縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

災い転じて・・ 『W台北』にて(台湾縦断の旅その1)

2018-05-16 20:58:31 | もう一度行きたい
 台湾に行って来た。台北3泊、高雄1泊の台湾縦断の旅である。

 台北の宿は、カード会社の優待があったので『W台北』に決めた。スターウッド系列のデザイナーズホテルである。おしゃれでスタイリュッシュ、そして派手。僕ら中年夫婦には若干不釣り合いだが、“優待”の響きに弱い二人は臆することなく泊まることにした。
 
 松山空港からタクシーでホテルへ。1時前とチェックインにはまだ早い時間だったが、すぐ部屋に通してくれた。おまけに部屋はアップグレード。カード会社に感謝。よし、荷物を置いて小籠包を食べに行くぞ!
 と、思ったのも束の間、なんとトラブルで出かけられない。セーフティボックスが使えないのである。貴重品を仕舞おうとしたら番号の入力ができなかった。修理を頼んだところ、割と簡単に直った。扉中央のテンキーやモニターの部分がドライバーで外れるようになっており、裏に乾電池が入っている。その接続のあたりを少しいじっただけでモニターに赤い数字が表示され、無事復活した。案外単純な作りであるが、このボードを外しただけでは扉は開けられないのだろう、たぶん・・・。
 
 なにはともあれ漸く出発。台北101にある『鼎泰豊(ディンタイフォン)』へ。こちらは改めて書くこととし、話はホテルに戻って来たところから。

 ちょっと気になったのでセーフティボックスをチェックしてみた。テンキーを押したが、音もしなければ、モニターの表示も出ない。そう、またセーフティボックスが死んでいる。再度電話したところ、今度は先程の修理担当者とセーフティ担当のマネージャーがやって来た。そしてマネージャーが印鑑のような円筒状のもので扉を開けてくれた。やはりドライバーだけで扉は開かないのであった。
 ここで妻がマネージャー氏に「こんなことが続くのは嫌だから部屋を換えて欲しい。どうせなら101の見える部屋がいいわ。」と言い放った。英語で話すときの妻は強気だ。結果、願いは叶い、部屋はもう一段階アップグレード(因みに写真は部屋から見た台北101)。さらにお詫びにといって最上階にあるバーで1杯ご馳走してくれるとのこと。う~ん、カード会社より妻“優待”の方が効果大? 恐るべき妻。

 実は最近ホテルでのトラブルが多い。サン・セバスチャンでは停電に遭い、香港ではお湯が出なかった。それに比べれば、今回は部屋のアップグレードとタダ酒(それも手違いで1人2杯も)のおかげでショックは軽い。いや、かえって得した気分である。勿論トラブルがないに越したことはないが、トラブルもいつかは笑い話になる。旅の将来の思い出だと割り切り、余裕を持ってトラブルに対処できると良い。
 などと偉そうに書いたが、こう思えるのは、ひとえにW台北の“おもてなし”というか、危機管理マニュアルのお蔭であろう。やはりサービスのしっかりしたホテルは良い。食事も美味しかったし(特に『紫艷中餐廳』の北京ダック)、W台北を我が家の定宿に認定することにしよう。
(もっとも、初めて“定宿認定”したのは、20年近く前の箱根・宮ノ下の『富士屋ホテル』であるが、それ以来そこには一度も行っていない気が・・・)

『松月』で白エビ三昧(富山の旅その2)

2018-05-07 20:19:48 | もう一度行きたい
 20数年振りに富山の料亭『松月』に行って来た。

 前回は社内旅行、課の旅行である。たまたま課の旅行ファンドが潤沢であったことから、贅沢にも東京から飛行機で金沢・富山を旅したのであった。
 なぜ『松月』かというと、当時、部内で『松月』に行くことが一つのステータスになっていたからである。グルメで知られる人が富山に出張した際、取引先に『松月』で白エビをご馳走になり、こんなに美味いものを食べたことがないとしきりに話していた。そして、次に出張で富山に行った者が『松月』を訪れ、いやぁ本当に美味かった、と同じ話をする。そんなことが繰り返されるうち、部内では『松月』に行った・行かないというのが、どれだけ美味しいものを食べたことがあるかの判断基準と化していたのである。

 『松月』は富山市の北部、岩瀬浜にある。富山駅からライトレール(お洒落な路面電車)で20分。以前来た時はJRだったが、2006年に移管されたそうだ。
 終点・岩瀬浜駅で降りた。まだお昼には時間がある。僕らはかつて北前船で栄えた岩瀬浜の町を少し歩くことにした。北前船廻船問屋森家や、その森家の米倉庫を利用した酒商『田尻本店』(地酒の陳列が圧巻!)、展望台(20mあるが階段のみ)などを見学し、そして三角どらやきで有名な『大塚屋』さんで菓子を買った。ここで時間がちょうどお昼に。よし、いざ『松月』へ。
 僕らは7,000円のコースを予約。料理はコースのみで6,000円からだが、お店自慢の“福団子”が付くのは7,000円以上と聞いたからであった。僕らは2人だったが個室に通された。今から至福の白エビ三昧が始まる。あのときの感動よ、もう一度!

 と、思ったものの、正直、そこまでの感動はなかった。確かに美味しい。特に白エビはどこで食べるよりも美味しいと思う。が、料理以外で残念なことが多かったのである。たまたま団体客と重なったせいかもしれないが、サービスが悪かった。別にVIP扱いを望んでいるわけではない。店側の都合ばかりでなく、こちらのペースも見ながら、落ち着いて食べさせてもらえればと思っただけである。

 席に着き、まずビールを頼んだが、ビールも料理もなかなか来ない。その代わり、廊下をだだだっと駆ける足音が聞えた。忙しいのはわかるが、客に余裕のなさを見せるのはいけない。
 漸く料理が来た。前菜とお造り。が、ビールは来ない。しばし「待て! お預け!」状態の2人。ビールが来て乾杯し食事を始めたところ、僕の携帯が鳴った。なんと『松月』からである。「本日12時からのご予約ですが、まだお見えになっていないようで・・・」と言われる始末。お店は、盆と正月が一緒に来たかのような忙しさ、混乱状態のようだ。気を取り直して料理に戻ったところ、今度はお椀が来た。まだ刺身に手を付けたばかりなのに、もうお椀か・・・。白エビの刺身はとっても美味しかったが、若干興ざめである。
 そして、案の定、間を置くことなく白エビの唐揚げが来た。これも美味い。殻が柔らかく、まったく口に残らない。白エビの唐揚げは、殻が硬く口に残るのが普通と思っていたが、全然違う。冷凍ではなく生の白エビを使っているからなのだろうか。うーん、ビールが進む。
 揚げ物がもう1品、蟹の甲羅揚げが来て、その後に本日のメイン“福団子”登場。白エビ200匹の殻を剥き、すって団子にして焼いたものだという。白エビの甘さに香ばしさが加わり、なかなか味わい深い。しかし、白エビの刺身が好きな僕としては、同じ殻を剥く手間をかけるのであれば、福団子より刺身がいい。刺身の白エビは60匹と言っていたが、それが260匹だったら、どんなに幸せだったかと思う。

 なんやかんや言いながらも、やっぱり旬のホタルイカと白エビは美味しい。そして、富山の旬を満喫する旅にはまだ続きが。仕上げは地元スーパーでのお買い物。生とボイルのホタルイカに白エビ、それに昆布締め用の昆布(使いやすいよう四角く切った昆布)を買った。これで家に帰っても富山の味を堪能できる。う~ん、春の富山最高!
 
