「帝力何有於我哉(帝力なんぞ我にあらんや)」
漢文の授業で習った方も多いと思うが、中国神話の帝、堯(ぎょう)にまつわる歌の一節である。
長年平和が続いているものの、人民が自分の治世に満足しているのか、堯は不安になった。そこでお忍びで町に出たところ、老人が腹を叩き、地面を踏み鳴らし、楽しげに歌っていた。日が出れば働き、日が沈めば休む。のどが渇けば水を飲み、腹がへれば食べる。帝の力など俺の生活にどれだけの影響があるというのか。影響など何もない。
これを聞いて堯は思った。世の中はよく治まっている、自分の政治は間違っていなかったと。
年末年始、香港に行ってきた。今回は灣仔(ワンチャイ)に宿を取った。最後まで民主化デモが続いていた政府庁舎のある金鐘(アドミラルティ)は目と鼻の先。歩いて10分もかからない。何回か前を通ったが、もうデモの跡形はなかった。
中国の民主化デモというと、やはり天安門事件を思い出す。暗闇の中、戦車が走る映像は本当に衝撃的だった。今回のデモが、天安門事件のように武力弾圧され多くの死傷者が出る事態にならなくて良かった。1989年当時とは違い世界第二の経済大国となった中国の余裕なのか、場所が香港であったことが幸いしたのか、いずれにしろほっとした。
そもそも今回の学生による民主化デモは、香港のトップ、行政長官選挙の民主的な手続きを求めて始まった。が、考えてみれば、イギリス統治時代を含め、香港のトップが民主的な手続き、選挙で選ばれたことなどない。イギリスは香港総督を任命、つまり香港市民の意思などお構いなしにトップを決めていた。ということは、おそらく選挙の件はただのきっかけに過ぎず、本当のデモの理由はほかにあるに違いない。
以前香港に暮らす日本人から、香港人は中国本土から香港に来た人間をメインランダーと呼んで区別(差別?)していると聞いたことがある。香港に住むメインランダーが増え、香港人、特に若者の仕事を奪っていく。あるいは、中国本土からの観光客が粉ミルクやオムツなどの日用品を買い漁るため物価が上昇し、また本土の富裕層が香港の不動産に群がるため不動産価格も上がっている。そして、香港の若者は家を買うことができなくなった。今の香港は日本など比べ物にならないほど貧富の格差が大きいのである。香港の学生が感じている閉塞感、不安感が、今回のデモの真の原因なのであろう。
もっとも実際に香港の街を歩くと、そんな悲壮感はまったく感じられない。ショッピングモールを歩けば大混雑だし、僕など入ることさえ気が引ける高級店で買い物している人も多い。人気のレストランは予約で一杯か行列。まるで日本のバブル期のようだ。
いや、ちょっと待て。僕は香港人の使う広東語はおろか中国の標準語すらわからない(因みに、両者は方言というより外国語と言った方が良いくらい違うらしい)。もしや香港の生活を満喫しているのはメインランダーたち? 彼らは「党力何有於我哉(中国共産党の力など俺の生活にどれだけの影響があるというのか。影響など何もない)」と我が世の春を謳歌しているのであろうか。
しかし、堯の治世は神話の話。バブルとその崩壊を経験した人間としては、現実の世界は諸行無常という気がしないではないが。
漢文の授業で習った方も多いと思うが、中国神話の帝、堯(ぎょう)にまつわる歌の一節である。
長年平和が続いているものの、人民が自分の治世に満足しているのか、堯は不安になった。そこでお忍びで町に出たところ、老人が腹を叩き、地面を踏み鳴らし、楽しげに歌っていた。日が出れば働き、日が沈めば休む。のどが渇けば水を飲み、腹がへれば食べる。帝の力など俺の生活にどれだけの影響があるというのか。影響など何もない。
これを聞いて堯は思った。世の中はよく治まっている、自分の政治は間違っていなかったと。
年末年始、香港に行ってきた。今回は灣仔(ワンチャイ)に宿を取った。最後まで民主化デモが続いていた政府庁舎のある金鐘(アドミラルティ)は目と鼻の先。歩いて10分もかからない。何回か前を通ったが、もうデモの跡形はなかった。
中国の民主化デモというと、やはり天安門事件を思い出す。暗闇の中、戦車が走る映像は本当に衝撃的だった。今回のデモが、天安門事件のように武力弾圧され多くの死傷者が出る事態にならなくて良かった。1989年当時とは違い世界第二の経済大国となった中国の余裕なのか、場所が香港であったことが幸いしたのか、いずれにしろほっとした。
そもそも今回の学生による民主化デモは、香港のトップ、行政長官選挙の民主的な手続きを求めて始まった。が、考えてみれば、イギリス統治時代を含め、香港のトップが民主的な手続き、選挙で選ばれたことなどない。イギリスは香港総督を任命、つまり香港市民の意思などお構いなしにトップを決めていた。ということは、おそらく選挙の件はただのきっかけに過ぎず、本当のデモの理由はほかにあるに違いない。
以前香港に暮らす日本人から、香港人は中国本土から香港に来た人間をメインランダーと呼んで区別(差別?)していると聞いたことがある。香港に住むメインランダーが増え、香港人、特に若者の仕事を奪っていく。あるいは、中国本土からの観光客が粉ミルクやオムツなどの日用品を買い漁るため物価が上昇し、また本土の富裕層が香港の不動産に群がるため不動産価格も上がっている。そして、香港の若者は家を買うことができなくなった。今の香港は日本など比べ物にならないほど貧富の格差が大きいのである。香港の学生が感じている閉塞感、不安感が、今回のデモの真の原因なのであろう。
もっとも実際に香港の街を歩くと、そんな悲壮感はまったく感じられない。ショッピングモールを歩けば大混雑だし、僕など入ることさえ気が引ける高級店で買い物している人も多い。人気のレストランは予約で一杯か行列。まるで日本のバブル期のようだ。
いや、ちょっと待て。僕は香港人の使う広東語はおろか中国の標準語すらわからない(因みに、両者は方言というより外国語と言った方が良いくらい違うらしい)。もしや香港の生活を満喫しているのはメインランダーたち? 彼らは「党力何有於我哉(中国共産党の力など俺の生活にどれだけの影響があるというのか。影響など何もない)」と我が世の春を謳歌しているのであろうか。
しかし、堯の治世は神話の話。バブルとその崩壊を経験した人間としては、現実の世界は諸行無常という気がしないではないが。