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南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆また旅先です

2011-02-13 23:16:48 | 旅行

   例の鉄板の最低数量が、2トンでいいことになった。そりゃそうでしょう、5トンでは計画の3年分以上になってしまう。こういうことを、最初感じることが出来ないのです。言われて初めて、考えるから、言われなければ、後で、トンデモナイことになってしまう。若干1M単価は高くなったが、OKし、サンプルを手に入れる故障を頼んだ。今月中に手に入れることが出来ればいいと言っておいた。どうなるでしょうか。

 

トランスジャカルタの関連する死亡事故が頻発している。中央高速道路沿いのガトゥットゥスグロト通りもやっとトランスジャカルタの運航が始まった。ところが、毎日に様に事故死のニュースがある。原因は広い通りを横断しようとして跳ねられているのです。高速道路とバス通りを横断しようとすると50mくらいは車やバスに引かれる可能性が在る。女性に死亡が多い。引かれると、身内や近い人が、バス通りを閉鎖して、葬儀の行列を始める。相当長い時間バス通りが使えなくなるし、周辺の一般道の渋滞が、もっともっとひどくなる。

 

 今朝、08:00過ぎに家を出て、空港に向かい、今は、バリのクタビーチにいる。土壇場でエアーティケットを頼んだので、ライオンエアーしか空いていなかった。帰りはバタビアアだけでした。4連休の始まりの日ですから混みようは仕方が無いし、価格は二倍も時間がかかるバンダアチェより高かった。

ウングラライ空港へ着いてインフォメーションでホテルのブッキングをしようとしたら、満員のホテルが多く、三日同じホテルに滞在尾することはできなかった。一日目と二、三日目は別のホテルになった。バタビアエアーのリコンフォームを空港でして、タクシーでホテルに向かった。クタまで5百円でした。ここ二日雨が降っていないそうです。夕方、まっ正面のサンセットを見ながら、海岸を散策した。マニキュアのおばさんとか、足裏マッサージのおばさんや飲み物専門に売っているおばさんと世間話をしながら時間を過ごした。

 海岸の様子は先週行っていたパンガンダランと全然違う。サンセットとそれを見ている人々です。ボオディーボードは全然ない。レンタルサーフボードに変わっている。ブレが三分の一くらい、だから、殆どブレしかいないように見える。水着については言うまでもない。それでも、ジルバブの女性がわずかだがいることはいる。

 今夜、これから、真夜中、23:00過ぎに出発してアグン山のサンライズを目的に山登りに向かう。

 落日 ビキニ 違い

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(^_-)-☆程度はこんなもの

2011-02-12 23:22:35 | インドネシア

    インドネシア人スタッフの平均的な人は、物の重さを計算できない。先ず、立方体の体積の計算が出来ない。比重のことなど全く知らない、分からない。それ何?インドネシア語には比重という単語はない。重さの比較とか重さの種類などと表現するしかない。ですから、英語を使うしかない。だから、比重という概念を持っている人は少ない。水に浮くとか、沈むということを説明するのが大変難しい。

 薄い鉄板SPCC0.5mmを幅15mm位にスリットして毎月5000m使いたいからM単価の見積もりを取ってほしいと購買のベテランに頼んだ。

 

 始めの報告が、見積もりが入りました、と、見せられたのが、1Kg当たり幾らというものだった。「M単価を頼んだのにこれでは回答になっていないでしょ」と言ったら、「仕入先に、そう言ったが、この見積もりが入った」という。「このKg単価で、M単価を計算すればいいのか」と聞いたら、確信がなさそうに「そうです」という。「それなら、私が求めた、M単価を、計算して、私の報告するのが本当でしょ」と言ったら、これが、分からない。彼は困ってしまった。彼が言っていることは口から出まかせで、私に質問に、うろたえて答えているだけです。「M単価を、自分で計算すればいいなら、計算できるだろうね、比重は知っているだろうね」と、追いかけて、言ったら、もう、彼の頭は、パニック状態。

 どうしようもないので、「もう一度、その幅の物が出来るのか、最低ロットは何Mか、その場合のM単価を取りなさいと」その場は納めた。

 次の報告はM単価が出てきた。それは良いとして、最低ロットが5トンだと書いてあった。そこで、「5トンを一回の注文できますか、何Mですか、一月5000mと言ったでしょ、何カ月分になりますか」と聞いた。これが、また、ご本人、全く、意識していない。疑問を感じていない。ただ、出された、見積もりをそのまま、横流ししているだけで、その最低ロットで、買えるかどうかを確認するということの意識が無い。「最低ロットを購入できる数量で、見積もりを取らなければ、意味が無いでしょ、購入できない数量で見積もりを取っても、その見積もりは使えないでしょ。」これが、また、パニック。

 彼の頭の中に、鉄板のM重量を知る必要があるという意識が全くないまま、ただ、わたしが言ったことと、仕入先の返事を上の空で、受け取っているだけです。

 

話は変わる ADJIEという一人の国会議員が一週間前に亡くなった。心臓まひです。44才でした。日本の若いころの森田健作に存在が似ているように思う。タレントでスポーツマン、サッカーの振興に尽力を注いだ。レーザーという日本の上田正樹デュエットを組んだ、ヒットをさせたことがある有名な歌手と結婚し二人の子供をもうけたが、若い女性国会議員を好きになってしまい、レーザーとは離婚し、若い女性と結婚した。2人の間に二歳くらいの子供がいる。美男タレント議員として目立つ存在だった。女性に絶大の人気が在った。一週間に渡って、彼の特殊がしつこいほど流され、インドネシア人ですら、もう、良いよという状態になっている。人気者が突然亡くなってしまったという悲しみもそろそろお終、というのにで、ある。

静岡県遠州森町(清水次郎長の子分の一人、森の石松の故郷)の親戚の家と回りにそっくりで懐かしかった、インドネシアにある風景です。この子供達は小学校へ上がる前、ザリガニを取っていた頃の私そのものです。

比重 疑問 分からない

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(^_-)-☆是唯足知

2011-02-11 23:16:37 | 考え

    と書いたが、今回のタシクマラヤのキリスト教会襲撃の後始末に数人のイスラム教徒の若者が来ていた、というのがニュースで写されていた。その画面の真ん中の後ろの方で、何十人もの警察官が、長椅子にのけぞる様にして、掃除を眺めていた。警備をしている風に見えないし、掃除や片づけをしようとしない、彼らは、イスラム教徒です。

 

これ唯足るを知る。色々な考えがあっていいと思うから書くが、人間の延命措置と同じで、もう、明らかに意識がなく、駄目なものを、機械を使って心臓を動かし、酸素を送り込んで延命させ、奇跡を期待することが是か非か、医者が呼吸器をはずせば、殺人になりかねない、身内がOKすれば、医者は殺人に問われることは無い。

 循環するもの、別の命が、新たに出てくるものについては、新たにでてくる者に対して智恵を使えばいいのです。

 日本の農産物に関して、後継者はいない、規模が小さくなるのは当り前で、金をつぎ込んで機械を導入してもその金は回収できない。一度、天災の被害を受ければ,それで、一ころ。例外はあるが、今の畑や田んぼの状態では未来は無い。例外はあくまで例外で、全部を例外と同じにしてしまうとするのは、逆に共倒れを促進する。新しい例外を大規模に作りだせば、別の農業、漁業、林業が生まれる。一次産業から二次産業にしなければ、今のように、輸入規制と税金の配分をもっともっとと言っている、大の大人が悲しい存在に見える。農協などは、農業者を自分の飯の種にしているにすぎない。一緒の権力者、公務員のようなものに過ぎない。これも、例外はある。

 革命が必要です。強力な刺激が必要です。その点、自由貿易交渉はドンドン進めるべきである。とっくに農産物の輸入自由化をしていれば、今のように問題をずるずる引きずる必要は無かった。やらなければならなくなるものは早ければ早いほどいい。国鉄の民有化、郵便局の民有化、何十年も、しつこい反対をした後、反対した人々は今の民営化を見てどう思っているのでしょうか、国民の多くは間違った選択とは思っていない。一部の元職員や公務員が辛い目に会っているのかもしれないが、大を生かすためには、犠牲になる必要がある。100%の人が、満足というものはこの世の中に無い。痛みが無い改革、手術は無い。

 

 インドネシアの山岳地帯の伝統的なの生活ぶりを見るにつけて、足る、ということは何かを考えさせられる。

 私が子供のころ、大二次大戦後、物資が不足していたころ、何も不足していると思っていなかった。子供ながら、おやつに、ジャガイモを自分でゆでたり、田んぼで捕まえたドジョウを泥をはかせておいて、串に刺して焼いて醤油を付けて食べたり、充実していた、勿論、テレビは無いし、おもちゃも無い、おもちゃは自分で作った。私が子供の頃の方が今の日本の子供達より恵まれていたと思うし、勉強やスポーツなどにやりがいがあったと思う。子供も大勢いて、活気が在ったし、今のインドネシアに似ていた。

 もっと書けば、江戸時代の日本人の方がもっと恵まれていたと思う。日本人は江戸時代をもっと知ったら、新しい投資の方向が見えてくるのではないでしょか。このままでは、中国に尻尾を振り、いつかインドネシアにも尻尾を振る時代が来るのではないでしょうか。

そのころ、私は、この世にはいない。

  

Mencari pacar mu(恋人探し)で恋人に今回も会えた。数か所ポイントが在って、どこかで会うことが出来るようになっている。私のウェブサイト

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/ の表紙の場所です。

満足 充実 手助け

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(^_-)-☆建設と破壊、どっち

2011-02-10 23:05:05 | 情報

 プレス機械の見積もりが届いたので、直ちに製造の依頼をした。本来のルートを通すと、二週間以上注文が遅れることは分かっているので、私が責任を持つことで内示を出してしまう。金型は一週間前に注文したが、見積もりは前金が50%になっているが、会社は前金を払わないと交渉し始める。そうなると、いつまでたっても金型の製作が始まらない。そこで、これについては、半額以上を私が個人的に金型屋へもっていって、それで、仕事に掛ってもらった。いつも、前払い金が必要な場合は、私が出しておく。そうしないと、試作の日程が決まらない、客先への納期の返事も出来ない。先走らないと、仕事にならない。自分で資金を持っていて、あわよくば、前払いした金額が戻って来ないこともあり得るとしても、そうする必要があると思うからするのです。責任とはそういうものだと思っている。

