縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

PM2.5と過ごした3日間

2013-03-09 00:48:13 | 環境を考える
 今週、2泊3日で上海に行ってきた。尖閣問題に解決の兆しが見えず反日感情の強い中、さらには大気汚染の問題もあり、あまり気は進まないが仕事とあっては仕方がない。
 どうせ飛行機はガラガラだろうと高をくくっていたら、予想外に行き帰りともほぼ満席だった。航空会社が利用者の減少に減便や機材の小型化で対応した結果であるし、また僕のような犠牲者(?)が多い証拠でもあろう。乗客のほとんどがスーツ姿のビジネスマンだった。

 さて、空港に着くと早速PM2.5の洗礼を受けた。遠くが霞んで見えないのである。滑走路の向こう側のターミナルや飛行機がぼやけて見える。うーん、「霧の摩周湖」(古い?)ならどこかロマンチックでいいが、「埃の上海」は頂けない。着いた途端、気が滅入ってしまった。そのうえ強い反日感情、中国語のできない僕が無事日本に帰れるだろうか、不安が募る(勿論、無事帰って来たので、こうしてブログを書いてます)。

 では、肝心の上海の大気汚染について。ちょっと拍子抜けだったが、上海の人はほとんどマスクをしていない。マスクをしているのは、マスク好きの日本人か、バイクに乗っている人の中に稀にいるくらいだ。
 我が国のPM2.5の基準値は35マイクログラムで、その2倍の70超で注意喚起となっている。これに対し中国では、大人は100~200であれば特に問題なく、200を超えるとちょっと危ない、ということになっているそうだ。スマホのアプリで、中国当局と米国大使館(北京)・領事館(上海)発表のPM2.5の値を見られるものがあり、上海で大人気。これによると上海の値は200未満なので(僕がいた時は150!くらいだった)、中国的には安全なのである。我が国の注意喚起レベルの倍以上であるが・・・。

 僕は、テレビで「マスクを2枚重ねにし、間にウエット・テイッシュを挟めば完璧、PM2.5も防げます」というのを見て、マスクもウエット・テイッシュも買い、しっかり持って行った。が、「郷に入れば郷に従え」、結局使わなかった。日本人だとばれて殴られるリスク(これ自体低い気はするが、ゼロではない)と、喘息になったり、将来肺がんになる確率が多少上がるかもしれないリスク(2、3日でどれだけ影響があるかはわからないが、こちらもゼロではないだろう)とを天秤に掛けたとき、前者、つまり目の前にあるリスクを避けるべきと考えたからである。取り敢えず、今、痛い思いをするのは嫌だった。

 ところで、中国人も現地に住む日本人も、上海の空気が汚いのは昔からだから今さら何を、と言っていた。確かに、青空は見えないものの、外にいて咳き込んだり、息苦しかったりすることなどない。お世辞でも健康に良い環境とは言えないが、どのくらい悪いのかはわからない。まあ、変に気にし過ぎてストレスを溜めこむ方がずっと体に悪いのだろう。上海の人は、今の生活に支障がない以上、空気が汚いことを取り立てて気にしていない。楽観的というか、ある意味健康的な考え方かもしれない。
 さすが中国、4千年の歴史、おおらかなことだ。できれば領土問題についてもおおらかになってくれると有難い。中国の土地使用権は高々70年。手に入れても自分の子孫に残せるわけではないのだから、そんなに拘らなくてもいいのではないだろうか。

燃えるゴミか、燃えないゴミか、それって問題?

2009-03-15 23:18:19 | 環境を考える
 4月1日から中央区でプラスチック製容器包装の資源回収が始まる。汚れのない(あるいは軽くすすいだ)プラスチックを、新聞紙やびん・缶と同じように分別して出せば、区がゴミとしてではなく資源として回収してくれるのである。
 有り難い話ではあるが、また手間が増える。まず資源かゴミかの判断が必要になる。つまり、プラマークが付いているか否か、付いていたときは資源として出せるほど汚れていないかをチェックしないといけない。併せてゴミ箱(資源箱?)をもう一つ用意しないといけない。ドイツほどではないが、分別がなかなか複雑になってきた。
 またゴミ出しの回数が増える。僕の所は、月曜は燃やさないゴミ、水曜と土曜は燃やすゴミ、木曜は新聞・缶等、そして金曜がプラスチックの日となる。ゴミ出しも会社と同じ週休2日だ。やれやれ。これは「面倒くさいと思うなら、そもそもゴミを出すな、減らせ」という意味だろうか。更にゴミの量を減らすべく、ゴミ収集が有料化される日もそう遠くはないだろう。

 以前プラスチックは燃やさずに埋め立てていた。プラスチックは燃やすと高温になり焼却炉を傷めるからだ。それにプラスチックを燃やすとダイオキシンが発生するとの問題もあった。このためプラスチックは“不燃ゴミ”だったのである。それが埋立地の不足と、ダイオキシンが発生しないよう焼却炉の改善が進んだことから、プラスチックを燃やす自治体が増えてきたのである。
 が、ただ燃やすだけではもったいない。プラスチックをもっと資源として利用しよう、というのが今回の変更である。

 実は僕も知らなかったが、日本の廃プラスチックの有効利用率は意外に高い。2007年で73%。廃プラスチックの排出量994万トンに対し有効利用量722万トンとなっている。もっとも1995年の有効利用率は僅か25%に過ぎず、プラスチックのリサイクルは近年急速に進んできたのである。これはサーマルリサイクルの増加、つまり廃プラスチックを燃やしてエネルギーを回収するのが増えたからだ。サーマルリサイクルによる廃プラスチックの利用は95年の126万トンから2007年には481万トンになった。現在サーマルリサイクルは廃プラスチックの有効利用の2/3を占めている。

