25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

後悔

2015年12月16日 | 日記

  昨夜は泥酔してしまった。それほどに日本酒とウィスキーはおいしかった。岡田さんは自慢の酒を2本用意し(計8合ほどだと思う。)僕は旧余市を用意した。

  そして後悔した。美味しい日本酒を飲んでから、余市をカラオケを歌いながら飲むなんていうことはもったいな過ぎるのだ。角かバランタインを水割りかハイボールにして飲めばいいのだと、思う。もうないといわれている旧余市は酔っていないときに味わうべきだった。トホホ感がある。

  リーバーマンの「ガーゴイル」というピアノ曲を聴きながら書いている。からだの気だるさも浄化されていくようだ。ルジャ・ワンというカナダの中国系の女性ピアニストが弾いている。こんなのを聴きながら、余市をじっくりと飲むべきであった。

  失敗だったことを岡田さんにこのブログを借りて報告しておきたい。彼は今朝早くから出張で他所に行くということだった。わかってもらえるかな。

 教え子も合流して、それは楽しかったのだけど、多くのことを覚えていない。ただただ余市を味わえなかったことだけが記憶にあって、「ややスモーキーで旨いな」という岡田さんの言葉と教え子の「これ美味しいですね」という最初の一口目の感想だけは覚えている。

 

 


航路

2015年12月16日 | 日記

 仕事をやめてから、さすがにこれまでの仕事でのアンテナが低くなった。これまでだったら、テレビで興味深いものが紹介されるとメモしたり、用語を覚えたりしていたが、それはしなくなった。

 相変わらず変わらない興味は文学であるとつくづくわかる。文学へのアンテナはそれほど高くなくい。しかし、自分の文学を掘り進めていくために読んでいく本はどうやら系統づけていくことができる。

 僕は文学のために、身体論について書かれた本は読んでいる。そして分子生物学や形態学、人類の進化の歴史などについては一貫して読んでいる。僕自身が興味あることなのだと思う。

  趣味と言えば、脚本をしっかり聞いたり、構成を気にしたりと作り手側の意図を読むことと音楽においてもただ聴くのではなくて、作者を読み取ることの方に興味を感じ、そうすることが趣味だと言える。

 プールサイドから競泳を見るように、政治や社会についてはプールサイダーである。さから好き勝手に政治批判を家族内でしている。外では、めったにしないが友人とはする。

 だんだんとするべきことが収斂されてきて、それはそれで緊張するものだ。勇気が出る情報を得た。村上春樹の「1Q84」の出だしの部分でタクシーのオーディオからヤナーチェクの「シンフォニエッタ」がかかる。青豆はその交響曲を知っている。

 このヤナーチェクが唯一の交響曲「シンフォニエッタ」を作ったのは彼が71歳の時だったそうだ。オルガン学校を作ったり、町でも名士でもあったのだろうが、こころははちきれんばかりの若さがあった。その若さのエネルギーがこの曲を作らせた。彼の作曲家人生は60歳を過ぎてから始まっている。

 芸術大学は芸術家の墓場だ、と言われる。この世には自分よりも優れた才能をもつものがいると思うものだ。ピアノを習い、いくら練習しても腕よりも耳のほうがいいのなら調律師のほうが合っているということもある。ピアノを止め、調律師になってから、自由にピアノを弾くようになってからピアノが楽しいと思うようになった、というこの主人公は「東京奇譚」での話だ。

 人生はどんな奇跡を残して行き、どんな未来の道筋があるものか、最後まで生きてみないとわからない。最後まで生きるのに、最も大切だと思うことは「心の老化をしないこと」だ。

 僕はそう思っている。

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