縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

「電力自由化」って大丈夫?

2014-02-26 23:29:05 | お金の話
 2000年夏から2001年にかけて起きた「カリフォルニア電力危機」を覚えているだろうか。
 米国では1990年代から電気料金の引き下げが経済の活性化に資すると、電力自由化が進められた。カリフォルニアでは1998年に電力の小売り自由化が行われたが、2000年、ITブームによる好景気や猛暑による電力需要の増加に供給が追い付かず、大規模な輪番停電が行われる事態に陥ってしまった。東日本大震災後の日本をイメージすれば良いだろう。もっともカリフォリニアの停電は天災ではなく、人災あるいは市場の失敗が原因であるが。この電力危機は、大手電力会社3社のうち1社の破綻や、カリフォリニア州知事のリコールにまで発展し、その後米国の電力自由化には大きなブレーキが掛かった。
 そして今、人口、面積全米第2位、石油など天然資源が豊富なテキサス州で、1、2年のうちに電力不足になる、カリフォルニアの二の舞になる懸念が生じている。テキサス州はカリフォルニア電力危機以降も電力自由化を推し進め、その反動で電力の設備投資が遅れてしまったのである。

 一方、我が国では、2016年の電力の小売り自由化実現に向け、経済産業省が今国会で電気事業に関連する約40もの法案改正を目指している。
 しかし、電力自由化は本当に国民の利益になるのだろうか。

 そもそも電力は初期投資が莫大であることから規模の経済の典型(つまり、複数の企業でやるよりも1社でやった方が効率的)とされ、電力事業は公営でやっている国が多い。日本の地域独占もその点では理に適ったシステムといえる。電気料金が高い、総括原価方式にあぐらをかき企業努力が足りない・無駄が多い、政治と密着している等々、我が国の電力業界に対する批判は多いし、ある程度それは正しい。しかし、我が国の電力業界が高度成長期以降の増大する電力需要に対応してきたことや、全国津々浦々あまねく電力を供給してきたことは事実であるし、原発事故までは我が国の電力システムが上手く機能していたことは高く評価できる。

 いったい我が国で電力の自由化が進められたとき、かつてのカリフォルニアや今のテキサスにならないと誰が断言できるのだろう。
 東電はじめ日本の電力会社は、電力需要のピーク(夏の甲子園決勝の日?)に合わせた設備能力を維持してきた。そんな1年の限られたピークにしか使えない設備、つまりは赤字必至の設備を、誰が好んで維持するだろうか。また設備の維持補修に掛ける費用も圧縮される懸念があり、万一どこかの発電所で事故が起きた際、即停電となるリスクは高くなる。電力需要の伸びが期待できない中、設備の増設は行われず、さらに設備のメンテナンスやリプレイスにも不安が残る。

 確かに我が国の電力料金は世界的にみて高いが、一番の理由は我が国が資源に乏しく、燃料のほとんどを輸入に頼っているからである。これは自由化したところで変わらない。ヨーロッパでも1990年代終わりから電力自由化が進められているが、残念ながら自由化以後電気料金の下がった国はない。電力自由化により電気料金が下がるというのは幻想と思った方が良い。さらに今後コストの高い再生可能エネルギーの利用を増やして行けば、それだけでも電気料金は上がってしまう。

 私は電力会社の人間ではないし、何も電力業界を擁護するつもりはない。しかし、まずは貯蔵できない、送電ネットワークが必要、送電によりロスが発生等の電力そのものの特徴をよく理解する必要がある。加えて、東日本(50Hz)と西日本(60Hz)では電源周波数が違い相互の電力融通に大きな制約があること、さらには周波数の変換には莫大なコストが掛かり、また周波数の統一にはもっと莫大な費用が掛かり、ともに容易ではないとの我が国固有の問題を考えれば、電力自由化がすべてを解決するとは到底思えない。少なくとも電力自由化に過度の期待をしない方が良いことだけは確かだ。
 

“20 FEET FROM STARDOM (バックコーラスの歌姫たち)”

2014-02-18 00:10:20 | 芸術をひとかけら
 先日CNNを見ていたら、今年のアカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞にノミネートされた作品として、“20 FEET FROM STARDOM”という映画が紹介されていた。直訳すれば「スターの座から20フィート(約6m)」。何分英語なので内容はよくわからなかったが、スターのバックで歌う人達の話のようだ。
 そういえば、スターのバックバンドがデビューして有名になった話はよく聞くが(例えば、ボブ・ディランのザ・バンドや、リンダ・ロンシュタットのイーグルスとか)、バックで歌っていた人が有名になった話はあまり聞いたことがない。スターのバックで歌うというのは、いったいどういうことなのだろう。興味を持った僕は、早速映画館を調べ、見に行くことにした。

