縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

ゴヤと歴史の“if”

2006-03-31 23:50:00 | 芸術をひとかけら
 今日は先週のプラド美術館展の話の続き、ゴヤである。ゴヤの絵を取り立てて好きというのではないが、彼の生きた時代、そして彼の人生には興味がある。

 ゴヤは、当時の、18世紀の多くの画家達がそうであったように、宮廷画家であった。王族や貴族の肖像画や家族の姿を描いていた。綺麗で感じの良い絵だが、それ以上のものではない。彼の最初というか最大の転機は1792年、46歳のとき、原因不明の病で聴力を失ったことである。この後、政治の腐敗や宗教の堕落、一般大衆の無知と愚鈍など、辛らつな風刺に溢れた版画集『ロス・カプリチョス』を発表する。又、神話や宗教画の世界でしか認められていなかった裸体画、『裸のマヤ』を描いて物議を醸したのもこの頃である。
 そしてナポレオン軍の侵入と内戦。市民の反抗を描いた『マドリッド、1808年5月2日』や同じく『5月3日』。これは『裸のマヤ』などとともにプラド美術館にあるが、王家に仕える者としての愛国心の表れであろうか。

 これに続くのが『黒い絵』と言われる一連の絵画である。『わが子を食らうサトゥルヌス』が有名だが、そこにかつての宮廷画家としての面影はまったく見られない。人間の狂気や愚行、グロテスクとさえ言える人物、奇怪な世界。人の世界の闇や、心の暗部を描いている。
 ゴヤが単なる宮廷画家で終わっていれば、後世にこれだけ名を残すことはなかっただろう。年とともに画風というか、描く対象や描き方が変わったからこそ、人々の印象に残って来たのだと思う。

 よく歴史で“if”を考えてはいけないと言われるが、もしゴヤが聴力を失うことがなかったなら、ゴヤはそのまま安穏として王族・貴族の人物像だけを描いて人生を終わり、今では忘れ去られた存在だったのかもしれない。
 同じことはベートーヴェンにも言える。もし彼が聴力を失うことがなかったなら、あれほどまでに完成された、計算しつくされた音楽、運命や第九を作曲することができたであろうか。
 もしモーツァルトが長生きをしたとすれば、一生涯、何の憂いもなく、軽快で流れるように美しい旋律の音楽を作り続けたのであろうか。人間、長生きをすると、病に苦しむこともあれば、様々な問題に直面し、悩み、絶望することもあるだろう。そうした経験の中でモーツァルトはどのような曲を書いたことだろう。

 もっとも、これは大芸術家に限った話ではない。ごく普通の人間にも当てはまる話だ。幼いとき、人は多くの、それも数え切れない可能性を持っている。それなのに年を取るにつれ、これは自分に向いていない、それは自分には無理だ、あれをやって失敗したらどうしよう、などど思い、可能性を捨てているのである。言ってみれば、大人になるとは可能性を捨てる、狭めることの積み重ねである。もし、あのとき、違う道を選んでいたら・・・・。
 自分の選んだ道を正当化することは必要だと思うが、いつまでも夢を失わないことも大切だ。ときにぼんやりとゴヤの絵を眺め、そんな思いに耽るのも悪くはない。

今回のストライキに見るフランスの矛盾

2006-03-30 21:44:38 | 海外で今
・第一の矛盾:初期雇用契約(CPE)の内容
 以前、アメリカのレーガン大統領は「税率を下げると税収が増える」と主張した。つまり、税率を下げると個人の可処分所得が増えて個人消費が増える。すると企業の売上が伸びて収支は改善し景気が良くなる。その結果個人の収入そのものが増え、さらに可処分所得が増える。こうした好循環により税収は増える。といった理由からで、いわば「風が吹けば桶屋が・・・・」の話だが、このときのアメリカは実際この通りになった。
 今回のストライキの原因となったCPEもこれに近い。なぜなら「解雇しやすくすることにより若年層の雇用を増やす」という逆説的な内容だからだ。そしてこれは経験的には有功な政策と言われている。

・第二の矛盾:低い労働組合の組織化率とストライキ天国
 フランスの労働組合の組織化率はわずか8%に過ぎない。一方、労働組合の弱体化、形骸化が著しいと言われるわが国の組織化率は20%を割り込んだものの未だ2桁である。にもかかわらず、ストライキの規模や行う業種の多様さはフランスの方が1枚も2枚も上である。今回のような公共交通機関、それにトラック運転手、先生、タバコ屋、果ては公務員まで、誰も彼もがストライキをする。
 これには二つ理由がある。一つは憲法でストライキの権利が保証されていること。フランスは共産党の力が強かった。極右勢力は第二次世界大戦でナチに協力したと非難されて力を失い、左派が勢力を強めたのである。そこで労働者保護のためにストの権利が規定された。組合員であろうとなかろうと権利は変わらない。憲法で認められた権利だからストによって責任を問われ職を失う心配もない。早い話、「ゴネ得」ならぬ「スト得」の国なのである。
 もう一つはストに対する寛容な国民感情であろう。自分もストをやるかもしれないという気持ちから、自然と他者のストにもやさしくなる。お互い様なのである。

・第三の矛盾:CPEと直接関係のない人間だけがスト
 CPEで直接的なメリットを受けるのは移民の若者である。彼らがストに参加しないのは当然としても、ストに抗議する様子もない。そして実際にストをしているのは、直接CPEに関係のない、組合員を中心とした労働者や学生である。
 フランスの大企業では、労働者は2年半×2回という5年の試用期間を経て、無期限の雇用契約を結ぶ形が多い。よって大部分の大企業労働者にCPEは関係ない。中小企業は日本の終身雇用に近い形であり、やはり労働者にCPEは関係ない。学生にしても彼らが就職面において他より恵まれた立場にいることは事実であり、又、CPEの対象となる26歳近くまで大学に残り働かない可能性だって考えられる。しかし彼らはストをしている。これが最後の矛盾に繋がる。

