今日の料理(こだわりがないのがこだわり)

フードリテラシーに沿いつつも、なるべく夢のある料理や飲食をジャンル・国境・時代・時間をボーダレスに越えて書いています。

トマトソース

2010年01月16日 | 素材
本格的なトマトソースが余ったので、ウインナを買ってきて、ホットドックではないけれど、食パンに乗せて、焼いてから食べてみた。
あまりホットドックとか食べた事が無かったので、憧れがあるんだけれど、
ケチャップは元々、ナンプラーやニョクマムなどの魚醤の事を指していたが、イギリスに渡ってからは、キノコから染み出たソースの事を指すようになり、その後、アメリカで現在の様なトマトを使った型になったらしい。
僕は薄味好きだからケチャップは大嫌いなんだけれど、
やはり、ホットドックには普通のケチャップとマスタードだな。
自分は記憶の中にある味を大切にしたい。

ロックフォールチーズのトマト風味ピザ

2010年01月15日 | グルメ
前に、トマトソースの入っていないロックフォールチーズのピザを作ったので、今度はキチンとトマトソースを作ってから、ロックフォールチーズと合わせたピザを作ってみた。
今回のは、薄いパリパリのピザにしてみたんだ。
熱々で本当に美味しかったなあ。
トマトソースとロックフォールチーズも合わないわけではないんだという事が解った。

鬼おろし

2010年01月14日 | 調理器具
「鬼おろし」、これは大根おろしよりも、大根を荒くクラッシュする感じでおろす道具である。
大根おろしは、長くおいておくと、水分がジワジワと出てくるが、鬼おろしはクラッシュ状になっているので中の水分が側壁で保たれている為、そんなに水分が出てこない。
漬けるタレが薄まらない鍋物などが良いのではないだろうか。
大根おろしを焼き魚などの横に添えると、その出てきた水分で魚が水浸しになってしまうので、自分は鬼おろしが良いのではないかと考えた。
おろす時に、ハッキリいって大根おろしなんてものじゃないくらいに硬いし、木の山歯のギザギザに引っ掛かるのをガリッ、バキッ、と力を入れ砕いていく。
時に手を引っ掛けてしまうと、痛~いって事になるが、勇気をもっておろすしかないって感じだ

おでん

2010年01月13日 | 飲食業
以前、おでん屋をやっていたことがある。
昔、実家で店をやっていた時、両親が交互に入院して、
父の再度の入院の時、母が「焼き鳥を辞めおでんをやりたい」と言い出した。
母がイメージしていたのは家で作るグツグツとしたおでんだった。

とにかく食べ歩いて、プロの味を理解した後、
おでんルポライターの新井○己などのおでんに関する本を自腹で6冊揃えた。素材を揃え試作を作る前日なって母が「無理」と言い出した。[m:78]
自分は、徹夜で本6冊を読んで、共通して書かれている事を抜粋していったり、使えそうなネタに線を引いた。

で、そこで得た一番の事は

「薩摩揚げなどの練り物系は、ぐつぐつ煮立たせると、スープに油が出てきてしまい、練り物もブカブカになってしまう」という事だった。
では、どうしたらいいのだろうか?と考えたところ、きっと煮立つか煮立たないかの火加減で、「炊く」というイメージではないだろうかと考えた。

更に2日目の徹夜をして、ダシの比率やスープを決め、「炊く」イメージで火を入れてみたら、結果、それが正解だった。
因みに卵やこんにゃくなど、味の染み辛い食材は別鍋に入れ強火で煮て、炊いてる寸胴と同じ時間帯に仕上がる様した。

結果出来上がった試作は、銀座の○平をほんの少しだけ下回るくらいの味になった。(材料も、帆立や骨付き鳥モモなど、良い物を入れたからだ、有名なラーメン店の食べ歩き百軒以上やっていたことも、スープを決める時に役立った。)

