縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

1泊3湯、北海道(その3)

2008-05-30 23:39:55 | もう一度行きたい
 随分間が空いてしまったが(3ヶ月?)、北海道の温泉のはしごの最後、完結編である。場所は白老温泉だ。

 が、その前にまずは食べ物の話。
 虎杖浜のアヨロ温泉旅館から、まず登別の水族館に行った。まあ、他に行く所がなかったせいもあるが、お腹を減らす目的もあった。そう、さっき朝食を食べたばかりなのに、しっかりお昼を食べないといけないからだ。目指すは“白老牛”。
 年の暮れは12月30日、おまけに日曜日だったが、幸い開いているお店がある。それを確認した我々は、“白老牛”さまに失礼のないよう、腹ごなしに水族館『登別マリンパークニクス』へと向かったのであった。ここは「なんでお城なの?」という疑問は残ったものの、さしたる感動はなかった(もっとも気持ちが既に“白老牛”モードだったせいかもしれない)。

 登別から電車で白老まで行き、そこからタクシーで『いわさき』というお店に行った。白老牛は但馬牛の血筋を引く黒毛和牛である。知らなかったが、社団法人全国和牛登録協会というのがあって、そこで1975年に“白老牛”として登録された由緒ある牛だそうである。
 ここはステーキ屋さんというよりは焼肉屋、お店に入った途端、「うっ、煙い」と閉口した。が、席が奥の離れのような場所で、周りに他のお客さんがいなかったので、窓を開けて換気した。よし、これで落ち着いて食べられる、ちょっと(かなり?)寒いけど。
 僕らは奮発してサーロインを一枚と焼肉セット(モモ肉とバラ肉)を頼んだ。勿論赤ワインも。

 和牛というと霜降りのイメージが強いが、予想外に赤い、つまり脂が少ない。聞けば、ここ『いわさき』さんは赤身のおいしさが自慢、それがこだわりとのこと。そもそもは「丹精を込めて育てた牛だから、お客さんにたっぷり食べて欲しい。しかし霜降りだと脂が多く、量は食べられない。であれば、おいしい赤身を作ろう。」と思い、飼料の工夫を重ねたとのことである。言い忘れたが、『いわさき』さんは農場が経営する店なのだ。
 こうして大事に育てられた“白老牛”の味であるが、肉は軟らかくジューシーで、口の中でとろけるようである。噛む毎に甘みが拡がる。おいしい。おいしさは松坂牛に引けを取らないというのも、まんざら嘘ではない。

 と、温泉の話と言いつつ、白老牛で盛り上がったしまった。申し訳ない。では気を取り直して白老温泉の話。
 虎杖浜温泉も白老温泉も同じ白老町にあるが、泉質はまったく違う。白老温泉は「含食塩重曹、硫黄泉」、モール泉の一種、つまり植物起源の有機質を含む温泉である。色は茶褐色。湯船に至っては黒く見える。ヌルヌルしており、肌に良さそうだ。
 白老温泉に宿は『白老温泉ホテル』一軒しかない。温泉宿というよりはビジネスホテルである。温泉、それも源泉掛け流しの温泉のあるビジネスホテル。泊まるのも悪くはないだろう。もっとも、こんなところにビジネスで来る人はほとんどいないと思うが。アヨロ同様、ご近所の皆様の銭湯のようである。だが、お湯自体はお勧めだ。

 年末に行った三つの温泉、登別、虎杖浜、白老、いずれも良い湯だった。1泊3湯、1年の疲れを癒してくれた。

夢の夢 ~ 凋落の続く日本の国際競争力

2008-05-29 23:25:59 | お金の話
 先日、IMDというスイスのビジネススクールが世界各国の競争力の評価を発表した。世界55カ国を対象に、各国の経済状況、政府の効率性、ビジネスの効率性、ビジネスインフラ等から順位を出したものである。1989年から毎年行われており、今回は20回目だ。
 日本は何位かというと、なんと22位。これでも昨年から二つ順位を上げている。一方上位はというと、1位はアメリカで、2位シンガポール、3位ホンコン、4位スイス、5位ルクセンブルクと続く。又、アジアの中で見ても、日本はさらに台湾(13位)、中国(17位)、マレーシア(19位)の後塵を拝し、6番目となっている。

 が、ここで衝撃の事実というか、今から思うと夢のような話がある。日本は第1回の89年から92年までトップに君臨していたのである。IMDによると、当時の日本は、他の追随を許さない不動のトップに見えた、とのことだ。
 しかし、バブル崩壊後、日本はアメリカに1位の座を譲り、そして金融機関の破綻が相次いだ90年代後半に至っては、一気に20位台までその順位を落とした。1位に返り咲くなど、夢のまた夢である。

 さて、今回の調査の大きな話題は「アメリカのトップはいつまで続くのか」だった。初回トップであった日本の凋落ぶり、そしてサブプライム後のアメリカの状況が当時の日本と酷似しているのではないか、というのである。
 サブプライム前のアメリカは好景気が続き不動産価格が高騰していた。又、金融技術の進歩や自由化に制度や枠組みが追いついていないところも同じだ。そこにサブプライム問題が発生し、証券会社や銀行に多額の損失が生じた。まさにかつての日本を髣髴させる。ご存知のように、その後の日本は、証券市場の暴落が不動産市場へと広まり、大銀行や証券会社まで破綻する未曾有の金融危機へと発展して行った。デフレが進み、超低金利が常態化。こうした中、後追いで、それも小出しにしか対応できない政府。いわゆる「失われた10年」であった。

