縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

地元では不人気、『サウンド・オブ・ミュージック』

2012-09-20 00:13:40 | 芸術をひとかけら
 この夏、ザルツブルクに行った。今日は、そのとき祝祭劇場のガイドツアーで聞いた話を紹介したい。

 僕らがザルツブルクを訪れたのは、『サウンド・オブ・ミュージック』ゆかりの場所を訪ねるのが一番の目的(映画の説明は、以前“マイ・フェイヴァリット・シングス”に書いたので、そちらをご覧頂きたい)。やはり音楽祭の行われた場所、祝祭劇場の「フェルゼンライトシューレ」は外せない。というわけで、ガイドツアーに参加したのだった。

 で、ガイド氏曰く、「ザルツブルクの人は、『サウンド・オブ・ミュージック』をほとんど知りません。ドイツ語圏では全然人気ないですね。」
 えっ、僕は一瞬耳を疑った。あのミュージカルの最高傑作『サウンド・オブ・ミュージック』を知らない?ロジャース&ハマースタインの名曲の数々や、ジュリー・アンドリュースの美しい歌声を知らないって?信じられない。
 が、ガイド氏の説明を聞くと、なるほど、と合点の行く話だった。
 大きく三つの理由があるというが、一言でいえば、実話を脚色したハリウッド映画だから、ということになる。

 まず、位置関係が目茶苦茶である点。この建物の横にあの建物が出てくるのはおかしい、といったかわいいものから、そもそもザルツブルクからスイスまで400kmもあるのに山を越えて歩いて行くなんてありえない、といった驚愕の事実も。さらに、家族が力を合わせて山を登る感動のラストシーン、あの山はドイツとの国境にある山で、なんと山を下っていくとヒトラーの山荘に出るという、笑うに笑えない話まである。これでは、地元の方は映画に没頭できない、安心して観ていられないのである。

 二つ目は、誰も「エーデルワイス」なんか知らないということ。映画の中では、この曲がオーストリア国民の心の歌、愛国歌として歌われているが、実はロジャース&ハマースタインの創作である。ナチスとの併合に抵抗するかのように、フェルゼンライトシューレの観客全員がトラップ大佐と「エーデルワイス」を唱和する感動の場面があるが、その撮影は、まずエキストラに「エーデルワイス」を教えることから始まったという。やれやれ。

 最後の理由はなかなか重い。それは、オーストリアはドイツに一方的に併合されたのではなく、オーストリア国民が自ら進んでドイツとの統合を選んだということ。映画では、一部の人間はドイツとの併合に積極的であるものの、他の多くは反対だけれど何もできない、逃れようがないと考えているように描かれていた。しかし、それは違う、史実に反するというのだ。

 うーん、オーストリアって凄いな、過去の過ちを過ちとして今の世代にきっちり教えているんだ。
 日本だと、太平洋戦争を起こしたのは軍国主義だった昔の日本で今の日本とは違う、といった感じで、どこか遠い国、違う世界のことのように思っている人が多いのではないだろうか。意識の断絶。
 僕は、同じように第二次世界大戦を起こした国に生まれた人間として、恥ずかしい気持ちがした。卑屈になることはないと思うが、やはり事実は事実として受け入れるべきであり、その上で次へと進むしかないのであろう。

 逆に、オーストリアやドイツの方には、どこか遠い国の話として、フィクションとして、是非『サウンド・オブ・ミュージック』を楽しんで頂きたい。本当に素晴らしい映画なのだから。

反日デモ ~ 嵐の前の静けさ?

2012-09-19 00:59:10 | 最近思うこと
 今日、9月18日は、満州事変の発端となった柳条湖事件の起きた日。時は、折しも尖閣諸島国有化に反発する反日デモが激化する中。中国当局にデモを強く抑える様子は無く、どうなることかと心配していたが、今日のところは思いのほか静かに終わったように思う。
 しかし、まだまだ安心するには早い。なぜなら、“反日”は中国国民の不平・不満に対する一つのはけ口になっており、それを抑えることが、反政府・反共産党に飛び火しかねないからだ。事実、今回のデモで毛沢東の写真が掲げられていたり、また参加者の中には「毛沢東の頃は良かった。」と言っている者もいるらしい。まったく当局にとっては聞き捨てならない話であり、そこに中国当局がデモを鎮圧できない理由がある。

 “We are the 99%.”という言葉を覚えていると思う。昨年米国で流行った、上位1%の者に富が集中していることを非難する言葉である。金融資本主義のなれの果てかと思うと哀しいが、一方で社会主義のなれの果て、あるいは理想とする共産主義への過渡期、混乱期にあるのが今の中国である。
 都市と農村の格差、共産党や軍の汚職、大卒者の就職難等々、中国において持てる者と持たざる者、富める者と貧しい者との格差は拡がるばかり。その差は日本はおろか、米国よりもひどい。公式には農村部の所得は都市部の1/3と聞くが、実際はそれ以上であろう。残念ながら、中国政府は格差問題に対し有効な対策を取ることができない。ただ経済成長を持続させるしか方策はないのである。
 1990年代後半から行われた愛国主義教育=反日教育も、こうした社会的文脈の中で捉えられる。祖国は愛すべきものであり、日本は悪の象徴、憎むべきものなのである。そんな中国政府が、今さら日本に弱腰になることはできない。

 翻って我が国はどう対応すべきだろうか。
 尖閣問題についていえば、「領土問題は存在しない」との立場ではなく、「我が国の領土が、領有権が侵されつつある」との立場を取り、国際司法裁判所に提訴すべきではないだろうか。中国が受けて立つかどうかはわからないが(勝ち目がないと思えば無視するであろう)、少なくとも我が国の主張を国際社会に訴えることができる。
(副次的な意義として、韓国に竹島問題に係る国際司法裁判所への共同付託を促す効果が期待できると思う。)
 また、略奪等暴徒化したデモによる被害については、中国政府に損害賠償を請求すべきである。

 更に、近年尖閣問題がエスカレートした背景には日中のパワー・バランスの変化があるため、その対応が急務である。
 まずは日米関係の強化。普天間問題での迷走、オスプレイ配備の問題など、日米関係は弱体化しつつあると、中国は我が国の足元を見ている。我が国の政権がどうあろうとも、強固な日米関係の実現、再構築を真剣に検討すべきである。単独で中国の軍事力に対抗する選択肢はないのだから。
 次に、技術力の維持・強化。中国は世界第2の経済大国となり自信を深めている。中国はもはや日本を必要としないが、逆に日本は中国に大きく依存している。よって日本は中国に従うのが得策というのが中国の考えである。確かにそうかもしれない。しかし、中国がまだまだ我が国の優れた技術を狙っている、必要としていることも事実だ(例えば、原子力、自動車等)。政府は、我が国の企業が技術面で中国の先を走り続けるよう強く支援すべきである。

 両国のパワー・バランスに変化、即ち我が国の立場が改善しない限り、尖閣問題に解決はない。