縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

JourneyでJOURNEY ~ マカオでJOURNEYのコンサートに

2009-03-29 21:11:34 | 芸術をひとかけら
 マカオでJOURNEYのコンサートに行ってきた。別に僕はJOURNEYのファンではない。単なる偶然。もっとも妻に言わせるとまさに“運命的出会い”らしいが・・・・。

 この3連休+1日で香港とマカオに行って来た。たまたま行った「ヴェネチアン・マカオ・リゾート」で、これまた偶然、もとい運命の如く、妻が一つのポスターを見つけたのである。
 「へぇ~、JOURNEYが来るんだ。いつ?3月20日? えっ、今日じゃない!」
ダメもとで聞いてみたところ、VIPシートとA席は売り切れだが、B席とC席は若干空きがあるとのこと。かくして、その日の晩、我々はJOURNEYのコンサートに行くことになったのである。

 JOURNEYとは1973年に結成されたアメリカのロック・バンドである。80年代の前半が最盛期だった。僕はJOURNEYのことを知っていたが、万人受けを狙った女子供の聞く音楽だと決めつけ、ほとんど聞いたことがなかった(注:僕も当時は子供でした・・・・。若気の至りです、すみません)。
 妻はヴォーカルのSteve Perry が好きで、彼のソロ・アルバムも聴いていたらしい。ちょっとしゃがれた彼の高い声が、とても味わいがあって良いという。
 90年代以降、JOURNEYは時代の流れに加えSteve Perryの脱退もあり、鳴かず飛ばずの状態が続いていた。一時は活動を休止していたこともあったようだ。が、1年半ほど前、ヴォーカルにフィリピン人の Arnel Pineda を加え、積極的な活動を再開している。今月初めには日本にも来ているし、今回のマカオもその世界ツアーの一環なのだろう。

 さて、最後にコンサートを観た率直な印象を二つ(音楽的な話ではありません、あしからず)。

 まずは観客のこと。観客は大きく二つに分かれていた気がする。一つは昔のJOURNEYが好きな欧米人、もう一つはArnel加入後JOURNEYが好きになったフィリピン人である。前者は古い曲のノリが良いが、後者はArnelそのものや新しい曲へのノリが良い。このコントラストがおもしろかった。香港にはフィリピン人メイドが大変多いが、男性も随分出稼ぎに来ているのだろう。
 彼らにとって、アメリカいや世界で有名なJOURNEYにフィリピン人が参加する、それもヴォーカルを務めるなど、夢のような話に違いない。Arnelはフィリピン人の誇り、自慢、あるいは夢であろう。我々の泊まっていたホテルのボーイ(どうもフィリピン人らしい)にJOURNEYのコンサートに行くと言ったら、彼はとても羨ましそうな顔をしていた。そして、Arnelの声がSteve Perryにそっくりだったので彼がオーディションで選ばれたのだと教えてくれた。

 次にArnelのこと。確かに彼の声はSteve Perryにそっくりだと妻は言う。ともに声は高いが、ArnelはSteveのように声がしゃがれておらず、伸びの良い、通る声だと言っていた。まあ、どちらが良いかは好みの問題であろう。
 で、僕の印象。実は、彼のステージを見ていると次第に痛ましい気がしてきた。バンドで彼だけ浮いている。他のメンバーはただ淡々と演奏しているのに、彼だけやたら飛び跳ねたり、舞台を走り回ったり、マイクを放り投げたりしている。おまけにバンドのメンバーは皆背が高いのに彼だけ小柄だ。東洋人としては普通かもしれないが、長身のメンバーと並ぶと優に30センチ以上の差がある。大男の中で一人はしゃぐ彼が、僕は哀しかった。

「まるで猿回しの猿だ。」僕は思った。「そんなに無理しなくて良いのに。」

 が、待てよ。Steveに声が似ていると彼が選ばれたのなら、おそらくステージの立ち振る舞い、アクションもSteveを真似るよう強制されているに違いない。Steveのビデオを見せられ、彼の一挙手一投足を覚えこまされたのかもしれない。それこそ、この曲のときは間奏でジャンプする、大きく足を振り上げる、台を駆け登るなど、契約に事細かに謳われているのかもしれない。
 一人浮かれてはしゃいでいるのではなく、彼も仕事で仕方なくやっているんだ。そう思うと少し気が楽になった。

 しかし、もしそれが本当なら、やっぱり猿回しの猿と変わらない気が・・・・。

燃えるゴミか、燃えないゴミか、それって問題?

