縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

ポルトのマリア(ポルトガル紀行3)

2015-12-21 22:26:41 | もう一度行きたい
 さて、今日はファティマの聖母マリアではなく、ポルトのマリアの話である。

 “ポルト”と聞いてすぐにピンとくる方は、ワイン好きの方か、大のサッカー・ファンのどちらかだろう。それ以外の方は、どこの国にあるかさえ怪しいのではないかと思う。ポルトはポルトガル北部にあり、ポートワインの産地として、あるいはサッカーの強豪クラブ・FCポルトの本拠地として有名な都市である。
 また、ポルトガルの国名はポルトに由来する等、ポルトは大変歴史のある街である。旧市街地は1996年に「ポルト歴史地区」として世界遺産に登録されている。最近はLCCの普及により、英・独・仏などからの観光客が増えているそうだ。

 ポルトは小さな街なので主な観光名所は歩いて回れる。大聖堂、グレリゴス教会などの歴史ある建物、ドウロ川に架かる鉄橋、ドン・ルイス1世橋、アズレージョ(タイル画)で有名なサン・ベント駅、ハリー・ポッターの撮影に使われた、世界で最も美しい本屋の1つといわれるレロ・イ・イルマオン(なんと本屋なのに入場料を取られる!)など、見どころは多い。そしてワイン好きにはドウロ川の対岸にあるポートワインのワイナリー巡りも楽しい。

 海外に行ったとき、レストラン探しに“トリップ・アドバイザー”のサイトをよく見る。ガイドブックも良いが、情報が古かったり、味よりもただ老舗/有名といった店が多かったりするからだ。
 パソコンで調べると、はえあるポルトのレストラン・ランキング第1位は『Bacchus Vini』というワイン・バーだった。ドウロ川沿いのレストランやバーの集まったエリアにある。ドン・ルイス1世橋の近くだし、眺めも良いだろう。よし、これは行くしかない。
 
 予想に反し、『Bacchus Vini』は目立たない、カフェというか、日本の喫茶店、そうドトールのような店だった。これが1位? と一抹の不安を感じたものの、来たからにはワインを飲まないわけには行かない。メニューを見ると、ポルトガル・ワインのテイスティング・セットがいろいろある。うーん、少しずついろんなワインを飲みたい観光客にはぴったり。これが 1位の理由の一つなのだろう。僕らはポルトガル白ワイン 5杯セット(レゼルバ=ちょっと高めのセット)を頼んだ。

 しかし、本当の1位の理由は、オーナーのマリアだった。マリアはまだ若い(確か25歳?)が、ワインの知識が豊富。飲んでいるワインは勿論、ポートワインのことを聞いても、親切に教えてくれる。若さからくる一生懸命さというか情熱が、ひしひしと伝わってくる。彼女は語学が堪能。ポルトガル語は勿論、スペイン語、英語、フランス語、ドイツ語等多くの外国語を話せるようだ。これも観光客に愛される理由なのだろう。
 マリアにトリップ・アドバイザーの話をすると、やはり彼女も順位をチェックしていた。なんと 1位になったのは昨日が初めてとのこと。が、今日は 4位に下がったと残念がっていた。彼女の話とワインを楽しんだ僕らは、翌日彼女お勧めのポートワインの酒蔵テイラーズを訪れ、夜、また『Bacchus Vini』にお邪魔した。今度はポートワイン 6杯セットを注文し、ポートワインの種類の違いを心ゆくまで味わったのだった。

 できて間もないドトールのような店を、1,000軒を超すポルトのレストランのトップにしたマリア。なにも奇跡ではなく彼女の努力の賜物である。天は自ら助くる者を助く。マリアという名前もあり、努力するマリアには神のご加護もあるのだろう。年とともに日々怠惰になっている自分が恥ずかしい。

“ベターハーフ”の本当の意味は?

2015-12-14 22:25:22 | 最近思うこと
 クリスマスが近いことだし、たまにはロマンチックな話を。

 ベターハーフ(better half)の語源というか由来をご存知ですか。
 これは僕が勝手に信じ込んでいるのですが、それはプラトンの『饗宴』ではないかと思います。ソクラテスが宴の席で居合わせた詩人や医師らと愛について語ったときの話です。

 その中でアリストパーネスという詩人がこんな話をしました。

 むかしむかし、人間は今の形ではなく、二つの体がくっついた、つまり二人一組だったのです。その組み合わせは、男と女、男と男、女と女の3通り。ところが、知恵を持ち、力を持った人間は次第に生意気になり、神様に反抗するようになりました。怒った神様は、人間の力を削ぐため、人間を二つに分け、今の形にしたというのです。
 そのため人間は、かつての片割れ、もう半分を求め、常に一緒にいたいと想うようになりました。それが愛です。男と女のペアであったものは異性を、男と男、女と女のペアは各々同性を好きになる。これは古代ギリシアの話なので同性愛もタブーではありません(ご関心のある方は、『欧米の首脳がソチの開会式を欠席する理由』(2014/ 2/ 3)をご覧ください)。

