ポール・マッカートニーには聖母マリアがやって来て“Let it be.”(そのままで良いのよ。)と言ってくれたが、この主人公・多崎つくるには、聖母マリアの代わりに木元沙羅がやって来て「そのままにしていてはダメ。」と言う。
なぜ自分が仲間から突然拒絶されたのか、つくるはその理由と向き合わねばならないと沙羅は言うのである。かくして彼の巡礼の旅が始まった。
“巡礼”というと、四国八十八箇所やスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラが思い浮かぶが、ここでは特に宗教的な意味は無く、“自分探し”といった感じである。
つくるは高校時代の友人を訪ね、東京から地元・名古屋へ、さらにフィンランドへと旅をする。自分が拒絶された理由は案外あっさりわかるが、そこに次から次へと新たな疑問、謎が生じて来る。そして謎の多くは解決されない。正直、消化不良というか、欲求不満の残る内容であった。
タイトルに「色彩を持たない多崎つくる」とあるが、本当に彼に“色彩”はないのだろうか。
つくると沙羅以外の主な登場人物(高校時代の親友4人に加え、その後知り合う大学時代の友人や、その友人の父親が会ったという不思議なジャズ・ピアニスト)は、皆、名前に“色彩”を持っている。赤松、青海といった具合である。併せて、各々際立った個性も持っている。
高校時代、つくるは「目立った個性や特質を持ち合わせない」、つまり“色彩”のない自分が、なぜ4人の仲間に加えられているのかわからなかった。自分は周りの人間とは違うとおぼろげに感じながらも、それが何かはわからなかったし、自分がそのグループにいる意味、役割もわからなかった。
しかし、彼には何か特別な印(しるし)があるのだと思う。おそらく、あのジャズ・ピアニストのように選ばれた特殊な人間にしか見えない類のものであろう。このつくるの“色彩”に係る謎は解き明かされておらず、もしかすると次回作へと繋がって行くのかもしれない。
もう一つの大きな消化不良、欲求不満の原因は、その結末。えっ、ここで終わるんだ、という唐突感というか、裏切られた感は否めない。
村上春樹の小説では、生と死、あるいは正気と狂気が隣り合わせにあり、何かの拍子で(いや、それは必然の流れかもしれないが)違う側に変わってしまうことがよくある。そんな中、自分の世界を飄々と生きていた主人公は、大きな挫折、喪失感に傷つき、苦しみながらも、最後は女性への愛により救われる。安全な側に引き戻されるのである。
沙羅は、『ノルウェーの森』のレイコさんと緑(彼女も名前に“色彩”を持っている!)を合わせたような役割を担っている。そのため僕は彼女によってつくるが救われるのだと思う。それに「巡礼」の結果が“死”であっては、あまりに哀しい。
なぜ自分が仲間から突然拒絶されたのか、つくるはその理由と向き合わねばならないと沙羅は言うのである。かくして彼の巡礼の旅が始まった。
“巡礼”というと、四国八十八箇所やスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラが思い浮かぶが、ここでは特に宗教的な意味は無く、“自分探し”といった感じである。
つくるは高校時代の友人を訪ね、東京から地元・名古屋へ、さらにフィンランドへと旅をする。自分が拒絶された理由は案外あっさりわかるが、そこに次から次へと新たな疑問、謎が生じて来る。そして謎の多くは解決されない。正直、消化不良というか、欲求不満の残る内容であった。
タイトルに「色彩を持たない多崎つくる」とあるが、本当に彼に“色彩”はないのだろうか。
つくると沙羅以外の主な登場人物(高校時代の親友4人に加え、その後知り合う大学時代の友人や、その友人の父親が会ったという不思議なジャズ・ピアニスト)は、皆、名前に“色彩”を持っている。赤松、青海といった具合である。併せて、各々際立った個性も持っている。
高校時代、つくるは「目立った個性や特質を持ち合わせない」、つまり“色彩”のない自分が、なぜ4人の仲間に加えられているのかわからなかった。自分は周りの人間とは違うとおぼろげに感じながらも、それが何かはわからなかったし、自分がそのグループにいる意味、役割もわからなかった。
しかし、彼には何か特別な印(しるし)があるのだと思う。おそらく、あのジャズ・ピアニストのように選ばれた特殊な人間にしか見えない類のものであろう。このつくるの“色彩”に係る謎は解き明かされておらず、もしかすると次回作へと繋がって行くのかもしれない。
もう一つの大きな消化不良、欲求不満の原因は、その結末。えっ、ここで終わるんだ、という唐突感というか、裏切られた感は否めない。
村上春樹の小説では、生と死、あるいは正気と狂気が隣り合わせにあり、何かの拍子で(いや、それは必然の流れかもしれないが)違う側に変わってしまうことがよくある。そんな中、自分の世界を飄々と生きていた主人公は、大きな挫折、喪失感に傷つき、苦しみながらも、最後は女性への愛により救われる。安全な側に引き戻されるのである。
沙羅は、『ノルウェーの森』のレイコさんと緑(彼女も名前に“色彩”を持っている!)を合わせたような役割を担っている。そのため僕は彼女によってつくるが救われるのだと思う。それに「巡礼」の結果が“死”であっては、あまりに哀しい。