縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

菅首相に ~ “最小不幸社会”って何?

2010-06-13 21:33:18 | 最近思うこと
 菅首相は「政治の役割は“最小不幸社会”をつくることにある」という。

 鳩山元首相の“友愛”よりはマシかもしれないが、抽象的で具体性に欠ける点では大差ない。政治家が自らの理念、信条を語るのは良いが、“不幸”、さらに“最小”まで付けられては余計混乱してしまう。
 その後の会見等から判断すれば、“最小不幸社会”とは、まず“政治と金”や普天間問題で失墜した国民の信頼を回復した上で、経済・財政・社会保障の一体的な立て直しを行い、新たな成長戦略を描くことにより実現可能な社会らしい。

 “最小不幸”とは、功利主義の“最大幸福”、あのベンサムの“最大多数の最大幸福”を念頭に置いた言葉であろう。

 功利主義の問題点は大きく二つ、一つは“最大幸福”というとき「幸福の質あるいは善悪を問わないのか」に係る説明が弱い点である。例えば、暴力や盗み等に異常なまでの快楽を感じる人がいた場合、彼の幸福が他者の不幸を上回り全体の幸福が増すのであれば、彼の罪は正当化されるのだろうか。
 もう一つは、そもそも、個々人の“幸福”を定量化できるのか、集計できるのか、という点である。皆が同じように考え、同じように感じ、行動するのであれば、それは可能かもしれない。しかし、個人の趣味・嗜好や価値観は当然違う。そうした個々人の相違、多様性を前提とすれば、“最大多数の最大幸福”はまったく意味をなさない。

 同じことは“最小不幸”にもいえる。はてさて、首相の言う“最小不幸”とはいったい何なのだろう? 社会全体の不幸が最小な社会? 一番不幸な人が少しでも幸せを感じられる社会? いずれにしろナンセンスだ。

 ロールズの『正義論』に“マクシミン原理”というのがある。minをmax に、つまり、もっとも不遇な境遇にある人の状態をより良くしようとの考えである。首相の言葉に近い気もするが、これは種々前提を置いた上での話であり単純に比較はできない。
 それに倫理や哲学の学者が“最小不幸”を論じるのは良いが、一国の首相、政治家であれば、現実的かつ具体的な解決策を述べるべきである。

 「強い経済・財政・社会保障」実現のためには、法人税・所得税等の減税と消費税増税が不可欠であろう。政策効果のはっきりしない子ども手当や、効率を無視し官の肥大化を招く郵政見直しは財政再建に逆行する。菅首相が信念のある政治家でおありなら、是非日本の将来を考えた行動を採って頂きたい。

 以前日本は「経済一流、政治三流」と言われていた。それが、ともにワンランク、ツーランク落ちようとしている。いや、政治は既に四、五流かもしれない。豊かになった日本に危機感は乏しいが、日本が1980年代をピークとした過去の国となるのか、それとも蘇るのか、今がまさにその瀬戸際である。菅内閣が真に奇兵隊となることを願う。