・最後の矛盾:「自由、平等、博愛」は建前だけ?
 労働者や学生が直接関係のないCPEに反対するのは、多くの移民が労働市場に参入することにより、自らの賃金や福利厚生など労働環境の悪化を懸念するためであり、又、学生にとっては自らの就業機会が狭まるからである。「自由、平等、博愛」の理念はフランス人にしか当てはまらないのだろうか。

店が変わって変化したもの ~ 江戸蕎麦「ほそ川」の場合

2006-03-29 19:35:12 | おいしいもの食べ隊
 そばが好きだ。そば屋の雰囲気も好きだ。そば屋といえば、やっぱり日本酒。焼き味噌、鳥わさ、てんぷらなどをつまみに軽く酒を飲む。そして締めはせいろ。形から入っていると言われればそれまでだが、好きなのだから仕方がない。

 さて、先週からのお友達繋がりということで、今日は両国「ほそ川」を紹介する。
 埼玉の吉川から二年程前に東京に移転してきた。玄そばと十割にこだわっている店である。玄そばは産地を巡り歩き、茨城、長野などのそばを選んだそうだ。自家製粉、石臼挽き、勿論手打ちである。つなぎはまったく使わない。ご主人のお眼鏡にかなった良質な玄そばを使っているせいか、十割でも のど越しは滑らかである。食べてみると、もたつくような野暮ったい感じはなく、洗練さ、上品さを感じる。せいろを頼み、まずは真ん中あたりのそばを2、3本つまみ、つゆに付けずに食べ、そばの旨さを味わって欲しい。

 不思議なことに、そばの旨い店はつまみも旨い。ここ「ほそ川」もてんぷらや焼き味噌といった定番に加え、穴子の煮こごりまであり、酒飲みには堪らない。そばがきもおいしかった。又、酒の品揃えも悪くない。

 ただ、味以外で、二つ不満がある。まず一つは立地というか店の佇まい。お店は両国の表通りからちょっと入った住宅街にある。店の外観はそば屋には見えない。高級和食店といった趣である。そば屋と思って探していると前を通り過ぎてしまいそうだ。店の中もモダンというかシックな感じで、吉川の純和風な佇まいから大きく変わった。
 二つ目は値段。東京と吉川とで差があるのが当然かもしれないが、東京に来て、値段が1、2割上がった気がする。まあ両者の地価・賃料等の違いを考えれば頑張っていると評価すべきかもしれないが。いずれにしろそば屋で軽く一杯というには、店構え同様、ちょっと敷居が高い。

 店が新しくなると、値段が上がる一方で味の落ちるケースが多い。そば屋だと九段下の○○庵(もっともここは店が新しくなってもう十年以上になるが)や築地の○○○○の里など。資金回収のために値上げしたり、原価を抑えたりするのであろう。しかし、ここの味は変わっていない。ご主人のこだわりはそのままである。
 ところで、もう何年も行っていないが、「虎の門砂場」という古いそば屋がある。建てやも相当年季が入っていた。あの店には改築することなく、いつまでもあのままであって欲しいと思う。皆さんにもなるべく早く行くことをお勧めする、店も、味も、そして値段も変わらないうちに。

中国に期待すること

2006-03-28 18:20:27 | 環境を考える
 今週は中国の環境問題について書くと言ったが、正直言って途方に暮れている。何から書けば良いのだろう。
 中国の大気や水質の汚染は、まさに危機的状況にあると言わざるを得ない。昨年の終り、大気汚染が原因で中国では年間40万人が死亡とのニュースがあった。砂漠化や水不足も深刻である。又、中国に起因する酸性雨や黄砂など、わが国への影響も年々増大している。
 新5ヵ年計画策定にあたり温首相が環境問題への懸念を表明し、エネルギー消費20%削減や、窒素酸化物(NOx)・硫黄酸化物(SOx)など主要な汚染物質の排出総量10%削減などの目標を示した。先週書いた通り、成長を優先し環境対策の実効性に疑問は残るが、その強力な推進を今度こそ期待したい。

 中国の環境問題の全貌を書く知識も能力もないので、今日は私の個人的な経験から環境問題を考えてみたい。
 初めて中国に行ったのは93年。北京、上海、香港と回った。以後、中国には、主に仕事だが、10回以上行っている。私が環境問題に関心を持ったきっかけは、実はこの中国との係わりである。

 93年当時は北京や上海ですら自動車が少なかった。それもタクシーがほとんどで一般の車は極めて稀だ。その代わり、大通りを自転車が5重、6重になって走っていた。今の中国のひどい車の渋滞からはまったく想像できない。空気も澄んでいた。又、街中に限らず、全体に緑が少ないとの印象を受けた。聞けば、昔から木という木は燃料にと悉く切って来たから、その影響だと言う。

 その後、90年代の終り、中国の石炭火力発電所の脱硫装置に関するプロジェクトのお手伝いをしたことがある。中国は石油とともに大量の石炭を一次エネルギーとして使っている。硫黄分の多い石炭を使う発電所も数多くあるが、脱硫装置を付けている発電所は少ない。脱硫装置自体の費用のほか、消耗品やメンテなど運転に掛かる費用もばかにならない。脱硫装置があってもなくても当然電力価格は変わらない。であれば、そんな装置は要らないということになる。
 電力不足の中国で電力会社の力は強い。地方政府や共産党との結び付きも強いかもしれない。煙突からもうもうと上る排煙はいわば成長の印であり、誰も硫黄酸化物の量など気にしない。電力量の確保という大命題を前に、環境問題などは二の次、三の次なのである。おそらく今もそれは変わらないであろう。

