息子が編集したという本を手にした。「日本列島人の思想」という青土社の単行本である。著者は「益田勝実」という国文学に民俗学の視点を導入した学者で、以前に「毎日出版文化賞」をもらっている。
「日本列島人」というのは息子が考えた言葉だと巻末に書いてある。楽しみに読もうと思っている。 テーマは、「日本列島人はなぜ神を創造したのか」ということだ。
僕には日本列島は「ヤポネシア」という概念であり、この概念は遠くポリネシアの方まで続いていき、日本語や日本人の起源のひとつでもあるかも知れないので、この列島をヤポネシアと意識して、考えていた。
日本列島人とはよく捻り出して来たものだ。この概念にはロシア方面から、モンゴル辺りから、朝鮮や中国、南インド辺りからインドネシア、フィリピン諸島を渡り、琉球諸島、日本列島に入ってきた縄文人や弥生人、アイヌなどにいたるまで、この火山列島で暮らす混血の人々を括ったものである。 日本人という言葉を著者使っていたらしいが、古代史で扱うなら「日本列島人」のほうがより寛容で、的確である。
現実のどんな法律も、慣習や倫理も、「思想」が土台になっていることは明白である。現在の先進国の自由、平等、人権も、民主主義という観念も、思想として唱えられ始め、やがて人々の間に広がり、政治や法律、経済制度などになっていく。
この自由、平等、人権の思想も今は耐えられるものかどうか、大きな転換期にきている。ヨーロッパで醸成されたこの民主主義の思想はルソーや、モンテスキューや、デカルトやカント、ハイデッガー、ヘーゲル、マルクス、エンゲルスというような思想家達の蓄積で作られていったものである。
そういうもっとも重要な人文系の学問などは、理科系の学問に比べて、生産性が悪いからと、大学に人文系の学問を馬鹿にしきったような文部科学省の程度の低さに僕はあっきれるばかりである。
日本列島人がなぜ、どのように、どんな力で神を創ったのか、ということは、僕らの無意識世界を知る上で、重要であり、未来に向かって進んでいくのにも、大きな参考になるものと思われる。アメリカに追従していく、共有の価値観と政治家は述べるが、日本列島人とは何か、を考えることは、もしかしたら、あらたなより良い価値観を見いだしていく肥やしになるかもしれない。人文科学とはそういうものだ。そんなことすら考えたこともないような政治家や官僚が人文系の学問を閉鎖に追い込んでいくようならこの日本列島人もたいしたものではない。
息子の仕事を尾鷲から応援している。