 果たしてアメリカは今後どうなるのだろう。

 IMDの専門家は楽観的である。なぜか。第一にアメリカの金融当局は日本の失敗を見て何をなすべきかを知っていること。金融市場に大胆に流動性を供給し、金融機関、更には市場全体に安心感を与えた。又、巨大化した中東やアジアの政府系ファンドも、多額の損失に苦しむ金融機関の資本改善に一役買っている。加えて、世界経済が総じて成長を続けていることもプラスに働いている。
 もう一つ、日本とアメリカには大きな違いがあるとIMDは指摘する。それは企業家精神の有無。日本に創造的破壊は皆目見られないが、アメリカは違うと言う。90年代、日本の企業はトヨタやキャノンなどごく一部の企業を除き、有効な策を打ち出せず、瀕死の状態にあった。その点、アメリカ企業は企業家精神に満ち溢れており、加えて経済の対外的な開放度は高く、よってアメリカ経済には自らを立て直す術を見つけ出す力、ダイナミズムがある、と言うのである。

 当らずとも遠からず、か。確かに日本にマイクロソフトやグーグルのような新しいビック・ビジネスはない。日本の有名なベンチャー企業といえば、ソニーでありホンダであるが、いずれも戦後まもなく生まれた企業である。次回、この違いについて考えて見たい。

(もっともIMDも、最近の原油をはじめとする資源・エネルギー価格や食物価格の高騰、アメリカの抱える貿易赤字と財政赤字など、アメリカにも不安材料はあると付け加えている。まあ、驕れる平家は久しからず、なのだろうか。来年以降の調査が楽しみである。)

「ものづくり」の里、宮崎県綾町

2008-05-10 20:38:11 | もう一度行きたい
 この連休、九州に、大分と宮崎に行った。

 大分では長湯、別府と温泉に浸かり、夜はふぐを食べた。この長湯温泉とふぐの話は以前書いたので繰り返さない(2007.2.17『長湯で長湯?』、2006.5.17『大分でふぐ肝を食す』)。今日は宮崎のことを書きたい。

 僕は宮崎は2度目、妻は初めてだった。が、僕にしても前回は仕事で、それも日帰りであり、まったく観光はしていない。今回は4連休、時間はある。そこで大分から宮崎へと、車で南下することにしたのである。
 大分と宮崎は距離にして230キロ程度だが、高速道路はなく、又、その間山道が多いことから、思いのほか時間が掛かる。別府を午後2時頃出たが、途中、道の駅などに立ち寄ったこともあり、宮崎に着いたのは夜の7時過ぎだった。宮崎といえば、地鶏と冷や汁。東京ではお目に掛からない、レアなもも焼きが美味しかった。

 翌日、天気が良ければ車で日南海岸を走ろうと思っていたが、あいにくの曇り空。青い空と青い海、とは行かない。では、どこへ行こう。パラパラとガイドブックをめくり、ふと目に入ったのが「綾」だった。深緑に抱かれた「ものづくり」の里、とある。野菜の有機栽培が盛んで、町ぐるみで地産地消、スローフードに取り組んでいる、とも書いてあった。よし、これは行かねば、もとい、これは食べねば、ということになった。

 宮崎市内から綾へは車で30分。僕達は綾で自転車を借りた。さすがに町を歩いて回るのはしんどいが、自転車なら楽だ。曇りとはいえ、初夏を思わせる陽気。川沿いの道を自転車で風を切って走るのは心地良かった。そして、まずはお目当てのレストラン、『綾の食卓』へと向かった。
 『綾の食卓』は、東京やヨーロッパで修行された香川シェフが9年前に開いたフレンチ・レストランである。綾の豊かな自然の中で、地元の新鮮な野菜、地鶏、川魚を食べて楽しんでもらいたい、と作ったお店だという。
 テーブルは室内のほか、オープンテラスにもある。僕らは少し待って、外の席で食事した。広い庭は川原へと繋がっている。川のせせらぎを聞き、爽やかな風を感じながら食事した。料理は、オードブルの盛り合わせ、サラダ、それとパエリア。野菜の味は濃いし、オードブルは、豚肉のリエット、自家製の生ハムやきびなごの燻製、お隣の小林市で作られたチーズなど、どれをとっても美味しかった。
 近くに他の店はないし、車の音も聞こえない。綾の自然に包まれ、ただのんびりとした時間が過ぎて行く。日々忙しく、あくせくと働く身にとっては縁のない世界、非日常の世界である。緊張感が解け、いつもより少しやさしい気持ちが持てる、そんな心のゆとりが生まれた気がした。妻は「ここ、絶対、また来る。」と宣言した。

 綾はわが国最大の照葉樹林でも有名である。照葉樹とはカシ、シイ、クスなど一年中緑の葉をつけている広葉樹で、その葉が厚く光沢のあることから照葉樹と言われる。綾は、その豊かな自然の恩恵を受け、染織や木・竹工が盛んである。又、そうした「ものづくり」の土壌のおかげか、最近は陶芸やガラス工芸も行われている。
 周りの町は過疎が進んでいるのだろうが、綾の人口は僅かではあるが増えている。外から移り住む者が多いのである。実際、あるお店ではアメリカ人のデザイナーというか職人さんに会った。
 今回はランチを優雅に食べたせいであまり町を見て回る時間がなかったが、綾、一度ゆっくり訪れて見たい町である。ここには、我々日本人の原風景というか、我々の失った何か、温かさ、やさしさといったものがある。