 大気汚染が原因で40万人もの人が死亡しているという現実を前にしても、中国は変わらないのであろうか。全体から、13億人から見ればごく一部、取るに足りない数字とでも言うのだろうか。過去の歴史認識、あるいは中華民族としてのプライドが問題なのかもしれないが、そんな悠長な事態ではない、中国には是非日本を見習って、いや日本と協力して環境問題に取り組んで欲しい。

セビーリャでフラメンコ(スペイン紀行2)

2006-03-27 22:15:56 | もう一度行きたい
 マドリッドから飛行機でセビーリャに入った。初めてのアンダルシア。アンダルシアでひまわりを見たい、これがスペインに来た目的の一つだった。だが、行ったのは7月も中旬に近く、ひまわりはもう終りに近かった。抜けるような青い空の下、一面に咲く黄色いひまわり。ひまわりに少し元気がなく、100%イメージ通りとはいかなかったが、鮮やかな黄色のじゅうたんを見て、それなりに満足した。

 そしてもう一つの目的がフラメンコ。本場で、セビーリャでフラメンコを見たいと思った。
 フラメンコは踊りがメインのように見られるが、実は歌から始まったものである。その歌詞に意味がある。種々の迫害を受けていたジプシー達が嘆きや悲しみ、そして夢や希望を歌ったのである。その後ギター、あの物悲しい響きのスパニッシュ・ギターが加わり、最後に踊りが生まれた。などと偉そうに書いたが、僕はフラメンコを見たことがなかった。単なる興味と、当時好きだったジプシー・キングスの影響だったのかもしれない。

 そんなこんなでセビーリャに着いた僕は町一番の老舗のタブラオ(フラメンコのライブのお店)「ロス・ガジョス」を予約した。ライブは2ステージあり、僕は早い方にした。後のステージの方が盛り上がるらしいが、終わるのが深夜になってしまうため、一人だったし用心したのだ。
 ところが、旅の疲れのせいか僕はホテルで寝てしまった。ふっと気が付くと既に11時。僕は飛び起き、店まで走った。最後のステージには辛うじて間に合った。

 初めて見たフラメンコには本当に衝撃を受けた。女性がただ綺麗に踊るだけと思っていたが、まったく違う。つま先や踵で床を踏み鳴らす。その激しい足の動き。一方、手の動きは優雅で美しい。元々は蔑まされた女性達の踊りなのだろうが、彼女たちの気迫の踊りには気品すら感じられる。特に取りの女性の踊りは見事だった。彼女が出て来た時、それまでの若い女性達と違い、少し年季が入った上に太めだったので、激しい踊りは大丈夫かなと心配したのだが、まったくの杞憂だった。

 意味は全然わからないが、歌い手の哀愁のある歌声に物悲しさを感じた。又、スパニッシュ・ギターの響きにもどこか切ないものがある。もちろん悲しい歌だけでなく明るい歌もあったが、フラメンコは悲しい歌の方が良い。ジプシー・キングスのように洗練されていないが、フラメンコは素朴で、力強さというか、生命力を感じる音楽だった。
 深夜1時近く、僕は今度は歩いて、ゆっくりと、初めて見たフラメンコの感動を噛み締めながら、ホテルへと帰った。

 日本に帰ってから1度だけフラメンコを見たことがある。近所のスペインクラブというお店だ。女性達の踊りは綺麗だったが、やはりセビーリャで見たほどの力強さは感じなかった。もう一度セビーリャでフラメンコを見たい。今度はスペイン語が上手くなって歌詞がわかるようになればいいと思う。
 が、しかし、フラメンコの歌詞が日本の演歌みたいな内容だったらどうしよう。興ざめしそうで恐い。しめしめ、これでスペイン語の勉強をサボる言い訳ができた。

世の中に絶えて桜のなかりせば・・・・

2006-03-26 23:08:20 | 最近思うこと
 桜が咲いた。近くの公園に100本の桜があり、まだ7分咲きであるものの、勢い良く花の開いた様は見事である。開花は去年より10日ほど早いようだ。
 世の中に絶えて桜のなかりせば
       春の心はのどけからまし
桜がいつ咲くだろうか、そして咲けば咲いたで花はいつまで持つだろう、すぐ散ってしまうことはないだろうか、などと心を痛める、昔の人は本当に優雅である。

 ところで、今でも多くの日本人が桜を巡って一喜一憂するのはなぜだろうか。これはまったくの私見だが、おおよそ次のような理由ではないかと思う。まず桜の花が綺麗であること。しかし、ほかにも綺麗な花は多く、これだけがすべてではない。
 次に花の咲く時季。3月から4月というのは変化の時季である。学校では卒業や新入学があり、皆、学年が変わる。官公庁は勿論、企業でも4月から新年度となる会社が多く、異動、転勤のシーズンでもある。自らの生活が大きく変わるときに咲いていた花、それが桜の花が強く印象に残る理由の一つではないだろうか。
 そして三つ目は春の訪れを告げる花であること。日本は四季のはっきりした国である。寒く、暗い冬が終り、暖かく、新たな生命の息吹や活力に満ち溢れた春がやって来る。桜はこうした春を象徴する、春の喜びを感じさせる花なのである。
 最後は日本人の美意識。漸く花開いたかと思うと雨や風などで一気に散ってしまう、その潔さ。これが散り際の美学というか、日本人の美意識にマッチしているのではないだろうか。