 ブルース・スプリングスティーン、スティング、ミック・ジャガー、スティーヴィー・ワンダーなどのスターが、バックで歌う女性たちの思い出を語り、皆その歌の素晴らしさを称える。そして彼らと彼女たちのステージの様子が映し出される。聞き覚えのある歌、それに聞き覚えのあるハーモニー。彼女たちの名前は表に出ないことが多いが、確かにその歌声は我々の記憶に残っている。
 バックで歌っていた女性たちのインタビューや独白が続く。彼女たちはスターに負けない歌唱力を持ちながらも注目を浴びることはない。物理的にはわずかな距離、20feetどころかスターのすぐ隣りで歌うこともあるが、現実のスターへの道のりは果てしなく遠い。
 バックで歌う人間とスターとでは求められる資質が違うという。バックの人間に個性は必要ない。皆と合わせること、コーラスを乱さないことが重要なのである。映画で“background singer” という言葉が使われていたが、自らを背景と化し、スターを引き立てる役に徹する存在という意味なのであろう。

 バックで歌うことに慣れ、居心地の良さを感じ安住する者も多いが、中には夢を忘れずバックから中央で歌うことを目指す者もいる。元々歌唱力は抜群、忘れていた個性を取り戻せばスターへの道が・・・、と思いきや、そんな甘い世界ではない。この世の中、歌の上手い人間はいくらでもいる。自ら曲を作れない彼女たちはプロデューサーに依存せざるを得ない。変なプロデューサーにあたると、自らが録音した曲が他人の名前で発売されることすらあるという。良いプロデューサー(そもそも いればの話だが)に会えるかどうか、スターへの道も運次第である。
 そんな中、チャンスを掴みかけている女性がいる。“This is it”でマイケル・ジャクソンと歌ったジュディス・ヒルである。彼女は副業(?)としてバックで歌いつつ、今もセンターで歌う夢を追いかけている。

 この映画は日本では昨年12月中旬に公開された。当初は渋谷Bunkamuraだけの上映であったが、その後順次地方でも公開されている。もっとも既に上映を終了している映画館も多いようだ。
 60年代から80年代にかけての洋楽の好きな方(注:なぜか最近はバックコーラスを使わない歌が多い)、夢を追い、挫折し、それでも夢を追い続ける彼女たちの人生に興味のある方は、急いで映画館へどうぞ。大きな感動とまではいかないものの、彼女たちの歌に、人生に励まされ、しっかり前を見て映画館を出られる、そんな映画だと思う。

大雪の日に想う ~ 高村光太郎と冬の詩

2014-02-15 22:30:34 | 芸術をひとかけら
 今週末も東京は雪。それも2週続けて記録的な大雪。朝には雪が雨に変わり、時折強い雨が降っていたが、それも昼前には上がった。道路は雪が解け、べちゃべちゃに違いない。あまり出掛ける気がしない。家でのんびりしていたところ、ふと高村光太郎のことを思い出した。
 高村光太郎は『道程』や『智恵子抄』で有名な詩人そして彫刻家であるが(ご関心のある方は2006/5/12『高村光太郎の人生』をご覧ください)、彼には冬の詩が多い。「冬が来る」、「冬が来た」、「冬の朝のめざめ」、「冬の詩」等々。“きつぱりと冬が来た”で始まる「冬が来た」は、僕のお気に入りの詩の一つである。

 光太郎はなぜ冬を好んだのだろう。冬の厳しさや、妥協しない、媚びることのない、凛とした美しさ、強さを、自らの人生を強く生きて行こうという意思、あるいは決意と重ね合わせたからではないか。
 冬の詩は彼の初期の作品に多い。20代、欧米で学んだ彼は近代的自我に目覚め、帰国後、同じく彫刻家である父・高村光雲をはじめとする伝統的、封建的な社会に相容れないものを感じるようになった。彼は悩み、苦しみ、堕落した生活を送り、生きる目標すら失いかけた。そこに現れたのが智恵子である。光太郎29歳、智恵子26歳のときであった。智恵子への愛により彼は救われた。
 智恵子と出会った後、多くの冬の詩が書かれるようになった。それまでの苦悩や行き先の見えない不安から抜け出し、自らの進むべき道をはっきりと自覚したからこそ、光太郎は凛とした、力強い冬に共感したのであろう。冬の詩は、“僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る”で有名な「道程」に相通ずるものがあると思う。