2009-03-15 23:18:19 | 環境を考える
 4月1日から中央区でプラスチック製容器包装の資源回収が始まる。汚れのない(あるいは軽くすすいだ)プラスチックを、新聞紙やびん・缶と同じように分別して出せば、区がゴミとしてではなく資源として回収してくれるのである。
 有り難い話ではあるが、また手間が増える。まず資源かゴミかの判断が必要になる。つまり、プラマークが付いているか否か、付いていたときは資源として出せるほど汚れていないかをチェックしないといけない。併せてゴミ箱(資源箱?)をもう一つ用意しないといけない。ドイツほどではないが、分別がなかなか複雑になってきた。
 またゴミ出しの回数が増える。僕の所は、月曜は燃やさないゴミ、水曜と土曜は燃やすゴミ、木曜は新聞・缶等、そして金曜がプラスチックの日となる。ゴミ出しも会社と同じ週休2日だ。やれやれ。これは「面倒くさいと思うなら、そもそもゴミを出すな、減らせ」という意味だろうか。更にゴミの量を減らすべく、ゴミ収集が有料化される日もそう遠くはないだろう。

 以前プラスチックは燃やさずに埋め立てていた。プラスチックは燃やすと高温になり焼却炉を傷めるからだ。それにプラスチックを燃やすとダイオキシンが発生するとの問題もあった。このためプラスチックは“不燃ゴミ”だったのである。それが埋立地の不足と、ダイオキシンが発生しないよう焼却炉の改善が進んだことから、プラスチックを燃やす自治体が増えてきたのである。
 が、ただ燃やすだけではもったいない。プラスチックをもっと資源として利用しよう、というのが今回の変更である。

 実は僕も知らなかったが、日本の廃プラスチックの有効利用率は意外に高い。2007年で73%。廃プラスチックの排出量994万トンに対し有効利用量722万トンとなっている。もっとも1995年の有効利用率は僅か25%に過ぎず、プラスチックのリサイクルは近年急速に進んできたのである。これはサーマルリサイクルの増加、つまり廃プラスチックを燃やしてエネルギーを回収するのが増えたからだ。サーマルリサイクルによる廃プラスチックの利用は95年の126万トンから2007年には481万トンになった。現在サーマルリサイクルは廃プラスチックの有効利用の2/3を占めている。

 ちょっと待てよ、中央区でプラスチックが可燃ゴミになったのは去年の4月だった気が。おそらく他の自治体もそれほど変わらない時期に変更した、あるいは未だに不燃ゴミの自治体もあるかもしれない。にもかかわらず、なぜ90年代後半以降サーマルリサイクルが急増したのだろうか。
 それは上述の通り焼却炉の改善によりダイオキシンの問題がクリアされ、可燃・不燃を問わず、ゴミを燃やす自治体が増えたからである。東京23区などその最たるものであり、随分前から不燃ゴミを燃やしていたようだ。勿論金属など燃え残るゴミはある。しかし、いったん不燃ゴミであろうがすべて燃やし、全体の嵩を減らした方が埋め立てに回す量が減って良いのである。もうダイオキシンは大丈夫だとはいえ、地元の住民感情を慮り、プラスチックは“不燃ゴミ”のままだったのであろう。

 裏を返せば、“地元の住民感情”がリサイクルを進めたといえる。つまり、自治体はプラスチックを燃やすことに一種後ろめたさを感じ、その緩和策として「ゴミを燃やして発電します」、「ゴミを燃やした熱を有効に利用します(温水プールや温室から給湯、冷暖房まで)」といった対策を講じてきたのだと思う。その結果としての廃プラ有効利用率向上である。

 しかし、しかしである。今の世の中、「プラスチックを分けたところで何になるんだ、実態は変わらないじゃないか」などと言っても始まらない。環境問題を理解してない奴、の一言で片付けられかねない。

 というわけで、4月から僕のゴミ出し休みは更に一日減るのであった。最近はやりのワーク・シェアリングは残念ながら我が家にはないのである。