縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

ちょっと“エコ”

2006-12-23 23:59:47 | 環境を考える
 実は会社帰りによくスーパーで買い物をする。朝食の果物、牛乳、ジュースや、夕食の惣菜などを買って帰る。で、最近、マイ・バックを使い始めた。ポリ袋を使わずに済むようにと思ったからだ。通勤カバンの中にバックを入れている。レジで「袋はいいです」と言ったとき、ちょっと環境にやさしいことをしているな、少し良い人になったかな、などと思い、一人悦に入る。身近な“エコ”の一つである。

 結構、自分にできる範囲で“エコ”を心掛けているつもりだ。例えば、PETボトルや牛乳などの紙パック。PETボトルは以前このブログでも書いたが(『PETボトルはどこへ消えた?』)、その後の処理が楽になるように、ラベルを剥がし、中を水洗いし、そして乾かした後で潰して出している。紙パックもおおよそ同じ要領だ。しかし、PETボトルの回収率40%に対し、使用済紙パックの回収率は25%程度とまだ低い。
 紙パックはとても良質な紙を使っている。強度の関係から北米や北欧から輸入した針葉樹のパルプを原料にしている。極論すれば、紙パックを捨てるということは、針葉樹の木を捨てるのと同じである。事実、回収された紙パックは、ティッシュ・ペーパー、トイレット・ペーパー、ノート等の原料に利用されており、その分パルプの消費量が抑えられているのである。

 紙について、もう一つ心掛けていることがある。それは古紙の分類。新聞紙と、広告・雑誌等を分けて出している。もっとも、これは“エコ”というよりちょっとした気配り。
 以前、古紙には新聞紙と雑誌が混在しており、それを分けるのが手間だと聞いたことがある。なぜ分類する必要があるのか。おそらく、新聞紙とその他の古紙では引取価格が違う(広告・雑誌等は紙質やコーティングの有無など千差万別であるのに対し、新聞紙は紙質が均一・インクが黒主体で脱墨しやすく処理が容易等のため)、雑誌は別途ホチキスの芯などをはずす必要がある、等からであろう。業者の方の分別の手間を少なくし、古紙回収が増えるようにと思い、微力ながら(本当に微力であるが)、お手伝いをと思った次第である。

 あとは車。この春、車を手放した。排気量2500ccで、型式が多少古いこともあり、燃費の悪い車だった。それ以降の外出はもっぱらバスや地下鉄など公共交通機関を使っている。通勤もバス。帰り、特に飲んだときは、健康も考え歩いて帰ることもある。(ただ、朝、寝坊したときは、ついついタクシーを使っているが・・・。すみません。)
 京都議定書で定められたCO2排出量削減に向け、産業部門の対応が進む一方、民生部門や運輸部門の取り組みが遅れていることを思うと、我が家は相当頑張っている方だと思う。

 ところで、冬になり、妻が寒さに負け、車が欲しいと言い出した。仕方がない、環境を考え、やっぱりハイブリッドか、と思うものの、これがちょっとお高い。環境にはやさしいが、懐にはやさしくない。ウーン、背に腹は変えられないか。
 TOYOTAさん、1兆4千億円もの純利益を稼いでいるのだから、もう少しハイブリッドの価格を下げて欲しい。国に税金を納めるだけが能じゃないよ。直接、消費者にも還元してくださいな。それが無理なら、国が、トヨタの納めた税金の一部を財源に、ハイブリッド購入者に補助金を払うというのはどうだろう。エタノール車の普及にはコストも時間も掛かるのだから、環境のためにはハイブリッドを優先すべきでしょう。安倍さん、支持率回復策の一つ(?)として是非ご検討を。