 ちょっと待てよ、中央区でプラスチックが可燃ゴミになったのは去年の4月だった気が。おそらく他の自治体もそれほど変わらない時期に変更した、あるいは未だに不燃ゴミの自治体もあるかもしれない。にもかかわらず、なぜ90年代後半以降サーマルリサイクルが急増したのだろうか。
 それは上述の通り焼却炉の改善によりダイオキシンの問題がクリアされ、可燃・不燃を問わず、ゴミを燃やす自治体が増えたからである。東京23区などその最たるものであり、随分前から不燃ゴミを燃やしていたようだ。勿論金属など燃え残るゴミはある。しかし、いったん不燃ゴミであろうがすべて燃やし、全体の嵩を減らした方が埋め立てに回す量が減って良いのである。もうダイオキシンは大丈夫だとはいえ、地元の住民感情を慮り、プラスチックは“不燃ゴミ”のままだったのであろう。

 裏を返せば、“地元の住民感情”がリサイクルを進めたといえる。つまり、自治体はプラスチックを燃やすことに一種後ろめたさを感じ、その緩和策として「ゴミを燃やして発電します」、「ゴミを燃やした熱を有効に利用します(温水プールや温室から給湯、冷暖房まで)」といった対策を講じてきたのだと思う。その結果としての廃プラ有効利用率向上である。

 しかし、しかしである。今の世の中、「プラスチックを分けたところで何になるんだ、実態は変わらないじゃないか」などと言っても始まらない。環境問題を理解してない奴、の一言で片付けられかねない。

 というわけで、4月から僕のゴミ出し休みは更に一日減るのであった。最近はやりのワーク・シェアリングは残念ながら我が家にはないのである。

クロマグロ、マルハの二つの挑戦

2007-04-19 00:21:09 | 環境を考える
 今朝の新聞で『マルハがクロマグロの完全養殖に再挑戦』との記事を見た。「完全養殖」とは、人工孵化から育てた成魚が産卵、それを人工孵化させ、成長した魚がまた卵を産む、というサイクルの養殖方法である。養殖といえば、すべてこのサイクルだと思われがちだが、実はマグロやウナギは違う。天然の稚魚を捕まえ、それを生簀で育てる形で養殖が行われているのである。

 クロマグロは大変デリケートな魚で光や音にも敏感。稚魚は共食いをすることもあり、成魚に育てるのが大変難しい魚だ。マルハは1987年にクロマグロの完全養殖に挑戦したものの、最終的な生育の成功率が0.01%と極めて低く、とても採算に合わないと撤退したそうだ。
 世界で唯一クロマグロの完全養殖に成功しているのが、近畿大学のベンチャー企業アーマリン近大である。しかし、そのマグロは大阪などのデパートで販売されているだけで、流通量は極僅かである。

 では、なぜ、今、マルハがクロマグロの完全養殖に再び挑戦したのだろうか。
 一番の理由(表の理由?)は資源問題への対応。乱獲に加え、漁獲量の管理が徹底されていないことから、マグロ、特にクロマグロは絶滅の危機に瀕している。クロマグロもクジラの二の舞となる恐れがあるのだ。
 クロマグロは日本向けに高く売れるため、各国の乱獲がひどい。わが国のマグロ漁は延縄(はえなわ)漁業で行われている。簡単に言えば、大掛かりな1本釣りである。これに対し海外では大型船による巻き網漁業が行われている。それこそ一つの群れを一網打尽にする、容赦の無い漁法である。漁獲効率は雲泥の差だ。当然、輸入マグロの価格は安い。おかげで、需要が伸びているにも拘わらず、日本のマグロ漁業は崩壊の危機にある。

 資源保護といえば養殖。では養殖はどうだろう。
 日本の養殖はヨコワといわれる体長20、30cm(重さ数百グラム)の幼魚を捕り、生簀で2、3年掛けて成長させ出荷している。一方、最近増えている海外の養殖は、もっと大きい10キロ程度の幼魚を捕獲しては、6ヶ月など短期間で40、50キロまで急成長させ出荷している。これは業界では「畜養」と言われ、最近とみに伸びている。オーストラリア、地中海の国々、メキシコなどが多い。もっとも、この畜養マグロ、スーパーでは単に「養殖マグロ」と呼ばれており、その養殖方法までは区別が付かない。悲しいかな、畜養マグロは、沢山食べさせられるものの狭い生簀で運動不足のため、かえって脂が乗って旨い、全身トロだ、という説もある。
 しかし、こうした養殖にも問題がある。一つは幼魚の乱獲を招いていること。どれだけ幼魚を捕っているか把握できないし、更にはどの国がどれだけ捕っているかの把握も難しい。例えば、イタリア船が捕ったマグロをクロアチアの生簀に入れたとすれば、どこの国の漁獲量にカウントすれば良いのだろう。こうした問題から一応各国の漁獲割当が定められているものの、まったく守られていないのが実態だ。

 そして、こうした乱獲や畜養を陰で支えている、いや支配しているのが、日本の総合商社である。三菱商事、双日、丸紅がビック3。しかし、利に聡い商社ばかりを責めるのもお門違いかもしれない。そもそも日本人が異常なまでにクロマグロを、トロを好むのがいけないのである。マグロ資源云々と問題にする前に、まずは自らの食生活を反省すべきであろう。

 ところで、先程、マルハが完全養殖に再挑戦する表の(?)理由は資源問題と書いたが、裏の理由は総合商社への挑戦なのではないだろうか。傘下の漁船団縮小を余儀なくされるは、乱獲や畜養による安値輸入で市場を乱すは、商社はとんでもない、と。
 理由はともあれ、マルハの挑戦を応援したい。

ちょっと“エコ”

2006-12-23 23:59:47 | 環境を考える
 実は会社帰りによくスーパーで買い物をする。朝食の果物、牛乳、ジュースや、夕食の惣菜などを買って帰る。で、最近、マイ・バックを使い始めた。ポリ袋を使わずに済むようにと思ったからだ。通勤カバンの中にバックを入れている。レジで「袋はいいです」と言ったとき、ちょっと環境にやさしいことをしているな、少し良い人になったかな、などと思い、一人悦に入る。身近な“エコ”の一つである。