其のプレス機を使って作る製品がねらい通りになるかどうかの確約もない。また、プレスの対象となる薄い鉄板の見積もりも取らなければならないが、今は、インドネシア人スタッフに他の日本人に任せているが、進んでいるようには感じない。そうならないことを希望しているが、今月末には私自身がこれについても手配をするつもりでいる。

一つの製品については21日からトライをするが、多分、試作用の原料が足りなくなるだろう。これも、他のメーカーからもっと安い原料を私が手配しなければならなくなる。現在、あるもについては、継続なので、すべてを任すことが出来るようにしてあるが、新しいこととなると、結局、すべてを私がやるようになる。インドネシア人日本人どちらも、似たり寄ったりである。

 

最近、また、宗教間の破壊が頻発している。警官は制止しない。イスラム内の宗派争い。キリスト教会を破壊したイスラム教徒の裁判の判決に怒ったイスラム教徒が、キリスト教会を破壊した。イスラム絡みである。穏健派は大多数だが、その大多数が、イスラムにも色々あると言っているだけで、見て見ぬふりをしている。色々あるということが、他宗教から恐れられているし、変な宗教と思われている事を感じていない。暴力で破壊知ることを勧めていると解釈できる経典が変だと思われているのです。私からすれば、解釈できるのでは無く、明らかに、暴力を勧めている内容になっていると思うが、どうでしょか、穏健派が、信頼を勝ち取るために、破壊や暴力は認めていないと、説教をしているにすぎない。穏健派の解釈が間違っていると思う。目には目を、刃には刃をである。

 

イスラムの人がそれ以外の宗教の手伝いをしたという話は聞いたことが無い。イスラム以外の世界の主な宗教の人はイスラムの人に手伝いをしている。イスラムの人はそのことを気にしていないようだ。モハメッドさんが書いた経典が在る限り、暴力では何も解決しないことを知るまで、イスラムの暴力、破壊、自爆などはなくならないでしょう。


パンガンダランのある日の私の朝食、ミーアヤムとABCコーヒー、レンタル二人乗り自転車とアンドンと呼ばれる馬車、観光用でパンガンダランの首根っこ部分を循環している。こういう、場所に来ると、宗教争いなどは微塵もない。平和そのものインドネシアです。
宗教 攻撃 集団心理

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(^_-)-☆超原始生活の意地

2011-02-09 23:11:51 | 考え

  は車の通りから50m以上下にある。そのため、車の通りの脇にバスや車の駐車場を作り、その周りには地元をはじき出された人の仕事を作るために、駐車場係とか、ガイドとか土産物売りの店やレストランも観光省が与えた。

せっかく、インドネシアツアー中の外国人が、知らずのこの場所を訪れて、一悶着起きる、皆さん、せっかく、期待してきたのに、へ入れない。外国から大コンプレン、政府も困ってしまった。特例中の特例として、灯油を安く、十分な量を供給するという回答を半年後に獲得した。直ちに解放した。そういう一騒動が在った。

 

へ下りる階段は大変急で、帰りが大変だった。一息には登りきれない、途中で休憩が必要だ。の面積や家の戸数は増やさない。10年に一度作りかえる、民総勢で手伝い一週間で作ってしまう。材料は骨組みが木、壁や扉は竹を色々な幅で手くられていた。屋根は、昔、日本でも箒の材料になっていたので見たことがあるシュロを使って葺く。ところどころに50cm四方のガラスが埋められていて太陽光を部屋の中に入れる工夫をしてある。勿論、電気器具はまったく置いてない、そりゃそうです、電気を使っていません。

金持ちも貧乏人もいない。完全共産主義だと思う。

 

当然ながら学校や診療所はない。上の道沿いの学校へ行っている。人員構成は、非常に巧みに調整しているらしい。妊婦も生んだばかりの女性も表に出ている。外で、おっぱいを飲ませていた。老人も大変多い。長生きのだという。聞くと、80位に人も多いとか、外へ出て、女性の観光客に話しかけられて、一緒に写真を撮るのが楽しみだという。

生活のストレスが少ないと思う。そういう状態にじゅうが一致しているのです。結婚式や葬式もお互いの食べ物や衣装を貸しあう、そして、何週間後には、手伝いありがとうパーティーをするとか、とにかく、和やかに、喧嘩は全く無く、全員が家族のように暮らしているという。私には、とても我慢できない世界ですが、なんとなく、ずっと昔の日本の山村のに似ているような気がして懐かしい。田んぼのあぜ道も何十年振りかに両手を広げてバランスを取りながら歩いた。

 白川郷のミニ版といったところか、こちらの方が大分知恵が遅れていて、何もしない、何も進化を望まないという風である。欧米人にこのまれそうな場所である。

 