ディープとディック

2006-12-21 23:23:42 | 最近思うこと
 競馬のことはよく知らない。馬券も買ったことはない。が、あの凱旋門賞の出来事以来、ディープインパクトに俄然興味がわいた。今度の日曜、クリスマス・イブに、ディープの引退レースとなる有馬記念が行われる。有終の美を飾るよう期待している。
 なぜディープに関心を持ったのか。それは凱旋門賞で優勝を期待されたディープが3着に終わったことではなく、禁止薬物が検出され失格になったからである。

 僕は、競馬に関心はないが、ディック・フランシスは好きだ。彼はイギリスの小説家で、競馬に関する話ばかり書いている。自身も障害競走の騎手だったそうだ。彼の小説を分類すれば、推理小説、冒険小説になる。わかりやすく言えば、タフな男が活躍するハードボイルドな世界を描いた作品である。
 そんな彼の小説で、ヨーロッパの競馬を巡るどろどろした世界を嫌というほど見せられたため、僕には、今回のディープインパクトの一件、偶然の事故とは思えなかった。そのかげに何か陰謀があるのではと考えずにはいられなかった。

 まず、ディープが禁止薬物をいつ摂取したのか、その経緯が怪しい。フランス人獣医は禁止薬物と知っていながらイプラトロピウムをディープに処方した。彼は、レースで問題にならないよう、投与する期限など使用法をきちんと説明したと言う。それが、言葉の問題もあって日本側に正しく伝わっていなかった、あるいは、日本側が何かの不注意で与えてしまったのでは、という。またイプラトロピウムが日本では禁止薬物ではないというのも気になる。誰か獣医に指図した人間がいるのではないだろうか。
 薬物絡みの事件ということで、僕はディック・フランシスの『興奮』を思い出した。ディープのファンの方には申し訳ないが、思わず興奮したというか、血が騒いだ。

 問題は金だ。ディープが勝つと困るのは誰か。一番困るのはやはりヨーロッパの馬主連中だ。優勝賞金は勿論のこと、種馬としての収入にも響いてしまう。凱旋門賞優勝の肩書きの有る無しは大きいし、下手をするとディープが種馬としてヨーロッパ市場に参入してくる恐れもある。日本の訳のわからない、それこそ、どこの馬の骨ともわからない馬に、大切な市場を席捲されるのは許さないと考えたのではないか。
 名誉の問題もある。伝統のあるヨーロッパの競馬、それも由緒ある凱旋門賞で、ヨーロッパ以外の馬が勝つ、それも競馬では後進国といえる日本の馬が勝つのは屈辱であろう。

 と、想像力を掻き立ててくれるディープインパクトに感謝する一方で、これは“飛ぶ走り”と言われるディープの実力が高いからこそ、初めて考えられる話なのだと思う。普通の馬では無理だ。事実、帰国後のジャパンカップでディープは圧勝し、その強さ、実力を見せてくれた。そして、引退レースとなる有馬記念。是非、最後の雄姿を見せて欲しい。

今宵は贅沢に

2006-12-09 23:58:00 | 芸術をひとかけら
 キリンビールのCMで美空ひばりの歌が流れている。「えっ、ビールに演歌?イヤだ。ふるーい。オヤジっぽい。」と思われた方、それは違う、まったくの誤解。歌っているのはジャズ。なんと美空ひばりはジャズも歌っていた。そして、これが上手い。天下の歌姫を捉まえて歌が上手いとは失礼な話だが、本当に上手い。

 もう15,6年前だろうか、四谷3丁目のジャズの店によく通っていた。ピアノとボーカルのライブを演っている店だった。そこのマスターが、日本人で最高のボーカルだと言って、あるCDを貸してくれた。それが美空ひばりだった。今も売っているのかどうか知らないが、確か『ジャズ&スタンダード』というタイトルだったと思う。OVER THE RAINBOW に始まり、LOVE IS A MANY-SPLENDORED THING(映画『慕情』のテーマ曲)で終わる。CMで使われているのは、このLOVE IS A MANY-SPLENDORED THING である。『慕情』は香港を舞台にしたドラマであるが、映画は知らなくても、この曲は皆さんご存知だろう。誰もが聴き覚えのある有名な曲だ。