ここ4・5年は、ブイヤベース風やスープ風のおでんが虎ノ門・西新橋辺りでも出てきているがその2・3年前だった。

*「巾着」も、自分独特のもの凄い味が染み込む方法にした。

しかし自分達には10年近く続けた「焼き鳥」を辞める勇気がなかった。
結局、焼き鳥の仕込みにおでんの仕込みが増えてお客様の選択肢が増え注文がバラツイテしまった。
その日残ったりすると、翌日スープは濁るし、壊れ易い大根、ブカブカになった薩摩揚げ系、翌々日の味のコントロールが凄く難しかった。
(それはプロの人みんなが言っいることだ。)

今だったら、こうやるんだけれどなって案はあるが。

「ティオ・ペペ」悲しみを癒す酒

2010年01月12日 | 飲み物
「悲しむ者を慰め、弱き者に力を与え、それを味わう全ての人を元気づける酒」スペインのドライ・シェリー「ティオ・ペペ」

ペペおじさんと言われているこの酒だが、ヘミングウエイ、ピカソ、アイルトンセナ、オーソンウエルズ、松田優作など、人生を激しく熱い風の様に生きた男達が愛した酒である。

「探偵物語」で探偵の工藤ちゃんが飲むシーンの酒は松田優作がティオ・ペペに決めたという話もあるし、ティオペペのオーナーであるスペインのゴンザレス家には、今でもアイルトンセナがサインをした樽があるらしい。
セナはここからスペイングランプリへ向かうこともあったという。
アルコール度数は15%で日本酒と同じくらいだが、
封を開けコルクの香りを嗅ぐと、まず陽の光を思い起こさせるフルーティーでお洒落な香りに驚かされる。

冷蔵庫で10度ぐらいに冷やしておき、オリーブやレーズン・チーズなど濃い味のツマミと共に、仕事が終わった後や休日の午後など、くつろぎたい時に飲るのも素敵だ。

銀座の「シェリークラブ」などへ行ってみたりすると、シェリーでも甘かったり、もっと飲み易いものもあるのだがこれは本当にドライだ。

昔、神保町のスーパーで偶然ハーフボトルを見付け、これはゲットしなければと、つい買ってしまった。
その時は神保町の本屋で飲んだ。

蕎麦アレルギー

2010年01月11日 | 素材
昔から、日本蕎麦アレルギーなんです。
小学3年生の頃、入院していて、当時病院の小児科って看護婦さんが結構キビシクて、料理は残してはいけない、なるべく食べなさいって感じだった。
好き嫌いも無くなったし、万遍なく栄養が摂取出来てとても良い事だった。

退院3日前になって、夕食に蕎麦が出て、偶然それが生まれて初めての蕎麦を食べる機会だった。
多分、幼い頃は意識的に関係なく、口から出していたんだと思う。
だから、親も作らなくなって。年越しも子供は早く寝てしまうし。
で、そのまま呼吸困難になって、退院が10日延びた。
昔の小児科の大部屋は色々な年齢の友達が沢山居て、楽しかったし、
オヤツは美味いし、最高だったんだが、
食べさせた看護婦さんは泣いちゃうし、
いくら「知らなかったことだから~いいですよ。」と親子共々伝えても責任を感じてた。

病院のだから、蕎麦粉十割とかじゃなくて、小麦粉の方が多い白い蕎麦もどきなんだけれど、「これが、蕎麦かあ、へぇ~」って、嫌いな食べ物が無い自分は食べて、
小麦粉が多いからか、にゅう麺の様に、ツルツル食べていた。
上に乗っている天婦羅も美味かったし。(つーか、嫌いな物は無い、食べ物食えれば良いって感じ。)