 春の穏やかな陽気の下、一人のんびりと花を愛でるのもいいし、皆で花見に興じるのもいいが、一昨日、そんな気持ちが一気に萎えてしまう新聞記事を見た。

 昨年末、わが国の債務残高は初めて800兆円の大台を突破し、この3月末には地方の債務170兆円と合わせ1,000兆円に達する見込み、という記事である。1,000兆円というとGDPの約2倍の金額である。先進国でこれだけの借金を抱える国はない。
 いずれ大幅な増税、更にはインフレに苦しむことになるのだろうか。桜のように一気に散るわけにはいかないので、自分の出来る範囲で対策を考えなくてはいけない。最低限、心の準備は必要だ。まったく心地よい春を迎えたものの、気の滅入る話である。

 財政に絶えて借金のなかりせば
       皆の心はのどけからまし
           (詠み人知らず)

家計の金融資産1500兆円ってホント?

2006-03-25 23:27:07 | お金の話
 昨日の夕刊に「家計の金融資産1500兆円」という記事があった。家計の金融資産は株式残高の時価上昇もあって過去最高を更新、資産効果が消費を下支え、といった内容である。
 ちょっと待って。日本の人口を1億1000万人とすると、金融資産1500兆円ということは、一人当たり1364万円ってこと? 納得できない。わが家は妻と二人、この計算によれば3千万円近い金融資産があるはず? 住宅ローンならいざしらず、そんな資産なんてどこにもない。これって何?

 というわけで調べてみました。良い資料を見つけた。金融広報中央委員会が行っている「家計の金融資産に関する世論調査」。平成16年6月下旬から7月上旬にかけて行った調査によると、1世帯あたりの金融資産の平均保有額は1022万円。これでもまだ多い。やはりわが家は貧乏だったか。エンゲル係数が高いからかな。が、中央値を見ると430万円。おっ、これなら何とかクリアーできそう。やれやれ。

 この平均値の金額というのは、いわば数字のマジックだったんですね。つまり、お金を途轍もなく持っている人もいれば、お金をまったく持ってない人もいて、それを平均したとき、沢山お金を持っている人に引き摺られて金額が高く出た、ということ。
 一方、中央値というのは、金融資産の少ない人から順に数えてちょうど真ん中に当たる人の資産額である。大抵の人はこちらの方が実感に近いかと思う。

 さて、冒頭の記事に戻ると、貯蓄が低迷する中、株式残高が118兆円と16年ぶりに100兆円を突破したと書いてある。これに対し貯蓄は783兆円と低金利もあって微減とある。高齢化の進展による預金取り崩しの増加も貯蓄低迷の理由によく挙げられる。
 しかし、皆さんご存知ですか、株式のネット取引の一番のお客様は高齢者であることを。僕も証券会社の人に聞いたときはびっくりした。でも考えてみればこれは至極当然。パソコンに長けていてもお金や時間のない20代、30代と違い、お金も時間もある高齢者。パソコンは老化防止にもなるし、証券会社の営業マンに頼んで高い手数料を払うのはばかばかしいし、と日夜ネット取引に精を出す高齢者が増えているのである。まったく、老人パワーというか、元気な高齢者にはかなわない。

プラド美術館展に行こう!

2006-03-24 23:59:00 | 芸術をひとかけら
 明日からプラド美術館展が始まる。ティツィアーノ、ベラスケス、ゴヤなど81点の絵画が展示されるそうである。是非お時間と忍耐力(?)のある方はご覧頂きたい。

 そう、日本で絵画を見るのは結構疲れる。○○展という海外のコレクションが展示される場合は特に。本当に絵画の好きな方も多いのだろうが、私のような“にわか絵画ファン”まで押し寄せるので大変だ。まずはチケットを買うのに並ばないといけない。中に入れば入ったで、今度は数珠繋ぎになって絵を見ないといけない。ゆっくり、自分のペースで絵を見るのは難しい。平日はすいているのかな、だけど会社を休んでまで絵を見に来るわけにはいかないしと、恨めしい気分になってしまう。身構えることなく、ちょっと食事した帰りに絵でも見て帰るといった優雅な暮らしをしたい。

 いきおい絵画はたまに海外旅行に行ったとき見ることが多い。プラド美術館にも行ったことがある。個人的にはムリーリョが好きだ。彼の描く子供や天使はやさしく、愛くるしく、そして美しい。あたかも天上の世界を見ている気持ちになる。今回の展示にも何点か彼の絵があるので、また見に行きたいと思っている。

 しかし、海外に行かなくても日本にも良い絵、良い美術館はある。例えば、ひろしま美術館。印象派主体の美術館である。こじんまりし、何よりすいていて絵をゆっくり見られるのが良い。

 もう一つは倉敷の大原美術館。初めてここに行った時、日本にもこんな美術館があるんだと驚き、感動した。倉敷紡績(今のクラレ)の大原孫三郎が作った美術館である。エル・グレコ、モネ、マティスなど西洋近代・現代美術の作品が数多くある。
 太平洋戦争中、倉敷はこの大原美術館があったおかげで、アメリカの爆撃目標からはずされていたという。満州事変の調査に来たリットン調査団の一員がたまたま大原美術館を見学していたのである。ドイツに対してもそうだが、アメリカは優れた西欧美術の保護には重きを置いており、大原のコレクションはそれだけの価値があると評価されたのである。倉敷は観光地ゆえ、休みの日はそれなりに混んでいるが、それでも東京の美術展ほどではない。こちらも是非お勧めしたい。