 


今が旬のホタルイカ(富山の旅その1)

2018-04-26 22:36:36 | もう一度行きたい
 先週末、旬のホタルイカと白エビを食べに富山に行ってきた。
 実はまだ引越しの片付けが終わっておらず、部屋の中はダンボール箱が山積み。そんな現実を忘れたい、ひとときの安らぎが欲しいと思い、出かけたのであった。

 ホタルイカの旬は3月から5月。最盛期は産卵が活発化する4月である。滑川には、この時期(注:今年は3/21~5/6)ホタルイカ漁を見学し、青白く光るホタルイカの幻想的な姿を体験できるツアーがある。ツアーは午前3時~4時半と寝不足必至の時間であるが、一度は見てみたいと問い合わせてみた。しかし残念ながら既に予約でいっぱい。後で知ったが、このツアーはとても人気があり、直前に日曜日の予約など、どだい無理な話だったのである。
 その代わり、僕らは滑川の「ほたるいかミュージアム」に行くことにした。ホタルイカの発光ショーをやっている。それ目当てで行ったものの、なかなか面白く、とても勉強になった。

 ホタルイカの生態には多くの謎があるという。ウナギと同じように、孵化した後の行動がよくわかっていないらしい。どこを回遊しているのか(山陰から東北?)、何を食べているのか(動物性プランクトン?)等々。
 もっとも既に分かっている事柄、寿命は1年、水深200~600mの深海に棲む、春先に産卵のため陸地近くにやって来る、交尾(ホタルイカの場合は「交接」というらしいが)は産卵の2カ月ほど前、オスは交尾後に死ぬ、よって我々が食べているのは ほとんどメス、といったことも、僕にとっては新鮮な話ばかりだったが。
 あと富山県と兵庫県(ホタルイカの水揚げ全国1位)で漁の方法が違うとのこと。富山の定置網に対し、兵庫は底引網である。富山では産卵を終え沖に帰るホタルイカを定置網で捕まえている。鮭と違い、産卵後に味が落ちることはないようだ。また定置網だとホタルイカが傷みにくく、これも富山産ホタルイカが美味しい理由の一つである。

 さて、一通り展示を見たあと、お待ちかねの発光ショーへ。今朝獲って来たというホタルイカが、目の前の半円形のプールでたくさん泳いでいる。部屋が真っ暗になった。ホタルイカは防御のため発光する。そこで、プールの底に張った網を持ち上げ、ホタルイカを刺激。すると多くのホタルイカが一斉に光った。青白いというより白っぽい光だ。暗闇の中に浮かび上がる光。思ったより明るい。確かにきれいだが、何分室内で見ているので若干物足りない。いつかツアーに参加し海で光るホタルイカを見てみたい。

 俄かホタルイカ通になった僕らは、ミュージアムで得た知識を検証すべく(注:“食べる”ってことです!)、富山市内に戻った。そして、お気に入りの居酒屋『親爺』へ。ここは刺身が美味しく、さらに富山の地酒が豊富な店である。
 まずは地元ならではの刺身と、定番のボイルしたホタルイカの酢味噌を頼んだ。ホタルイカの刺身は、足を抜き、内臓や目、口、軟骨を取れば出来上がり。胴と足を生姜醤油で食べる。ホタルイカに最近話題のアニサキスはいないが、他の寄生虫はたまにいる。この寄生虫に加え鮮度の問題もあり、東京では生の刺身にお目にかかったことはない。身は柔らかく、噛めば独特の甘みが口いっぱいに広がる。
 ホタルイカの酢味噌はどこにでもあるが、富山で食べる酢味噌は格別である。身が一回り大きく、肉厚でぷっくりしている。ワタの味、旨みは濃厚。そして足が元気(?)。ボイルしたものを元気というのも変だが、足がくたっとしておらず、丸まっているのである。地元ゆえの、獲れたて・茹でたての証なのであろう。
 珍しいところでは、ホタルイカの昆布焼を食べた。生のホタルイカを昆布に載せて焼いたものである。「昆布ロード」とも言われる北前船の中継地だった富山。富山県民は昆布が大好き。なんとも富山らしいメニューだ。昆布の香りとホタルイカの旨み、これでまずいはずがない。酒が進む。

 こうして 一つ目の目標 = ホタルイカ を幸せにクリアした二人。そして明日は白エビが待っている!

香港食い倒れの旅その3 ミシュラン3つ星『龍景軒』でワインペアリング

2018-02-20 18:13:05 | もう一度行きたい
 今回の飛行機はマイレージで取ることができてタダ。その分食事を奮発しようと、中華料理で世界初のミシュラン 3つ星を獲得した店『龍景軒』に行くことにした。フォーシーズンズ・ホテルにあるお店だ。ネットでは予約できなかったので、知り合いに頼み予約してもらった。ワインペアリング付きのコースを予約。デザートを含め料理 8品にワインが 5杯。一流のお店がどのような組合せをするのか楽しみだ。

 フォーシーズンズは、香港島の中環(セントラル)、ビクトリア湾を臨む絶好の場所にある。お店は 4階であるが、眺望を遮るものがなく、ビクトリア湾や九龍の夜景がよく見える。僕らは窓際の席に案内された。もっとも夜景といえば断然香港エリアの方が華やか。九龍側は超高層ビルICCが地味にライティングしている程度で少し寂しかった。
 店内はというと、バブリーな感じはなく、高級感ある落ち着いた雰囲気。一流ホテルのレストラン、中華というよりもフレンチのお店のよう。僕は一応ジャケットを着て行ったが、周りを見るとカジュアルな服装の人が多い。半そで短パンとかでなければ大丈夫そうである。

 さて、席に着くと、まずメニューの確認。ネットのメニューに書いてあったデザートがちょうど今終わってしまい、通常メニューから一つ選んで欲しいとの話があった。お店のお勧めは“マンゴーとサゴクリーム”だという。
 と、ここで妻がクレーム。「えっ、私は、この“ジャスミン茶のクリームとナッツを詰めたウィリアム梨”を楽しみにしていたのに。どうして もう無くなったの。」と不満たらたら。別に僕はどちらでも良かった。そもそも両方ともどんなものか想像が付かない。結局、妻は渋々マンゴーにした。ペアリングのワインはマンゴーに合うものに換えてくれると言う。こうして決まったのが写真のメニューである。

 折角のディナーなのに幸先が悪い、と思ったのも束の間、妻が一転幸せになる出来事が。
 なんと、お店の方がデザートのお詫びにと言って、シャンパンをサービスしてくれたのである。それもグラスになみなみと。“花より団子”もとい“花より団子よりお酒!”の妻は、モヤモヤが一気に晴れて上機嫌に。やれやれ。そしてコースが始まった。

 肝心の料理は、ミシュラン 3つ星だし「人生最高の中華だ!」と言いたいところだが、正直、そこまでの感動はなかった。勿論料理はどれも普通に美味しい。とりわけアミューズのホタテと、うずらと蟹肉のスープはとても美味しかった。ホタテは、梨とユンナン・ハムと一緒にパリッと焼かれており、ホタテや梨の甘さとハムの塩味とのハーモニーが絶妙だった。うずらと蟹肉のスープは、うずらのひき肉と蟹肉とをやさしい味の蒸しスープにしたもの。料理をアラカルトで頼んでいたら、もう少し印象が違っていたかもしれないが。