 結構、自分にできる範囲で“エコ”を心掛けているつもりだ。例えば、PETボトルや牛乳などの紙パック。PETボトルは以前このブログでも書いたが(『PETボトルはどこへ消えた?』)、その後の処理が楽になるように、ラベルを剥がし、中を水洗いし、そして乾かした後で潰して出している。紙パックもおおよそ同じ要領だ。しかし、PETボトルの回収率40%に対し、使用済紙パックの回収率は25%程度とまだ低い。
 紙パックはとても良質な紙を使っている。強度の関係から北米や北欧から輸入した針葉樹のパルプを原料にしている。極論すれば、紙パックを捨てるということは、針葉樹の木を捨てるのと同じである。事実、回収された紙パックは、ティッシュ・ペーパー、トイレット・ペーパー、ノート等の原料に利用されており、その分パルプの消費量が抑えられているのである。

 紙について、もう一つ心掛けていることがある。それは古紙の分類。新聞紙と、広告・雑誌等を分けて出している。もっとも、これは“エコ”というよりちょっとした気配り。
 以前、古紙には新聞紙と雑誌が混在しており、それを分けるのが手間だと聞いたことがある。なぜ分類する必要があるのか。おそらく、新聞紙とその他の古紙では引取価格が違う(広告・雑誌等は紙質やコーティングの有無など千差万別であるのに対し、新聞紙は紙質が均一・インクが黒主体で脱墨しやすく処理が容易等のため)、雑誌は別途ホチキスの芯などをはずす必要がある、等からであろう。業者の方の分別の手間を少なくし、古紙回収が増えるようにと思い、微力ながら(本当に微力であるが)、お手伝いをと思った次第である。

 あとは車。この春、車を手放した。排気量2500ccで、型式が多少古いこともあり、燃費の悪い車だった。それ以降の外出はもっぱらバスや地下鉄など公共交通機関を使っている。通勤もバス。帰り、特に飲んだときは、健康も考え歩いて帰ることもある。(ただ、朝、寝坊したときは、ついついタクシーを使っているが・・・。すみません。)
 京都議定書で定められたCO2排出量削減に向け、産業部門の対応が進む一方、民生部門や運輸部門の取り組みが遅れていることを思うと、我が家は相当頑張っている方だと思う。

 ところで、冬になり、妻が寒さに負け、車が欲しいと言い出した。仕方がない、環境を考え、やっぱりハイブリッドか、と思うものの、これがちょっとお高い。環境にはやさしいが、懐にはやさしくない。ウーン、背に腹は変えられないか。
 TOYOTAさん、1兆4千億円もの純利益を稼いでいるのだから、もう少しハイブリッドの価格を下げて欲しい。国に税金を納めるだけが能じゃないよ。直接、消費者にも還元してくださいな。それが無理なら、国が、トヨタの納めた税金の一部を財源に、ハイブリッド購入者に補助金を払うというのはどうだろう。エタノール車の普及にはコストも時間も掛かるのだから、環境のためにはハイブリッドを優先すべきでしょう。安倍さん、支持率回復策の一つ(?)として是非ご検討を。

コアラの陰謀? ~ FSCと植林

2006-08-26 23:59:00 | 環境を考える
「うちの会社、FSCの認証機関もやっているんです。」、と知人。
「?」、と怪訝そうな顔の僕。
「(なーんだ、おまえ知らないのか、と思いつつも顔には出さず)FSCってドイツに本部のある世界的な組織で、紙製品などが違法伐採した木材などを原料に使っていないことを示すお墨付き、マークなんです。」、と説明する彼。

 環境問題についてブログを書いているのに、恥ずかしながら、FSCについては知らなかった。帰って、早速インターネットで検索してみた。
 「FSC (Forest Stewardship Council、森林管理協議会)は、世界中全ての森林を対象とし、環境保全の点から見て適切で、社会的な利益にかない、経済的にも継続可能な森林管理を推進することを目的とし、一定の評価基準により適切な管理がなされている森林を認証する。また、このような森林から産出された木材・木材製品に独自のロゴマークを付け、認証を受けた森林から来ていることを保証する。」とあった。
 現在の認証の状況は、全世界で72カ国、839カ所、認証面積76,538,363ha、内日本は25カ所、認証面積277,436haだそうである。森林の認証とともに、COC認証という紙製品に対する認証、FSCのロゴマークもある。これは、その製品の原材料である木材やチップが、森林から生産・加工・流通過程を経て最終消費者の手元に届くすべての段階で、確かにFSC認証材料を使っていると証明するものである。日本では336件、今話題の紙パルプ・メーカーや、印刷、住宅関連の企業が取得している。

 わが国は世界最大の木材輸入国である。木材自給率は2割弱に過ぎない。また、紙や段ボール等の原材料を見ると、6割は古紙(これは世界的にも極めて高い水準であり、リサイクルの優等生である)、3割は輸入(木材チップや製品パルプの輸入)、1割が国産であるが、元々の古紙の由来というか原料まで考えれば、8割強が輸入、裏を返せば自給率は同じく2割弱である。わが国は木材輸入大国としての責任において、FSCの活動に真摯に取り組むことが世界から求められている。

 こうした中、紙パ・メーカーは単にチップを輸入するだけでなく、海外で自ら植林することにも力を入れている。既に海外9カ国で39万haの植林を行ったという。FSCの認証を受けた植林も多い。いずれ伐採しチップとするための植林ではあるが、CO2 吸収に一定の効果はあるだろうし、なにより自然林を伐採するよりは良い。
 ただ、一つ気になる点が。それは植林する木がほとんどユーカリである点だ。ユーカリはオーストラリア原生で、極めて早生、7、8年で成木となる。これが好んで植林に使われる理由だが、ちょっと待って。オーストラリア以外の国、南米や中国に持って行っても問題はないのだろうか。早く育つということは養分の吸収力が強いということだろうし、他の動植物、生態系に対し影響はないのだろうか。コアラは喜ぶかもしれないが(これぞコアラの生き残り戦略?)、ちょっと心配である。
(因みに、気候風土が合わないのか、日本ではユーカリはあまり育ちません。)

京都議定書の行く末

2006-06-13 23:53:00 | 環境を考える
 先月世銀が発表した“Little Green Data Book 2006”によると、2002年のCO2排出量は240億立方トンとこの10年で15%も増加している。CO2の多くは欧米や日本など先進国により排出されているが、足下、発展途上国、特に中国とインドの排出量が急増している。過去10年で中国は33%増加、インドに至っては57%増加している。このため中国はCO2排出量でアメリカに次いで世界第2位、インドも日本を抜いて第4位となっている。

