南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

日本大使館

2010-01-19 20:26:52 | 生活
 洗濯物を外の干せない日々である。雨漏りもひどくなってきて、天井の上に水が染み込んでいるらしくて、天井の塗装がぽろぽろ落ちてくる。風呂場の湯船にも雨水が落ちて、入浴中に頭の上に冷たい水滴がかかる。今日は新たに、どういうわけか一階にあるトイレの天井から水が滴り落ちていた、どこをどう伝ってきたのでしょうか、調べる手段を持っていない。
 インドネシアの家の床は白いタイルを敷き詰めてあるので、表面に水があっても見えない。気がつかないで、滑ることはしばしばです。私はそこまでいったことはないが、すってんころりんして、打ち処が悪く、大怪我や亡くなる人も多いに違いない。日本なら絶対に問題になることです。
 朝、日本からのお客さんとミーティング、私が、何のかは知らないがダイレクターになるらしくて、その届け出をするのに私のサインが必要だとか、初耳である、ま、そんなことはどうでもいいか。

 久しぶりにジャカルタのスディルマン通りとタムリン通りを往復した。日本大使館はタムリンを北上すれば左側にある。駐車場が無いので、通り過ぎて隣のプラザインドネシアの駐車場に駐車する。ハードロックカフェがあるショッピングモールである。雰囲気が対照的で、日本大使館はこの通りの景観や雰囲気を台無しにしている堅苦しい建物である。
 各種申請や届けの入り口は建物の一番左端である、テキュリティに身分証を見せて入口を開けてもらう、入るとすぐ右にパスポートなどの身分署名になるものを窓口に下から入れて中のセキュリティに渡す。彼は、ノートにそれの必要な部分を書き込んでから証明書を返してくれる。そのまま進み、正面に回転出口があるが、そこの直前右に気が付きにくいドアがある。そこが次の入り口である。そこには空港のチェックと同じようなX線検査装置がありカバンを通して中身をチェックされる。本人は金属探知機のゲートをとおる。何事もなければ、申請のスペースへ入ることができる。順番カードを取って順番を待つ。

パスポート更新に必要なものは写真を張った申請書とパスポートだけである。
 
 申請を終わり、出来上がり日が書かれたメモと金額が書かれた紙を貰う、支払いは受け取りのときにする。出てくるときは、先ほど正面にあった回転ドアから出る、そして、先ほどノートに色々書いたセキュリティにドアのロックを解除してもらい、外に出ることができる。
 名前は聞かないが、メガネを掛けた品のいい40才台でしょうか女性が丁寧に対応してくれた。在留届を出していないことをやんわり説教されてしまった。
 
スディルマンからの写真には右にホテルニッコー左がハイアットです。タムリンからの写真の右側はホテルインドネシアだと思う。噴水の水量が見たことが無いほど大量でした。22日の昼間にまた行かなければなりません。
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来る人たち

2010-01-19 18:45:05 | 情報
今日からまた何人かの日本人が新しい会社の準備のために来るので、相手をしなければならないし、頼み事をしたいし、確認したいことも沢山ある。来る人たちの予定が分からないので、いつ、話ができるか、いつ、呼び出されるかわからないので、ほかの予定を入れるわけにはいかない。これも、考えなくても、妙な話だが、仕方がない。
 明日の昼間は特別例外である。
支払い、インドビジョン(海外の放送を受信する)が4千円、電気代が3千円、携帯の電話代、家の電話代が一万三千円、合計、2万円くらい支払ってきた。毎月大体こんなものである。普通の日本人はこれらのうち家の電話代以外は会社が負担し、支払いも会社がやってくれているはずです。全て、ATMで支払える。日本のように自動振替のシステムがあればいいと思うが、この点に関しては当分期待できないので、いちいち、ATMまで毎月行かなければならない。

パスポートの期限切れが今年の9月に迫ってしまった。来月後半には今の会社のままでKITASの更新をしなければならないし、3月にはおそらく、新しい名前の会社の人間としてのワーキングビザを新しく取らなければならなくなるので、期限は残り一年半以上必要になる。そこで、日本領事館で新しいパスポートを申請しなければならない。一か月の特別延長を申請し、新しい会社が発足したときにすぐにシンガポールで取得できるように、早めはために申請をお願いする。とりあえずは新しいパスポートを手に入れなければ始まらない。
デジカメでタイマー撮影して、45×35mmでバックが無地の写真をパソコンで編集して作ってプリントした。顔の大きさや上や両サイドの隙間に寸法指定があるので、なかなか難しい。自分で作る人は少ないと思うが、私の場合は、証明写真を作るところを探しにジャカルタまで行くか、リップチカランのモールに行かなければならないし、手間も、金もかかる。これなら、殆どタダで10分でできる。
パスポートは代理人というわけにはいかないので、ジャカルタ、タムリンの日本領事館へ明日行くことにした。受け取りに行くのも本人でなければならないが、それが終われば、他のことは代理の申請で済む。受け取りに行くのは、やはり本人でなければならないが。


”故郷は遠くにありて思うもの、そして楽しく思うもの。”間違いではありません。“悲しく思うもの”ではありません。
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage101.html
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage102.html
百人一首の中の“田子の浦ゆ 打ち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ“万葉の時代から変わらない風景です。
旧東海道、薩埵(さった)峠から下は清見潟といって、江戸時代までは峠越えも海岸の引き潮の岩場を通過するにも難所でした。だから、この景色が癒しになったのです。
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