南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

気になる

2009-12-17 18:29:24 | 生活
例の、病院の悪口を言った、ということで204ジュタ(200万円)を要求された女性への応援で募金が始まったことは書いたが、今までに、集まったコインは500ジュタ(500万円)を超えたと言われている。数えた金額はまだ、半分まで行っていないらしいが、250ジュタ以上になったそうです。まだ、数え続けているのですが、いつ終わるのやら。どこに置いてあるのか知らないが、総重量は10トンを超えていると報道されている。その他に、彼女には政治家や実業家からコインでなく、何十ジュタ百何十ジュタと送られてきていて、合計では1ミリヤール(一千万円)を超えたと言われている。
 病院側は二日前に要求の撤回を発表したが、まだ、お金は集まってきているし、数えている。しかし、二人の医者が訴えた件については、もう、撤回できない状態まで進行していて、制度上撤回できないので、裁判は続けられる、例に、禁固とか懲役に方です。この顛末は、まだまだ、先があるようで、今年中には全てが丸く収まることにはならないでしょう。
 
インドネシアには日本のJISアメリカのASTMのような商品企画SNI規格がある。それに合格した製品はSNIのマークを付けて売ることができる。その規格を申請するのはインドネシア企業だけだと思う。規格の内容をチェックしようとは思わない。JISやULやISOやADTMの規格の方が優先にしているからです。
最近、コマーシャルで面白いのに出会った、有名男優がその規格に合った製品を進めている。その内容が、電球が一年切れなかったといったり、扇風機が二年壊れなかった、これはSNI規格にかなっているからだといっている。一年二年持てば優良製品と云っているのが面白い。電気製品は今でも、買う前に必ず、動くこと、点くことを店員が証明することになっている。

 インドネシアの暑さの中で、寒気を感じた。
昨日の出会いで、“何故”が生じてしまった。私が望まない方向に流れが始まってしまったらしい。断言するには早いが、二言、三言のやり取りで、これは、だめかなと、思わされた。的中しないことを願う。

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手伝いの色々

2009-12-16 18:24:55 | 日記
夕方、マリアさんがスラバヤへ帰って行った。私が帰国するより少し早めに帰ってもらった。今度来るのはいつになるでしょうか、早くても3月初めになると思うが、やはり、子宝優先である。この間、また、一人暮らしになる。

今日から、本格的に、新工場の準備を始めるが、K社当時の仲間の手伝いも必要になってくるので、100%雇用や給料を保証するわけではないが、チャンスを作ってあげようと、まだ、フリーの人や別の場所に勤め始めている人も、もし、私と一緒に仕事をやりたいと希望するなら、書類を準備して提出するよう伝えた。射出も押出しも事務や品管など全ての部門です。

保証人をしているヤント君が日本から冬休みで戻ってきている。日本からの日本人を何人か案内していて、会えなかったが今日やっと会えた。別に話はないが、静岡産業大学を来春卒業して、静岡県立大学の大学院で二年間勉強をすることの報告があった。以前、受験をするという話は聞いていた。希望があれば、保証人は続けるが、資金援助は、もう、しない。6年間面倒を見てきたし、奨学金とアルバイトで十分のはずである。他の人に回せる。
彼は明日からパダンへ義捐金を直接、渡しに行ってくるそうだ。静岡駅前などで募金をしてもらったものを届けるのです。何%かは、既に、日本のインドネシア大使館を通して送ってあるが、残りを届けて、証拠写真やムービーを撮ってくるのです。それを、日本でまた、紹介するのです。
今回が始めてではない、アチェの時やこの前のタシクマラヤの時も街頭に立ってお金を寄付してもらい、現地へ送っていた。静岡新聞などマスコミでも紹介された。
私が、黒幕であることを誰も知らない。
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デフレ日本だが