 CO2のほとんどは化石燃料の燃焼によって排出されており、中でも発電の占める割合が高い。電源別にCO2の排出量を見ると、大雑把に、石炭を10とすれば石油7、LNG 5~6、水力・原子力その他0.5以下、である。したがって発電量に占める石炭火力の割合が高い国は自ずとCO2排出量が多くなってしまう。石炭火力の比率は中国で79%、インドでは68%と共に高水準である。発展途上国は総じて50%に近い水準だ。

 更に悪いことに、中国はエネルギー効率も悪い。エネルギー消費1単位(原油換算)当たりのGDP(即ち、原油1kgを使って生み出されるGDPの金額)を見ると、中国は4.5である。これに対し日本は6.5、又、産業構造の違いからかインドは5.3と比較的高い。つまり、中国はGDPを増やすには多量のエネルギーが必要なのである。又、中国はGDP 1単位あたりのCO2排出量も0.6と高い(日本は0.4、インドは0.5)。
 中国は13億という巨大な人口とエネルギー効率の悪さが相俟って、一方、インドは11億近い大きな人口を要因として、経済成長とともにCO2排出量が急増しているのである。

 ところで、先進国の中で中国に似た国がある。アメリカだ。石炭火力の割合51.4%、エネルギー消費1単位(原油換算)当たりのGDPは4.5、GDP 1単位あたりのCO2排出量0.6 と、いずれも発展途上国と同じ水準である。加えてアメリカのたちが悪いのは、一人当たりのCO2排出量が20.2立方トンと極めて多いことだ。発展途上国は2前後であり、そのほぼ10倍。日本(9.4)と比べても倍以上の水準である。
 まさにアメリカはエネルギーを、それこそ“油”水のように使い、浪費しているのである。最近の原油高で少しは節約するようになったかもしれないが、長年身に着いた習慣は一朝一夕には変わらないであろう。

 しかし、このアメリカも、中国も、それにインドも参加していない京都議定書、どこまで実効性があるのだろう。なんともそら恐ろしい。

水俣病50年

2006-06-06 23:56:00 | 環境を考える
 先週、『平成18年版 環境白書』が出された。テーマは「人口減少と環境」、「環境問題の原点 水俣病の50年」の二つである。後者が選ばれたのは、今年で行政が水俣病を公式に確認してから50年になるからである。水俣病の発生、被害拡大の経緯、企業(チッソ)・県・国の対応、そして現在の状況などが記述されているようだ。
 
 ところで、皆さんは水俣病やチッソについて、どのくらい知識をお持ちだろうか。
 水俣病は公害病の代表として学校で習ったと思う。チッソ水俣工場からメチル水銀が正しく処理されないまま海へと流れ出てしまい魚や貝に蓄積され、それを食べた住民が水銀中毒に侵された、というのが水俣病である。
 公式に確認されたのは50年前の1956年5月。ところがチッソ、行政ともに工場排水と水俣病との因果関係を長く認めなかったことから被害が拡大したと言われる。チッソが水俣病の責任を認めたのが1973年の裁判であり、なんと発見の17年後である(勿論、この間、対策は採っていたようだが)。一方で国は水俣病の責任を認めていない。このため『環境白書』がどのような記述になっているのか興味がある。

 次にチッソの話。チッソは1906年創業の歴史のある化学会社である。当初は肥料がメインであり、その後は合成繊維、石油化学、ファインケミカルの分野にも進出している。紙おむつなど衛生材料等に使われる熱接着性複合繊維・ES繊維の開発や、世界でもトップ・クラスの液晶生産など、技術に定評のある中堅化学会社である。
 普通の会社は株主のために存在するが、チッソは違う。チッソは水俣病患者のために存在している。いや、存在させられている、と言うべきだろうか。
 チッソは2006年3月末で1,244億円の債務超過。到底普通の企業では存続し得ない。当然、株主への配当などない。国、熊本県、そして銀行がチッソを支えているのである。患者への補償を支払うためにチッソを存続させてきたのである。

 今のチッソのほとんどの社員は水俣病の発生に直接関わってはいない。50年前の水俣病発見時にはまだ生まれていなかった社員も多いだろう。にもかかわらずチッソの補償は未だに続いており、おそらくこれからも続く。社員は生まれながらにというか、入社とともに水俣病の責任を負っているのである。
 想像して欲しい。日本人は戦争の責任を果たしていない、戦争はあなた方の責任だ、と言われたら、あなたはどう思うだろう。チッソの社員は水俣病のことを知っていて入社したのだから仕方がないと言えば、そうかもしれない。しかし、自らの力の及ばないところで起きたことを非難されても如何ともし難いことに変わりはないと思う。

 この問題を一層複雑にしているのは、当初、地元で水俣病患者への差別が起きたことである。漁師など特定の人間に発生する奇病と見られたり、大企業、更には高度経済成長への反逆と見られたり、と。今の日本では考えられないが、それが当時の日本の現実だったのである。
 が、同じようなことが、今、中国で起きている。環境やそこに暮らす人間よりも、国家としての成長を優先しているかに見える中国。この水俣病の問題から学んで欲しい。公害に苦しむ人と比ぶべくもないが、公害を出した側の人間もやはり苦しんでいるのである。

『環境展』で想う

2006-05-28 23:57:00 | 環境を考える
 先週『2006New環境展』に行ってきた。23日から26日まで東京ビッグサイトで行われた、おそらく環境関連ではわが国最大のイベントである。環境問題への関心の高まりからか、出展社数は552社と過去最大規模となり、来場者数も昨年の15万3千人を大きく上回ったのではないだろうか。
 テーマは“人と地球の未来を守る環境革命への挑戦”。ん、環境革命?ジャーナリスティックというか、曖昧な言葉だなと思ったら、『環境展』の主催者は株式会社日報アイ・ビーという出版社であった。包装と廃棄物の雑誌をメインとする会社だ。そのため、このイベントも以前は『廃棄物処理展』と言っていたようだ。この名前だと来場者は関係者に限られるが、『環境展』と名前を変えたことにより、広く一般の人も来るようになったことだろう。改めてネーミングの重要性を感じる。

