1247 インドネシア語でムラムンmeramunあるいはトゥルムヌングtermenungと言います。
ムラウケの大河をさかのぼってみた。河口まで数キロM上流に街はある。港は川に面している。川といっても多分、幅は、1km以上はあるでしょう。コンテナ船、恐らく5000トンクラスだろうが、接岸してコンテナを積み込んでいた。中身は何でしょうか。コンテナで運び出すほどの産業があるとは思えない。多分、何かを、他の島から輸入したのでしょう。空のコンテナを積んでいるのだと思う。
一時間半以上広い川を上って行ったが、景色の変化はほとんどない。両岸はジャングルである。マハカムやムシは、この川以上に幅がなら、両岸には民家があり、小舟がひっきりなしに行き来しているが、ここは、行き来する船も民家もまったく見えない。本当に偶に漁をしている丸木船に会うだけ、それも、岸に近いところで、ひっそりとしているので、真ん中を走っている私の船からは、気がつきにくいほど遠くにある。
決してきれいではないが、風がなければ、波がほとんどない水面と両岸の緑と青い空と白い雲、それしかない。船に寝転んで上空を眺めていると、様々なことが頭を過る。
今まで、予定を立てて、計画を練って、行動を決めて、その通りにやってきたのが三分の一、なる行きで、その場から遠ざかったり、近づいたりして行動したのが、三分の一、ひらめき、思いつきや勘や衝動で行動したのが三分の一。振り返って一番印象深いというか、良くやったと思うことややってよかったと思うことは、最後の思いつきや衝動で動いたり、やったりしたことでした。今回のここにいることも、予定の行動ではないし、何かの成り行きでもない。まったくの衝動的行動です。何故ここにいるのだろうと思う。インドネシアの東の端の街へ何のために来たのでしょう。何もないところです。
パプアの人々とすれ違えば挨拶をする、子供たちが賑やかに遊んでいれば、何をして遊んでいるのか中へ入って聞く、老人が道端で座っていれば、この先に何があるのか聞いてみる。だからどうということは無い。
家族のことや友人のこと仕事のことインドネシア人や日本人の私の教え子たちのことを考える。考えたからと言って、何かあるはずのものでもない。ただ、思っただけのことである。
昨日、渡った橋の下をくぐった。この大河を横切っている橋はこれ一つだけ、それほど、人が少ないのだと思う。移住者のことは書いたが、その人たちによって人口が倍くらいになったと思うが、それでも、ここのジャングルの広大さや川の広さでは、人口密度がどうのこうのという必要はない。街へ入ればパプアの人たちは賑やかなので人がいるなと感じるが、多分、4km×6km位の範囲内だけでしょう。信号が多い、渋滞は無い、こんな町もあるのだなと思う。
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