縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

三陸にて ~ がんばろう東北!

2014-07-26 23:04:55 | もう一度行きたい
 このまえの3連休、三陸に行ってきた。漸く南三陸町に行くことができた。昨年、震災時に南三陸町志津川病院の医師だった菅野氏の講演を聞き、是非南三陸町に行きたいと思っていたのである(詳しくは 2013/6/30付『3・11 南三陸町』 をご覧ください)。
 南三陸、気仙沼、石巻、松島と回ってきた。いずれもリアス式海岸の風光明媚な観光と漁業の町である。が、震災のときはそれが災いした。入り組んだリアス式海岸は津波の行く手を狭め、津波を巨大化させたのである。津波は最大20mにも達したという。多くの建物が流され、そして多くの尊い命が失われた。
 実際に被災地を訪れ、3年半で漸くここまで回復したのかと思う反面、3年半でまだこれしか回復していないのかという複雑な思いがした。

 南三陸を訪れたのは初めて。このため震災前後の比較はできないが、志津川地区などは、正直、比較するまでもない状況であった。何もないのである。海に近い志津川地区は、津波の被害が特に大きかった。瓦礫とともに津波で壊された建物も撤去されている。4階まで水に浸かった志津川病院も既にない。今は、盛り土され、嵩上げされた空地が拡がるのみ。辺りで残っているのは、テレビでよく映されていた骨組みだけの防災対策庁舎と、震災遺構としての保存が検討されていた高野会館くらいだ。
 近くに「南三陸さんさん商店街」がある。観光客向けの食事やお土産、近隣の方の買い物、そしてお店をやっていた方の生活のため新たに設けられた仮設商店街である。そこの『志のや』さんで“キラキラ丼”を食べた。“キラキラ丼”は、南三陸町が町興しのために始めた、地元の新鮮な海産物を贅沢にのせた丼である。町内11店舗で提供されており、季節ごとに内容が変わる。今の時期はウニがメイン。ミョウバンを使わない生のウニは、味が濃く、本当に旨い。ウニは8月末までなので、お好きな方は是非それまでに。

 気仙沼は2度目。前回訪れたのは10年以上前だが、サメの博物館とフカヒレのお寿司を食べたことを覚えている。そして今回も、サメの博物館『シャークミュージアム』に行き、『大政』さんでフカヒレ寿司を堪能し、『海の市』で大いに買い物をした。
 この『シャークミュージアム』と『海の市』は魚市場に隣接、つまり港のすぐそばにあり、津波で大きな被害を受けた。ともに今年漸くリニューアルオープンに漕ぎ着けた。なんと、地元の飲食店や物販店の入る商業施設『海の市』は、我々の行った前日7/19オープン。これはもう買うしかない。食べるしかない。僕らに出来るのは精々そのくらいだから。

 今回、飲食店や語り部ガイドの方など被災地の方々と話をすると、皆、口々に「来てくれてありがたい。元気がもらえる。」とおっしゃる。が、僕は逆のような気がした。元気をもらっているのは僕らの方だと思ったのである。
 仮設の商店街の方にしろ、海沿いから新たに内陸に店を開いた『大政』さんにしろ、皆、昔とは違う場所で商売をやっていらっしゃる。震災、津波そして店の再興、ここまでのご苦労は我々の想像を絶するものだったに違いない。が、彼らは笑って、楽しそうに、そして一生懸命働いている。日頃生温い生活しかしていない自分としては本当に頭が下がる。
 人はどんなに厳しい、悲惨な状況にあろうとも、目標を、希望を持って生きて行けば、強くなれる。今回、そう被災地の方々に教えられた気がする。
 もちろん、大切な方や慣れ親しんだ家を失い、目標も希望も持てない方も数多くいらっしゃるだろう。そうした方々に僕ができることなど何もないかもしれないが、実際に現地を訪れ、その痛み、苦しみが少しわかった気がしたと伝えられたらいい。
 がんばろう東北!!

インドの悲しい現実 ~ レイプ問題について

2014-07-13 22:57:10 | 海外で今
 『女盗賊プーラン』という本がある。盗賊というと戦国時代とか中世のイメージがあるが、なんとこれは現代の話。盗賊団の首領から、1996年に国会議員になった女性、インドのプーラン・デーヴィーの自伝である。
 彼女の人生は壮絶である。彼女はカーストの最下層「シュードラ」の出身(もっともその下というかカースト制度の外側に「不可触民(アンタッチャブル、ダリット)」が存在する)。彼女は教育もろくに受けられず、11歳で嫁に出されるもそこで虐待され家に戻った。が、周りは冷たく、しまいには両親の目の前で男たちにレイプされた。警察は相手にしてくれない。そして彼女は盗賊団に入り、復讐に立ち上がるのであった。

 これだけでは彼女の人生の悲惨さ、あるいは不条理はなかなか伝わらないが、僕はこの本を読み、今の世の中でこんなことがあるのだと大きなショック、衝撃を受けたことを、10数年経った今でもはっきり覚えている。
 しかし、更に悲しいことに、インドのシュードラや不可触民の女性にとって、レイプや警察の無視は日常茶飯事なのである。殺されなかっただけ運が良かったのかもしれない。実際、最近もレイプの後に殺されて木に吊るされた、焼かれた等の記事をネットで見た。犯人たちは口封じのため殺すのが良いと考えているのだろうが、まったく極悪非道としか言いようがない。

 インドでレイプが多い理由は、カースト制度や強い男尊女卑にあると言われる。つまり、最下層カーストやそれ以下の者には何をしても構わない、たとえそれが犯罪であろうと警察も取り合わないという悲しい現実。一方男尊女卑については、女性を男性の付属物としか考えない風習がインドにはあるようだ。夫が死んで火葬されるとき妻も一緒に火に入るサティーという儀式・しきたりが最近まであった。今でも女性が結婚するにはダウリーという多額の持参金が必要である。一般に(男性に?)、女性は男性に逆らうべきではないと考えられているのだ。

 現在のインドではカーストによる差別は憲法で禁止されているが、悲しいかな、差別は厳然と続いている。もっともカースト制度と強く結び付いているヒンドゥー教がレイプなどの犯罪を勧めているわけでは勿論ない。しかし、現世への絶望や諦めが、こうした犯罪に繋がっているのではないだろうか。
 ヒンドゥー教は輪廻と因果応報を基本とする。つまり、人は、死後、天国に行くのでも地獄に行くのでもなく、生まれ変わる。そのとき何に生まれ変わるか、どのカーストに生まれ変わるかは、現世の行為、努力によって決まる。よって現在のカーストは前世の行為の結果であり、変えることは出来ず、甘んじて受けるしかない。これでは、今が最悪だ、これ以上悪くなることはないと考えたとき、その行為を止めるものがない。そんなことをしたら天国に行けないぞ、成仏できないぞ などと言ったところで、インド人の心にはまったく響かないのである。

 では、我々に何が出来るのだろう。インドに行って政府にレイプ問題への対応について抗議のデモをする時間もお金も僕にはないし、そもそも僕の貧弱な英語力では言いたいことの半分も伝わらないだろう。
 僕には、インドで何が起きているのかを知らせることしかできないが、それでも何もしないよりは良いと思い、ブログを書くことにした。