2009-12-15 19:52:43 | 仕事
パンガンダラン ジャンビ滝
今週はどんな週になるでしょうか。ある会社から、新製品のサンプルを受け取った。三種類である。其の会社のメインの日本へ輸出する製品の主力になるはずで、今まで,受注してきた全て以上の生産量になることは確実で、生産設備の増強が必要で、場所も今の所ではとても対応できない。
 その点について、今週は大きな動きがある。
 しかし、問題があった。日本で購入している価格が安い。日本で、何故こんなに安い価格でできるのか理解できない。原料費は数年前に比べれば原油価格の高騰で上がっているはず、それでも、価格に転嫁していないのでしょうか、数年前以降全く、値上げの申請はなく、昔の価格が維持されているという。

 その会社にとって、どれほどの規模の会社か知らないが、この商品の生産がなくなれば、かなり、工場の雰囲気に影響があるでしょう。人件費を何とか出せるだけでも、その価格で売り続け、継続したい気持ちは分かります。何年か前に多分その会社でしかできないと考えていた、PPのプルファイルをインドネシアで作ってしまい、その会社の多分一ライン分の生産が無くなってしまったという痛い事態があったので、その他の製品でも、そういうことが起きてしまうのではないかという恐れを持っていると思う。
しかし、私としても、従業員や客先の利益を考慮し、ぜひ、日本の会社のとんでもない安い価格より、安く出すことにせざるを得ない。同じ、押出し技術者としてもうしわけない気持ちでいっぱいですが、流れは止められない。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
 PT.MAKUTAが移転する工場の入口
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ゴルフは必須

2009-12-14 18:29:22 | 生活
パンガンダラン チャガールアラム半島先端の滝
早朝からジャバベカでいつものメンバーでゴルフ、今年、インドネシアでは最後でした。来年のメンバー費を払った。個人永久メンバーですが、8万5千円だった。土日の場合のメンバー、ノンメンバーの差が、7千円位なので、年間12回でとんとんである。私は、多分、30回以上はやるので、十分元は取れる。ちなみにプレー日は無料で、主に、キャディー費とカート費で、2千円払うだけです。1年間だけの会員費は15万円ですから、こちらは、22回くらいで、元が取れることになります。
 日系企業や日本人は圧倒的にカラワンの会員が多い。ジャバベカはゴルフ場がどうのこうのでなく、プレー費が高いからやらないという人がおおい。ですから、コンペはカラワンで開かれることがおおいので、私は参加しにくい。コンペに参加すれば、様々な業界の人と知り合うことができて、ゴルフをやる意味が大きくなるが、どうしてもジャバベカだけで、同じ仲間とやるので、情報の範囲が狭くなることは仕方がない。
 インドネシアで仕事をする人にとっては、ゴルフをすることが、必須条件に近い。その理由は、大勢に人と知り合い沢山の情報を得ることと、交友範囲を広げることです。上手、下手、ポジションの上下やインドネシア暮らしの長さ、年齢は関係なしに、付き合いができるので、特に若い人、インドネシアの経験が短い人、性格的に内向的だと思う人、無趣味な人、運動神経が良くないと思っている人、にとって、ぜひ、お勧めします。
 ただし、初心者でも、マナーについては、経験者から確認して、特に、後続のプレーヤーに迷惑を掛けない注意を払ってほしい。
ところで、私ですが、筋力が衰えてきているからでしょうか。飛距離が次第に短くなっているようで、次第に、グリーンまで遠くなっているような気がする。ショートホール全てでドライバーを使うが、この1年一度もグリーンまで届いたことがないので、ニアピン賞は取っていない。145~165mだが、145のところは高くなっているので、転がって登らないので、オンできない。1か所は、グリーン真っ直ぐ打つと、池に入ってしまうので、30度位は左に打つしかない。直接オンは最初からあきらめている。

この1年、私と一緒にプレーしていただいた方々に、ありがとうございました、です。
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解散の原因者

2009-12-13 19:28:53 | 人間
パンガンダランの海岸の一か所です。竹の橋の向こうには海鮮料理レストランがある。

 タイの見も知らない多分SU君だったと思うが、いきなり私に失礼な話し方で「消極的人間だ、自分が売るから、一緒にやりましょうよ」とのたまった。上から物を言っていた。「は、消極的と言われたことは初めてで、どこのだれからも知らない人から、そう言われたことは勿論始めてだ、知っている人は、積極的過ぎると、言う人が多いですよ」と返事した。「自分で、自分のことを積極的人間と言った人に始めて会った」とその人から、言われてしまった。未だ、会ったこともないのに、である。
 すごい自信家で、失礼な、人がK社にはいるものだと思った。全く驚かされた。その後、彼から、何の連絡も入らなかったが、半年後くらいに、インドネシアの会社へ来ていて、K社の日本人と話をしているところに私が通りかかった。「タイのSUです」と、自己紹介したが、以前の失礼な剣幕については、まったく、触れなかった。
 こういう人は、人を評価判断する根拠はどこに求めるのでしょうか、気に入られるにはどうしたらいいのか、彼の部下になった人は、困ってしまうことでしょう。まだ、タイにいるようだが、今は、インドネシアの射出の面倒を見ていて何もしなかったIという人が、日本に帰れず、タイ工場に移ってSUとコンビで、何かをしているやら、いないやら、似たり寄ったりの名コンビで、程度が同じだから、仲良くやることでしょうが。インドネシアと同じで、タイで製造する意味はないまま続くでしょう。そう遠くない間にタイ工場も解散になることが私には見える。

 私が評価すれば消極的というより、仕事を自分ではできない、手本も見せられないで、やらせて、できなければ怒るばかりの、何かを成し遂げようという、知識も動きもない、単なる元常務の顔色を窺って、仕事をしている振りしているだけのかわいそうな人達です。

K社にとってもKGS社にとっても、この上ない話で、独占的にエスカレーターのサイドレールの納入ができる。他の新しい仕事も獲得できる大チャンスだった。それを、感情だけで、パーにしてしまった。象徴的な話で、大きな損失を与えた責任は大きい。それを私の責任にした。PT.KGSを解散に追い詰めた人たちは明らかである。

私を感情的に攻撃した人には反撃をします。
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どうしようもなかった

2009-12-12 18:49:19 | 人間
どこにでもあるハスの花
まれに、こういう人に当たるもので、思いがけないパワハラを受ける。全く、会ったことがない、まったく話をしたこともない、K社のタイで営業の仕事をしているらしい私より20歳くらい若い人から、インドネシアの私に電話がかかってきた。いきなり、「太田さんはネガティブな人ですね」と言ってきた。
何のことか分からなかったが、どうも、タイにある日系企業のお客さんから私にナイロンプロファイルの成型依頼が入って、それを受け、私は、自腹で、インドネシアで金型や製造装置を作って、日本(私が勤めていた静岡、清水町のT社で、私がつくった)でしかできないと言われている製品を完成させ、サンプルをその日系企業の日本の本社の購買担当者へおくった。そのことが、例の当時のK社の海外責任者のQ常務に、その日系企業の購買から、御社のインドネシア工場からサンプルが届いたが、取引形体はどうするかという、話がはいった。
当時常務は自分が全く知らないことだったので、怒り、すぐ、その話はなかったことにもみ消してしまった。私は彼から、余計なことをするなと、また、言われてしまった。ですから、製造技術を教えることは出来たが、商売につなげることができなかった。むきになって常務とケンカしても、インドネシア工場の他の日本人は逆らえないので、納品はできないと、諦めた。
それから、約、一年後のこと、タイの駐在員が例のタイの日系企業に売り込みに行った時、その製品の扱いについて、K社の対応は理解できないと言われたのでしょう。彼は、そこで、自分が何とか取引につなげようと思ったのでしょう。インドネシア工場の日本人に問い合わせた。聞かれた日本人は、私が、突然、その仕事から手を引いてしまったと、説明したようです。実際は、私の積極性と手柄を妨害したいだけで、常務の指令は彼らにも伝わっていて、逆らえない。つづく。

 今日、私が、会社を移転する場所を決定した。
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執行延期

2009-12-11 18:43:08 | 仕事
残り、20日になってしまった。今年中に新しい工場に移って、設備も増強して、拡販の準備が終わることを目標として、もがいてみたが、結局、今年中には出来ないと諦めた。それでも、延期になっているだけで、中止ではない。置く場所はまだないが、装置の新規製造と購入は着々と進めている。移転の目標日を2010年2月末日に替えた。

Hari antikorupsi“汚職撲滅デー”とでもいうのでしょうか。ネットの呼びかけによって、9日インドネシア国内各主要都市で、大規模なデモが行われた。警察、検察へと大統領の曖昧な態度への抗議である。センティリ銀行の不明支出の解明の矛先が副大統領と財務大臣に向けられている。
マッカサールなど一部の都市を除いて、秩序ある、比較的静かなデモだった。学生や知識人が主体なので、パニックになることはほとんどなかった。それでも、1998年のことを知っている人達は、集団になった時の横暴さを知っているので、大分心配したようで、店を閉めた商店街もあった。コタ、グロドックは営業していたが、客は半分以下の印象だった。

例のオーミ病院から訴えられていた女性が払わなければならない204万円は、これも、ネットでの呼びかけで、コインを集める運動が始まっている。全国各所で募金が行われている。数えるだけでも多くのボランテャが必要である。いつ頃まで続くのか知らないが、どんな状態になったら終了するのでしょうか。また、何十万円もいっぺんに寄付する人もいて、二百万円を今週中には超えるでしょうが、インドネシアのことです、この機会に、募金をして、自分の懐へ入れてしまう金額の方が多いことが想像される。
罰金の他に半年の禁固刑も言い渡された。これらに対して、抗議のデモが始まっている。ジャカルタは各種デモで渋滞が激しい。
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運命の繋がり

2009-12-10 18:36:53 | 情報
タナトラジャの伝統村の倉庫
ブドウを黙って頂いたという学生時代の話は、現在につながっています。甲府盆地の北側、大学の東側に愛宕山という小高い山があった。山の南端近くに小さな掘っ立て小屋の展望台があって、そこまで、走って、良く登ったものでした。中学や高校の時、浅間さんの山に走って登ったのと同じ感じでした。
 甲府盆地が一望できた。今は、設備が整備され、車でそこまで行けるようになっているはずです。デートスポットというところです。その一帯は、葡萄農園が一面に広がっていて、南の斜面の葡萄の出来が良かったので、ランニングのついでに、其処の農園のブドウを黙って、いただいたものでした。
 3年になった時に、体育系のクラブを仕切る学友会という上部組織の幹事をさせられていた。その関係で、全学の体育大会の主催も自動的に引き受けた。各学部、学科対抗で駅伝、バスケットボール、バレーボール、タッキュウなど10種目くらいの大会を仕切るのです。事務的な仕事の手伝いとして、教育学部からも女性が何人か来てくれた。日曜日にも、ガリバン刷りなどの仕事があった。その中の一人が、家の農園のブドウを差し入れとして持ってきてくれていた。ブドウ園の娘さんだったのでした。そんなことから、体育大会が終わった翌日から、そのブドウ園の収穫のアルバイトをすることになって、出かけていったら、いつも、黙って、いただいていた農園だった。愛宕園という名前だった。

 その後、何回か、友人と一緒にそのブドウ園を訪ねたことがあった。


卒業して、二年後に、その女性の消息を聞いて、交際を申し込んだのが、妻です。
 
 インドネシアの山間部の畑や水田は急斜面の棚場が多い。すごいところまで耕していると感心してしまうが、生活でどうしても必要なのでしょう。日本ならとっくに荒れ地に戻っているはずです。そんな斜面にそのブドウ園はあった。兄弟姉妹が7人、今のインドネシアと同じ様な状況が多かったはずです。
結婚後何年かは、会社が休みの時、葡萄の消毒や収穫を手伝いに行っていたが、今は、ご両親も無くなっていて、既に、何年も行っていない。もし手伝いに行っても、今の私では、手伝いにならないでしょう。毎年秋には今でもブドウが送られてくる。

この孫たちも、昔の葡萄泥棒がなければこの世に出てこなかった。
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無から無へ

2009-12-09 18:24:19 | 情報
私の貯金通帳を公開するわけにもいかないから、証拠を公表できません。他人が信じる、信じないは、全く、問題ではありません。自己満足の世界ですから、こういう、生き方は、私が動けなくなるまで続きます。インドネシアから離れても、続きます。これが、私にとって、楽しいことです。ですから、それを、阻害しようとする人には反発します。インドネシアで楽しく暮らしています。自分の貯えが、少なくなっていくことは当り前で、あの世まで持って行けないし、生きているうちに自分が思うように使い、ちょうどプラスマイナスゼロになるのが理想です。無から無へが私の宗教です。
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0066.html
 私のその資金はどうして準備したかというと、親から受け取った財産(金銭はゼロでしたが、頭脳と体力)を資本として、高校大学は奨学金とアルバイトで卒業し、30歳のニクソンショックの不景気のころから、会社を興し、50歳のバブルが崩壊するまでの20年間に一日平均18時間仕事をし、高額納税をしながら残した資金です。それを、今、使っているのです。その間、全額会社負担で、毎年、海外へ社員旅行もしていましたし、社員を叱ったことは一度もありません。彼らを採用したのは私ですから、彼らの能力を信頼し、最後は彼らに全部譲ったのです。家族とも、多くの海外旅行をしました。ベルリンの壁が崩壊する二か月前に、ウンターデンリンデンのブランデンブルグを東西ベルリン両側から見学をしました。その経験が、娘や孫が今ドイツにいる遠因になっているかもしれません。
妻も私の行動を理解してくれています。彼女は学校の教師として、共稼ぎをしてきましたから、金銭的には自立しており、年金生活をしていますが、いろいろなボランティアをしながら、充実した生活を送っています。私は、年、三回以上は帰国しますし、ドイツからのお客さんもほとんど、毎年、来ています。彼女は、長期でドイツに滞在もします。私が、帰国したとき、妻が家にいないこともあります。妻や子供に財産を残す必要はありません。土地建物だけで十分すぎるくらい、それぞれは自立しており、他人の援助をしています。
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0069.html
また、私自身は、純粋な年金生活者として、インドネシアでビザを収得することはあり得ません。たとえ、報酬を頂かなくても、技術を教えたり、手伝いをしたりの、仕事ができるように、職場に席を置くにはどうしても労働ビザでなければなりません。ジャングルや山の中へ旅はしますが、インドネシアの様々な勉強をしている若者と頻繁に接するために、山の中に住むこともありません。

 写真は日本製には負けるが、中国や台湾製の装置より遥かに信頼できて、安価なメイド イン インドネシアの自動カッター(ナイフ式と丸鋸式)の一号機です。受注生産も始めました。私が、指導をして作って頂いたものです。私たちの会社で現在使っています。ですから、インドネシアのPVCのパイプを作る会社に使っていただくことができます。輸入する必要はなくなりました。

 PPタンカル30%入りの製品の検査見本です。こういうものを客先に承認していただき、チェック後に出荷します。この製品もインドネシアの他社では作れません。何故、できないかって? 難しいからです。なぜ、難しいって?他ではできないからです。
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私の主義

2009-12-08 19:18:59 | 生活
パンガンダランで会った子供たち
 日本で年金を受け取りながら、外国で、高給を受け取って、高級住宅や車や運転手付き、各種保険や電話代、交通費、交際費、ゴルフの会員権、などなど、会社持ちで、日本食レストランで日本より高い食事をして、現地妻をもち、インドネシア人はだめだ、だめだと怒鳴りつけながら、インドネシアで楽しく暮らしながら、斜めに眺めています。てな人が、実在しても、羨ましいとも思いません。私がそうしたいという願望はゼロです。私の主義に反します。

 そういう、仕事のお誘いは数社から現在もありますが、お断りしています。ある会社のインドネシア進出のお手伝いを無報酬で、している、というのもありますが、現在、PT,MAKUTAでアドバイザーとして席を置き、労働ビザなど各種申請、収得は自分でやりました。非常に簡単でしたし、余計な費用はかかりませんでした。親しくしている、エージェントの助けは借りました。家は家賃約二万円です。インドネシア人にしてみれば高級ですが、仕事をしているので、山の中というわけにいかないし、まさか、コスに住むといわけにもいかないので、そこに決めました。自腹です。車は8年前に自分で買ったキジャンです。運転手は、赴任した1996年に会社から、与えられた人を半年、使いましたが、それ以降、10何年間、運転手は使っていません。日本や他への交通費も、ガソリン、電話代、電気代、各種保険、接待費、ゴルフ会員権、すべて、自腹です。食事は、日本食は日本からのお客さんが一緒のとき以外は現地の安い食事です。昼食は40円の社員弁当です。これだけは会社負担です。朝夕は、メードが作ってくれるインドネシア料理です。メード費用も自己負担です。
 誰からも、一銭も受け取っていません。
 PT.MAKUTAに月平均50万円の資金を提供し、設備の増強の手伝いをしています。その他にも、インドネシア人の従業員とその家族への医療費の肩代わりもしています。日本で、勉強している若者の保証人になって、授業料など毎月30~50万円を自動送金しています。
 旅の費用も勿論自分が出しています。それで、全然、無理をしていると思っていません。やりたくてやっていることなので、大満足です。

目的は、インドネシア人に私の技術を伝えることと、将来、私のように、他の人のお手伝いができる人を一人でも多く育てることです。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
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昔の過ち

2009-12-07 18:48:38 | 生活
タマンミニのゴンドラから
後ろめたい思い出です。私が山梨大学に行っていた四年間、犯罪であることは、分かっていたが、ひもじさに負けて、農家の庭の柿をとったり、ブドウ園にはいってブドウを取ったりした。当時、Wの学生が東京からトラックでブドウを盗んで帰る途中捕まったというニュースもあった。私は、せいぜい、リックサック一杯だった。
 イチジク、ザクロ、アケビなども道端から手を延ばせば取れる位置にあったので、失敬をした。山梨大学の学生のことを、梨大生と言われて、甲府を始め山梨県の人たちには一目置かれていた。何となく、梨大生なら許される傾向にあった。
 稲刈り直前の田んぼに行って稲刈りをして、稲を持って来てしまうのです。下宿の部屋で,たたいたり、突っついたりし、脱穀して精米して食べた。牛蛙、食用ガエルは、春の合宿の時、夜中に抜けだして、捕まえてきて、丸ごと、煮て,皮をむいて塩味だけでおいしく頂いたものでした。
 家庭教師のアルバイトで、何が、楽しみで、行ったかというと、給料もそうだが、終わった後、磯部巻きや各種サンドイッチやなぜかアーモンドチョコボールを頂けることでした。寒い時に靴下をもらったり、耳当てをもらったのもうれしかった。
 食料に関して、大変、助かったものでした。インドネシアなら、とっ捕まった場合は袋叩きにされた上に、何年かの懲役になってしまうかもしれません。
当時以前だけですが、その辺り(古府中といって、武田信玄の屋敷の周囲)の田んぼには、中学校の時、教科書で勉強した日本住血吸虫の生息地として日本では有名な場所だった。しかし、そんなことを気にしていたら、そこら辺りの、ドジョウやタニシを食べることはできない。今は、とっくに、寄生虫はいなくなっている。しかし、捕まえて食べる生き物も無くなっているでしょう。
 
