南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

続いている

2009-12-30 16:20:09 | 生活
住処からロンボク島リンジャニ山への往復、一人で、車でやってみました。かなり、無茶な行動でしたが、かなりの記念になりました。写真集です。
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/index.htm

 典型的な冬型西高東低の気圧配置がしばらく定着しそうで、北日本は、厳しい天候が続きそうですが、静岡は乾燥した澄み切った天候が続きそうです。
 家電安売り店へ行って、インドネシアではまだ、売られていないと思われる、USB port hubとUSB扇風機を仕入れてきた。LEDランプはインドネシアで売っている。
 ホームセンターのジャンボエンチョウというのが静岡市では一番大きい。二店舗ある。富士市に遠藤材木店が発祥だが、私が東洋プラスチック精工時代、K君という従業員がいた。彼は共産党の下部組織、民青という組織の地方のリーダーだった。私とほとんど同じ年齢で、彼が組合の委員長選挙に立候補した。そこで、私としては彼が委員長になってしまうと外部の上位団体が乗り込んできて、引っかきまわされる恐れを感じて、会社側というわけではなかったが、彼が無投票で委員長になってしまうことは許せなかった。私がそこでやるしかないと思って立候補した。結果は大差で私が勝手しまった。落胆したかどうかは知らないが、しばらくして、会社を辞めてしまった。
 また、しばらくして、結婚した。その相手が、富士の材木屋の娘さんで婿養子に入った。民青仲間のようだった。ところがである。義父がそのころの走りのDIY店をオープンさせた。その後、チエーン点を作っていった。彼が経営者になったのです。民青のリーダーだったころの思想とは全く逆の方向になったのですが、矛盾を観じなかったのでしょうか。そして、静岡市に進出させ、地元では、一番、有名な大きい、ホームセンターになった。初代の静岡支店長が彼だった。私も、静岡に進出していたので、工具をよく買いに行った。店で、彼と会うたびに、現状を話していた。
 先日も、インドネシアへハンドキャリーする工具類の買い物にいったが、彼は社長になっていて本部の富士にいると、会計のパートの女性が言っていた。
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