南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

再びインドネシア

2010-01-07 20:24:52 | 仕事
インドネシアで楽しく暮らす 15-479()
斜めからインドネシアを眺めよう 479
 インドネシア、ジャカルタタイム22:30(日本時間00:30)家に着いた。また来てしまった。
成田発よりかなりゆっくり、08:40に家から出る。皆が門前で見送ってくれた、初めてのことである。「次はまたドイツへ来て」と、頼まれた。
 静岡駅前09:15リムジンバス出発、富士山静岡空港着10:07着11:45出発
のつもりが、コリアンエアーの到着が遅れて、はらはらさせられた。それも、インチョアンでの連絡時間が一時間しかない。45分遅れたので、空港内で、ダッシュ。搭乗時間は過ぎていたが、まだ、行列状態だった。危ない危ない、やはり、このコースにはリスクがある。ジャカルタ行きの日本人は私一人のようだった。欧米人もいない。とにかく、韓国語でしか話しかけてくれないので、いちいち、英語で聞きなおさなければならない。疲れる。だから、ほとんど、寝てしまいたいが、あいにく、インドネシア人の子供が隣に座って、ゲームを大騒ぎでやっていて、奇声を上げる。眠れないから、これを書き始めた。
 その子の母親はインドネシア系韓国人で、里帰りなのだろうか、状況は聞かないが、入国カードや関税カードの書き方が分からなくて、聞いてくる。彼女も私を韓国人と思い込んでいたらしく、いきなり、韓国語で話しかけてきた。インドネシア語で私は日本人ですが、インドネシア語はできます、と、言ってやったら、一瞬、戸惑った顔をしていたが、インドネシア語で会話を始めて、全部書き終えた。かなり、思いがけない状態で、それでも、安心したようでした。
 
昨日の夕方から、頭の両側が重くなり始め、今朝、起きた時には痛くなっていた。じっとしていられなくなるほどだった。当社拒否症候群ならぬ、インドネシア行き症候群になっていたのかもしれない。体が、日本の快適な環境から、離れることを拒否したのかもしれない。一応、痛み止めを飲んで、治ったが、全く忘れていたパニックにならないかと心配したがならなくて安堵した。

 会社は受注をこなしきれずに、正月も休日出勤で休みなしだったそうです。
韓国のインチェオン空港、-10℃だとか、二度とこの飛行場を見ることはないでしょう。やっぱりバリ経由でガルーダがいい。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする