縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

猫の反乱、あるいは単なるボケ?

2007-11-29 23:02:42 | 最近思うこと
 この2ヶ月、ウチの猫の様子がおかしい。オシッコをトイレの外でするのである。さすが20歳を越すおばあちゃん猫、ついにボケたか、と思ったら、どうもそうではないようだ。ウンチはトイレでするが、なぜかオシッコだけ外。
 近所のネコ博士に聞いたところ、これは何か不満があってわざとやっているに違いない、とのこと。又、このトシの猫は人間の言葉がわかるから(ホントか?)、怒っては逆効果だとも言っていた。

 オシッコをトイレの外でするようになったのは、トイレの砂の種類を変えたのがきっかけだった。すぐさま元の砂に戻したが、それでも直らない。やれやれ、どうしたものか。
 ネコ博士曰く、猫にやさしくすると良い、「外でオシッコされると困るのよね」と諭すように話し掛けるのが良い、とのこと。なるほど、そういうものかと、思いっきり下手に出て見るが、何の効き目もない。相変わらず、外でオシッコしてばかり。
 朝起きて、あるいは会社から帰ってきて、廊下を見るときの緊張感といったらない。またやっているかなと疑心暗鬼になり、じっと下を見る。オシッコを踏んではいけない(実は何回が踏んでしまった)と慎重に確かめながら少しずつ歩く。そして、「あっ、またか・・・・。」というのが、もう2ヶ月続いているのである。既に廊下のワックスがずいぶん剥げ、ところどころ変色したり、黒光りしている。

 ひどい時は、オシッコを拭き終ったそばから、すぐオシッコをされることがある。そうなると、とてもやさしくなどしてられない。ついつい、「このボケ猫」とか「バカ猫」とか怒鳴ってしまう。
 猫の学習効果に期待したことがある。まずは猫をトイレに連れて行き、「トイレでオシッコしたらご飯あげるよ」と言い聞かせてからエサをあげる、これを何度か繰り返した。すると、すぐ後はトイレでオシッコをしてくれる。シメシメ。
 が、これが続かない。またぞろ外でオシッコを始める。やっぱり、ボケてるのかな、と思ってしまう。

 「バカな猫ほど可愛い」と思うほど僕は達観していない。しかし、もしこれが何かの意思表示、不満を示しているのだとしたら、それはそれでウチの猫を可哀そうに思う。話す術、訴える術を持たないわけだし、かといって家の外に逃げ出すわけにも行かないのだから。
 ウチの猫は基本的に外に出していない。よって狭い我が家が彼女にとっての世界である。黙っていてもエサはもらえるが、それはあくまでも飼い主の都合であり、食べたいときに食べたいだけのエサを食べられるわけではない。それに飼い主の都合といえば去勢もそうである。

 うーん、こう考えると、ウチの猫の人生、もとい猫生って何なんだろう。生きがいは何? 食べること、眠ること、それとも飼い主に愛されること?
 人にかまわれることを嫌う猫の性格を考えると、最後のは違うかもしれない。とすると、ただ食べて眠るために生きているということか。なんと寂しいことか。

 と、猫の声が聞こえる。ただ食べて寝るだけの人生、それのどこが悪い。おまえさんは朝早くから夜遅くまで会社とやらに行って働いているが、こちとら生まれてこの方働いたことはない。あたいが一心不乱にネズミを追い掛ける姿なんてみたことないだろ。
 ・・・・、おっしゃる通り。どちらが寂しい、悲しい人生だろう。食べて寝るだけの生活、この甘美な響き。僕も生まれ変わったら猫になりたい、それもウチとは違って、セレブなお家の優雅な飼い猫に。

吹奏楽とジャズの融合?(荻窪音楽祭)

2007-11-25 14:33:43 | 芸術をひとかけら
 先日、荻窪音楽祭のトリを飾るコンサート、「クラシックとジャズの融合!」というのに行ってきた。荻窪音楽祭は今年でもう16回目とのことだが、今までまったくその存在を知らなかった。たまたまサントリ-ホールでもらったチラシの中に「クラシックとジャズの融合!」というコピーを見つけ、面白そうだなと思い、行くことにしたのである。

 この音楽祭は、クラシックを通じ心のふれあいを広め、心豊かに暮らせる街にしたいとの思いから始められたとのこと。運営は“「クラシック音楽を楽しむ街・荻窪」の会”というボランティア団体が行っている。隣り街の阿佐ヶ谷のジャズに対抗して荻窪はクラシックなのかと思ったが、阿佐ヶ谷ジャズストリートはまだ13回なので歴史はこちらの方が古いようだ。
 音楽祭の場所は杉並公会堂。学生のとき、もう20年以上も前だが、オケの友人の演奏会で来たことがある。地方の古い市民会館のようで、大学のオーケストラが演奏会をやるには十分だが、お世辞にも立派なホールとは言えなかった。が、今回行ってびっくり、昨年改築されたとのことで、見違えるほど綺麗になっていた。音響もなかなか良い。

