「お金はなくても、若いうちはまだいいわよ。ところが、年をとったら、だめ。是非とも、お金がいるのよ、年をとったら。年をとって、お金がないほどみじめなものはないんだから。とにかく、どっちかでなくちゃあ ― 若いか、でなきゃ、お金があるか ― どっちかよ。若くもない、お金もない ― ないないづいくしじゃ、すまないの。」(テネシー・ウィリアムズ『やけたトタン屋根の上の猫』、新潮文庫、田島博訳)
冒頭から長い引用で申し訳ない。実は、最近、生活に張りがなく、閉塞感というか、漠とした不安を感じることが多い。心から喜んだり、感動することが少なくなった気がしてしょうがない。
リーマン・ショック後の世界経済の急速かつ大幅な悪化、更には「百年に一度の不況」と言いつつ何ら有効な対策を打ち出せないどこかの首相、そして雇用不安。再び底の見えない不況に入ろうとしている我が国の状況のせいかもしれないし、あるいはごく個人的な理由、仕事面で新しいことや困難なことにチャレンジする状況に足元ないせいかもしれない。それとも、単に冬のボーナスが厳しかったからだろうか。はたまた、単に年をとっただけのことかもしれない。
などと取りとめもなく考えていた時、ふと、冒頭の「若いか、お金があるか、どっちかでなきゃ」というくだりを思い出したのである。
もう手元に本がないので正確なところはわからない。つまり、誰が、どういった場面でこのセリフを言ったのかはわからない。
が、確かに自分自身のことを考えても、若い時はお金がなくても楽しかった。貧乏であってもみじめではなかったし、それなりに夢はあった。さしたる根拠はないが、明日は今日より良い日と何の疑いもなく思っていた。
今、アラフォーとアラフィフの境目となった今、もはや若いとは言えない。お金があるかといえば、まあ、なくはない。もっともそれは働いているからであり、仕事を辞めても暮らして行けるような資産、蓄えなど毛頭ない。
ぎりぎり合格、優・良・可・不可の可だろうか、“若いか、お金があるか”という問いに答えるとすれば。
またスペイン語の勉強を始めた。といっても初歩の初歩、入門編である。3年前に買い、10ページ足らずで挫折したテキストを引っ張り出して来たのである。(ついでに腕立て伏せも始めました。)
人生、とうに折り返し地点は過ぎた。が、まだかなり残っているはずだ。若くもないし、お金もそれほどないが、何か新しいことをやらねば、と思った。
冒頭から長い引用で申し訳ない。実は、最近、生活に張りがなく、閉塞感というか、漠とした不安を感じることが多い。心から喜んだり、感動することが少なくなった気がしてしょうがない。
リーマン・ショック後の世界経済の急速かつ大幅な悪化、更には「百年に一度の不況」と言いつつ何ら有効な対策を打ち出せないどこかの首相、そして雇用不安。再び底の見えない不況に入ろうとしている我が国の状況のせいかもしれないし、あるいはごく個人的な理由、仕事面で新しいことや困難なことにチャレンジする状況に足元ないせいかもしれない。それとも、単に冬のボーナスが厳しかったからだろうか。はたまた、単に年をとっただけのことかもしれない。
などと取りとめもなく考えていた時、ふと、冒頭の「若いか、お金があるか、どっちかでなきゃ」というくだりを思い出したのである。
もう手元に本がないので正確なところはわからない。つまり、誰が、どういった場面でこのセリフを言ったのかはわからない。
が、確かに自分自身のことを考えても、若い時はお金がなくても楽しかった。貧乏であってもみじめではなかったし、それなりに夢はあった。さしたる根拠はないが、明日は今日より良い日と何の疑いもなく思っていた。
今、アラフォーとアラフィフの境目となった今、もはや若いとは言えない。お金があるかといえば、まあ、なくはない。もっともそれは働いているからであり、仕事を辞めても暮らして行けるような資産、蓄えなど毛頭ない。
ぎりぎり合格、優・良・可・不可の可だろうか、“若いか、お金があるか”という問いに答えるとすれば。
またスペイン語の勉強を始めた。といっても初歩の初歩、入門編である。3年前に買い、10ページ足らずで挫折したテキストを引っ張り出して来たのである。(ついでに腕立て伏せも始めました。)
人生、とうに折り返し地点は過ぎた。が、まだかなり残っているはずだ。若くもないし、お金もそれほどないが、何か新しいことをやらねば、と思った。