 ところで、『智恵子抄』の中に「あどけない話」という詩がある。あの“智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ。”で始まる詩である。智恵子にとってのほんとの空は、故郷・福島の阿多多羅山の上に広がる青い空であって、東京の空は違うというのである。
 初めてこの詩を読んだとき、僕は「東京の空は汚いから、やはりほんとの空とは言えないんだ。」と素直にそう思った。が、考えてみると、この詩が書かれたのは昭和3(1928)年。いくら東京でも空が汚いとは思えない。事実、光太郎も詩の中で東京の空のことを“むかしなじみのきれいな空”と言っている。では、いったい智恵子の言う“ほんとの空”とはなんだろう。
 それは、ただ空だけではなく、智恵子の愛した故郷・福島の自然そのものである。さらに智恵子が大切にした家族や友人など、ふるさとの人との繋がりも含むかもしれない。空が常に智恵子を見ているように、ふるさとの自然や多くの愛する人たちが智恵子をずっと見守り、育んできたからである。智恵子は東京に暮らす中でふるさとを想い、後にふるさとを失ったことが精神を病む一つの原因となった。

 『智恵子抄』には、明治45年から昭和16年までの詩が収められている。明治45年はちょうど光太郎が冬を主題にした詩を書き始めた頃。光太郎が、その後30年以上に亘り、彼が冬の詩に託した、自らに妥協せず、自らの信念に従い強く生きるとの思いを持ち続けたからこそ、『智恵子抄』は誕生したといえる。
 そう思うと、記録的な大雪だ、大変だなどと騒ぐ自らの未熟さを恥じ、冬に負けぬよう、自らを厳しく律して生きて行かねばと反省した次第である。

欧米の首脳がソチの開会式を欠席する理由

2014-02-03 00:22:36 | 最近思うこと
 早いものでもう2月。今週の金曜日、2月7日からソチ・オリンピックが始まる。
 そのソチの開会式であるが、アメリカのオバマ大統領や、今本業以外で話題のフランス・オランド大統領など欧米各国の首脳は、早々に欠席を決めている。昨年ロシアが制定した「同性愛宣伝禁止法」などロシアの人権侵害への抗議が理由である。
 主要国で開会式に出席するのは、中国の習近平国家主席と我が国の安倍首相。各々ロシアとは複雑な関係があり、ここはプーチンの顔を立てた方が得策との判断があったのであろう。さらに、中国共産党最優先の中国はそもそも人権問題に関心がないし、我が国は同性愛など性的少数者の人権について未だ世間一般の関心が低いというのも理由かもしれない。

 我が国における同性愛をタブー視する考え、偏見は、実は意外に新しいものである。古くから“男色”という言葉がある通り、奈良、平安の昔から男と男の関係についての記録が残っている。織田信長の森蘭丸は有名であるが、武士だけでなく僧侶、貴族、それに一般大衆の間にもそうした関係があったという。それが明治以降の欧米思想の導入、とりわけキリスト教の価値観により同性愛はタブーとなったのであった。
 キリスト教は生殖に繋がらない性行為は罪としており、よって同性愛も自慰行為も罪なのである。(因みに、オナニーの語源となったオナンは旧約聖書の登場人物であり、精液を地に漏らしたがゆえに神に処刑されている。)仏教はそこがおおらかだったことから、従来我が国では“男色”に対する社会的抵抗が少なかったのであろう。
 もっともこれは何も日本に限った話ではない。そもそも“男色”は中国から来た言葉であり、つまり“男色”は中国で特異な行為だったわけではない。また古代ギリシアにおいても、少年に対する愛は当たり前のものとされており、あのソクラテスも美しい少年を横に侍らせていたらしい。

 「同性愛宣伝禁止法」はキリスト教の教えに従ったものといえるが、欧米では昨今の人権意識の高まりにより、人を人種や民族、肌の色などで差別しないのと同じく、性的志向によっても差別すべきではない、性の多様性を認めるべきだとの考えが強くなっている。2000年以降、オランダやスウェーデンなど多くのヨーロッパの国々が法的に同性婚を認めてきた。そして昨年5月フランスも同性婚を認め、またアメリカでも6月に「結婚は男女間に限る」とした「結婚防衛法」が最高裁で違憲と判断された。
 勿論、そうした国々でも、性的少数者が法的に差別されないからといって、社会的にも差別されていないとは限らない。やはりキリスト教のなかった昔には戻れないのである。

 恥ずかしながら、私自身、あまり性的少数者が直面する差別や問題について考えたことがなかった。それが昨年「虹色ダイバーシティ」という、性的少数者がいきいきと働ける職場づくりのための活動をするNPO法人の話を聞き、目から鱗というか、初めて関心を持った次第である。
 同性愛は違法行為でもなければ病気でもない。性的少数者の比率は、おそらく昔も今もさほど変わらないであろう。が、私も含め、多くの日本人はその問題から目を背けている気がしてならない。
 安倍首相がその政治的判断でソチ・オリンピックの開会式に出席することの是非はともかく、欧米の首脳が欠席する理由について、その意味なり背景を自分なりに考えてみてはどうだろうか。オリンピックを無条件で礼賛する雰囲気の強い我が国では、そこが話題になっておらず残念である。