縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

やわらかく、そしてやさしく ~ 熊本地震の被災地支援

2016-04-21 23:16:46 | 最近思うこと
 この週末、テレビでACジャパンのCM『やわらかいこころをもちましょう』をよく見かけた。相田みつをの「セトモノ」という詩の流れるCMである。いいなぁ、と思う。僕は好きだ。

 このところ社会全体が、とげとげしたというか、ギスギスしたというか、“やわらかいこころ”を失っている気がしてならない。かくいう僕も年とともに怒りっぽくなっている。心の余裕がなくなり、次第におおらかさ、寛容さが薄れてしまった気がする。
 例えば朝夕の通勤時。僕の前にスマホを見ながらのんびり歩いている奴がいたりすると思わず「とっとと歩け」と蹴飛ばしたくなるし、階段の上り下りのルールを無視した奴がぶつかってきたりすると「危ないだろ」と怒鳴りたくなってしまう。

 いつ頃からだろう、“キレる”という言葉が使われ出したのは。当初は若者に使われていたが、その親の世代がモンスターペアレントと騒がれるようになり、最近はその上の世代でキレる老人が話題になっている。ネットの炎上も日常茶飯事だし、まさに一億総キレ社会(?)といった感じである。
 長引く景気の低迷に格差の拡大、さらには高齢化の進展と人口の減少。もう昔のように無邪気に明るい未来を思い描くことなどできない。漠とした不安に閉塞感、そして日々溜まっていくストレス。まあ、皆が怒りっぽくなる、キレるのも無理はないかもしれない。
 しかし、今、それが行き過ぎていないだろうか。

 ACジャパンのCMが増えているのは、皆さんご存じのように、企業が熊本地震を受けCMを自粛しているからである。企業は、この非常時にも自分の利益しか考えていないのか、被災者の方が本当に大変な想い・つらい想いをされているのに非常識だ、等々の非難、苦情を避けようとCMを自粛しているのである。
 そんな企業の中には被災地支援に真摯に取り組んでいる企業もあるとは思うが、多くの企業は「君子危うきに近寄らず」的な対応をしているだけである。そう、目に見えない世間の圧力、怒りを慮っての行動、リスク回避でしかない。世間の、というか一部の声の大きな人達と言った方が良いかもしれないが、その圧力、怒りのパワーは凄まじいものがあるし、さらに恐ろしいのは、そこには理屈がないのである。

 今回の震災への対応を巡り、ネットで炎上した芸能人が数多くいる。被災地の方を励ましたり、寄付をしたのに売名行為だと罵られ、あるいは被災の苦しみを綴れば つらいのはおまえだけじゃないと非難される。どこかおかしくないだろうか。やり方や公表の仕方に多少の問題はあったのかもしれないが、僕は、仮にそれが本当に売名行為だったとしても、やらないよりはやった方が良いと思う。他人が、それも被災者ではない人間が、とやかく言うことではないだろう。

 被災地の方のため、皆が自分のできることをすれば良い。自らの正義をかざして他人を非難するだけでは何の解決にも支援にもならない。また自粛するだけでは前に進むことはできない。
 まず、何かを始めよう。そして、それを続けて行こう、ずっと。

『わたす 日本橋』 ~ 南三陸町との橋渡し

2016-04-14 22:25:00 | 最近思うこと
 今日のお昼、『わたす 日本橋』に行った。南三陸町はじめ東北の被災地を支援するための施設である。もうオープンして1年、会社のすぐそばなのに僕はその存在をまったく知らなかった。昨日偶然ネットで見つけ、南三陸町を応援する僕は早速ランチにお伺いした次第。場所は東京メトロ日本橋駅からすぐ、COREDO日本橋とふとんの西川の間の路地にある。小さなビルの1階・2階が飲食フロアになっており、3階は復興関連のイベント等を行う交流フロアである。
 
 『わたす』は三井不動産が東日本大震災復興支援の一環として昨年3月3日に開設した。南三陸の海の幸・山の幸を使った料理を提供したり、観光やイベントの情報を提供したりしている。TV会議システムを利用して地元の中学生への学習支援も行っているそうだ。「南三陸町と日本橋に、人と未来に、心の懸け橋を」との想いに端を発するプロジェクトである。

 元々は三井不動産の一人の女性社員のボランティア活動がきっかけとのこと。彼女は南三陸のことをいたく気に入り何度も足を運び、南三陸の良さを多くの人に知ってもらいたいと考えるようになった。そんな彼女の想いが会社の中で少しずつ広まり仲間が増え、ついには同社の役員の耳にも入った。そこから会社のプロジェクトとして動き始めたのだという。一人の女性の夢、願い、(関係者の方の言葉を借りれば)妄想が現実のものになったのである。