 一方、ペアリングのワインは、海老にリースリング(白)、子羊にイタリアはトスカーナの赤という想定内の組合せもあれば、意外な組合せもあった。アワビとハタのオイスターソース煮に合わせたのは中辛のシェリー。僕はしっかりした白しか思い浮かばなかったが、シェリーも全然ありだ。辛口のシェリー=食前酒、甘口のシェリー=食後酒、という固定観念に囚われてはいけない。
 しかし、僕が一番衝撃を受けたのは、Puchang Vineyard の白ワイン(品種はマスカット、辛口)。中国は新疆ウイグル自治区のワインである。僕は、その味よりも場所に、そこでワインを作っていることに驚いた(因みに味も悪くはない)。新疆ウイグルといえば中国の辺境の地。民族問題とタクラマカン砂漠くらいしか思い出せない。夏は滅茶苦茶暑く、逆に冬は滅茶苦茶寒かった気がするが、ブドウは育つのだろうか。
 調べてみると、新疆ウイグルは、降雨量が少ない、日照時間が長い、昼夜の寒暖差が大きい等、ブドウ栽培に適した土地だという。凍てつく冬の寒さも問題ないようだ。おまけにHPを見ると、このワイナリーはイタリア人とフランス人を醸造責任者に雇っている。う~ん、中国マネー恐るべし。中国ワインというと、まずい長城ワインのイメージしかなかったが、近い将来、中国ワインが来るかも!

 美味しい料理とワイン、それに新たな発見もあり、本当に良い経験ができた。お金を奮発した甲斐があったというもの。ただ金額が半分、いや1/3にでもならない限り、これが最初で最後の『龍景軒』になりそうだが・・・。


香港食い倒れの旅その2 海鮮の街・西貢へ

2018-02-16 20:25:36 | もう一度行きたい
 香港の郊外、海鮮料理で有名な西貢(サイコン)に行って来た。九龍の東、新界エリアにある街だ。

 地下鉄で彩虹まで行き、そこからミニバスに乗り20分強で西貢到着。やたら飛ばす運ちゃんで結構怖かった。たぶん そんな運ちゃんが多いのだろう、車内には制限速度80Kmの表示と一緒にデジタルの速度計が付いていた。安心・安全重視の方には、普通のバス(2階建てです)かタクシーをお勧めする。

 途中、彩虹は初めてだったので駅の周りを少し歩いてみた。昔ながらというか、中国らしい猥雑な商店街を発見。商店街の奥に市場がある。入ってすぐは肉屋。アヒル(鴨?)の丸焼きが吊るされていたり、普通に豚の顔や足が並べられていたり、見ているだけで楽しい。おまけに安い。アヒルの丸焼きで2,500円程度。このまま家に帰るのなら絶対買う。そして魚屋へ。
 ところで、日本に来た香港人は、日本の魚は新鮮ではない、と思うらしい。なぜなら日本の魚は死んでいるから。香港では生きている魚、活魚信仰が極めて強いのである。それは魚屋を見るとわかる。生きた魚が水槽や大きなバットに入れられ、売られている。また、ちょっとグロテスクだが、おろした魚の鮮度を示すため、半身に あえて動いている心臓を残して売っている。これには驚いた。
 この生きている魚を最高とする香港の文化は、漁村であった香港が、昔は獲れた魚を冷蔵や冷凍できず、その日のうちに食べていた名残ではないだろうか。それと、日本と違って魚を生で食べない、刺身で食べないことも理由かもしれない。刺身好きの日本人は、魚が死んですぐよりも、時間が経ってうま味が出てきてからの方が美味しいと知っている。これに対し、炒めたり、蒸したり、そしてしっかり味付けする香港では、魚自体のうま味はあまり関係ないのだろう(というか、そもそも魚の鮮度自体あまり意味がない気も・・・)。

 さて、話は漸く西貢に。西貢の港には小さな漁船が並んでいる。小舟や道端で魚を売っている人の姿も。どこか懐かしい雰囲気が漂う。一方、港の一角には所狭しとプレジャーボートが係留され、ちょっとしたマリーナでもある。暖かな土曜の昼下がり、犬を連れて散歩する人も多い。見慣れた香港の繁華街とはまったく景色が違っておもしろい。

 海沿いのメインストリートに海鮮料理の店が並んでいる。店の横には水槽が積み重ねられており、その中には大小の魚、カニ、エビやロブスター、ミル貝やアワビなどの貝類、それに特大のシャコ(30cm近い?)までいる。
 通りを行ったり来たりして、一番賑わっている『全記海鮮菜館』に入ることにした。注文するとお兄さんが水槽から魚を網ですくってくれる。調理方法は店のお勧めを聞きながら好みで注文。シャコ好きの妻が、真っ先に特大シャコのニンニク・唐辛子揚げを注文。あとは茹で海老とビール。茹で海老は、シンプルではあるが、とても旨い。先程鮮度に意味はないと書いたが、これは新鮮な海老だからこそ旨いのだと思う。
 海老を堪能したところに特大シャコ登場。う~ん、図体はでかいが、悲しいかな、食べるところが少ない。手を汚し、苦労して殻を剥いても、身はわずか。なのに高い! 一つ2,000円はする。 
 料理を追加するか悩んでいたら、妻がすくっと立ち上がって一言。「次行くわよ!」リベンジする気のようだ。

 次に通りの端の方にある『金輝海鮮菜館』に入った。小振りの店でお客さんは少なかったが、やはり店の横には水槽がある。そして、またシャコ(今度は普通サイズ)の唐揚げと茹で海老とビールを頼んだ。値段は『全記』より全然安い。
 海老は、茹で加減なのか、脱皮したてなのか、はたまた安いせいなのか、『全記』の方がプリッと、身がしまった感じがして断然美味しかった。が、僕はシャコはこれで十分に思った。小さくて、さらに食べるところは少ないが、この値段なら許せる。僕はそれなりに満足した。
 しかし、シャコ好きの妻は、調理法を変えれば特大シャコはもっと美味しいかもと、まだまだ諦めの付かない様子。やれやれ、まだまだリベンジの旅が続きそうだ。

香港食い倒れの旅その1 ロースト・グースのお家騒動

2018-02-14 23:22:11 | もう一度行きたい
 この3連休で香港に行って来た。美味しいものを食べ、春節(旧正月)前のバーゲンで買い物するのが目的。因みに今年の春節は2月16日。が、悲しいかな、街の雰囲気は既に新年。ガイドブックには春節直前がバーゲンのピークと書いてあったのに、どこもバーゲンは終わっていた。残念。もう こうなったら食べるしかない!