 というわけでプラド美術館展、会期半ば頃、それも心技体充実しているとき、さらに気合を入れて見に行こうと思っている。

パレスチナ問題は土地問題

2006-03-23 23:42:00 | 海外で今
 まずはちょっと乱暴なたとえ話。
「ほかの町からやって来て公園に住み着いたホームレス。彼らに公園を住所とした住民票登録を認めたお役所。彼らを追い出そうとする周りの住民。」パレスチナ問題の発端を単純化すればこうなる。つまり、ホームレス=イスラエル人、お役所=国連、周りの住民=パレスチナ人、である。

 もっとも問題はそんなに単純ではない。宗教が絡んでいる。イスラエルのユダヤ人にとってこの土地は神から与えられた“約束の地”。実際にご先祖様が住んでいたのが2000年前であろうと関係ない、それは神が与えてくれたのだから。ユダヤ教の教えなのである。
 一方、そこに住んでいたパレスチナの人々にとって、こんな無茶苦茶な理屈は通らない。別に彼らがイスラム教徒だからというのではない。そりゃ僕だって嫌だ、自分の家に知らない人がやって来て、ここは俺が神から与えられた土地だから俺のものだ、おまえは出て行け、などど言われたら。
 そこで国連がユダヤとアラブの線引きをしたのだった。

 その後のイスラエルとパレスチナの抗争はご存知の通りである。何度もの争いを繰り返した後、漸く2003年の中東和平へと漕ぎ着けた。このときの指導者がイスラエルはシャロン首相、パレスチナはPLOのアラファト議長。しかし、この二人はもう表舞台にいない。アラファト議長はおととし亡くなり、シャロン首相は1月に脳卒中で倒れた。
 こうした中、パレスチナではテロ組織とされるハマスが政権を取り、イスラエルでは28日に中東和平を左右する総選挙が行われようとしている。

 ハマスの躍進はアラファト率いる与党ファタハの腐敗によるところが大きい。海外からの支援金の多くがファタハ幹部に流れていたようだ。貧しい人のために慈善事業を行うハマス、自分たちの土地を取り戻すためにイスラエルと戦うハマス。他人からテロと言われようと彼らにとってはジハードである。これがハマスがファタハを破った大きな理由である。

 このパレスチナの問題、僕にはどちらが正しいのかわからない。ただ互いに殺し合うことだけはもう止めて欲しい。シャロン首相は元々は超タカ派、パレスチナに対する強硬派だった。その彼が中東和平を推し進めようとした。超タカ派である彼だからこそ、弱腰と非難されることなく、和平の道を選べたとも言える。同じことをハマスにも期待したい。

わが家の掟(てんぷら編)

2006-03-22 23:45:02 | おいしいもの食べ隊
 わが家、もとい“おいしいもの食べ隊”の掟。てんぷらやすしは出されたらすぐ食べる。別にいやしいわけではない(少しだけ?)。ただ、おいしいものを、おいしく食べたいだけである。目の前に置かれたまま話に夢中になり、てんぷらが冷めてしまったり、すしねたが乾いてしまうようでは、“おいしいもの食べ隊”に入る資格はない。というわけで、今日はてんぷらの話。

 僕のてんぷらの歴史は麻布十番の「よこ田」から始まった。てんぷらを心底おいしいと思ったのはこの店が最初である。かれこれ20年近く前だろうか、何かのご褒美で会社の先輩に連れて行ってもらった。
 この店で初めて知ったものも多い。てんぷらをカレー塩で食べる。カラッと揚がったエビの頭を食べる。外側はしっかり揚がっているのに真ん中がレアなほたて。そして天茶。こまめに油を変えるせいか、ここの天茶にはほとんど油が浮いていない。又、完全予約制ということもあって、ご主人が名前で呼んでくれるのも心地よい。特に連れがいるときなど、本当は安くはないので頻繁に通えないのだが、常連と思われ尊敬のまなざしで見られて良かった。
 逆に最大の難点はお酒。おそらくご主人はお酒を飲まないのではないだろうか。そう思わせるようなお酒の品揃えだった。もう一つはご主人の醸し出す雰囲気。最近は年とともに丸くなったという噂も聞くが、当時僕はまだ若く、てんぷら初心者だったため、ご主人はとても恐かった。てんぷら道(?)を究めるではないが、俺が一生懸命揚げるから、おまえも心して食え、といった一種威圧感を感じた。

 実は最近はあまり「よこ田」に行かなくなった。一つは遠いこと(もっとも、これは大江戸線開通により緩和されたが)。もう一つは値段。夜しかやっていないので、お酒を飲むとそれなりの値段になってしまう。で、今のお気に入りは京橋の「深町」。大げさかもしれないが、ここのてんぷらは、てんぷらの概念を変える旨さである。
 最大の特徴は衣が軽いこと。この年になると、てんぷらを食べると胃がもたれるが、「深町」にそんな心配は要らない。二つの鍋の油を頻繁に入れ替え、常に新しい油で揚げている。特に野菜がおいしい。冬のほくほくの金時(さつまいも)、ゆりね。春はたらの芽やふきのとう。野菜主体のコースがあるのも有難い。
 我々が行くのは週末のお昼が多い。白ワインを飲みながらコースをいただく。お昼なので、胃だけでなく、懐にもやさしい。ご主人は山の上ホテルのご出身だそうだ。一度、本家の山の上ホテルにも行かねばと思う。

 先日、話を聞いていたら、ここのご主人は両国の蕎麦屋「ほそ川」のご主人と知り合いらしい。てんぷらの揚げ方を教えたことがあると言っていた。お互い専門は違っても、良い料理人は良い料理人を知るということか。料理人の「友達の輪」があれば、おもしろいかもしれない。

利己主義が中国の環境問題の原因か?

