斜めからインドネシアを眺める 793
一匹狼ならぬ、いっぴき羊の素浪人、自分がつくった会社の社長をバッサリ捨てて、50歳を境に、押出成形の技術を腰に差して、技術の伝達を目的とした旅にでた。依頼15年、紆余曲折だらけで、現在に至っているが、まだ、余力が十分残っている。そりゃー、若い時に比べれば、疲れやすいし、睡眠も不足気味、頭の回転も記憶も速度は落ちている。しかし、止まってはいない。
インドネシアで仕事をできる可能性がある限り、インドネシアから、去ってしまうことは無い。日本とインドネシアの半々の暮らしになるかもしれないが。
本日は本社の監査役の方が見えて、インタビューを受けた。この会社の押出部門の成功を願って、エールを送る意味で、久しぶりに思うところを話したと思う。あまり意味があるとは思わないし、この会社には後一か月しかいないのだし、何か変わったからと言って、それを、確認することはできません。日本が“おんぶにだっこ”してやらなければ、現地では何も発展させることはできない。自立は出来ないのです。このことは、はっきりしています。今、日本で生産している物を装置ごと移して、仕事を確保するしかないのです。
それでも、押出成形に関する私なりの考えを言わせてもらった、インドネシア人スタッフが少しでも、気持ちよく仕事が出来るようにと願うからだ。ぜひ、日本の手伝いなしで、自力で、仕事を獲得し、自力で金型を作って完成させ、自立の方向に向かってほしいからです。
やはり、自分で仕切らなければ満足できないだろうし、満足させることも出来ない。ドンドン、煮詰まってくる。
葛飾北斎がインドネシアの風景を版画で表したら、こんな感じかな。
ジャティの木、真っ直ぐに伸びるので家の材料になります。
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