 香港に来たら いつも行く店がある。飲茶の『陸羽茶室』、上海料理の『夜上海』、そしてガチョウのローストで有名な『鏞記酒家』(ヨンキー・レストラン)である。
 特にヨンキーとの付き合いは長い。現地に住む知り合いに連れて行ってもらったのは、かれこれ20年近く前。以来、ジューシーなガチョウのローストに魅せられ、テイクアウトを含めれば10回は行っていると思う。3年ぶりのヨンキー、期待に胸が高鳴る(あっ、涎が)、のはずだったが・・・。

 実は、日本でネットを見ていたところ、ヨンキーは相続争いの結果、肝心の味は落ち、逆に値段が高くなったとの噂。調べてみたら、それこそ小説になりそうな骨肉の争い、お家騒動があった。
 ヨンキーは、1942年、甘 穂煇 氏が屋台から始めた。ガチョウのローストが評判を呼び、今では香港の一等地に立派なビルを構えている。穂煇氏には3男1女がいて、実際の経営は兄弟3人が行っていた。男3人と聞くと「3本の矢」を思い出すが、この3兄弟は結束できなかった。
 2004年の終わりに創業者の穂煇氏が亡くなり、そして2007年に3男が亡くなり、ここからバランスが崩れ、母親や長女をも巻き込んだ、長男と次男の骨肉の争いが始まったのである。元々長男と次男はヨンキーの株を各々35%ずつ持っていたが、最終的に次男が55%の株を持つことに成功し、母親も味方に付け、勝利したかに見えた。
 ところが、次男には二つの問題があった。一つは、裁判に負け、長男が持つ45%の株式を買い取らざるを得なくなったこと。もう一つは、創業者の味は長男、そしてその2人の息子に受け継がれていたことである。長男は小さい頃から店を手伝っており、1973年には2代目として店を引き継いでいたのであった。

 長男・健成氏は裁判の途中、2012年に亡くなったが、裁判は2人の息子に引き継がれ、2015年11月に長男側の勝利に終わった。また、この間、2014年に長男の長男が『甘飯館』を、2015年に次男が『甘牌焼鵝』を開店し、祖父や父の味を守っている。そして、なんと『甘牌焼鵝』は開店した2015年からミシュランの1つ星に輝いている。
 これに対し、最近のヨンキーは星を取っていない。お家騒動に嫌気がさし、あるいは株の買取りに多額の資金が必要になり待遇や料理の質が落ち、料理人等が去ったのだろうか。当分は過去の名声で店は流行ると思うが、その先はどうなるだろう。

 で、僕らは『甘牌焼鵝』に行くことにした。地下鉄の湾仔(ワンチャイ)駅のそばにある。2時過ぎなのに もの凄い行列。なんと23組待ちだった。が、思ったより回転が速く、20、30分で順番が回って来た。
 僕らは、早速、ロースト・グース、クリスピー・ロースト・ポーク、ピータン(しょうが付き)、青菜炒め、そしてビールを注文した。うーん、これこれ、懐かしのヨンキーの味だ。ジューシーなガチョウの肉に、パリパリの豚の皮。こりゃ、たまらん。
 しかし、僕としたことが、ここで痛恨のミス。この店、現金かオクトパス(日本でいうパスモ)しか使えないのであった。知らなかった。キャッシュの持ち合わせが乏しい僕らはビールの追加が出来なかった。肉はあるのにビールがない。せめて あと30香港ドルあれば・・・。
 よ~し、次回はお金を降ろしてから来るぞ~! 皆さんも『甘牌焼鵝』に行かれる際は是非ご注意を。

ビルバオ大好き?(バスク旅行その7)

2017-10-05 22:29:24 | もう一度行きたい
 「ワオー、ビルバオの大ファンなんだぁ~!」とホテルのフロントのお兄ちゃんが目を丸くして言った。

 僕らがビルバオは2回目だと聞き、彼は喜ぶというより驚いたようだった。ビルバオは、グッゲンハイム美術館が出来てから一躍観光の街となったが、何度も訪れるほどの名所・見所があるわけではない。それなのに はるばる日本から2度もやって来るなんて・・・、といった感じである。
 ここで「いや、サン・セバスチャンに来たついでだよ。」などと本当のことを言って彼をがっかりさせるのは忍びない。僕はただニコッと笑顔を返した。

 到着早々ちょっと良いことをした気分だ。僕らは、足取りも軽く、ホテルを出てリベラ市場へと向かった。歩いて2、3分の距離である。が、油断大敵、ここで大失敗をしでかしてしまった。
 大きな建物の手前側は多くのバルが並ぶフードコートで、その奥が市場になっている。僕らは迷うことなくフードコートへ。サン・セバスチャンからの移動がちょうどお昼にぶつかり、昼食を食べていなかったのである。まずはビールとピンチョスで腹ごしらえ。そして満を持して奥の市場へ・・・。
 と思ったら、あれ、市場が閉まっている。今日は土曜日。15時で市場は終わっていたのであった。う~ん、順番を間違えた。先に市場だった。明日は日曜で市場は休みだし、もう今回は諦めるしかない。市場好きの僕らにはショックが大きい。
 しかし、済んだことを悔やんでも仕方がない。どうせ閉店間際で魚などは売り切れだし市場を見ても大したことなかったさと自己の行動を肯定しつつ、気を取り直し、僕らは次の目的地・グッゲンハイムへと向かった。
 
 グッゲンハイムで念願の“パピー”とご対面。子犬と言う名前なのに高さはなんと12.4mもある。鉄の骨組みに様々な花を植え込み、きれいに刈り込んだ大きな彫刻(?)作品である。言ってみれば巨大な立体犬型花壇。花は定期的に植え替える必要があり、実は前回来た時(6年前のゴールデンウィーク)はちょうどその植え替えのタイミングだった。悲しいことにパピーはネットで覆われていた。今回ビルバオにはそのリベンジで寄ったのである。
 パピーは想像していたより地味だった。菊人形のように華やかな色遣い(花遣い?)を期待していたが、パピーは全体に落ち着いた色調である。しかし考えてみれば、お祭りならどんなに派手でも構わないが、常にあるオブジェとしては、このくらい抑え目の方が品があって良いのかもしれない。

 ところで、昔、地理の授業でビルバオは鉄鋼の街だと習った記憶がある。鉄鉱石が取れ、製鉄業が発展した街だと。しかし、街を歩く限り、その面影はまったくない。
 翌朝、市の中心部を流れるネルビオン川沿いを歩いた。新市街に入ると、竹細工のような白いアーチ橋・スビスリ橋や、凛とした佇まいのイソザキ・アテア、すべてガラス張りの保健衛生局など、グッゲンハイム美術館以外にもユニークな建物が多い。歩いていて楽しい街だ。いや、建物だけではない。衰退する工業の街から一転芸術の街へと再生を遂げたビルバオそのものがユニークなのである。

 僕らは、フロントのお兄ちゃんお勧めのケーブルカーに乗った。展望台からビルバオの街が一望できる。山に囲まれたビルバオの街。緑が多い。古い町並みの中に近代的なビルも見える。
 お兄ちゃんが驚いたように、確かにビルバオは何度も観光に来る街ではないだろう。が、もし住むとしたら、僕はサン・セバスチャンよりビルバオを選びたい。全体に落ち着いた雰囲気でありながらも、新しさが随所に感じられる街。そしてバルをはじめ食の質も高い。
 結局、最初から最後まで食べる話ばかりだった気がするが、こうして8泊9日のバスク旅行が幕を閉じた。
 

サン・セバスチャンでバル巡り(バスク旅行その6)

2017-09-26 23:24:38 | もう一度行きたい
 美食の街、サン・セバスチャン。人口18万人の小さな街に、なんとミシュラン3つ星レストランが3軒! 1つ星、2つ星の店と合わせ、人口当たりの星の数は世界で1、2を争うという。
 が、セレブとは程遠い僕らは、3つ星レストランには目もくれず(というか相手にされず?)、向かうはバル街。正味2日半の滞在で10軒(うち1軒は2度行ったので延べ11軒)のバルに行った。

