25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

やめられない

2015年12月26日 | 日記

  息子達家族が年末から正月にかけてくるというだけで、なんだか慌ただしい。食料、飲料、灯油、お出かけ、と日常と異なる5日間ほどになる。スーパーマーケットの商品も値が上がる。

 逆流性食堂炎らしくいつものクリニックにいくと、その通りだと言われ、待合室で見たパンフレットに粘膜保護の薬をガスターとともに服用するのがよいと載っていたので、わざわざそのパンフをもって、診療室に入った。思った通りだった。別に内視鏡などで検査するわけでもなく、胸と背に聴診器をあて、血圧を調べるだけでわかるものなのかと、不思議には思うが、僕もそう思っていたので、わざわざ総合病院までいかなくても、という思いもあって、「ガスター20にしますか」と医師が言うので、僕はパンフを見せ、粘膜保護剤も一緒に出してほしい、とお願いした。本当かどうかわからないが、ガスターのようなH2ブロッカーは胃の粘膜が薄くなってしまうと何かで読んだことがある。医師にそのことも伝えた。医師は、そんなことはない、と言って、胃の絵を描いて、「ガスターを飲むと出過ぎて胃の粘膜を傷つけるのを、胃酸の量を減らすだけのことで、粘膜が薄くなることはありません」と説明してくれた。粘膜保護剤を一緒に飲むのもかまわない、と言う。

 僕は試してみたい、と言って処方してもらった。その晩、夕食後に2つの薬を同時に飲むと、ウソのように、口の中に上がってきていた焼いたイカのような味がなくなった。  15年ほど前に胃潰瘍があると言われ、つぎの検査ではすでに治っていると言われた。しかし、食後三時間後くらいになると、胃に不快感がでてくるので、随時、ガスター10を処方してもらって、常備して、服用していた。再発しやすいということだった。

 近頃ウィスキーに凝っていて、しかもロックで冷たいものを飲む。それがまずかったのか、胃の上部のほうにまだ炎症があるような気がする。食堂あたりとの境界あたりではないか、と自己診断している。これが癌にならないようにしなければならないだろう。

「癌になっても同情しないからね」などと細君から言われる。で、今日は、ボウモアと思っていたが、熱燗にすることにした。そして、薬を飲む、ということになる。アホなのですね。年末がくるというのに。

       


週刊誌に浸る

2015年12月26日 | 日記

 週にだいたい一度喫茶店に浸かって、週刊誌を読みまくる。先週あたりから今年の出来事と来年の予測、あいも変わらず、「あの人は今どうしている」みたいな特集と高齢者のセックスへの激励がある。

 糖尿病、脳卒中、すい臓癌、肺癌はあと5年で治るようになる。水素エネルギーは一段と飛躍していく。来年は電力の小売りも半自由化となる。 アメリカでは若返りの薬が臨床治験に入る。

 今年最も変わったのは自衛隊員やその家族の心境の変化だろう。

 NHKの「新 映像の世紀」は衝撃的だった。第一次世界大戦から第二次世界大戦の貴重なフィルムがでてくる。そんな映像をもとに20世紀を考える番組だった。なぜ時代は独裁者を必要としたのか。それが第2回目のテーマであった。

 民主主義、自由主義、市場経済主義、個人主義、博愛、人権・・・。第二次世界大戦後の枠組みが揺さぶられている。一方はイスラム原理主義と差別貧困から。もう一方は戦後の枠組みから脱したい中国から。

 僕はと言えば、来年は「大転換期」であることは間違いない。大吉、小吉、吉にしろ凶でなければいいや、という感じで来年前半の心構えではある。

 今年は本を多く読んだ。読み方も変わってきた。作者側の視点から読むようになった。映画もまあまあ見た。「髪結いの亭主」はなんだかよかった。まだまだ知らないことばかりであることもわかる。そしていよいよ「運動」を取り入れる生活に変えなくては、とも思う。

 


クリスマスイブ

2015年12月26日 | 日記

   縄文人が1万5千年にも渡って文化を築いていたことが、遺跡や土器、土の中にある花粉分析などから明らかになっている。僕らが中学や高校の教科書で習った縄文時代とは全く違っている。エジプト、メソポタミア、インダス、黄河文明よりも長く文明を築いていた。5000年前には集落を作り、自然循環型の社会を作り、国家というものを作らず、稲作を拒否して、定住をして狩猟採集を続けた。火焔土器のデザインの意味することをパプアニューギニアの土器研究をする人がいる。湖底に土を採集して年別の樹木や果実のあり方を探るイギリスの研究者がいる。1万年以上も継続させたものは何だったのかを経済学や社会学から考えるアメリカ人がいる。

  やっとのことで稲作を持ち込んだ弥生人は自然を破壊していく文化を持ち込んだとも言える。「大和魂」などという言葉は、縄文時代に遡ってしまえば無意味であり、天皇制さえ、意味をなくすように思える。まだ弥生人の時代は2000年ほどのことであるのだから。

  地球の温暖化で、日本列島には四季というものが生まれた。四季それぞれの植物や魚介類、冬には狩をした。途切れることがないように栗の木は意識して植えられた。アクや毒を抜くのに、土器で煮込むこともした。さまざまな装飾品でからだも飾った。豊かだったのだろう。

  縄文時代が終わる頃、中国では秦の国が中国を統一した。近代的な中央集権の制度をつくりあげ、漢字を統一した。メールの送受信と保存ができるようなシステムをつくりあげた。始皇帝が死ぬとすぐにまた国家は分裂し、戦乱となる。その点では縄文人は戦争を起こす国家を作らなかった。

  今日はクリスマスイブ。ターキーは大きすぎて、鷄にして、夜、バッハの「マタイ受難曲」を聞きながら、ディナーをした。ちょうど一時間で終わったため、世俗に戻ろうとしたが、妻君がヘンデルの「メサイア」をプレイヤーに掛けたので、それを聞いた。

  キリスト教も仏教も、儒教も、イスラム教も、どの宗教も過去を懐かしむ。宗教の特徴である。

  僕は旧約聖書にある「ヨブ記」を思い起こしている。どんなに信心深く、どんなに善を施そうとも神はヨブをいためつける。これでもか、という程度ではない。徹底的に善人ヨブを虐待する。

  キリスト教者でもない僕がヨブのことを考えている。可笑しな話だ。

  遠く、瞬く星々を見る。温かな24日であった。