南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

手伝いの色々

2009-12-16 18:24:55 | 日記
夕方、マリアさんがスラバヤへ帰って行った。私が帰国するより少し早めに帰ってもらった。今度来るのはいつになるでしょうか、早くても3月初めになると思うが、やはり、子宝優先である。この間、また、一人暮らしになる。

今日から、本格的に、新工場の準備を始めるが、K社当時の仲間の手伝いも必要になってくるので、100%雇用や給料を保証するわけではないが、チャンスを作ってあげようと、まだ、フリーの人や別の場所に勤め始めている人も、もし、私と一緒に仕事をやりたいと希望するなら、書類を準備して提出するよう伝えた。射出も押出しも事務や品管など全ての部門です。

保証人をしているヤント君が日本から冬休みで戻ってきている。日本からの日本人を何人か案内していて、会えなかったが今日やっと会えた。別に話はないが、静岡産業大学を来春卒業して、静岡県立大学の大学院で二年間勉強をすることの報告があった。以前、受験をするという話は聞いていた。希望があれば、保証人は続けるが、資金援助は、もう、しない。6年間面倒を見てきたし、奨学金とアルバイトで十分のはずである。他の人に回せる。
彼は明日からパダンへ義捐金を直接、渡しに行ってくるそうだ。静岡駅前などで募金をしてもらったものを届けるのです。何%かは、既に、日本のインドネシア大使館を通して送ってあるが、残りを届けて、証拠写真やムービーを撮ってくるのです。それを、日本でまた、紹介するのです。
今回が始めてではない、アチェの時やこの前のタシクマラヤの時も街頭に立ってお金を寄付してもらい、現地へ送っていた。静岡新聞などマスコミでも紹介された。
私が、黒幕であることを誰も知らない。
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