 さて、「クラシックとジャズの融合!」、期待した通りの内容だったかというと、正直、若干?である。
 テーマのクラシックとジャズの融合という意味では、ガーシュインの『ラプソディ・イン・ブルー』が演奏されただけだった。出だしのクラリネットのソロは良かったし、松永貴志のピアノも良かったが(クラシックという意識もあったのか、丁寧というか、随分真面目に弾いている印象を受けたが)、これだけでテーマを表現したとは言えないだろう。消化不良の感が残る。

 では、あとの演奏は何だったかと言うと、吹奏楽の演奏だったのである。そもそも演奏は東京佼成ウインドオーケストラ。プロの吹奏楽団なるものが日本にいくつあるのか知らないが、日本を代表する吹奏楽団らしい。今日の演奏会、本来は「吹奏楽とジャズの融合」あるいは「吹奏楽へのお誘い」とするのが正しかったであろう。
 中高で吹奏楽部の演奏を聴いた以外は、吹奏楽の演奏を見た、もとい聴いたことはない。そのため「吹奏楽」の演奏自体はとても新鮮で、なかなか興味深かった。百聞は一見に如かず、クラシックと吹奏楽の違いがよくわかった。

 まずオーケストラを見て驚いたのは、クラシックとの編成の違い。クラシックでバイオリンのいる所にクラリネットがいる。吹奏楽というのは、文字通り、吹いて奏でる音楽であり、木管や金管楽器を主に、打楽器を加えたものである。頭ではわかっていても、実際に生で吹奏楽のオーケストラを見ると、その珍しさに違和感を感じてしまった。
 次に生で聴いて驚いたというか、クラシックとの違いを感じたこと。やはり吹奏楽の方が、音が華やかというか、派手であること。弦楽器主体のクラシックと違い、吹奏楽では金管楽器や打楽器が重要な役割を担っている。音量もあるし、劇的な効果も高い。確かに軍隊の行進に使われることを考えれば、威勢のいい音楽、それに相応しい楽器、ということになるのだろう。憂いを含んだ曲は行進には不向きだ。

 逆にクラシックと吹奏楽の共通点、これはあくまで僕の個人的な感想だが、ともに現代の曲はわかりにくい、とっつき難いということ。当日の演奏は、『ラプソディ・イン・ブルー』を除き、ネリベルという人の曲(おそらく現代の吹奏楽に分類されると思う)が多かった。ネリベルは吹奏楽好きの方には垂涎の的なのかもしれないが、初めて聴く僕はあまり好きにはなれなかった。やはり吹奏楽といえば、スーザの『星条旗よ永遠なれ』とか、当日のアンコールで演奏された『ラデツキー行進曲』の方が良い。ともに古い曲である。
 これはクラシックの場合も当てはまって、僕には武満徹の良さは理解できない。僕は現代音楽よりも近代音楽の方が好きだ。

 なにはともあれ、若干看板に偽りありという気がしないでもないが、初の吹奏楽のコンサートは楽しめたし、荻窪の街を散策できたし(フレンチの『クレール・ド・リュヌ』はお勧め)、この音楽祭に行ったお陰で良い経験ができた。荻窪の方々の心意気に感謝!

“ブラキストン線”を越えて

2007-11-17 23:57:00 | 最近思うこと
 先日、高校の東京在住者による同期会があった。出席者は50人程度。正直言って、この人数に驚いた。意外に東京に住んでるんだ、と思ったのである。おそらく当日出席できなかった人も含めれば、この倍、100人くらいは東京に住んでいるかもしれない。1学年450人だったので、おおよそ4人に1人ということになる。
 何度か書いているが、僕は北海道の出身である。僕の高校は地元では一応進学校であったが、東京の大学に行く人間は少なかった。北大をはじめ地元の大学に行く人間がほとんどである。さすがに大学を出て就職となると、北海道に良い就職先がないから、皆、否応なしに東京に出てきたのであろう。

 北海道民といえば、概して、歴史が浅く「家」の概念が希薄、因習に囚われない、考え方が自由だ、“Boys, be ambitious !”のお膝元だしフロンティア・スピリットに溢れている、等々、前向きというか、積極的なイメージが強いかと思う。
 しかし、実際はそうでもないようだ。『住民基本台帳人口移動報告(平成18年)』によると、北海道の他都府県への移動者の比率、社会的移動率は 1.27%と全都道府県の中で最も低い。全国平均は 2.06%であり、その半分を若干上回る程度に過ぎない。早い話、地元から出て行く人間が少ないのである。この数字からは、新しいことに挑戦する気概や進取の精神は感じられない。
 社会的移動率の低い県は、北海道をトップに新潟 1.36%、富山1.47%、福井 1.51%と北陸の県が続く。保守的なイメージの強い北陸よりも社会的移動率が低い、開拓時代はいざしらず、今の北海道民は以外に保守的なのである。