 当時の流行りなのだろうか、CDには日本語で歌っている曲が多い。OVER THE RAINBOW もそうだし、 I LOVE PARISもそう。LA VIE EN ROSE も前半は日本語だ。さすがに“こぶし”をきかせてはいないが(少しだけ?)、日本語だとジャズといえども、どうしても美空ひばりのイメージが強く残ってしまう。
 が、英語で歌っていると素直に聞ける。LOVE IS A MANY-SPLENDORED THINGも英語で歌われており、ゆったり、情緒たっぷりと、それでいてゴージャスに歌い上げている。やはり貫禄が違う。贅沢なビールには贅沢な歌を、ということなのだろうか。

 歌の話ばかりだと申し訳ないので、少しビールの話も。このCM、何のCMかというと、ブラウマイスターというビールのCMである。キリンのプレミアム・ビールだ。今まではキリンシティなど飲食店で飲むことはできたが、一般には樽生など限定的にしか販売されていなかった。それが今回350や500mlの缶を広く販売するようになり、そのお知らせのCMである。
 僕はキリンシティに行くと必ずブラウマイスターを飲む。ビールの旨みというか、味わいを感じるビールである。まだ缶は飲んでいないので何とも言えないが、缶もキリンシティで飲むのと同じく、おいしいことを願う。

12月8日に

2006-12-08 22:52:43 | 最近思うこと
 今日、12月8日は、ジョン・レノンの命日である。あれは1980年、もう26年も前だ。あのときの話は以前『ジョンの想い出』に書いたので繰り返さない。さすがに当時の衝撃はないが、やはり感慨を、そこはかとない寂しさを感じる。久しぶりに早く帰ってきた僕は、パスタを作り、そしてジョンの曲を聴いている。繰り返し、繰り返し、聴いている。

 12月8日は開戦記念日でもある。1941年12月8日、日本軍がハワイの真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が始まった。その後の悲惨さ、凄惨さ、そして不幸を思うと、なぜ“記念”という言葉を使うのか不思議な気がするが、世間一般では“記念”すべき日ということになっている。軍国主義から民主主義に変わるきっかけという意味での“記念”なのだろうか。いずれにしろ、ちょっと違和感を覚える。

 ところで、この真珠湾攻撃、当時は日本軍の不意打ちと考えられたが、実は日本軍の暗号がアメリカに解読されており、アメリカ側は事前に攻撃を知っていた、というのが今では定説になっている。では、なぜ、自らの艦隊が大きな被害を被り(但し空母は真珠湾から避難していたが)、それに多くの死傷者を出す恐れがあったのに“不意打ち”を容認したのだろう。
 それは、戦意高揚というか、アメリカ国内の厭戦気分を一掃するために利用したと考えられている。早い話、アメリカは、ルーズベルトは、日本と戦争をしたかったのである。より正確に言えば、日本と戦うことにより、その同盟国であるナチス・ドイツと戦い、イギリスを救いたかったのである。当時、ナチスは破竹の勢いであり、盟友イギリスは風前のともし火と見られていた。ヨーロッパのことに干渉しないというモンロー主義の名残りもあって、アメリカは中立を維持していたし、国内にヨーロッパでの戦争を望む声はなかった。この状況を打破するために日本との開戦、それも国民が一致団結して戦争に臨む、きっかけが必要だったのである。
 日本はそんなアメリカに上手く利用されたというか、はめられた。もっとも、当時の日本が軍部の暴走を止められなかった点や、そもそも総理大臣が「欧州の情勢は複雑怪奇」とかいって辞めてしまう外交下手で何の戦略も持っていなかった点(これは今も変わらない?)から考えると、仕方のない気がするが。

 平和を愛したジョンが開戦記念日に死んだ、それもハワイ出身の若者に殺されたというのは、まったくの偶然なのだろうが、日本人の僕は、何か因縁めいたものを感じてしまう。