僕は6月20日で65歳になってこれまでの仕事を一切辞めた。もう働かないことにした。その代わりに小説を書くことにした。これがモノになるかならないか、わからないが、ずっと昔からやりたいことだった。しかしそれにのめり込む前にややのめり込むことがでてきて、食べることもしていかなければならないので、できずにいた。魂の芯のとこにそんな思いがあったから、なんでも執着することなく、過去のことにはあんまりこだわりや後ろ髪引かれることはなかった。
小説を書くと言っても、勉強している感じで、どんなことを描きたいというのでもなく、思い浮かんでくることを書くというだけのことである。その思い浮かんできたことが時代やある時代に生きる人間を写しとればいいくらいにしか思っていない。
夏目漱石の晩年の本を読んでいると、見事にその時代とこれからの時代の人間像を描いているようである。些細なことを題材にしている。読む側からすれば、そんな些細なこと、と最初思うが、話が進んでいくにつれて些細だったことが大きな事項であった、という風になっていく。人間の関係だけに目をつけた漱石はあえて人間の関係性だけをテーマにしているから、思えばたいへんな強みを持っている。
どれだけうれる小説を読んだって、明日には忘れてしまう。二度と読まないというものも多い。まあ十年一所懸命やれば、なんとか形ぐらいにはなるだろうと思って、一日の4時間ほどを書く事に使っている。
9月30日は文学界の新人賞に応募した。10月には群像新人賞が締切だ。来年の3月は文藝賞の期限である。まだ新人賞募集はあるのかもしれないが、とにかく応募するのをひとつの仕事としてやっていこうと、今やっている。
どこかで「止める日」がくるのかもしれない。能力のなさの強い自覚。病気。しかしながらやっと腰を落ち着ける日が来た。やりきった日が死ぬ日だとも思っている。