 場所的にはパパンダヤンからか知らないが、有史以前に流れた幾筋かの溶岩流が在り、それぞれの尾根に主要道路あり、谷間の底に川が流れ、集落が続いている、その中の一つがカンプンナガである。向こうの尾根とこちらの尾根に挟まれた谷間のそこの川に向かって広大な棚田の景色が素晴らしい。何キロも続く。インドネシアらしい風景である。この棚田で二期作、三期昨をするのですから、日本の棚田の風景などは規模的に100分の1も無い貧弱なもので、市場開放をしないというのは全くナンセンスです。話は別の方向へ行ってしまうが、全く太刀打ちできない物を太刀打ちできるようにと補助をするのはどんなものか、永久に自立が出来ないとわかっていて、金を注ぎこむのは如何なものか。

 パンガンダランの海岸風景、遠浅ということが見とれる。半島方向と反対側、数え切れない人人、海で泳いでいる人は一人もいない。バリや日本の海水浴場とは雰囲気が全然違う。水着を着ている人は一人もいない。万が一、水着の人にあったらそれはインドネシア人ではありません。ビキニはジャカルタ辺りで売っていることは売っていますが、来ている人を見たことが無い。

 

  

ドイツから娘と孫たちが日本に来ている二か月半ほど静岡にいるらしいが、早く日本へ帰りたい。三月中旬過ぎには帰れそうだ。二週間ほど、一緒にいることが出来る。

 

 棚田 原始 自給

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(^_-)-☆超原始生活?

2011-02-08 23:28:24 | 環境

   パンガンダランから10;00過ぎに出発、このまま帰るには早すぎるし、途中どこかに寄りたいと思いながら、タシクだがガルットの近くに非常に伝統的で閉鎖的な生活を未だに守っているカンプン ナガという集落があることを思い出してタシクの町中で道を聞いたら、警官も含めて数人が集まってきて、皆でわいわい言いながら、地図を書いて道を教えてくれた。そこから、ガルットの東南方面で、40Km以上あると聞かされた。寄り道は最初から決めていたことなので、行くことにした。

 

道は単純で殆ど一本道に近かった。途中、ウェブサイトでも紹介済みのガルングンは右折という看板をいくつも見ながら、真っ直ぐのガルットを目指した。そにて、到着した。  外国人はガイドを使わなければへ入れないことになっているらしい。駐車場着いたら、係りの人が、直ぐに、何語のガイドが希望か聞きに来た。日本語、といったら、いないと言われた。それでは、何語でもいいよ、と言ったら、インドネシア語しかできないガイドを連れてきた。出身がこのカンプンナガで、家を継ぐ人は長男と決まっているし、男がいない家はの中の長男以外から婿をとる。それ以外の人はから出なければならない。そういう人に一人で、今ガイドをしている、と、言っていた。

電気もガスも来ていないし、引いてもいけない、ガスボンベを使ってはいけない。燃料は木や草、竹を乾燥したものか家畜の糞を乾燥して使う。灯りは灯油。テレビアンテナが見えたので、どうしているのか聞いたら、バッテリーだという。チャージはの上の家のコンセントを借りてする。三日間チャージするとフルになる。フルの状態なら、昼間付けっぱなしにしても一週間もつそうだ。切れたら、三日間見ないのか、と聞いたら、そうだという。予備は持っていないのかと聞いたら、そんな金は無いし、どうしても、どうしても見たければ、二軒でもっているので、見ることが出来る家に行ってみればいいらしい。回りに棚田があって、米の収穫は自給するのに十分らしい、収入は竹で編んだ、色々な道具類、ザル、箕、笠、色々な容器をスーパーへ卸すし、の中でも観光客に売っている。

2009年、8月だったと思う。政府からインドネシア全体の方針として、灯油の使用自粛と二倍に値上げの方針が示されて、LPGに切り替えるように勧められた。前にも書いたが黄緑色の小型携帯ボンベを大量に生産し、最初は電気が無く灯油ランプを使っている田舎の家にはそのボンベが只で配られた。その時、このはそれを拒否した。どうしても灯油しか使わないといって、政府に特例を要求したが、受け入れられなかった。そこで、で相談した結果。ピケを張って、観光客の受け入れを拒否した。困ったのは観光省でした。

上の道からを見下ろす。

拒否 お得 親切

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(^_-)-☆ものすごい人出

2011-02-07 22:03:07 | インドネシア

   流石に雨季の真っただ中、予想していた通り、日が指すことは殆ど無く、曇天続き、暑くてどうしようもないということは無かったが、逆に南国特有の爽快な青空もまったく無かった。サンライズもサンセットもその気配さえ無く、小雨模様の寂しい、寒々しい海岸風景だった。パンガンダランは4月から9月の間が最適な期間かもしれない。ラフレシアは雨に弱くて、開いて一週間ももたないが、雨が降ってしまえばその時点で黒く腐り始めてしまうし、今回の写真にもあるが、雨季に咲いた花は、ビヤワックという全長1m位のトカゲに開けば直ぐにかじられて、食べられてしまう。完全な形でラフレシアを見ることは難しい。開花したばかりの花に一つだけで会うことが出来た。運が良かったと思う。