 僕が『饗宴』を読んだのは純粋な高校生の頃。「そうか、人は完全な姿を取り戻すために恋をする。自分探しというか、もう半分の自分をずっと探し求める。それが愛なんだ。」などと思ったことを覚えています。
 同時に「完全になるためのもう半分、自分のより良いもう半分だから better half なのか。」と妙に納得したことを覚えています。

 このアリストパーネスの話は後でソクラテスに論破されてしまうのですが、不思議と記憶に残っていました。肝心のソクラテスの話はすぐ忘れて、もとい、初めからよく理解できなかった気がしますが・・・。
 
 しかし、改めて英和辞典をみると、better half の原義は「自分の存在の大半を占めるほど親しい人」とあります。そう better には「より良い」のほか「より多い」との意味もあるのです。もっともこの場合も、“もう半分・片割れ”ではないものの、それだけ大切な人であることに変わりはありません。

 最後に、これは俗説ですが、betterを「より多い」の方で解釈し、better half を“半分以上お金を取る人”とする説もあります。つまり、自分が稼いだお金の大半を取る人 = 妻、というものです。確かに better half は通常妻を指す言葉です。妻が夫を better half というのは稀です。

 とすると、最後のが一番説得力ある気がしますが、みなさんはどう思いますか?
 (あれ、なんだかな~、全然ロマンチックな話じゃないな。)

藤田嗣治と戦争画

2015-12-09 22:53:17 | 芸術をひとかけら
 昨日、辻井信行のピアノ・リサイタルに行って来た。テレビ東京の『美の巨人たち』という番組の15周年記念スペシャルコンサートに運良く行くことができたのである。

 この番組は土曜の夜10時からの放送。毎回一つの絵画や彫刻などの美術作品を取り上げ、単なる作品の紹介に止まらず、時代背景や作者の制作の動機、想いまで、作品を掘り下げて紹介する番組である。地味な番組だし、おそらく視聴率もあまり高くない(失礼)と思うが、よく15年も続いたものである。番組のスポンサー(当初はエプソン、今はキリン)に敬意を表したい。

 ところで、今、藤田嗣治(ふじた つぐはる)がちょっとしたマイブーム。勿論、彼の作品を買うお金などない。先月映画『FOUJITA』を観て、先週『美の巨人たち』で彼の『寝室の裸婦キキ』の放送を観たのである。
 藤田といえば、20世紀前半のエコール・ド・パリを代表する画家である。女性と猫を好んで描き、彼にしか出せない「乳白色の肌」はフランスで大絶賛された。日本画のような輪郭線に、透明感のある女性の肌。こうした彼独自の技法、作品は、あのピカソにも称賛されたという。

 が、僕は、彼の作品よりも彼の人生に興味がある。

 藤田は1886年生まれ。父親は陸軍軍医。彼は東京美術学校で絵を学び、1913年にフランスに渡った。第二次世界大戦でパリが陥落するまでの30年近く、主にパリで過ごした。
 1920年代、第一次世界大戦後の好景気に沸くパリ、狂乱の時代。藤田は、毎夜繰り返される乱痴気騒ぎの中、その渦の中心にいた。もっとも彼は酒が飲めず、日本人である自分がパリで受け入れられるため、意図的にバカを演じていたらしい。彼の計算通り、彼は時代の寵児ともてはやされた。

 昨年、僕は東京国立近代美術館で偶然彼の『アッツ島玉砕』を観た。そう、太平洋戦争中、藤田は「戦争画」を描いていたのである。戦後、彼は罪にこそ問われなかったが、画壇から戦争協力を強く非難され、ついには再度パリへと移住した。後にフランス国籍を取り、彼は生涯日本に戻らなかった。

 藤田はどのような気持ちで戦争画を描いたのだろう。彼の描いた『アッツ島玉砕』や『サイパン島同胞臣節を全うす』(同じく東京国立近代美術館所蔵)は、いずれも戦意高揚には程遠い絵だ。戦争の悲惨さ、あるいは人間の死そのものが描かれている。そこには「乳白色の肌」はなく、あるのはただ暗い色彩のみ。
 こうした絵は、本土決戦・1億総玉砕を唱えていた軍部の要請により、ある種のプロパガンダとして描かれたのであろう。彼自身、「国のために戦う一兵卒と同じ心境で描いた」と後に記している。即ち、日本国民として、画家として、義務を果たしただけなのである。また、フランスで成功を収めたものの日本では無視され続けていた藤田には、日本の画壇、さらには日本社会に認められたいとの想いもあったのかもしれない。

 しかし、パリで自由を謳歌した藤田、第一次世界大戦下のパリで戦争の恐怖、悲惨さを感じたであろう藤田に、心の葛藤はなかったのだろうか。
 映画『FOUJITA』では、戦争画を描く藤田の気持ち、内面はあまり触れられていなかった。『美の巨人たち』は『寝室の裸婦キキ』がテーマであり、話題はもっぱら「乳白色の肌」。『美の巨人たち』には末永く番組を続けて頂き、今度は是非藤田の内面に踏み込んだ番組をお願いしたい。