 インドネシアの寄生虫はまだ、ギョウチュウ、カイチュウ サナダムシなど一般的に持っている人がいます。日本人でも、口から回虫が出てきてびっくりしたという人がいました。回虫を知らない世代の人でしたから、ショックだったらしい。
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猿使い

2009-12-06 19:49:20 | 生活
スマトラ メダン近くのトバ湖とサモシール島
 インドネシアのことです。カカオの実を一つ盗んだ人の判決が懲役3か月、50円もしない。ゴムの木に付けてあるコップを3個盗んで、懲役6ヶ月だった。一個、10円合計30円である。いずれも、田舎の貧しい人が、つい、誘惑にかられて、手にしてしまったものです。インドネシアならどこでも、ちょっと手を伸ばせば取れるものです。私は、インドネシアでは、旅人として、何かをいただく時には必ず、そこにいる人に了解を得ます。人がいなければ、いただくことはしません。
インドネシアの田舎の人のひもじさは、私が大学のころと、同じだろうと思う。
 また、以前書いたが、ある病院のことをSMSした友人がネット上で批判したことで、逮捕された女性は、世論に動かされた司法が収監をやめたが、今回、一審の判決が出た。それは、203万円の罰金でした。月収の100倍です。
センチュリーバンクの倒産に絡んで、何億円も受け取ったとされる何人かの政治家やその家族は捕まりもしない。KPKに例の警察との密談を盗聴されたアンゴドという実業家、これも、逮捕しようとしない。奇妙な現象です。国民は憤慨している。学生を主体に抗議のデモが拡大していることは、当然だと思う。ユドヨノ大統領の意思表示がはっきりしない。

Tuyulって、知っていますか?インドネシアにいるといわれている、人間の子どものようで、頭がつるっぱげで、手や足が細くて長い。何をするかというと、お金を盗むのです。それが、お札を一枚だけ、盗むそうです。盗まれた人が、気が付くまで、毎晩、一枚ずつ、抜いてゆくそうです。最近、盗んだ瞬間を写した動画がテレビで流されていて、話題になっています。
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製品と原料の価格が同じ

2009-12-05 19:54:52 | 仕事
http://www.ab.auone-net.jp/~bekasi/newpage011.html
 私が手伝った二つの会社の見積もりの計算の仕方に共通点があった。どちらも、原料価格に固定費や運賃包装費など比例費を乗せ、歩留まりで割って工場価格を出す。検査費や事務費を1.5倍くらいにし、社内価格が決まる。それを、二倍して、客先への見積もり価格とする。売上の50%が利益です。そのうえ、装置の償却は終わっているので、固定費の設定も高くしてある。
 ですから、現実離れをした金額になってしまう、当然、客先は高いと判断するので、実際には利益率を下げて出し直すことになる。そして、担当者同士の話で、利益は10%以下になってしまう。最初の計算は何のためだったのでしょうか、という、ことになるが、経営者はそのフォームを変えようとしない。そのうえ、最終的に決まった値段と、最初の計算通りの見積との差を確認していない。

 そこで、両者の共通した失敗がある。それは、見積書を書いた担当者の間違いに気が付かず、サインしてしまい、客先に出し、客先は安さにびっくりだが、黙って、注文をしている。両社の代表者は、利益率が高い仕事を獲得したとして、大満足である。間違いの内容は、小数点を一桁間違えて、10で見積もりをする所を1で出してしまっていた。もうひとつは、例えば0.25で出すところを0.05で出してしまっているなどです。私が、客先から、指値を出されて、分かったことです。なぜ、指値をもらったかというと、K社がその仕事から撤退することを通告された会社から、私にその仕事の依頼があったからです。私がいなくなってからK社が引き受けた仕事でした。
 しかし、K社はA社に仕事も装置も引き渡してしまって、もう、その損失からは解放させている。A社は、今度は引き継いだお客さんについては価格を見直して、引き受けたが、独自で獲得した仕事のいくつかが明らかにKg当たりの原料価格とKg当たりの製品価格が同じというのがある。これらは、代表者が気付いていない。売り値の半分は利益と思っているのです。納入先から原料を購入して、それの95%程の重量を製品にして戻しているのです。原料を100で買って製品に加工してロスが5ですから95で売っているのです。オマケですが、その客先は原料メーカーから80で買っているのです。