 バル(bar)とは、以前書いた通り(詳しくは、ジャパバル(?)、恵比寿『たつや』 をご覧ください)、日本の喫茶店とレストランと居酒屋を足して3で割ったような飲食店である。
 バルの聖地サン・セバスチャン、そのバル巡りのバイブルは 植松良枝『スペイン・バスク 美味しいバル案内』。バルのいろはが書かれており、これさえあれば初めてでもバルを満喫できる。サン・セバスチャンの20軒のバルが紹介されており、その店を選べばほぼ間違いはない。
 “ほぼ”と言ったのは、1軒だけ個人的にお勧めしない店があるからだ。それは某キノコを売りにした店。よく雑誌でも採り上げられているが、僕は、普通の人には、つまり美味しいキノコのためなら金に糸目を付けないという人でなければ、お勧めはしない。そう、高いのである。僕は前回行って懲りてしまった。山盛りのキノコには圧倒されるし、確かにとても美味しいが、如何せん高い。バルの良さは、手軽さ、美味しさ、そして安さである。この店は他の店なら2、3軒行ける値段だった。

 さて、詳しいお店の紹介は本を見て頂いた方が良いので、ここでは特に印象に残った店だけ紹介したい。
 サン・セバスチャンのバルには、食べ物を串に刺したり小さなパンに載せた“ピンチョス”主体の店のほか、最近は小皿料理、それもちょっとしたレストラン顔負けの本格的な料理を小皿で出す店も多い。
 前者では何といっても『ベルガラ』。ここはピンチョス発祥の店と言われており、さらに今もなお新しいピンチョスへの挑戦を続けている。カウンターに並ぶピンチョスはどれも美しく、かつ美味しい。極めて完成度の高い店である。バル街から少し離れているが、散歩がてら是非訪れたい店だ。
 一方小皿料理だと『ボルダ・ベリ』。ここは大変な人気店で、料理の美味しさとともに、隣りに来た子連れ客との縄張り争いで印象に残っている。バルではカウンターのスペースを如何に確保するかが最大のポイント。特に言葉の問題がある僕らにとって、お店の人とのコミュニケーションを考えるとカウンター越しに陣取ることが重要なのである。
 あと『アルベルト』の魚介のスープは絶対おすすめ。甲殻類をつぶして作った濃厚な味。身も心も温まるし、日本人には落ち着く味である。おまけに安い! 実は妻が店に忘れ物をし、お店の方がそれを息を切らしながら走って持って来てくれた。そんなやさしく、温かい人柄が料理にも出ているのだと思う。

 最後に“チャコリ”の話を。因みにアクセントは最後の“リ”にある。チャコリはバスク地方の微発泡の白ワイン。酸味が強く、アルコール度数は10%前後と低い。日本で飲むと高いし、おまけに何故かまずいが、現地で飲むチャコリは美味しい。スカッとさわやかな味わいで(注:コカ・コーラではない!)、食事が進む。
 チャコリは注ぎ方がオシャレ。ボトルを頭上に持ち上げ、そこから勢いよくグラスに注ぐ。空気に触れることで泡立ちは強くなり、また香りが立つ。視覚や嗅覚にも訴える注ぎ方だ。ところでビルバオでチャコリを頼んだところ、注ぎ方はごく普通だった。ワインと同じ。どうもこの注ぎ方はサン・セバスチャン特有のようだ。

 「オラ! チャコリ ポル・ファボール!」
 この言葉はバル巡りの入場券。これに笑顔と、チャコリの“リ”を強く発音することを忘れなければ、貴方もお店の方に一目置かれるのは間違いない(かも?)。

サン・セバスチャン到着、今宵の宿は?(バスク旅行その5)

2017-09-14 21:01:40 | もう一度行きたい
 かつてナポレオンが「ピレネーの向こうはアフリカ」と言ったという。これは、文化的な違いを言った、あるいは彼のフランス至上主義的な発言かと思う。
 実際ビアリッツからバスでサン・セバスチャンに向かったが、ピレネー山脈を越したからといって突然景色が一変するわけではない。突如として“灼熱の太陽”や“乾いた大地”が現れはしない。そこはアフリカではなく、同じヨーロッパの田舎が続いているだけだ。

 ただフランスからスペインに入ると、若干の違い、変化を感じた。全体にフランスの方が立派、きれいなのである。バスは国境を跨ぐ高速道路を走っていたが、スペインに入ると少し違和感が。路肩の広さであったり、両側の防護柵であったり、スペインの方が全体に作りが貧相である。またバスの車窓から見える建物も、元々なのか手入れの違いなのか分からないが、フランスの方が概してきれいだ。
 まあ 4人に1人が失業、さらに若者に限れば2人に1人が失業という今のスペインの経済状況を考えれば仕方ないことかもしれない。華やかなリーガ・エスパニョーラ(ロナウドやメッシが活躍するスペインのサッカー・リーグ)の世界がスペインの現実ではないんだ。などと考えているうちにバスはサン・セバスチャンに到着した。

 サン・セバスチャンは2回目。前回はシーズンオフだったので街中の良いホテルに安く泊まることができた。が、今回は7月下旬、ハイ・シーズン。飛行機を押さえてすぐ(昨秋?)、旧市街のバル街に近いホテルを探したが、その時点で空きがあったのは滅茶苦茶高いかボロそうな所ばかり。そんな中、苦労して見つけたのが今回泊まった FeelFree という会社が運営するアパートメント・ホテルである。
 最近日本で話題の“民泊”を組織的に運営している会社といえ、Airbnbより良く出来たビジネスモデルだと思う。簡単に紹介したい。

 僕らが泊まったのは、バル街から歩いて3分、海の見えるマンションである。このマンションの1フロア(3室)をFeelFreeが保有あるいはオーナーからの委託を受け、ホテルとして使っている。他のフロアには普通に人が住んでいた。
 マンションは、日本的に言えば1LDKであるが、とても広い(東京の我が家の1.5倍はある?)。鍋や食器、それに洗濯機もあり、長期滞在もOK。4星・5星クラスのホテルに泊まっている人を対象にしていると言うが、まんざら嘘ではないだろう。

 FeelFreeの予約はインターネット。物件が自己保有か委託かは明示されておらず、顧客対応はすべて同社が行う。利用者は予約時点で代金の3割を前払いし、宿泊日までに残り7割を支払う。後払いではないので取りっぱぐれる心配はない。また宿泊中の破損・汚損などのためクレジットカードの番号をデポジット代わりに取るので、万一の際の心配もない。
 チェックインは近くにある同社の事務所で行い、そこでパスポート等で本人確認した上で部屋のキーを渡すシステム。チェックアウトの手続きは特に必要なく、キーを部屋の中に置いて出るだけ(玄関の鍵はオートロック)。人件費を含めた事務所の経費を考えれば、違うキーの受渡(暗証番号やセーフティボックスの利用等)もあるのだろうが、しっかり本人確認することによる安心感、信頼性に重きを置いているのである。
 実はちょっとしたアクシデントで停電を起こしてしまったのだが、おかげで同社が保守要員を抱えていることもわかった。安心感さらにアップ!
 