ちょっと普通の人にはハード過ぎる行動でしたが、できるので、じっとしていられないのが性分で、休養にも何にもなっていないが、すべてが順調に推移した、恵まれていた。

それでも、ここへ来るたびに、欧米人のように、ロッキングイチェアーでのんびり読書にふける姿や、レンタル自転車で街を巡りながら、休みたいところで寝ころんで空を見上げているうちに眠り込んでしまうなど、そういう、過ごし方をしたいと思うのだが、いつか、きっと、やってみたいと思う。一か月くらい。

費用は宿泊、ポンドックダウン、一泊四十万Rpで三泊、1,2ジュタ。ガソリン代が往復四十万Rp、ヌサカンバンガンへの船が燃料代込みで、八十万Rp、ガイドはいつもお世話になっている家族の中の二人が付きっきりで案内してくれたので三日間で2ジュタ母親のウミさんに払った。一般的には一人のガイドに一日手伝ってもらって、三十万Rpくらいで十分です。食事や飲み物代は五十万Rp位でした。

今朝の西海岸の人出は軽き一万人は超えているでしょう。本当にすごい人数です。これだけの人たちが、私が来た時と同じくねくねした山道を使ってきているのですから、道の混みようもすごいと思う。

たまたま、明日から、インターナショナルの鳩を飛ばす競技があるらしくて、それの準備にも大勢の人たちや大テント、おびただしい数の椅子などで必要らしく、そのための人や車も多い。

貸しバギー、二人、三人、四人乗りの貸し自転車、貸しベチャまであり、子供が楽しむミニ貸しベチャまである。昔、タイヤの浮輪、今は、ボディーボードである。時間では無く、嫌になるまで一万Rpという料金である。この人数でも沖へ泳いで出てゆく人は一人もいない。海岸の足が立つところで来た波に飛び上る、ボディーボードで岸辺に向かってくる、皆さん、それだけである。ビーチバレーやビーチサッカー、綱引きもやっている。

ライフガードは一人もいないにもかかわらず、沖へ泳いで出てはいけないとスピーカーで盛んに言っている。人が多くて、沖から戻ってきた小舟が、接岸する場所をなかなか見つけられない、ホイッスルを吹きながら、半ば、強引に岸に近付こうとして、其処ら辺に坐りこんでいる人たちにあわやぶつかりそうになっている。

パンガンダランはすごい。

 

チュルッグ ジャンビとパンガンダランのハリネズミ、

娯楽 ごった返し 騒然

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(^_-)-☆久しぶりの監獄島

2011-02-06 23:37:52 | 行動

   これも、本当に久しぶりにヌサカンバンガン島へ行ってきた。この島へ行くときは、出来るだけ早朝に西海岸から出発するのが波と風の状態が最適です。今日は日の出の時間6時に出発した。雨季なのでサンライズを見ることはできなかったが、半島の先端までは、波に逆らうように進むので、ある程度の上下は覚悟しなければならないが、そこを過ぎれば、波の方向と一緒になるので、波乗り状態で滑るように進む、ヌサカンバンガンの手前後500m位のところからはインド洋とは思えない凪の状態になる。島に寄せる波の高さは、50cmほどで、初心者のサーフィン練習には最適だと思う。

一時間半ほどでヌサカンバンガンの西の端の海岸に着く。もっていった米を炊いて、魚を焼いて、島に漁師から買ったロブスターも丸焼きにして、朝食。船を操縦した船の持ち主が、枯れ木を集めて火をおこし、ヤシの葉の皿と頼めば、適当な枝で箸も作ってくれる。私は、その間に海岸の散策やちょっと沖まで行って空を見上げてプカプカしていればいい。準備が出来れば呼んでくれて、いちばん最初賞味をして、おいしい、といえば良い。

十年以上前に比べれば、若干海岸が狭くなったような気がする。満ち引きにも寄るが、それでも、遠浅の幅が狭くなっているのは確実だと思う。

今回が本当に最期になると思う。雨には降られなかったが、曇天で、そこが残念でした。

帰りは09:30頃出発だったが、この時間は、東海岸のチャガールアラムへ戻るなら、全く波に逆らいことはない、若干横からうねりが来るだけなので、出発した西海岸へ帰るより遥かに静かいに進むし、時間も一時間ちょっとで上陸できる。チャガールアラムから出てしまう前に、ついでに、ハリネズミがいるほら穴を通ってみた。どういう家族構成になっているのでしょうか、子供が2匹いて、こんな状態に会ったのは初めてで、入って見てラッキーでした。

昼前に車まで戻ったので、時間つぶしにどうしようかと考え、これも、久しぶりにチュルッグ ジャンビへ行ってみることにした。パンガンダランの地図で紹介していますが、半島の真北に当たる山の方にある。殆ど一直線の滝です。以前行った時には道が良かったが、今回は凸凹の上にぬかるんでいて、キジャンではちょっと難しい道になっていて、かなり厳しかった。なんとか、駐車できるところまで到着、そこから40分くらいの歩きだが、この道も以前に比べると石灰岩を凸凹に敷いてあるだけなので、滑りやすくなっていて、危ない道になっていた。到着すれば滝の姿は全く変わっていなかった。懐かしく、眺めながら、昔来た時の事を思い返していた。

