た構成である。

 複雑な映画と単純なミュージカル。この違いには、ミュージカルの制約、つまり舞台装置を頻繁に変えられないこともある。映画では場面の切り替えや挿入は何ら問題ないが、ミュージカルには限度がある。よってストーリーを単純化せざるを得ない。
 しかし、それ以上に芸術色が強いか、娯楽色が強いかという違いもあるのではないだろうか。ミュージカルは見終わった後「わぁー、楽しかった」で良いが、映画はそれだけではダメ。映画監督というもの、観客に「共感できた」、「考えさせられた」、「あれはどんな意味だったんだ」等々、何か爪痕を残して終わりたいのだと思う。概してヨーロッパの映画にこの傾向が強いが、これはイギリス映画である(もっとも単純なハッピーエンドが好きなハリウッド映画なら、また違った印象を持ったかもしれないが)。

 この夏から東京と大阪で『ビリー・エリオット』のミュージカルが行われており、まだ大阪での公演が残っている。映画も今まさにデジタルリマスター版が全国で公開されている。まだの方はこの機会に是非。