 オーナーは賃貸に出す日を自分で決められるとのこと。1年中でも良いし、バカンスその他で家を空けるときや、逆に自分が使わないときに別荘を貸したいなど、自由に決められる。手数料がいくらかはわからないが、オーナーにとっては、至れり尽くせり、安心・便利のシステムである。サン・セバスチャンのように別荘も多い、人気観光地だからできるサービスだとは思うが、やり方次第では日本で流行るかもしれない。

 さて、こうしてバル街近くのホテルに落ち着き、再び僕らの“チャコリ”と“ピンチョス”の日々が始まった。

山バスクを巡る(バスク旅行その4)

2017-09-07 20:56:16 | もう一度行きたい
 バスク地方の内陸、いわゆる山バスクの村々を巡るツアーに参加した。ほとんど事前勉強なしにやって来た二人に現地ツアーは心強い味方だ。
 お昼にビアリッツを出発し、まず典型的なバスクの村であるアルカング、次にピメント(赤唐辛子)で有名なエスプレット、そして「フランスの最も美しい村」の一つであるアイノア、最後にピメント農場を見学というツアーである。
 ガイドはビアリッツ出身のバスク人。本業はミュージシャンで、ガイドはアルバイトとのこと。また、ペロタというバスクで盛んなスポーツ(テニスの壁打ちというかスカッシュのようなスポーツ)のトップ選手だという(あくまで本人談)。

 ガイド氏曰く、バスクの村は教会と墓地とタウンホールを中心に広がっている。タウンホールなど公的な施設には、EUの旗とフランス国旗、そして必ずバスクの旗が掲げられているそうだ。アルカングの街はその通りだった。
 バスク、とりわけフレンチバスクの人々が、今もバスクの独立を望んでいるかどうかはわからない(スペインでは最近までバスク独立派によるテロがあったが)。しかし、やはり自らの文化や、郷土であるバスクに誇りを持っているのは確かだろう。四葉のクローバー(あるいは換気扇の羽?)のような“ラブウル”というバスク十字を街のあちこちで見かけた。

 そして、車はエスプレットへ。今回フレンチバスクに来た目的の街である。が、なんとここで妻がダウン。炎天下の中の見学やペロタ体験のせいか軽い熱中症に。
 この日は今回の旅行中で唯一の晴れ。気温は30℃以上あったと思う。おまけに日差しが本当に強い。日本より湿度が低いせいなのか、日差しの強さがひと味違う気がする。ガイド氏はじめ一緒にいた欧米人は、慣れているのか皆日差しは平気なようだったが、我々には応えた。で、妻は駐車場を出てすぐ、あえなくダウン。結局バーで休むことに。僕もお付き合い。
 かくして最大の目標であったエスプレット見学は次回のお楽しみに(って、次はある??)。

 「フランスの最も美しい村」というのは、小さな村の観光促進のため、人口2,000人以下、歴史的建造物や自然遺産などの保護地区が2か所以上等の条件をクリアした村を登録したもので、現在156あるという。アイノアもその一つ。
 アイノアは、スペインとの国境近く、遠くにピレネー山脈を望む丘陵にあるのどかな村だ。白壁に赤いストライプの入ったバスク風の家が並んでいる。住むには退屈だと思うが、ツアーで慌ただしく通り過ぎるのはもったいない気がする。地元の人達でごった返すレストランに行き、その明るく賑やかな雰囲気の中、バスクの料理とワインを味わうのも悪くないだろう。

 最後はピメント農場見学。ピエールおじさんとその家族でやっている La Ferme Aux Piments という農場に行った。畑の向こうはスペインという国境沿いの丘陵にある。ピメント作りのビデオを見て、ピメントのジュレやパウダーを試食し、畑の見学までさせてもらった。そうそう、ピエールおじさんとの記念撮影も。
 そして締めくくりは前庭での宴。地元バスクのハムとワインが振る舞われた。外の風が心地よい。お蔭さまで妻もすっかり元気になり、人一倍ワインを飲んでいる。終わり良ければすべて良し。バスクの生活や文化に触れることもでき、楽しいツアーだった。


フレンチバスク、バイヨンヌの休日(バスク旅行その3)

2017-09-04 20:37:38 | もう一度行きたい
 最近は日本でもバスクの人気が高まっているようだ。
 僕らが旅行に行く直前、雑誌FIGAROの8月号で「おいしくて可愛いバスク。」という特集が組まれていた。グルメに買い物に魅力いっぱいのバスクという記事である。それに、インスタで知ったが、女優の石田ゆり子さんがプライベートでバスクの田舎町を訪れていたとのこと。う~ん、ひと月違えば会えたかもしれない・・・、残念!

 気を取り直し本題に。
 フレンチバスクには、妻が唐辛子で有名なエスプレットに行ってみたいと言い、サン・セバスチャンに行くついでに寄ることにした(因みにバスク地方は、ピレネー山脈を挟み、フランスとスペインにまたがる一帯である)。それ以外特に目的はなく、あまり下調べもしていなかった。
 交通の便が良いビアリッツに3泊。ここを拠点に近くの街を回ることにした。ビアリッツは19世紀にナポレオン3世夫妻が好んで訪れたことを機にリゾートとして発展した街である。今ではフランスはもとよりヨーロッパ中で大人気の避暑地。イメージとしては、軽井沢が海辺にある感じ。ファッションや雑貨など洒落た店が多い。
 が、実際行ってみて思ったが、泊まるなら隣のバイヨンヌか、アイノアとかの田舎町が良かった。勿論、何が目的かによって違うが、のんびりバスクの雰囲気に浸りたいのなら人気観光地は避けた方が賢明だろう。

 さて、ビアリッツに着いた翌日、まずは散歩がてら海沿いを歩き、浜辺のカフェで朝食。リゾート気分満喫と言いたいが、どんより曇っていて、おまけに涼しい。砂浜には家族連れなどぱらぱらいるが、泳いでいる人は皆無。気温は20℃を多少超える程度だろう。こんなときはインドアと、水族館に行くことにした。日本ほど凝ってはいないが、海外で見た水族館の中では立派である。
 
 そして、バスでバイヨンヌへ。バイヨンヌは古くからのフレンチバスクの中心地。といっても小さな街で、ビアリッツより素朴で落ち着いた感じがする。観光地ではあるが、より生活感の感じられる街だ。
 旧市街の真ん中をニーヴ川が流れている。川に面して市場があるためか、川の両岸にレストランが並んでいる。店先のメニューを見ながらランチの店選び。レストラン街をくまなく歩き、ついに発見。この店、シーフードの盛合せとタルタルステーキがある。よし、ここだ。
 折角だから地元バスクのワインをと思いお店の人に尋ねると、Irouléguy(イルレーギ)のワインを紹介してくれた。夏だし、爽やかにとロゼを選んだ。すっきりした辛口で美味しい。
 ワインで気持ちが盛り上がってきたところ、シーフードの盛合せが登場。すごい量だ。エビ、カキ、貝、どれもたっぷりあるし、それに皆美味しい。昨日のボン・マルシェの盛合せなど目じゃない。ワインもぴったり!そして、タルタルステーキがやって来た。生の牛肉ゆえ最近日本では食べられなくなったタルタルステーキ。久しぶりの(1年振り?)ご対面。う~ん、幸せ、フランス最高!!