2006-03-21 23:30:00 | 環境を考える
 学生時代、中国史の授業を取っていた。先生は客家が専門のようであったが、フリーメーソンからマクロエンジニアリングまで、まったく中国と関係のない話も多かった。大学の先生って、好き勝手やって結構いい商売だな、と思ったりもした。
 しかし、先生の話はおもしろく、経済学部の私は半ば趣味で授業に出ていた。百人近い学生が受講していたと思うが、実際に授業に出る者は少ない。多くて10人、下手をすると4、5人というのもざらで、そんなとき先生は皆を近くの喫茶店に連れて行き、そこで授業、というか話をした。のどかな時代である。

 そんな喫茶店の授業の中で、今でもはっきり覚えている先生との会話がある。

「中国人はとても利己主義な民族です。例えば、昼間万里の長城を作っている人間が、夜になって誰もいなくなると、昼間作った長城を壊して煉瓦をはずし、それで自分の家を作る。皆、そんなことを平気でやっていたのです。」
「そんな利己主義な中国人と共産主義は相容れないように思うのですが・・・・」と、僕。まだ、ベルリンの壁があって、ロシアがまだソ連だった頃の話である。
「あれは無理だね。国民性にまったく会っていない。いずれ崩れるだろう。」

 20年以上経った今でも中国の共産主義は一応続いている。そして中国人の利己主義は変わっていない。中国の環境問題を見ているとそう思わざるを得ない。

「国土の1/3が酸性雨を浴びる」、「主要水系の2/5は使用に耐えない」、「3億人以上の農民が安全な水を飲めない」、「4億人以上の都市住民が汚染した空気を吸っている」といった記事が、最近中国の雑誌に出たそうである。又、化学工場爆発によりアムール川が汚染される恐れとか、広東省でカドミウムによる河川汚染発覚、といったニュースなども記憶に新しい。

 中国の環境問題については次回で詳しく見て行くことにするが、今回はまずその対策について考えることにしたい。

 中国の環境問題が深刻なことは皆さんご存知のことと思うが、中には「中国は成長重視で環境を軽視してきたから、環境規制がないか、あっても極めて緩いのだろう」と言う方がいらっしゃるかもしれない。とんでもない。中国には立派な、厳しい環境規制が存在する。ただ、ほとんどの企業や個人が守っていないだけである。
 自分さえ良ければそれでいいのであろう。罰則があっても企業と地方との力関係で強制できない、ひどい場合は賄賂で済ませる、といったことが今でもまかり通っているようだ。

 翻って日本はどうか。かつては公害がひどかったが、今では公害対策や省資源の先進国である。私は、この両国の違いが、日本人は利己主義ではなく社会全体のことを考えているからだとか、日本人は道徳的に中国人より優れているからだとかは、まったく思わない。純粋に経済的な理由だと思う。つまり、何か問題を起こしたときの補償や信用問題等のコストと、公害対策のコストを比較すれば、前者の方が高いというだけである。

 よって中国に前者のコストを高くすることを望む。第一に規制の実効性を高めること。有名無実の法律では誰も従わない。地方の力に限界があるのなら、中央による取り締まりをもっと強化すべきだろう。第二に情報公開である。今の中国では事故や問題が発生しても、それが力のある企業であればなおさら、情報が外に出ない。先のアムール川のケースもロシアの指摘があって、漸く中国は認めたのである。事故の内容やその影響を内外にきちんと知らしめて欲しい。一方、かつて日本がやったように企業の公害対策に対し補助金や税制面の優遇を与えることで後者のコストを下げる方法もある。
 中国政府は、公害対策を行わない企業、あるいは非効率な生産で公害の原因となっている企業を市場から退出させるとともに、それに伴う社会的コストについて覚悟すべきである。断固たる対応を期待したい。

金沢・大樋焼をご存知ですか

2006-03-20 23:47:00 | もう一度行きたい
 僕は北海道の出身だ。そのため“歴史”を感じさせるもの、例えば城下町とか宿場町の古い町並みには弱い。札幌で育ち、札幌の町は好きだが、古い建物といえば時計台か道庁の赤レンガくらい、古いといっても精々100年ちょっとである。そんなわけで、僕にとって古いものは却って新鮮に感じられる。
 金沢には4度ほど行った。好きな町の一つだ。行く度に必ず訪れる店がある。大樋焼の店である。金沢の焼物といえば九谷焼が有名だが、九谷焼は元々は加賀藩の支藩、大聖寺藩の焼物である。そして加賀百万石の焼物がこの大樋焼なのである。
初めて金沢に行った際、偶然、この大樋焼の店に入ったのが、付き合いの始まりだった。

 上野から寝台急行で金沢に行った。まだ社会人1年目、お金がなかったのである。早朝金沢に着き、そのまま輪島に向かい、金沢には翌日戻ってきた。近江町市場、兼六園などを歩いた。兼六園の雪吊りを見に行ったが、3月で既に雪がないせいか、若干物足りない気がした。
 中心部に戻り、やはり金沢に来たのだから九谷焼を見よう、何か良い物があったら買って帰ろうと思い、陶器の店を片っ端から見て回った。九谷焼は色鮮やかで綺麗だが、数をこなすうち半ば義務的になり、次第に食傷気味になって行った。そろそろ終りにしようかなと思っていたとき、偶然入ったのがこの大樋焼の店である。