これは、何故分かったかというと、内のスタッフが原料支給見積もりと製品の指値を示されたのです。

こういう会社や経営者は他にも沢山あると思います。ぜひ、一度見直してみたらいかがでしょうか。

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インドネシアに学ぶ

2009-12-04 19:40:43 | 情報
ところで、一ライン残した押出成形装置、日本の本社に送ることになっていて、現在、業者が、その輸出パッキングをしたようです。
 これが、不思議、私の技術が100%の装置である、頼りない若者たちでしたが、一応、4人に教えた。ですから、この装置の詳細については少なくとも彼らの中の何人かは、知り尽くしているはずである。図面も1996年から、渡してある。

それを今になって日本の本社工場へ移動して使おうということになっているのでしょうか。お金が余っている会社ですから、何故、日本で新品を調達しないのでしょうか。また、日本でも中古装置は捨てるほど売っているはずである、それを、改造して使えば、作業員の勉強にもなると思うのですが、それもしないで、高い運賃を掛けて、インドネシアから、十数年前の装置を移動するのでしょうか。誰が、欲しがったのでしょうか。教えた人間の一人が見に来たと聞いている。その人も、インドネシア時代に原料費の10倍の価格を提出したつもりが小数点の位置を間違えて、原料価格で売り続けて、儲かっていると、思っていた人の一人でした。

さんざんいじめて、邪魔者扱いにした、人間から得た装置を、それも、中古を日本まで送るというのは、よっぽど、その装置を当てにしている、技術を頼りにしている証拠である。見栄も、プライドもない状態で、その装置に頼ろうとしているのです。面白いですね。
今の私はその装置を新しく作りません。インドネシアでインドネシア人と一緒に作っている装置は、改良品で、当然、十数年前より進歩していますし、より、いろいろな樹脂に対応できるようになっています。
 私をおだててうまく使っていれば、もっと簡単に早く、いろいろな新製品の開発ができたはずです。
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日本人があぶない

2009-12-03 20:26:39 | 情報
 トカゲが見えますか?
インドネシア人に不思議があるが、日本人にも不思議がある。其の会社のために、私がすべて装置を整えて、押出成形の仕事を始めた。日本から、ロクな人間が送られてこなかった上に、押出しについて全く素人の自称射出と営業の専門家(私はそれも素人に近いと思っていた)が会社を牛耳っていたので、私と押出し部門の従業員は散々な差別をされた。
まだ完全には済んでいないし、いつになるか分からないが、この会社の撤退は報道されている。

私が全て準備しインドネシア人や日本から来た若者に教えようとした装置が8ラインほどあって、私が,居たたまれなくなって、出てしまった後、素人の代表者たちが、その装置を使って作る製品の受注をしたが、受注が増えれば増えるほど、大損をする価格を提示していて、それも、何種類か受注した。また、大手の客先に社内で扱っていないと書類を出してあった塩ビの製品の生産も始めてしまった。当時の本社海外担当取締役はすでに解任されている。
それらが、本社が知るようになり、押出し部門を整理せざるを得なくなった。他社に売ることにした。その時に、素人さんの日本人が売り先に言ったことは、「本当は売りたくないが、本社の意向なので仕方がない」だった。

そして、本社の意向で、一ラインだけ残した。
自称射出と営業の専門家の二人を派遣したにもかかわらず、一向にインドネシア国内売りが増えない、挨拶回りなどの行動もない、本社は匙をなげて、私に売り先の紹介を頼んできた。全面的に撤退することになり、二年ほど経過しているが、まだ、完全撤退まで行っていないし、これから、どれくらいかかるか分からないので、私が紹介した会社は買う意欲はあるが、こりゃ、どうしようもない人たちだと呆れている。我慢強く待つしかない。

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