 北海道は暮らしやすいから移動しない・引っ越さないのでは、との意見があるかもしれない。確かにそれはあると思う。自然が豊か、食べ物がおいしい、等々。
 が、ここで再び『住民基本台帳』を見ると、都道府県内での移動者の比率という統計がある。なんと、逆に全国で一番高いのが北海道である。4.26%と全国平均 2.35%の倍近い水準である。つまり、人は移動している、引っ越しているが、精々札幌止まりで北海道の外には出ない、ということである。
 北海道の年配の方の中には、本州のことを内地と言う人が多い。北海道の人にとって本州は外国と変わらないのだろうか。

 ところで、“ブラキストン線”をご存知だろうか。津軽海峡を動植物の分布境界線とする考えである。有名なものは熊、即ち、ヒグマは北海道にしか棲息していないし、ツキノワグマは本州以南にしかいない。エゾシカ、エゾリス、キタキツネなども同様である。もしや、ブラキストン線は人間にとっても、一つの壁になっているのかもしれない。
 僕が東京に来て一番驚いたもの、それはゴキブリである。寒い冬を乗り切れないのか、北海道にゴキブリはいない。少なくとも僕は見たことがなかった。初めてゴキブリを見たときの衝撃は忘れられない。あの黒光りする大きな体で、カサカサッと不自然なまでに素早く動き、おまけに飛ぶ、更には、ときに向かって飛んで来る、本当に許せない。

 しかし、何年か前に札幌に行った時、飲み屋でゴキブリを見た。チャバネの小さいのであったが、確かにゴキブリだった。そうか、こいつら、ブラキストン線を越えたんだ。
 ゴキブリを見習って(?)というのもなんだが、北海道の人も、昔のフロンティア魂を取り戻し、勇気を持って、もっとブラキストン線越えにチャレンジしてはどうだろうか。

 “Boys, be ambitious !” 道民よ、大志を抱け!

ワインと和食と小田原(後編)

2007-11-12 22:38:16 | おいしいもの食べ隊
 その翌日(ずいぶん間が開いてしまったが、『ラ・クロシェット・ドール』に行った翌日である。詳しくは6/16の前編参照)の昼、『未能一(みのいち)』という店にランチを食べに行った。
 前日、夜遅かったので、二人とも寝坊してしまった。遅い朝食を取るか、それとも昼食を早めるか、そのとき最近出た『danchu』(2007/5)のことを思い出した。特集は「日本一おいしい街 銀座 美食案内」。そうだ、銀座に和食を食べに行こう、ということになった。昨日は洋食(というかワインとつまみ)、今日は爽やかに和食がいい。

 『未能一』は以前から目を付けていた店だった。『danchu』で7、8軒紹介されていた和食店の中で、見た感じがおいしそうだったし、値段もそこそこ。夜はちょっと厳しいが、昼ならなんとか手が届く値段である。幸い土曜日もやっている。
 後で知ったのだが、土曜日、それも当日の予約は通常はほとんど無理らしい。小さな店なので2、3組ですぐ満員になってしまうし、又、何かの都合で休むこともあるらしい。我々は運が良かったのである。

 店はカウンター4席と座敷。10人程度で満員になるこじんまりした店だ。ご夫婦2人で切り盛りしている。お二人とも60代だろうか、実直そうなご主人と暖かい女将さんである。昼はおまかせのコースのみで5,000円。我々はカウンターに座った。
 
 さて、肝心の料理であるが、申し訳ない、もう4、5ヶ月も前の話なので何を食べたかよく覚えていない。ただ覚えているのは、どの料理も手間を惜しまず丹念に作った料理だな、洗練された日本料理だな、ということ。因みに、『danchu』はこの店を「旨いものを食べ尽くした銀座の旦那衆の辿り着いたパラダイス」と紹介している。確かに旨い。店の場所や雰囲気から、我々のような若造には敷居の高い店に見えるが、皆さんも一度勇気を出して暖簾をくぐってみては如何だろう。

 以上でワインと和食の話は終わり。最後の小田原の話。この小田原話がなかったら、『ラ・クロシェット・ドール』も『未能一』も書くことはなかったかもしれない。たまたま続けて訪れた2軒の店、それもワインと和食でタイプのまったく違う店に意外な関係があったこと、そして小田原の人の美食を追い求める姿勢に敬服した(?)ことが、これを書くきっかけになったのである。

 ご主人から、以前はこのビルのオーナーが経営していた『未能一』という店で働いていたこと、その後独立し小田原に店を持ったこと、昨年ここに帰ってきたこと(フロアーは変わったが)、その際オーナーの号である『未能一』という名前を頂いたこと、等を聞いた。
 小田原? そういえば昨夜のワインの店も以前は小田原にあったとのこと。「実は ~ 二日続けて小田原なんて偶然ですね。」と、その旨話したところ、「ああ、3丁目の○○ビルの店ね。知ってますよ。」との答え。えっ、ご主人、和食の方だし、このお年だし、ワインなんか全然飲みそうにないのに、それにお店だって離れているのに(注:『未能一』は銀座8丁目にある)、どうしてあんなマニアックな店知ってるの? 繋がりがわからない。
 
 答えは簡単だった。小田原のお客さんである。馴染みのお客さんが銀座に移ってからも訪ねて来るとのことで、そうしたお客さんの中に『ラ・クロシェット・ドール』のお客さんがいた、つまり、小田原時代の二つの店を知る人がいたのである。ご主人はその方達からよく話を聞かされたそうだ。恐るべし小田原。小田原グルメの底力を感じた。
 
 「なーんだ、もったいぶった割には詰まらない話だな。」と思われた貴方、実際、自分で経験してみるとおもしろいですよ。ちょっとした偶然に感謝!

信州・上田で食す

2007-11-11 16:25:43 | おいしいもの食べ隊
 先日、信州は上田に行った。NHKの大河ドラマ『風林火山』に触発されたわけではない。松茸を食べに行ったのである。そう、ここ上田は真田氏だけでなく、松茸の産地としても有名なのである。
 上田・塩田平では、シーズン中、多くの山小屋がオープンし、松茸料理を提供している。デパートで買えば1本1万円近くする国産の松茸を、同じ値段でフルコースが食べられる、何本も食べられる、というので大変な人気である。

 で、食べた印象であるが、確かに沢山食べた。炭火焼、鍋、土瓶蒸し、ホイル焼き、天麩羅それに松茸ご飯。それこそ、4、5年分の松茸を一気に食べたような感じである。感想は? と問われれば、ただ「沢山食べた」としか言い様がない。さして感動しなかった。
 北海道で育ったせいか、はたまた家が裕福でなかったせいか、子供の頃、松茸を食べた記憶はない。社会人になって初めて松茸を食べたとき、これが松茸か、と思った程度で、やはり、あまり感動しなかった。コスト・パフォーマンスが悪いな、という印象。「におい松茸、味しめじ」と聞くし、さすが松茸、かおりは良い。でも自分で買って食べるなら、しめじ(たとえ“本しめじ”ではなくても)が良いと思ったし、今でもそう思っている。

 皆さん、特に松茸好きの貴方、松茸にあまり思い入れのない、こんな僕の感想など無視して、一度トライされてはどうだろうか。焼き物以外では一部輸入物の松茸を使っているらしいが、とにかく量を食べられることは間違い無いので。

 話は一転、ぐっと庶民的な話、そばの話である。
 ご存知の通り、上田というか信州は、そばも有名である。やはり上田に来た以上、そばを食べて帰らねばと、翌日の昼はそばを食べることにした。
 上田のそば屋といえば、内幸町の『柚庵』が元は上田のそば屋だと聞いたことがある。以前、女将さんが「上田の店には羽田さん(注:羽田さんちのツトム君、もとい元首相である)がよくいらっしゃるんですよ」と言っていたのを覚えている。が、如何せん、店の名前が思い出せない。松茸のことしか考えていなかったので、そば屋のことなどまったく頭になかったのである。
(因みに、戻って調べたら『東都庵』という名前だった。)

 どこに行こう、どこで食べようか、と悩んでいたところ、妻が地元のおばさんの情報をゲットしてきた。この辺りでは『車屋』さんが良い、とのこと。市内に何軒かあるらしいが、我々は上田市と青木村の境にある、『車屋 本店』に行くことにした(何のことはない、青木村にある田沢温泉の帰りだったからであるが)。
 ここのそばがうまかった。挽きたて、かつ打ちたてで大変コシがある。歯ざわりや喉越しも良い。そばの太さが不揃い、ときどき少し太いのがあるが、これも手打ちそばならではのご愛嬌である。ちょうど新そばだったし、行った時季も良かった。

 店に「チェーン店募集してます」との張り紙があった。一瞬、脱サラしてそば屋に、との想いが頭をよぎる。そうすれば、毎日おいしいそばを食べられるし、嫌な仕事ともオサラバできる。近くには温泉もあるし、最高の環境だ。
 が、ふっと我に帰って考える。『シーシュポスの神話』、毎日ひたすらそばを打つことの繰り返し。僕にそば道を、そばの真髄を究めようとの気概というか職人気質はない。ふと横を見ると、ずっずっずーっと無心にそばを啜る妻。幸せそうだ。が、やはり二人にそば屋は無理だと思った。