 食後はバイヨンヌの街を散策。バイヨンヌは生ハムとチョコレートが有名。チョコには興味ないが、バスク豚・キントアには興味津々。旅行中ゆえキントアの生ハムではなく、パテを買った。朝食のお供に食べるのが楽しみだ。

 帰りのバス亭を探して歩いていたら偶然大きな教会の前に出た。二つの塔が立派なゴシック建築である。急ぐ旅でもないので、中に入ってみた。広い。荘厳で厳かな雰囲気。ステンドグラスが色鮮やかでとてもきれいだ。後で調べると、この教会はサント・マリー大聖堂、なんと世界遺産だという。
 行き当たりばったりの旅も楽しいが、やはり最低限の下調べは必要だと反省。今回の旅行、実はサン・セバスチャンのバルしか調べていないという体たらく。ガイドブックもなく、俄然、大切なものを見落とし「後悔先に立たず」となる恐れが・・・。

パリの巷を徘徊する(バスク旅行その2)

2017-08-15 21:25:36 | もう一度行きたい
 パリはモンパルナスに宿を取った。シャルル・ド・ゴールとオルリー、どちらの空港へも直通バスが走っているからだ。トランジットで1泊するだけなので交通の便以外は考えなかった。
 それが例のHOP航空のストライキによりパリの滞在が思いのほか長くなってしまったのである。想定外の事態。観光するつもりはなかったのでガイドブックは持っていない。あるのは宿でもらった市内地図のみ・・・。

 そんな中、妻がランチにエッフェル塔そばの“Les Cocottes”(レ・ココット)に行きたいと言い出した。知り合いから、料理が美味しい、最近評判の店だと聞いたらしい。まだ時間が早いから、地下鉄でサンジェルマン=デ=プレまで行き、買い物がてら歩いて行こうと言う。地図を見る限り結構距離がある気がするが、時間つぶしにもなるし二人で歩くことにした。
 妻に店の住所を尋ねると、エッフェル塔とボスケ通りの間あたり、たぶん行けばわかると宣う。相変わらず楽観的なやつだ。住所くらい控えておけよと思いつつも、気を取り直し、唯一頼りの市内地図を見ながら、エッフェル塔方向に歩いた。パリの6区から7区にかけたこの一帯は、落ち着いた雰囲気で、街並みを見て歩くだけで楽しかった。パリにいるんだという実感が湧いて来る。

 ボスケ通りを渡り、この辺かなと二人であたりをキョロキョロ。あっ、ありました、“Les Cocottes”。適当に歩いてもちゃんと着くものだと妙に感心。お店はパリらしくお洒落な店だった。レストランというよりビストロかワイン・バーの趣き。前菜2品とワインを頼んだ。ロブスターのビスクが濃厚で美味しい。それに何と言ってもパンが旨い。わざわざ歩いて来た甲斐があった。

 次にボン・マルシェ(老舗デパート)の別館 = 食品館に行くことにした。泊まったホテルの近くにあり、目を付けていたのである。案の定、こちらも住所がわからない(住所を控えてなかったのは私です、はい)。地下鉄セーヴル・バビロン駅の近くとしか覚えていない。しかし“Les Cocottes”発見で自信(根拠ない?)を付けた二人は、再び地図を片手に歩き出した。
 途中、ボスケ通りの食品専門店“Black Cat Delicatessen”で買い物をし(なんと日本好きのご主人だった)、“Jardin Catherine Labouré”(カタリナ・ラブレの庭園)でトイレをお借りし、そして遂に目指すボン・マルシェを発見。偶然とは、それも続くとは恐ろしい。海外では迷うことの方が多いが、どうも今回の旅は違うようだ(と、願いたい)。

 食品館は、肉、魚、惣菜、お酒、お菓子等々、本当に品揃えが豊富だった。じっくり見ていたいが、飛行機の時間もあるし・・・と思っていたところ、素敵なイートインを見つけてしまった。魚屋さんに併設されたお店。海老と貝の盛り合わせに、きりりと冷えた白ワイン! う~ん、至福の時。
 が、悲しいかな、のんびり余韻に浸っている暇はない。夜遅く着くビアリッツでの夕食にと、ロティサリー・チキンと赤ワインを買い、後ろ髪引かれつつ食品館を後にした。幸いホテルはパリ随一の高層ビル(59階建て)モンパルナス・タワーの目の前にあり、今度も迷うことなくホテルに着いた。

 ホテルで荷物をピックアップし、すぐさまチキンやワインをスーツケースに詰めた。そしてタクシーでオルリー空港へ。なんとオルリー空港へのタクシーは30ユーロの定額料金だったのである(注:パリ左岸からの場合。これに送迎料金 4ユーロが掛かった)。初めはバスで行くつもりだったが、二人で24ユーロ。10ユーロ増の贅沢に負けてしまった。

 ストライキで思いがけず延びたパリでの滞在、行き当たりばったりだったものの、それなりに楽しく過ごすことができた。“バスク旅行”と言いつつ、なかなかバスクに着かず申し訳ないが、次こそバスクです、たぶん・・・。

ストライキ、ブランコ、そして“おもてなし”?(バスク旅行その1)

2017-07-26 21:31:57 | もう一度行きたい
 HOP! ストライキ? えっ、勘弁してよ。

 出発前日の夜、エールフランスから突然メールがやって来た。HOP!(主に短中距離便を運航するエールフランスの子会社)のパイロット組合のストにより、僕の乗る便が欠航となる恐れがあるという。チケットはすべてJALで買ったが、欧州内の移動はエールフランス(運航はHOP!)とルフトハンザを使う予定になっていた。

 今回はフランス・スペイン両国に跨るバスク地方を巡る旅。成田からパリに飛びトランジットついでにパリで一泊、翌日飛行機でビアリッツへと向かいフランス側バスクを観光、スペインへの移動はバス、サン・セバスチャンでピンチョスを堪能した後ビルバオからフランクフルト経由で帰国、というのが大まかな行程。
 このパリからビアリッツへの飛行機がストで飛ばない可能性大というのである。

 ビアリッツへはエールフランス本体が運航する便もあり、それに振り替えられると良い。しかし、エールフランスの電話受付はとうに終了しており(因みにJALも)連絡のしようがない。ウェブサイトで便を変更しようにも、まだ欠航が決まっていないせいか、JALは勿論、エールフランスのサイトでも変更できなかった。フランス本国のサイトも試してみたが、あなたの予約は管轄外とのつれない返事。う~ん、最悪パリで立ち往生か?

 年に一度の海外旅行を、たかが HOP!如きに台無しにされてたまるか! 他の交通手段、鉄道は? ネットで調べたところ、なんとフランスが誇る高速鉄道・TGVが走っているではないか。パリ-ビアリッツ間、飛行機で1時間強のところTGVだと4時間強。まあ空港への移動時間その他を考えれば許容範囲といえよう。ただストのせいか、ほとんど空きがない。空いているのは15:52発の列車のみ。明日エールフランスに連絡が付くのを待っていては、この列車も売り切れてしまうかもしれない。キャンセル料 @15ユーロを保険料と割り切り、僕はTGVのチケットを買った。

 ところで、僕はエールフランスのブランコのCMが結構好きだ。映像といい、音楽といい、フランスっぽさ、センスの良さを感じるからだ。
 が、あの音楽を20分以上も繰り返し聞かされてはたまったものじゃない。翌朝エールフランスに電話したところ、電話が混み合っていますと、ずっと待たされた。が、幸いエールフランスが代替便を用意してくれ、19:13の便でビアリッツに飛ぶことが出来た。当初の予定より3時間遅れ。やれやれ。

 後日、HOP!のストで大変だったとフランス人にこぼしたら、そんなのしょっちゅうさ、と言われた。確認すれば HOP!に限らず、エールフランスやルフトハンザもよくストをやっている。日本でも80年代初めまでは鉄道、バス、航空会社等交通機関のストが多かった。いつの間にか日本でストはほとんど見なくなったが、海外を旅する際は航空会社の直近のストの状況等をチェックした方が良いかもしれない。

 もう一つ今回感じたのは、鉄道のチケットの買いやすさの違いである。TGVのチケットは前日にネットで簡単に買うことが出来た。チケットは印刷すればOKだ。
 では、海外からネットで新幹線のチケットを買うことは出来るだろうか。恥ずかしいかな、ほとんど無理である。JR東海の英語サイトを見るとチケットは駅の窓口か代理店で買って下さいと書いてある。JR東日本は英語サイトでチケットの予約は一応できるが、前日までに駅窓口にチケットを取りに行ったり、種々情報を登録する必要があり結構面倒そうだ。観光立国を目指すという割には、極めてお寒い状況である。日本の“おもてなし”はどこに行ったのだろう。

 何はともあれ、こうして旅が無事(?)始まった。

「ひるぜん焼きそば」と鳥取の魅力(?)