 さて、展示は10のゾーンに分けられていた。1.NEW環境(地球温暖化対策等)、2.サーマル、3.環境測定分析・計量・IT・ソリューション、4.水環境・土壌、5.環境安全、6.収集・搬送、7.有機性廃棄物処理関連、8.バイオマスプロダクツ&環境対応の包装材・容器・新素材・再生品、9.廃棄物処理・リサイクル、10.屋外展示、である。イベントの沿革のためか、展示は廃棄物処理関連の6、7、9で全体の半分を占めているが、環境関連の技術を鳥瞰するには良い機会である。

 イベントを見た感想。同じようなことをやっている会社が多いんだな、というのが率直なところである。例えば廃棄物処理でいうと、廃棄物を粉砕する、乾燥や微生物などを用いて廃棄物の量を減らす、といった機械を作っている会社がごまんとある。展示を見る限りではどれも大差ないように思えるが、それは私が技術に疎いせいで、きっと各々特徴というか、何かウリがあるのだろう。時折、意を決して(?)質問し話を聞くと、どれも素晴らしい技術、機械のように思える。

 が、しかし、環境ビジネスの難しさというか、そもそも画期的な技術、オールマイティな技術などないのかもしれない。もしあればこれだけ多くの会社が乱立することはないはずだ。処理物の量や内容・成分などの条件に応じて適した技術や機械があるのだろう。A工場には効果があってもB工場では役に立たない、あるいは同じA工場でも処理物に変動があるため特定の機械だけでは対応できない、など。だからこそ多くの会社で棲み分けが可能になっているのだと思う。

 ところで、残念ながら廃棄物処理など環境対策は企業が積極的にお金を掛ける分野ではない。品質や生産性の向上といった収益に直接貢献するものにはお金を掛けても、環境対策は純粋なコストであり、必要最小限に抑えたいというのが企業の本音。いきおい環境関連のビジネスは価格競争に陥りやすい。技術に差がなければ尚のことである。とすると薄利多売の会社が残るのか、体力の強い会社が残るのか、のどちらかである。いずれにしろ、あまり儲かるビジネスとは言えない。
 企業が環境対策に進んで資金を投じる、消費者は環境にやさしい商品であれば高く買う、といった状況にならない限り、今回の552社の内、何社が5年後、10年後に生き残っているだろうか。良い悪いは別として、これが環境ビジネスの現実ではないかと思いながら、会場を後にした。

食の安全について

2006-05-09 23:59:00 | 環境を考える
 妻は日本に鶏肉が無いといふ、
 ほんとの鶏肉が食べたいといふ。
 私は驚いて大山地鶏を食べてみる。
 口の中に広がるのは、
 まぎれも無い
 むかしなじみのおいしい鶏肉だ。
 豊かな自然の中で育った鶏の肉は
 弾力に富み、味わい深い。
 妻は遠くを見ながら言ふ。
 幼い頃過ごしたルーマニアで
 毎日食べたあの鶏肉が
 妻のほんとの鶏肉だといふ。
 あどけない食べ物の話である。

と、今日はお遊びで『智恵子抄』の詩を真似て始めてみた。「三つ子の魂百まで」ではないが、小さい頃の食事の記憶というのは、ずっと続くのかもしれない。確かに、北海道育ちの私は、ふかしたじゃがいもが苦手だ。きっと子供の頃たくさん食べさせられた、嫌なイメージが残っているからだろう。

 昨年7月、「食育基本法」が施行された。「国民が生涯にわたって健全な心身を培い豊かな人間性を育むことができるよう食育に関する施策を総合的かつ計画的に進めることを目的」としている。食の洋風化と生活習慣病の増加、個食・孤食の増加、食の安全問題、食料自給率の低下などの問題意識の下、食育への取り組みが重要と考えられたのであった。
 中には、最近きれる子供が増えているのは食生活の乱れが一因だと言い、その点から食育の必要性を説く人までいるようだ。

 環境との係わりでは、食の安全が一番の問題だ。食品添加物や農薬、それに遺伝子組み換え食品。試しにインターネットで“食の安全”を検索してみたら、なんと1,360,000件もヒットした。それだけ人々の関心が高いということである。
 日本人は概して、良くも悪くも、声の大きな人間が一言叫ぶと皆それに追従するきらいがあり、その意味でわが国の食品は世界的にみて安全な方なのだと思う。が、しかし、日本の食品自給率はわずか40%に過ぎない。つまり、その60%を海外からの輸入に頼っているのである。これは、スーパーで肉や魚の産地表示を見ると外国産の物が多いことや、BSE問題によりアメリカからの牛肉輸入がストップしたために牛丼が姿を消したことなどからも実感できるだろう。

 さて、ここで採るべき道は二つ。極力食べ物の安全には注意しながら、(1)多少人体に悪い物を食べているかもしれないが、気にしてもしょうがないと割り切って食べる、(2)更に細心の注意を払い、多少でも疑わしき物は排除する、つまり食べない。
 以前、こんなことを言うお医者さんがいた。「よく、やれ酒は体に良くない、タバコは毒だ、止めた方が良いといったことを聞きますが、あれは嘘だと思います。多少は癌の発症率に影響あるかもしれませんが、無理に止めようとしてストレスを溜める方がずっと体に悪い。ストレスが体にとって一番悪いんです。」私は彼に従い、こと食と酒に関しては、大らかに生きている。
(これじゃあ食育にならないって、すみません。)

“アースデイ”に想う

2006-04-25 23:57:00 | 環境を考える
 先週の土曜日4月22日は“アースデイ”、1970年にアメリカで始まった、地球環境について皆で考えようという日だ。米国は勿論、日本各地でも自然に親しんだり、環境問題を考えるイベントが行われている。因みにブッシュ大統領はカリフォリニアの自然の中でマウンテンバイクを楽しんだそうだ。