パンガンダランの地図です。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage008.html

そんなことで、今日も休養にはならなかったが、いい運動になった。

昨日の幻の滝とその対岸にある幻でも何でもない滝。

監獄島 懐かし 運動

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(^_-)-☆つらかった幻の滝

2011-02-05 22:16:13 | 旅行

   08:00から行動して、半島の中、チャガールアラムへ行ってきた。先端のチュルッグ、パナンジュンという滝の滝つぼまで降りてきた。ま、行けばいつも殆ど同じコースです。ご存知ラフレシアに会うためである。とにかく、会うことはできました。大満足です。12:00前に出てきた。 

そこまでは、心地良い疲れで、申し分は無かったが、その後が、休養どころか、とことん疲れさせられた。グリンキャニオン方面の途中にチトマンという場所がある。そっち行けば、高さが低い滝に会える。そこへは以前行ったことがあるので、今回は、ガイドの勧めによって、グヌンチィガという滝まで行くことにした。車で直ぐ近くまで行けるので駐車してから、ちょっと下るだけだと聞かされていたが、行ってみたら。とんでもない。殆ど道が無いような雑草で覆われた、また、その山は全体が石灰岩でできているので、急激な下りの三つはごつごつとしている上に滑りやすい。滝つぼまで降りることが出来るというので、信じて、帰りの登りのことは考えずに、恐る恐る降りて行った。急に小さい面積の田んぼが出てきた。その向こうだというので、その狭い畦道を、バランスを取りながら、なお降りる道を捜した。私の勧めたガイドが迷っているので、以前、いつ来たのかと聞いたら、4年前だという。四年前にここにあったはずの道が無くなっている、といいながら、あきらめたようだ。滝は直ぐ横に見え隠れしているが、全体は見えない。滝つぼへも道が無いので降りられない。どうするのか、と聞いたら、来た道を登って帰ろう、という。あればけ、しんどい思いをして、すぐ近くまで来ているのにこっちはあきらめきれない。ガイドが、帰ろうとしているが、私は、滝の下にでる道が無いなら、滝の上に出る道があるはずだと思い、横から見え隠れしていた滝の上の項の回ってみた。すると、道がある、滝に上に出てその向こう側に道があり、向こう側から滝壺へ下りることが出来たのです。しかし、その道も、殆ど見えない道で、相当長い間、人が通っていないと思う。ガイドを呼んだら、思い出したという。遅いよ。帰るところだったじゃないか。

その滝は、今まで、見た滝の中では一番姿が良かった。大変な思いをして見つけた滝なので、ひとしおでした。帰りはまた、ずっと登り。足がつってしまって、何回、途中で、休憩したでしょうか。上の道に出た時は足がもうふらふらだったし、息も絶え絶えだった。チュルッグ(滝)グヌン ティガという名前でした。達成感はひとしおです。この滝は、聞いたところに依ると地元の人も行ったことが無いらしい。それほど、近づくのも大変な場所のようです。

パンガンダランは万人にお勧めしますが、この滝は決してお勧めしません。美しいが大変すぎます。

ナンカの実とブレのベチャ乗り。普通の人は二人掛けだが、彼らは、大きいので一人一人でした。

幻 滝 達成感

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(^_-)-☆インド洋に再び

2011-02-04 21:29:01 | 旅行

   春節、チャイニーズ ニュー イヤーである。GONG XI FA CHAIというし、イムレックともいう。ハリラヤ(ナショナルホリデー)である。

どいうわけか、一年半ぶりのパンガンダランである。雨季の真っ最中なので、晴天は期待できないが、取りあえず、海岸でのんびり休養が目的です。昔に比べると、半分の時間で着いてしまうので、運転もずいぶん楽です。チカランから6時間で着いてしまう。

バンジャールからパンガンダランへ来る途中広大な水田が広がっているが、今回はその水田が水没してしまっていて、広大な湖と化していた。田んぼ仕事の休憩に使う屋根だけの小さな小屋がその水のあちこちに浮かんでいるように点在している。かなりの被害だと思う。当分水は引きそうにないように見えた。

 

パンガンダランの東海岸には竹で組んだ桟橋のようなものが三か所出来ていて、それは、バナナボートの乗り場になっていた。何箇所かに防波用にテトラポットのように大きな岩が積まれてもいた。津波依頼、パンガンダランの首に当たる東海岸の砂浜は消滅していたが、少しだけ再生している。もともと、肩の部分は広い海岸が残っていて、こちらは、観光客の海岸では無く、地元の漁師の海岸で、漁船がぎっしりと並べられている。毎朝、そこから日の出とともに一斉に沖合へ出漁するのです。それは、壮観です。