 南三陸町には、旬の魚介類を使った春夏秋冬の「キラキラ丼」がある。僕はその美味しい記憶があったのでランチには迷わず「三陸海鮮DONBURI」を頼んだ。女川や南三陸から直送した鮮魚とトマトやアボガドを使ったバラちらしと書いてある。1,380円とランチにしてはお高いが、美味しいのであれば・・・。
 さて、期待した海鮮DONBURI、美味しいことは美味しいが、いかんせん量が少なかった。もとい、ご飯の量はそこそこあるが、肝心の魚の量が極めてお上品なのである。にもかかわらず1,380円。コーヒーが付くとはいえ、しがないサラリーマンのランチである。ワンコインとは言わないまでも1,000円には抑えて欲しい。もっとも夜のメニューを見ると昼に比べてリーズナブルな気がする。よし、今度は残業した夜にでも来てみよう。

 失礼ながらランチにはあまり感動しなかったが、このプロジェクトに携わっている方の想いには感動するし、僕も応援して行きたい。震災後4年経ったところで『わたす』はスタートし、これからもずっと被災地の方と繋がっていたいという。その気持ちが本当に素晴らしいと思う。
 ニクイねぇ! 三井 (あれっ、ちょっと違う??)

滋賀への旅 ~ 祝・47都道府県制覇

2016-04-09 19:40:11 | もう一度行きたい
 久々の一人旅。新幹線で西へ、滋賀へと向かっている。新幹線を降りた途端、今回の旅の目的はほぼ達成される。そう、今回は滋賀県に行くこと自体が目的なのである。これで漸く47都道府県すべてに行ったことになるからだ。

 僕のルールとしては、車や電車で通り過ぎただけでは認めず、実際に降りてそこの土を踏み、観光なり仕事なり何らかの足跡を残して、初めて“行った”とカウントしている。特に47都道府県制覇に情熱を注いでいたわけではないが、旅好きに加え、以前は出張で地方に行くことが多く、気が付けば46都道府県を訪れていた。
 残すは滋賀県だけとなったのは、もうかれこれ10年以上も前。46番目に行ったのは和歌山県だが、それから10年、滋賀に行く機会はなかった。いや、行こうという意欲があまり沸かなかったのである。わざわざ琵琶湖を見に行く気もしないし、近江牛だって東京で食べられるし、良い温泉もなさそうだし等々、行くぞ!という理由が見つからなかった。
 が、「それじゃダメじゃん」と一念発起し、一人、新幹線に飛び乗った次第。

 ブランド総合研究所が、毎年「魅力度47都道府県ランキング」を出している。滋賀県の最新の順位は堂々の(?)43位。どうもこの辺りが滋賀の定位置のようである。因みにその下は埼玉、群馬、佐賀、茨城。個人的には、有田、伊万里、唐津の焼き物や、嬉野温泉、呼子の烏賊に伊万里牛と魅力たっぷりの佐賀県が46位というのは納得いかないが、他は、まあ、そうかなあといった感じ。
 はてさて、実際に行った滋賀県はどうだろう。続きは帰りの新幹線で。


 行って来ました、滋賀県。金曜の夜から一泊二日の駆け足の旅。新幹線で米原まで行き、乗り換えて今回の宿泊地である彦根へ。居酒屋で遅い夕食を取った。翌日は彦根城など彦根市内を散策した後、近江八幡に移動。昼食に近江牛のステーキを食べ、八幡堀など市内を散策し帰路についた。
 これが最初で最後かもしれない僕の滋賀の旅の概略である。

 滋賀はのどかで住むには良いところだと思う。これは本当にそう思う。しかし、観光地としてはどうだろう。パンチに欠けるというか、他県に誇るスペシャルなものがない気がする。信長の安土城が残っていれば違ったかもしれないが、彦根城ではパワー不足は否めない。ちょうど桜が満開できれいだったが、この時期桜ならいたる所で咲いている。
 また、彦根でも近江八幡でも、地場のスーパー・平和堂に行き食品売り場を見たが、取り立てて珍しいものはなかった。そして、なにより東京から遠い。もっとも『秘密のケンミンSHOW』を見ていたら、京都や大阪の人は滋賀県のことを、琵琶湖しかない、関西で一番影が薄いと言い、あまり行かないらしい。では、いったい誰が滋賀県に行くのだろう。

 もう割り切って、滋賀県は滋賀県民のものと考えるべきなのだろうか。いっそのこと独立するとか。それで県境に関所でも設けて出入りをチェックすれば、かえって珍しがられて人が来るかもしれない。信長、秀吉、石田三成など歴史ロマンあふれる滋賀県、近江国にタイムスリップという謳い文句は如何だろう。
(と言いつつ、後ろから中国語が聞こえてきて、すぐ現実に引き戻されるかと思いますが・・・。)