 この1970年というのは、まだまだ環境問題に対する意識の低かった頃だ。レイチェル・カーソンの『沈黙の春』は1962年に出版されたもののさほど注目されず、ローマ・クラブの『成長の限界』(1972年)はまだ出版されていない、そして日本では公害問題が深刻化していた、そんな時代である。
 こんな中、環境問題に高い関心を持っていたウィスコンシン州のネルソン上院議員が、スタンフォード大学の学生デニス・ヘイズに協力を呼び掛け、アースデイのイベントが実現した。延べ2000万人以上の人が参加した大イベントになったそうである。アースデイをきっかけにアメリカでは環境問題への関心が高まり、環境保護庁(EPA)設置や大気浄化法、水質浄化法など環境法が整備されるに至った。

 さて、今年のアースデイ、肝心の地球環境を巡る状況はあまり穏やかとはいえない。原油価格は、先週1バレル$75を突破するなど、高騰が続いている。経済原則からすれば、価格が上がると原油の需要は減るはずだが、現実はその逆である。各国の原油依存体質は変わらないし、中国の需要が急速に拡大しているからである。一方価格は、イランの核問題やナイジェリアの政情不安から供給が減少し、更には投機的な動きも加わって、大きく上昇している。残念ながら、この原油価格高止まりの構造は当分変わりそうにない。

 本来、原油価格高騰は代替エネルギーの利用促進に繋がるはずだが、原油を使う前提で成り立っている世の中では、そう簡単に進んでいない。例えば、以前紹介したガソリンに代わるエタノール。ブラジルでは普及が進んでいるが、アメリカではまだまだこれからだ。エタノールを補給できるスタンドは全米で数百箇所しかない。エタノールに対応するには、タンクなど新たな設備投資、即ち資金負担が必要だからである。
 ガソリン車の代替には燃料電池車や水素自動車もある。だが、水素の製造コストは天然ガスの2倍近くと高く、更に製造過程でかなりの二酸化炭素を排出するという問題がある。確かに水素自動車が走る際は二酸化炭素を排出しないものの、それは完全にクリーンとは言えない。

 原油価格高騰だけでは代替エネルギーの利用拡大に不十分であるなら、石油や石炭など化石燃料の利用に高い税金をかけるしかない。勿論それは日本だけでなく、アメリカや中国でも行う必要がある。しかし、ガソリン価格が今以上に上がるとアメリカで暴動が起きかねないし、中国は先進国のエゴだと非難するだろう。八方ふさがりだ。ここで一句。

 アースデイ ああアースデイ アースデイ

地球の悲鳴が聞こえるようだ。

黄砂が街にやって来る

2006-04-18 21:44:39 | 環境を考える
 東北地方から九州にかけ、中国大陸の砂が上空の偏西風に乗って日本に運ばれる黄砂が観測された。東京では6年ぶりだそうだ。都心では視界が通常の20~30キロから7キロまで下がり、東京タワーが霞んだとニュースになっていた。ビルの谷間にいるとあまり感じなかったが、どうやら東京もひどい事態になっていたらしい。

 もっともわが国への黄砂の影響は中国や韓国の比ではない。今回の黄砂、中国では北部10省、160万k㎡の範囲で2億人に影響が及んだという。北京では30万トンの黄砂が一面を覆い、またHaidian地区(どこ?)の視界はわずか400mまで落ちたらしい。まだ数日は影響が続くようだ。
 韓国は日本より中国に近い分、被害も大きい。もともと年間100数十名もの人が黄砂が原因で命を落とし、180万人が体調不良を訴えているという。ただし風向きの関係か、今回はあまり大きな影響はないようで、4/8の黄砂の方が深刻だったらしい。

 さて、この黄砂、原因はわかっているが、その影響はまだよく解明されていない。まず原因。中国のタクラマカン砂漠やゴビ砂漠、それに乾燥した黄土地帯で嵐により吹き上げられた多量の砂塵が、偏西風で中国国内は勿論、韓国や日本まで運ばれ、降下する。鉱物粒子が黄砂の正体だ。
 次に影響。一番わかりやすいのは黄砂による汚れ。これは一目瞭然。そして、日本ではあまりないと思うが、黄砂の量が多く粒子も大きい、中国や韓国などでは黄砂を吸い込むことによる健康被害も問題である。特に韓国では黄砂には中国の大気中の汚染物質が付着していると問題視されている。この黄砂に付着した汚染物質のわが国への影響は、まだよくわかっていない。

 しかし、悪い影響ばかりではないようだ。いずれも今後詳しい調査が待たれるものではあるが、酸性雨を中和する、温度上昇を緩和する、黄砂に含まれる鉄やリンなどのミネラル分が陸上では植物の、海上ではプランクトンの栄養になる、といった点も指摘されている。もっとも生態系への影響については定かではないが。

 ただ、この黄砂、二重の意味で人災であることには注意が必要だ。まずは砂漠の由来。昔、中国の人々が木を切り尽くしたことが、現在の黄砂の発生地、乾燥地帯を作ったのである。二つ目は中国での砂漠化が進み、黄砂が韓国や日本に降る回数が増加している点。中国の砂漠化は、過度の水の利用、大気や水質の汚染、酸性雨、それに森林破壊が原因と言われ、人災的側面が強い。
 中国には軍事費に掛ける膨大なお金を環境保護のためにもっと使って欲しい。ん、それは日本も同じか。財政赤字を抱える一方、自衛隊の装備にはお金掛けてますね。ついでにアメリカへの思いやり予算もあるし。戦争も環境破壊もない世界がいい。

京都議定書の目標達成に向けて

2006-04-11 23:16:00 | 環境を考える
 最近よく“チーム・マイナス6%”のロゴを見る。6%とは京都議定書におけるわが国のCO2排出量削減の目標である。ところが、実際には6%減らすだけでは目標達成に届かない。今の試算では目標達成のためCO2の排出量を12%削減することが必要だとされる。
 これは既にスタート地点が高くなっているからである。即ち、削減の基準となる1990年のCO2排出量は1,237百万トン、これに対し足下の排出量は1,300百万トンを超え、なんと8%以上も増加している。よって2010年に1,163百万トンという目標達成には14%の削減が必要であり、現行対策で2%の削減を見込むほか、新たな対策で12%の削減が必要との計算になる。
 この12%を、省エネや新エネルギー、代替フロン対策等で6.5%削減、森林吸収源で3.9%削減、そして残る1.6%を京都メカニズムで削減、というのが政府の計画である。