 そのときは大樋焼を知らなかった。九谷焼のお店と思って入ったのである。でも、感じがまったく違う。素朴で、温かい。聞けば、楽焼の流れを汲み、茶碗、特に飴色の茶碗が有名とのことである。しかし、僕が心を惹かれたのは少し大きな壺だった。九谷焼のような鮮やかな色使いではなく、色はすべて単色。淡い水色や緑、それに白、どれもやさしい色である。じっと見ていると本当に心が落ち着いて来る。

「家にこんな壺が一つあるといいな。ぼーっと眺めているだけで温かく、幸せな気分になれる。だけど僕にはちょっと手の出ない値段だな。」
「気に入って頂けましたか。ありがとうございます。」

 お店の方はとても品の良いご婦人だった。これも金沢の歴史というか、文化のおかげなのだろうか。大樋焼の話や金沢の話を聞きながら、20、30分話をした。結局、何も買わなかったのだが、お茶と金沢銘菓の長生殿をご馳走になった。九谷焼に疲れた僕は、焼物とおば様の温かさ、やさしさに触れ、ちょっぴり元気になって店を出た。

 その2、3年後、再びその店を訪れた。以前と変わらぬ大樋焼の店である。ただ少し感じが違う。そう、あの壺がない。お店の人に尋ねたところ、おそらくそれは先代の作品で、先代が亡くなられてから、あの手の壺は作っていないのだと言う。時既に遅し、である。
 今でも大樋焼が好きなことに変わりはない。家には大樋焼の湯呑みとコーヒーカップがある。残念ながら壺はない。あれが最初で最後のチャンスだった。あのとき清水の舞台から飛び降りるつもりで買えば良かったと後悔することがある。反面、やはり値段が高過ぎると思い、そもそも金沢に清水はないのだから仕方がない、と妙な納得をしている。

WBC 日本 韓国を破り決勝進出

2006-03-19 23:31:10 | 最近思うこと
 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で日本が韓国を6-0で破り決勝進出を決めた。上原の好投と福留の代打2点本塁打など終盤の集中打による勝利である。漸く打線が奮起し、次のキューバ戦も期待が持てそうだ。
 2次リーグで韓国に負けた段階では万事休すと思ったが、メキシコのおかげでこの準決勝に進むことができた。一度緊張の糸が切れ、開き直った日本に対し、韓国は兵役免除の特典を獲得し安堵感というか若干ハングリーさが薄れていたのかもしれない。もっとも実力的には日本の方が上だと思うので、まあ順当な結果と言えなくはない。

 本大会、日本チームの活躍にケチをつけるつもりは毛頭ないが、なかなか“順当”とは言えない展開になっている。アメリカをはじめプエルトリコ、ベネズエラのメジャー軍団が2次リーグで敗退した。アメリカとともに優勝候補筆頭と言われたドミニカも準決勝でアマのキューバに敗れた。

 理由はいくつか挙げられている。第一にメジャー選手の準備不足。既にシーズン入りしているキューバ、事前に合宿を行うなど準備をしてきた日本や韓国。これに対しメジャーの選手は自らのレギュラーシーズンに向けた調整優先で、オープン戦に出る代わりに取り敢えず来ました、といった感じだ。
 第二にモチベーションの違い。キューバはナショナル・チームとして国の威信を懸けて戦っているし、日本や韓国の選手にとっては国の威信とともに、メジャー入りへのアピールの意味合いもある。一方メジャーの選手にしてみれば、ここで頑張っても年棒が増えるわけではないし、却って怪我でもしたら大変だ、ということになる。
 メジャー選手の参加辞退が多くベストメンバーが組めなかったという話もあるが、これは松井、井口を欠く日本にしても同じだ。ただ、プロのいないキューバは当然ながらベストメンバーだし、韓国もメジャーの選手は全員呼び戻したようだから、両国にマイナス材料がなかったのは事実である。

 いずれにしろ、野球の本家本元、アメリカの面子は丸潰れだ。と、思ったら、どうもそうでもないらしい。そもそもWBCは世界の実力No.1を決める大会ではない。サッカーのワールドカップとは違う。HPを見たところ、確かに野球の国際的な普及が目的と書いてある。アメリカにしてみれば、日本は知っている選手は片手にも満たないが、その割りには頑張っている、といった程度である。WBCよりは今シーズンのヤンキース、あるいはレッドソックスの調子はどうかという方が関心事のようだ。

 しかし、そうは言いながらも選手にはメジャーとしてのプライドがある。日本が優勝しようが、アマのキューバが優勝しようが、それは耐え難いことに違いない。次回は出場辞退の選手もいなくなるだろう。
 そのアメリカのドリームチームを、日本のピッチャーがきりきり舞いさせる姿を見てみたい。ベーブ・ルースらを抑えたという伝説の沢村栄治のような活躍を。けれども悲しいかな、豊かになりハングリー精神を失った日本、それに少子化も加わり、スポーツでの活躍を期待するのは難しいのだろうか。日本の野球もモンゴル・パワーに屈する日がいつか来るのだろうか。野球の普及という意味では喜ばしい話だろうが、そう簡単に割り切れない話である。

ボーダフォン買収で思うこと ~ 日本は特殊?

