南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆インド洋に再び

2011-02-04 21:29:01 | 旅行

   春節、チャイニーズ ニュー イヤーである。GONG XI FA CHAIというし、イムレックともいう。ハリラヤ(ナショナルホリデー)である。

どいうわけか、一年半ぶりのパンガンダランである。雨季の真っ最中なので、晴天は期待できないが、取りあえず、海岸でのんびり休養が目的です。昔に比べると、半分の時間で着いてしまうので、運転もずいぶん楽です。チカランから6時間で着いてしまう。

バンジャールからパンガンダランへ来る途中広大な水田が広がっているが、今回はその水田が水没してしまっていて、広大な湖と化していた。田んぼ仕事の休憩に使う屋根だけの小さな小屋がその水のあちこちに浮かんでいるように点在している。かなりの被害だと思う。当分水は引きそうにないように見えた。

 

パンガンダランの東海岸には竹で組んだ桟橋のようなものが三か所出来ていて、それは、バナナボートの乗り場になっていた。何箇所かに防波用にテトラポットのように大きな岩が積まれてもいた。津波依頼、パンガンダランの首に当たる東海岸の砂浜は消滅していたが、少しだけ再生している。もともと、肩の部分は広い海岸が残っていて、こちらは、観光客の海岸では無く、地元の漁師の海岸で、漁船がぎっしりと並べられている。毎朝、そこから日の出とともに一斉に沖合へ出漁するのです。それは、壮観です。

また、東海岸道路の海岸と反対側沿いには、軒並み、ホテルが並ぶようになった。以前はパンタイインダーなど数か所で、パサールイカンまで空き地が多かったが、今は、びっしりとホテルが並んでいて、道から空き地を見ることは無くなってしまった。中央通りにも新築のホテルがいくつかオープンしていて、首根っこ子部分はびっしりとホテルやロスメンで埋め尽くされているようだ、車が入れない小道があみだくじの横線のようにあるが、それらの小道沿いもロスメンだらけである。これだけ、パンガンダランへ来る人が増えているということでしょう。大型バスの駐車場と同じ場所の強制的に移動させられていた土産物屋も、許可されていなかった西海岸にドンドン復活していて、西海岸通り沿いに線であったものが、今はその後ろの海岸に広がっていて面になっている。ますます、来訪者が増えているようです。日本人には全く会わないし、来たという話も非常に少ない、だから、日本人が来た時には何人かの名前を覚えていて、私に、誰々という人が来たと教えてくれるが、私が知るわけが無い。ブレとインドネシア人が言っている欧米系の訪問者は多い。私が来たときに必ず二十人や三十人には会う。サーファーが多いが、リタイヤ者の団体旅行も多い。今日も多くのブレに会っている。

長年、私を手伝ってくれていたラシッド君がオーストラリアへ去年の6月から留学しているので、その弟のアウェン君にガイドを頼んだ。彼らは、国立の自然保護地区になっている半島のジャングル内のガイド資格を持っている。

私の孫もインドネシア人に見せるとブレと言われる。

休養 リラックス 羽伸ばし

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage%20top%203.html

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage229.html

旅行記とフォトアルバムのパンガンダランの項を参考にしてください。

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