 最初の二つは何となくわかると思うが、最後の一つ「京都メカニズム」は説明が必要だろう。「京都メカニズム」とは、京都議定書で定められたCO2排出量削減のための仕組みであり、①共同実施(JI)、②クリーン開発メカニズム(CDM)、③排出量取引(ET)の三つからなる。
 JIとCDMは、協同でCO2排出量削減のためのプロジェクトを行い、その効果を資金や技術を援助した国とプロジェクト実施国とで分け合う、というものである。JIは先進国(主にEU)による他の先進国(主に東欧諸国)への支援、CDMは先進国(元々はアメリカ)による発展途上国(主に中南米)への支援、を想定したものであった。三つ目のETは目標を達成できなかった国が達成した国から余裕枠を買い取るというもので、これはロシアを参加させるためのインセンティブだったとも言われている。

 さて、京都議定書の不備については種々指摘されている。その最たるものは、米国(CO2排出量1位)や、中国(同2位)・インド(同5位)等発展途上国が対象になっていないという点である。現在の参加国の排出量は世界全体の3割程度に過ぎない。
 また、各国に課せられた削減目標が実態を反映していない点も問題と考えられる。例えば、ロシアのように91年のソ連崩壊による経済低迷からCO2排出量が減少し既に目標を軽くクリアーしている国もある。一方、わが国のように既に世界最高水準の省エネを行っているにも拘わらず、更に大幅な削減を求められている国もある。
 これらは京都議定書が純粋な環境問題への対策の結果というより、政治上の駆け引き、妥協の産物だった結果であり、いずれも次の目標を考える際の課題といえる。

 再びわが国のCO2排出量削減計画に戻る。疑問が二つ。一つは計画の具体性、効果への疑問。文字通り、計画が絵に描いた餅で終わらず本当に出来るのかという疑問。乾いた雑巾を絞ることになるので、削減はかなり難しいと思われる。
 もう一つは「京都メカニズム」の地球全体の環境に対する効果について。日本が目標達成の面子にあくまで拘れば、最悪、それはお金で買うことができる。これが京都メカニズムの意味するところである。しかし、ロシアから排出権を買うのでは何の意味もない。つまり、上述のようにロシアの排出権にはCO2排出量削減の裏付けがないので、日本が目標オーバー相当をロシアから買う事態になれば、その分地球全体のCO2排出量は増加してしまう。又、発展途上国での新設プロジェクトへの投資はCO2排出量抑制にはなっても削減にはならない。したがって、京都メカニズム自体、単なる辻褄あわせの仕組みに思える。

 京都議定書の問題ばかり書いてしまったが、私は世界の国々が地球環境について考える、その最初の一歩としては意義があると考えている。わが国のハードルは極めて高いが、一人一人が省エネを心がけ、真に地球全体でのCO2排出量削減に繋がる形で目標達成に近づけると良い。
 まずは自分に出来ることから始めよう。例えば会社で残業せず冷暖房の電力削減に協力するなど。あれ、それなら昔からやっているって?

今、沖縄があつい ~ さとうきびをバイオ燃料に

2006-04-04 22:56:29 | 環境を考える
 "あつい"といっても、勿論気温の話ではない。さとうきびから作る自動車燃料、バイオエタノールの話だ。
 今、バイオエタノールは地球にやさしいバイオマス燃料として注目されている。バイオマスとは動植物から生まれた再生可能な有機性資源であり、家畜排泄物、生ゴミ、木屑、もみがらなどがある。わが国は総エネルギーの1%程度しかバイオマスエネルギーを利用しておらず、その比率は欧米諸国の1/2、1/3に過ぎない。地球温暖化防止、CO2排出防止のため、バイオマスの利用拡大が求められている。

 さとうきびといえば、やはり沖縄。海外とのコスト差から年々生産量は減っているが、依然として沖縄を代表する農作物である。バイオエタノールはさとうきびの搾り汁から砂糖を取り、残った糖蜜を発酵、蒸留して作られる。現在実用化に向け、宮古島:石油卸会社、伊江島:ビール会社、の2箇所で実験、研究が進められている。市や村の公用車が、ガソリンにエタノールを3%混合させた燃料E3を使って走っているそうである。因みにこの3%というのは現在わが国の法律で認められた混合比の上限である。

 このようにまだまだ実験段階であるわが国に対し、さとうきびの一大生産国であるブラジルでのバイオエタノールの普及は著しい。ガソリンに20~25%のエタノールを混ぜることが義務付けられ、さらに100%エタノールで走る車まである。
 又、トウモロコシからエタノールを作るアメリカや、EUでもエタノール混合比の数値目標が設定され、その普及が促進されている。もっともアメリカの場合、ハイブリッド車の開発に遅れた自国の自動車メーカーを支援する意味で力を入れている面もあるようだ。エタノール専用のエンジンではGMなどに一日の長がある。というか、日本の自動車メーカーは今まではエタノール・カーにまったく関心がなかったのである。

 こうした中、この1月、石油連盟は2010年度を目処にガソリン需要量の2割に、バイオエタノールを原料とする添加剤ETBEを3%混ぜるとの方針を打ち出した。日本も漸くこれで欧米に一歩近づく。
 が、しかし、ちょっと待って。このバイオエタノールって、どこから来るの? 残念ながら、エタノール年間36万キロリットルは国産ではなくブラジルからの輸入だ。ということは輸送に燃料、それも化石燃料を使う。ETBEは日本で作るのだろうが、それに要するエネルギーは? などと考えると、無理してエタノールを混ぜる必要はあるのかなと思う。いったい、どちらが地球環境にやさしいのだろう?