また、東海岸道路の海岸と反対側沿いには、軒並み、ホテルが並ぶようになった。以前はパンタイインダーなど数か所で、パサールイカンまで空き地が多かったが、今は、びっしりとホテルが並んでいて、道から空き地を見ることは無くなってしまった。中央通りにも新築のホテルがいくつかオープンしていて、首根っこ子部分はびっしりとホテルやロスメンで埋め尽くされているようだ、車が入れない小道があみだくじの横線のようにあるが、それらの小道沿いもロスメンだらけである。これだけ、パンガンダランへ来る人が増えているということでしょう。大型バスの駐車場と同じ場所の強制的に移動させられていた土産物屋も、許可されていなかった西海岸にドンドン復活していて、西海岸通り沿いに線であったものが、今はその後ろの海岸に広がっていて面になっている。ますます、来訪者が増えているようです。日本人には全く会わないし、来たという話も非常に少ない、だから、日本人が来た時には何人かの名前を覚えていて、私に、誰々という人が来たと教えてくれるが、私が知るわけが無い。ブレとインドネシア人が言っている欧米系の訪問者は多い。私が来たときに必ず二十人や三十人には会う。サーファーが多いが、リタイヤ者の団体旅行も多い。今日も多くのブレに会っている。

長年、私を手伝ってくれていたラシッド君がオーストラリアへ去年の6月から留学しているので、その弟のアウェン君にガイドを頼んだ。彼らは、国立の自然保護地区になっている半島のジャングル内のガイド資格を持っている。

私の孫もインドネシア人に見せるとブレと言われる。

休養 リラックス 羽伸ばし

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage%20top%203.html

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage229.html

旅行記とフォトアルバムのパンガンダランの項を参考にしてください。

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(^_-)-☆ジャカルタちらり

2011-02-03 22:34:59 | 考え

    どうしてもグロドック出なければ手に入らないもので、どうしても近日中に使わなければ新製品の成形が出来ない部品があって、それを、求めに北回りでグロドックへ行ってきた。目的は達成した。

10:00前にMM2100から出発したが、例によってジャカルタへ入る前から渋滞にはまって、チャワンからアンチョールへ向かった。プロガドン出口、スンタール出口アンチョール出口、どこまで行っても渋滞、のろのろ運転、反対車線はどうか、こちらより、もっとひどい渋滞のようだった。12:30にやっと到着した。

帰りは、きた時の帰りの道の渋滞ぶりを見てしまったので、ジャカルタの中心を通ることにした。ガジャマダ、タムリン、スディルマン、とにかく、ずっと渋滞、ひどいものである。特に、イスタナプレジデントの手前付近から、インドネシア銀行辺りまでは、車線が広い割に渋滞がきつい。マンダリンオリエンタルホテルを過ぎてから、6車線から3車線に変わるので、ここもすごい競り合いである。スディルマンさんが指をさして北の空を見ているが、排気ガスで気の毒である。

 スマンギからガトゥットゥスブロトへ左折して、ジャラントールへ入るのだが、ここもいつもの通り大混雑、右から来て左に入りスディルマン通りに降りようとする車と、私のようにスディルマンから上がってきた車と交錯する。クラクションが鳴りやまない。

それでも、強引に使っていないはずの中央のバスレーンへ入って高速の入口に近づいたらクローズされていて、次の入口から入れという指示だった。そのまま、バスレーンを走って行ったら、トランスジャカルタのバス停から大勢の人が覗いて外を見ていた。そこで、始めて、今、バスレーンは使われているのだと、知った。それでも、直ぐ出てしまうわけにはいかないので、そのまま走って高速道路に入ってしまった。いつからでしょうか、今年初めからでしょうか、完成して二年以上使われなくて、かなり、壊れていた構造物がいつの間にか直されて、使われているのでした。そこで、渋滞が以前にもましてひどくなったのでしょう。

高速へ入ってもずっと渋滞で、やっと,解消したのが、ポンドックグデティムールでティケットを受け取ってからでした。そこから順調でMM2100へ着いたのが16:00を回っていた。逆にジャカルタ方面への道はブカシバラット付近の事故で、殆ど動いていなかった。いつもの通り、ジャカルタへ住んでいる日本人は忍耐です。もっとも自分が運転するわけではないから、寝ていればいいのだが。

ということで、ますます、限りなく渋滞がひどくなっているジャカルタでした。

ホテルケンピンスキーとジャカルタショッピングセンター、いずれも、私には縁が無い建物です。
渋滞 大都会 厄介

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(^_-)-☆雨季真っ盛り

2011-02-02 23:24:22 | 仕事

   今日という日を忘れては、昨日の写真の人にしかられる。もう何年になるでしょうか。結婚記念日です。この一番寒い時を選んだのは、妻の学校の勤務の関係でした。横浜市の学校から静岡県の学校に移動するのに一番都合がよい時期でした。

 

バリからブロモやボロブドゥール、サンギラン(ジャワ原人が発見された場所)へオプショナルツアーを計画している人は、現地の情報をバリでチェックしてください。チャンディプランバナン、ブンガワンソロ、ラトゥボコ、チャンディスクーは泥流の心配はありませんが、ムラピ山噴火の様子に依ってはジョクジャカルタ空港自体が閉鎖されることも考えられます。こちらは、万が一です。

 

