南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆終盤の寄せ次の一手

2010-09-28 22:37:28 | 習慣

  この会社の押出部門が順調かどうかは私の判断によれば、若干の滞りはあったが、おおむね大変順調に推移していると思っている。しかし、見る人によっては、もたもたしていると評価する人がいてもそれはそれで基準の違いなのであることだと思う。

小さい所帯で安定して確実の徐々に利益を上げてゆくやり方が私にとっては一番望ましい。大きなプレッシャーを回りに掛けなくても、私の力量で出来る範囲までに収めたいと常に思っている。売り上げも利益もほどほどでいいと思っている。それ以上の事は必要無いし、求めない。

実際、私がいた全ての場所で利益を常に上げていた。そして、客先にも満足していただいていた。そして、部下たちにも相当の配分をしていた。特に私が太田化工として経営していた沼津(現S社)の時と静岡の時には無借金経営で、自分の手形を切ることは無かった。こじんまりした規模にもかかわらず、常に高額納税をしていた。インドネシアへ来てからも、私の部門は本社や他の日本人の手助けを必要としないで、最初から利益を上げていた。だから、私のやり方なら、大きくはならないが、確実に儲かるし、従業員も明るく仕事ができるのです。私が手伝って、主に射出成形をしていた同じ会社の中でも押出は確実に利益を上げていた。東プラ精工、PT.KITAGAWAの中で、勿論、間違いなく利益を上げていた。扱われ方はどうしても押出部門に不利な状況でした。

そんなことで、大量生産、大量利益と大きく拡張しようとする今の会社には、方針は正しいと思うし、成功もしてほしいと思うが、私の考え方は全く馴染まない。私が、それに、協力することは能力的にも年齢的にも無理である。近い将来邪魔者になる可能性すらあると思う。これまでの私の役割は何であったのだろうか分からないが、役割は終わったと思う。出来るだけ早い時期に次の手を探らなければならない。迷惑を掛けないように引き際を探ることになる。技術者としての次の一手であって、何もしないで日本へ帰って隠居という一手は100%ないが。

 

ドイツ、ニュールンベルグのベンツのミニバス、外観と内部、インドネシアのミニバス、コアシとは別物のように綺麗でこれが普通だと思う。

 

読み  何手先  引き際

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