中国に期待すること

2006-03-28 18:20:27 | 環境を考える
 今週は中国の環境問題について書くと言ったが、正直言って途方に暮れている。何から書けば良いのだろう。
 中国の大気や水質の汚染は、まさに危機的状況にあると言わざるを得ない。昨年の終り、大気汚染が原因で中国では年間40万人が死亡とのニュースがあった。砂漠化や水不足も深刻である。又、中国に起因する酸性雨や黄砂など、わが国への影響も年々増大している。
 新5ヵ年計画策定にあたり温首相が環境問題への懸念を表明し、エネルギー消費20%削減や、窒素酸化物(NOx)・硫黄酸化物(SOx)など主要な汚染物質の排出総量10%削減などの目標を示した。先週書いた通り、成長を優先し環境対策の実効性に疑問は残るが、その強力な推進を今度こそ期待したい。

 中国の環境問題の全貌を書く知識も能力もないので、今日は私の個人的な経験から環境問題を考えてみたい。
 初めて中国に行ったのは93年。北京、上海、香港と回った。以後、中国には、主に仕事だが、10回以上行っている。私が環境問題に関心を持ったきっかけは、実はこの中国との係わりである。

 93年当時は北京や上海ですら自動車が少なかった。それもタクシーがほとんどで一般の車は極めて稀だ。その代わり、大通りを自転車が5重、6重になって走っていた。今の中国のひどい車の渋滞からはまったく想像できない。空気も澄んでいた。又、街中に限らず、全体に緑が少ないとの印象を受けた。聞けば、昔から木という木は燃料にと悉く切って来たから、その影響だと言う。

 その後、90年代の終り、中国の石炭火力発電所の脱硫装置に関するプロジェクトのお手伝いをしたことがある。中国は石油とともに大量の石炭を一次エネルギーとして使っている。硫黄分の多い石炭を使う発電所も数多くあるが、脱硫装置を付けている発電所は少ない。脱硫装置自体の費用のほか、消耗品やメンテなど運転に掛かる費用もばかにならない。脱硫装置があってもなくても当然電力価格は変わらない。であれば、そんな装置は要らないということになる。
 電力不足の中国で電力会社の力は強い。地方政府や共産党との結び付きも強いかもしれない。煙突からもうもうと上る排煙はいわば成長の印であり、誰も硫黄酸化物の量など気にしない。電力量の確保という大命題を前に、環境問題などは二の次、三の次なのである。おそらく今もそれは変わらないであろう。

 大気汚染が原因で40万人もの人が死亡しているという現実を前にしても、中国は変わらないのであろうか。全体から、13億人から見ればごく一部、取るに足りない数字とでも言うのだろうか。過去の歴史認識、あるいは中華民族としてのプライドが問題なのかもしれないが、そんな悠長な事態ではない、中国には是非日本を見習って、いや日本と協力して環境問題に取り組んで欲しい。

利己主義が中国の環境問題の原因か?

2006-03-21 23:30:00 | 環境を考える
 学生時代、中国史の授業を取っていた。先生は客家が専門のようであったが、フリーメーソンからマクロエンジニアリングまで、まったく中国と関係のない話も多かった。大学の先生って、好き勝手やって結構いい商売だな、と思ったりもした。
 しかし、先生の話はおもしろく、経済学部の私は半ば趣味で授業に出ていた。百人近い学生が受講していたと思うが、実際に授業に出る者は少ない。多くて10人、下手をすると4、5人というのもざらで、そんなとき先生は皆を近くの喫茶店に連れて行き、そこで授業、というか話をした。のどかな時代である。

 そんな喫茶店の授業の中で、今でもはっきり覚えている先生との会話がある。

「中国人はとても利己主義な民族です。例えば、昼間万里の長城を作っている人間が、夜になって誰もいなくなると、昼間作った長城を壊して煉瓦をはずし、それで自分の家を作る。皆、そんなことを平気でやっていたのです。」
「そんな利己主義な中国人と共産主義は相容れないように思うのですが・・・・」と、僕。まだ、ベルリンの壁があって、ロシアがまだソ連だった頃の話である。
「あれは無理だね。国民性にまったく会っていない。いずれ崩れるだろう。」

 20年以上経った今でも中国の共産主義は一応続いている。そして中国人の利己主義は変わっていない。中国の環境問題を見ているとそう思わざるを得ない。

「国土の1/3が酸性雨を浴びる」、「主要水系の2/5は使用に耐えない」、「3億人以上の農民が安全な水を飲めない」、「4億人以上の都市住民が汚染した空気を吸っている」といった記事が、最近中国の雑誌に出たそうである。又、化学工場爆発によりアムール川が汚染される恐れとか、広東省でカドミウムによる河川汚染発覚、といったニュースなども記憶に新しい。

 中国の環境問題については次回で詳しく見て行くことにするが、今回はまずその対策について考えることにしたい。

 中国の環境問題が深刻なことは皆さんご存知のことと思うが、中には「中国は成長重視で環境を軽視してきたから、環境規制がないか、あっても極めて緩いのだろう」と言う方がいらっしゃるかもしれない。とんでもない。中国には立派な、厳しい環境規制が存在する。ただ、ほとんどの企業や個人が守っていないだけである。
 自分さえ良ければそれでいいのであろう。罰則があっても企業と地方との力関係で強制できない、ひどい場合は賄賂で済ませる、といったことが今でもまかり通っているようだ。

 翻って日本はどうか。かつては公害がひどかったが、今では公害対策や省資源の先進国である。私は、この両国の違いが、日本人は利己主義ではなく社会全体のことを考えているからだとか、日本人は道徳的に中国人より優れているからだとかは、まったく思わない。純粋に経済的な理由だと思う。つまり、何か問題を起こしたときの補償や信用問題等のコストと、公害対策のコストを比較すれば、前者の方が高いというだけである。

 よって中国に前者のコストを高くすることを望む。第一に規制の実効性を高めること。有名無実の法律では誰も従わない。地方の力に限界があるのなら、中央による取り締まりをもっと強化すべきだろう。第二に情報公開である。今の中国では事故や問題が発生しても、それが力のある企業であればなおさら、情報が外に出ない。先のアムール川のケースもロシアの指摘があって、漸く中国は認めたのである。事故の内容やその影響を内外にきちんと知らしめて欲しい。一方、かつて日本がやったように企業の公害対策に対し補助金や税制面の優遇を与えることで後者のコストを下げる方法もある。
 中国政府は、公害対策を行わない企業、あるいは非効率な生産で公害の原因となっている企業を市場から退出させるとともに、それに伴う社会的コストについて覚悟すべきである。断固たる対応を期待したい。