仕事の事を書いておきます。ボランティアの会社立ち上げのアドバイスだけでは、客先に申し訳ないし、新任営業担当の手伝いもそろそろ始めないと、彼のストレスが溜まってしまう。そこで、以前から、私個人的に約束をしていた仕事の立ち上げを、その営業の人を連れて行って、再度公約をしてきた。

 早速、二種類の製品の金型の図面を清書してもらい、今日、金型の製作を依頼してきた。二月の15日頃には出来上がってくる予定だ。ついでに、なにもかも一遍にと思い、インサートする鉄板の穴開け加工についても、装置と材料の手配をした。客先はPT.Tさんである。硬質塩ビのプロファイルを先ず二月末までにOK品を作ることにする。もう一つの、軟質ポリエチで鉄板をコーティングする製品は平行して試作をし、三月中旬以前にサンプルをだす。いずれも、インドネシアでは私にしかできない仕事で、それも私の個人的都合で三月二十日前から日本に最低の二週間は滞在しなければならないので、その前に客先のOKを貰わなければならない。二種類が完成すれば、その他にも類似や関連のプロファイル品が次々と追加になるはずである。現在日本や中国で作っている物をインドネシア製にしてこちらから逆に日本や中国へ輸出するシナリオも現実味を帯びてくるでしょう。

 

継続は宝なり、一つの仕事を継続する、三日坊主ではく、始めたことを続ける、これは個人に取って善だし宝です。しかし、支配に限っては、継続は悪になる、必ず、悪になる。その点、日本の足利政権や徳川政権は特殊だが、これは、世界に例が無いほど長期だった。外部からの情報やちょっかいが無かったことと、抑圧的では無かったことが長期に続いた要因である。

長期独裁、独占は必ず破綻する、それも長ければ長いほど、破綻した時の独裁者はみじめな終わり方をする。永遠に現状にまま、はない。エジプト、ムバラクでさえ、こういうことになってしまって、世界中が戸惑っている。

いずれも独裁政権の中国や北朝鮮は、このことから何を学ぶでしょうか。独占を止める方向には行かないでしょう、今も自由度が少ないがもっと自由度を少なくする方向で引き締めを図るでしょう。しかし、あと、20年は持たない様な気がする。必ず、両方とも政治がひっくり返る事態になるはずである。

インドネシアでは非常に珍しいカーブミラー。取りつけられて半月ほど経過、いつまで割られないでいるか楽しみです。アクリルの四角棒、こんな物でも、インドネシアでは対応できる会社が無い。

独裁 反動 動き

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(^_-)-☆あちこちで痛手

2011-02-01 23:07:03 | 環境

   宮崎県は確か高天原に瑞穂の国を作った神々が降臨した地。そこに今、何が降臨したのか、日本全体に暗雲をあまねく広める何かが降臨したのかもしれない。初代の国を作った神々にお祓いをしてもらった方が良いのじゃないかと思う。宮崎は付いていない。東国原前知事だけが付いていた。気の毒で同情するが、すべてが文字通り天から降ってわいたような災難だから、対策を打ちようが無いし、辛抱するしかない。

 インドネシアはといえば、鳥フルは相変わらず全国で発生し続けているが、ほとんど、処分をしたというニュースはない。牛の口蹄疫も治まっていないが、話題にならない。唯一話題になっているのは、目に見えるし、実際、大被害に会っている火山の噴火とそれによる火山灰や噴煙、そして、泥流である。ブロモの噴火はいったん収まったがまた噴煙が高くなっているらしい。ジャカルタ方面からバリへ行く便はブロモの周辺を飛ぶのが最短になるが、風向きによっては引きかしたり、スラバヤ辺りで降りてしまうこともあるし、バリ、ジャカルタ便の欠航も出ている。

 また、ムラピの噴火は収まっているが、火砕流が途中で止まっている個所が多数あり、雨が降るたびにその泥がダムになって水がたまり、一定以上になるとダムが決壊したようにどっと大泥流が起きている。このことは去年ジョクジャへ行ったときに書いたが、現在はその時に比べると三倍ほどひどい状態になっていてジョクジャカルタ特別州とボロブドゥールがあるマグラン県の間の三つの主な川の流域が泥流が駆け下るメーン被害地になっていて橋も流されている個所が多く、近くにう回路が無い状態になっていて、行き来できなくなっている。ボロブドゥール観光は、ムラピの東側を迂回するしかない。

 漁業や農業に大きな被害が生じているが、インドネシアの観光産業も大きな痛手を被っている。

 

 人気ブループピーターパンのボーカリストのアリエルの判決が3年半の禁固と決まった。

罪はポルノグラフィーをフェースブックで公開したということだが、本人と恋人の写真らしいが私は見ていない。それがイスラムの裁判で今日裁きが確定した。とにかく大人気グループなので、同情するファンも半端な数では無い。連日多くのファンが面会に訪れる、それに反して、イスラム急進派の男たちも連日その判決を厳しくするようデモをしていた。今日も、裁判所の付近の警戒ぶりはテロリスト集団の判決の時のようだった。

 刑期が過ぎたら、再活動をするでしょう。ブループメンバーも待っているといっているし。ファンも待ち焦がれるでしょう。

孫とばあさん(私の妻)

 

色々 人間 痛手

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