縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

玄田有史『希望のつくり方』(岩波新書)

2010-11-19 22:41:46 | 最近思うこと
 昔、「夢もチボーもないね」というギャグを言う芸人がいた。僕が小学校に入るか入らないかの頃ではないだろうか。調べたら、東京ぼん太だった。唐草模様の風呂敷包みに栃木訛りのギャグ。なかなかの人気だったようだ。
 この言葉とは裏腹に、彼は夢も希望も持って上京し、そして夢を実現した。が、そのあとがいけない。賭博容疑で逮捕され、表舞台から消えてしまった。どさまわり、深酒。体調を崩し、ついには胃がんで50前に亡くなった。晩年、彼は心底「夢もチボーもないね」と思っていたのだろうか。それとも、復活を信じ、ステージで喝さいを受ける自分を夢見ていたのだろうか。

 釜石に友人がいる。

 釜石といえば我が国における近代製鉄業発祥の地。それに前人未到の日本選手権7連覇の新日鐵釜石ラグビー部でも有名だ。が、ともに過去の話。新日鐵の企業城下町として栄えた釜石にかつての面影はない。80年代半ばの円高不況により、我が国の輸出産業は大打撃を被り、89年、釜石の高炉の火が消えた。同時に釜石の灯が消えたかに思われた。
 しかし、そこから釜石の人達の頑張りが始まった。新日鐵がダメなら新しい企業を誘致しよう、自分たちで新しい事業を始めよう。勿論自ら生きるためもあろうが、地元の再生、復興のため、多くの人が立ち上がったのである。人口は最盛期の半分以下に減ったが、残った人間は希望を失ってはいない。いや、大きな失望の中から立ち上がり、新たな希望を作りだしているのである。

 2年くらい前、「希望学という新しい学問があって、今、釜石が注目されている。先日、NHKが取材に来て僕もテレビに出るかもしれないから、是非番組を見て欲しい。」と彼から言われた。
 そんなわけで、偶然本屋で『希望のつくり方』を見つけた僕は、思わず買ってしまったのであった。

 著者の玄田有史氏は東大の先生で、希望学プロジェクトの中心人物である。“Hope is a wish for something to come true by action.”(筆者訳「希望とは、自ら行動を起こし、何かを成し遂げようとする、強い思いだ。」)という言葉を踏まえ、彼は「 希望は「気持ち」「何か」「実現」「行動」の四本の柱から成り立っている。」と言う。
 なるほど、希望は自らが積極的に係わっていかないとダメなんだ。夢はあくまで夢であって実現しなくても構わないし、時には棚ぼたで実現するかもしれない。が、希望はそうは行かない。自ら「何か」を設定し、それに向かって努力しないといけない。なかなか骨の折れることだ。

 先生の調査によると、日本の8割の大人は希望を持っていて、そのうちの8割、つまり全体の6割強の人が実現可能な希望を持っているという。先生はこの数字を低いと考えているが、僕には驚異的な高さに思える。今の閉塞感の漂う状況において、失われた10年が20年になり、さらには30年になるかもしれない日本において、希望を持つことは難しい気がしてならないからだ。

 こんな世の中、「夢もチボーもないね」。

 確かにそうかもしれない。しかし、一度きりの人生、ゆっくりでもいいから、自分の「何か」を探しに行かないといけない。「何か」を探すのに年など関係ないはずだ。
 この本は若者向けに書かれた本だが、萎えたオジサンの気持ちを、ちょっと前向きにしてくれる本だった。