2006-03-18 15:31:40 | お金の話
 今朝の日経トップは「(ソフトバンク)ボーダフォン買収1兆7500億円で合意」という記事だった。この1兆7500億円が妥当な金額かどうかは別として、日本企業による買収では過去最大の金額だそうである。ソフトバンクは携帯電話と動画配信などネットサービスとの融合を図り、総合通信サービス事業の分野でガリバー、NTTの追撃を図るという。

 このところ大型M&A流行りである。先月は、日本板硝子が英ピルキントン社を約30億ポンド(6,160億円。同社の借入金の借り換えも含む)で完全子会社化、東芝が米ウエスチングハウス社を54億ドル(6,200億円)で買収、のニュースがあった。両者はともに世界市場を見据えての買収である。日本板硝子は世界展開の遅れを一気に挽回し世界トップの旭硝子に肩を並べるのが目的であり、一方の東芝は現在世界で主流となっているPWR(加圧水型原子炉)の技術を手に入れ、中国をはじめ世界の原子力発電の分野で攻勢に出ようとの目的である。
 今回のソフトバンクによる買収はこの2社とは異なり、国内市場での事業分野拡大を狙ったものだ。時間をお金で買った、つまり総合通信サービス会社を目指すに当たり、ゼロから携帯電話事業を育てるのではなく買収により出来上がった事業を即手に入れたのである。

 一方、今回の買収を逆から見ると、ボーダフォンの日本からの撤退である。ボーダフォンは、足下ヨーロッパで苦戦しているが、わが国でも加入者数が低迷し、番号ポータビリティーの導入を控え大変厳しい状況にあった。更にわが国の場合、その特殊性というか、同社が世界戦略として打ち出した3Gの世界標準を日本のユーザーが受け入れなかったという問題もある。江戸時代の鎖国の世の中ではないが、こと携帯電話に限っては日本で独自の進化(?)が起こっているのである。日本仕様の製品を開発するには大きなコスト負担が必要だ。ボーダフォンは日本市場にそれだけの価値を認めなかったのであろう。

 本当に日本市場は特殊なのだろうか。日本の消費者に受け入れられず撤退した海外企業といえば、最近ではカルフールがある。彼らは何事においてもフランス流を通そうとしたことに問題があった。日本の流通を無視しメーカーとの直接取引しか認めず、その結果品揃えに魅力を欠いた。また、フランス流のやり方に付いて行けず辞めた従業員も多いという。まだ撤退はしていないが、ウォルマートの西友も苦戦している。

 世界標準を貫くべきか、それとも国の事情に合わせて変更すべきか。例えばドーナツ。ダンキンドーナツはアメリカの味そのままでとても甘かった。これに対しミスタードーナツは日本人向けの味を工夫した。結果はどうだろう。ミスタードーナツは続いているが、ダンキンは数年前に撤退した。
 では、マクドナルドやコカコーラはどうか。ともに世界どこでも同じ味が売りだが、本当にそうなのだろうか。実は私はマックはもう10年以上食べてないし、コーラはそれ以上に飲んでいない。どなたか日本と海外で味を比べたことのある方、同じ味かどうか教えて下さらないだろうか。

コッポラって誰?

2006-03-17 23:50:00 | 芸術をひとかけら
 今日帰ってきてテレビを付けたら『ゴッドファーザーPartⅡ』をやっていた。70年代前半に一世を風靡した、マフィアの世界やそこでの家族の絆を描いた名作『ゴッドファーザー』の続編である。もう半分近く過ぎていたが、懐かしく思い、つい見てしまった。
 アル・パチーノが主人公マイケル役、その父ヴィトー(ゴッドファーザー)の死後、彼がコルレオーネ・ファミリーを継いだ。これは前作の話。PartⅡではその後の家族の愛憎などマイケルの苦悩と、ヴィトーの若い頃の姿が並行して描かれている。若き日のゴッドファーザー役はロバート・デ・ニーロ。前作でゴッドファーザーを演じたマーロン・ブランドをまね、口籠もった話し方をするなど、やっぱり彼の演技は上手いなと思った。

 ところが、見て行くうちにちょっと違和感が。出て来る人物や俳優は記憶にあるし、出て来るシーンもどこかで見たことのある気がする。だけど何かが違う。懐かしいような懐かしくないような。
 で、ちょっと不思議に思い記録を調べてみたところ(以前は見た映画について日にち、場所、採点などを記録していた)、なんと『ゴッドファーザーPartⅡ』は見たことがなかった。PartⅠとPartⅢは確かに見ている。PartⅠに至っては同じ映画館で1週間に2回も見ていた。けれどもPartⅡだけ抜けていたのである。

 そうか、じゃあPartⅡは大事に取って置いて今度機会があれば映画館で見ようかな、やっぱりゴッドファーザーは大きな画面で見たいし、途中からだし、とか思いつつ、結局最後まで見てしまった。懐かしさもあるが、それだけ話に引き込ませる力のある映画だった。PartⅠはマフィアの世界、ファミリーの争い(日本でいえば暴力団の組同士の争い)がメインであるが、PartⅡはマイケル個人のファミリー、兄や妻など家族との争いが中心に描かれていた。因みに、PartⅠ、PartⅡともアカデミー作品賞を受賞している。

 監督のフランシス・フォード・コッポラは、4年の月日と3千万ドルもの資金を掛けた超大作『地獄の黙示録』の興業的な失敗を機に経済的に厳しい状態に陥り、その後破産するなど、最近は監督としての活躍はあまり見られない。今はワインの造り手として、あるいは女性映画監督ソフィア・コッポラの父としての方が有名かもしれない。しかし、驚くのはPartⅠやPartⅡを作ったとき、彼はまだ30代半ばだったことである。その若さで、これだけ複雑な構成や重厚な場面を描くとは、本当に恐れ入ってしまう。

 などと、古い映画の話をとうとうと語ると、自分が年を取った気がして嫌だ。ここで「いやぁー、昔の映画は良かったな。それに引き換え最近の映画は・・・・」などと言おうものなら、もう決定的におやじである。
 さて、気を取り直し、この週末は久々に最新の映画でも見に行こうかと思う。