2017-05-21 09:01:04 | もう一度行きたい
 僕がゴールデン・ウィークに鳥取に行くと言うと、周りから鳥取は砂丘しかないでしょ、とよく言われた。恥ずかしながら、僕も行く前はその程度の認識しかなかった。
 しかし、実際行ってみると、全然そんなことはない。魚は美味しいし、鳥取和牛は最高。三朝(みささ)や皆生(かいけ)など、温泉にも恵まれている。特に三朝温泉が良かった。そして、大山(だいせん)や「ひるぜん焼きそば」で有名な蒜山高原などの美しい自然もあれば、米子の隣には日本庭園で有名な足立美術館がある。
 もっとも足立美術館があるのは、米子の隣と言っても、島根県安来(やすぎ)市である。だから他は皆鳥取のガイドブックに載っているが、足立美術館は載っていない。

 三朝温泉から皆生温泉へは蒜山高原と大山を経由して行った。お昼は当然ひるぜん焼きそば。目指すお店は『悠悠』。焼きそばは勿論、鶏のからあげが美味しいと評判の店である。
 お店には11時前に着いた。案の定、人が大勢いる。待つこと40分、漸く店に入ることができた。ただ待つのはあまり苦にならなかった。外にメニューやお店のエピソード等が掲示されており、見て時間をつぶせるからだ。それにスマホで待っている組数や待ち時間の目安をチェックすることができ、おかげで近くのスーパーを見ることもできた。

 さて、僕らは二人で“ひるぜんの焼きそば大盛”、“とりの唐揚げ10個”それに“風のシルフ”(地元の山葡萄の炭酸飲料)を注文した。そうそう、地元の名水・塩釜冷泉の水(注:水道水のこと)も忘れてはいけない。
 まず“とりの唐揚げ”が来た。で、でかい。一人5個か、食べ切れるだろうか、などと殊勝に思ったのは最初だけ。地元の大山鶏のもも肉だと思うが、とてもジューシーで、それでいて皮のパリッとした感じも残っていて、本当に美味しかった。当然難なくクリア。さすが、グランプリ金賞(但し、外の掲示によれば、このグランプリには金賞が複数あったほか、さらにその上に「最高金賞」があったとのこと)。

 これに対し、本当に優勝したのが ひるぜん焼きそば。見事、2011年、第6回B-1グランプリで優勝を飾っている。
 ついに“ひるぜんの焼きそば”が登場。結構量がある。唐揚げの後で全部食べられるか不安だったが、こちらもまったく問題なかった。
 ひるぜん焼きそばは、ソースではなく味噌だれ。味が濃いかと思いきや、思ったよりあっさり。具は蒜山高原のキャベツと若鶏の肉のみ。親鶏の肉を使う店が多いらしいが、『悠悠』は食べやすさを考え軟らかい若鶏を使っているそうだ。またタレの味も子供のことを考え、やや甘めに。お客様にやさしい、今風に言えば“お客様ファースト”の店なのである。
 麺は地元の製麺所が作るコシの強い太麺。塩釜冷泉のおかげもあってか、麺もまた旨い。途中で焼きそばに変化を求め、一味をかけてみた。すると一瞬にして“大人の焼きそば”に。う~ん、ビールが欲しい!車で来ているのが恨めしい。
 地元素材の美味しさがぎゅっと詰まった“ひるぜんの焼きそば”は、地産地消の模範といえる。他所で同じレシピで作ることはできても、やはりこの味は地元でしか出せないだろう。

 ところで、蒜山に行って気が付いたが、なんとここは岡山県だった。鳥取のガイドブックに載っていたので、蒜山は鳥取県だとばかり思っていたが。
 足立美術館だけでなく蒜山高原も他県か。やはり鳥取で見るべきものは砂丘しかない? いや、そんなことはない。美味しい食材、心も体も癒してくれる温泉、美しい自然がある。それに他県の名所に気軽に(知らずに?)足を延ばせるのも鳥取の魅力の一つだ(としておこう)。

日本一のスナバ、鳥取砂丘

2017-05-20 11:44:06 | もう一度行きたい
 あっ、砂で埋まっていく。

 僕は砂の上に座り、ぼーっと砂丘と海と空を見ていた。薄いベージュ色の砂、藍色の海、そして明るく青い空、そのコントラストが本当にきれいだ。いくら見ていても飽きることがない。

 風が強い。砂が風に飛ばされ、僕の足をどんどん覆っていく。僕はふと安部公房の『砂の女』を思い出した。絶対の存在である砂。理不尽な砂との戦い、そして共生。人間の本質というか、その矮小さが巧みに描かれた小説である。主人公が砂の穴に閉じ込められる架空の話なのだが、妙にリアルで真実味のある話だった。途方もない設定でありながら、それでいて読まずにはいられないという意味では、村上春樹と相通ずるものがある。
 安倍公房は庄内砂丘から『砂の女』の着想を得たという。場所こそ違うが、僕は鳥取砂丘に来て初めて『砂の女』の世界を実感できた気がした。崩れる砂の坂でもがく。一歩踏み出すが、登るそばから砂が崩れ落ちて行く。あたかも蟻地獄に落ちたアリのようだ。

 鳥取砂丘に来るのはこれで2度目。もっとも前回はタクシーで砂丘の入口に来ただけ。車から降りたものの滞在時間はほんの2、3分。鳥取に来たからにはと、空港に行く途中、無理に立ち寄ったのであった。曇っていたし、日本海の見える“馬の背”という小高い丘には登らなかったし、正直、何の感動もなかった。
 が、今回はまったく違う。抜けるような青空の下、素足で砂の上を歩き、“馬の背”に登って海を眺めた。強い風のおかげで風紋を見ることもできた。風が砂で作る波模様である。そして見渡す限り広がる砂、砂、砂。とても日本とは思えない光景だった。

 欲を言えば、もう少し人が少ないと良かった(まあゴールデン・ウィークに行ったので文句は言えないが)。混むことを見込んでホテルを早く出発、8時半過ぎには砂丘に着いた。が、それでも車を停めるのに一苦労。僕らは元々関心がなかったから良いが、ラクダに乗るのも記念撮影するのも長蛇の列だ。砂丘の後に行った“砂の美術館”も大混雑。都内の人気の美術展のようだ。11時過ぎに帰る頃には道路が渋滞していた。

 以前鳥取県の平井知事が「鳥取にスタバはないが日本一のスナバ(砂場)はある」といって話題になった。今では鳥取にもスタバができたし、地元業者がシャレで作った“すなば珈琲”もある。“すなば珈琲”は結構な観光名所になっているようだ。
 日本一の砂場、鳥取砂丘の絶景に圧倒された後、“スタバ”にしろ“すなば”にしろ、コーヒーを飲みながら余韻に浸るのも良いだろう。因みに僕らは倉吉まで車を走らせ、地元ご自慢の牛骨ラーメンを食べ、その余韻を(何の?)味わった。