どうも、蕎麦アレルギーの人は、蕎麦の実に含まれる、アクに反応してしまい
人によって違う様々な症状を起こしてしまうとのことだ。

で、そこで100種類くらいアレルギーの検査をして判明してから20数年後、
出版社時代、ある大手出版社の出版記念パーティーへ社長の代理で先輩と行った時に、ホテルで中華のバイキングだったのだが、ビールで乾杯した後に、発症した。
その時は、ビールを飲んでいた為、一気に身体の中の血管中を蕎麦の成分が駆け巡り、
空気に触れている面(顔とか腕)が、北斗の拳のケンシロウに秘孔を突かれた様に3倍に膨張して、その張りに耐え切れなくなった皮膚が、4つに割れて血が流れて止らなくなってきた。
まさか、中華で蕎麦を使っていると思わないから、
急性の甲殻アレルギーだと思って、2度と海老・蟹食べれないんだというショックは計り知れなかった。
トイレから帰ってきて、先輩に「お仕事の足を引っ張ってスミマセン、多分アレルギーの様です。帰らせて頂けませんか?」と言ったら「ちょっと待って、主催者の人に挨拶してくるから」と・・・普段無口なくせに、向こうで「スミマセ~ン」とかやって笑って中々帰って来ない、千人近く来ているのにうちみたいな小さな出版社なんか相手にしねえーよ。ひでえなあ。と思いながらも、顔の血をハンカチで拭きながら呼吸も苦しくなってきた、

その先輩に「救急車をお呼びしましょうか?」と言われたけれど、それこそ挨拶無しで帰るより、会社同士の体面にヒビ入んじゃねえかと思って、自分達は会社の看板を背負って来てんじゃねーの?(=自分の名前で会社から仕事請け負って契約してんじゃねーの?)って思って。「明日多分休みます、伝えておいて下さい」と言って、意地でも這って地下鉄乗り継いで帰った。

帰って玄関で倒れて、病院で一晩中苦しんでステロイド打ちまくって、なんとか翌日には少し腫れが引いた。
後日、そのパーティで出た中華料理を調べたら肉団子に、蕎麦の実を万遍なく付けて、
素揚にし、片栗粉でトロミを付け炒めてあったらしい。(わかんね~よ!!)

その2週間後、ランチに同僚達とイタリアンへ行って8穀米リゾットを食べて
その中に、蕎麦の実がほんの少し入っていて、
蕎麦の実が入っているという表記は、メニューを見る前の玄関の所だけで
「近くに病院無いですか?って訊いたら、シェフが「うち、責任もちませんからね」って繰り返し言うだけだった。そういう事じゃないんだ、このシェフはダサイって思った。
ランチなので酒は飲んでいなかったので、身体には回らず、会社を早引きしただけだったが、編集長に「馬鹿か、お前は。」と言われた。

飲料メーカーさん、蕎麦茶怖いっす。

料理と調理は違う

2010年01月10日 | 飲食業
実は、昔、幕張のとあるフードコートにあるお店で手伝ったりしているのだが、最初「30万で、店長をやってくれ、最初の4ヶ月は休み無しで」と言われた。

飲食業なんとなく経験があるし、30万っていうのを惹かれたが、もう1個・2個の仕事もあったし、新しいプロジェクトが始まるのと、出版社時代知り合いの板前さんが、フードコートで店を出していて、休み無しで売り上げも安く、ツラソウなのを取材したことがあって、更に最近新しい友達が沢山出来て、特に親しいそいつの家のパーティにも呼ばれているのに休み無しで、約束やぶりたくないなって思って、店長をやることは断った。

で、仕方なく、別の板さんが入って、自分は皿洗いとか、レジ打ちやこま使いとかで、週1~2手伝っていた。
義理があるから人が足りないというのに嘘付いてまで切るわけにはいかなかった。「困った時はお互い様」っつうか。
で、店主の人は、プロの板さんじゃなく、色んな事を企画する人なんだけれど、どうしてもご自身で包丁を持ちたいらしく、数百円の丼なのに、もの凄い拘ってしまって、出すスピードと、フードコート全体の価格帯とはマッチしなかったし、雇った板さんや俺にキビシクした。(1~1000まで口出しする感じ)
自分は、彼の性格解っていたから、

包丁握れるけれど、皿洗いやレジ打ち、配膳に終始して「自分、焼き鳥屋ですから、魚は~(本当なんだけれど)」と言って一切絡むことはをしなかった。
そこは徹底したんだ。

昔、打ちの店に来ていた、串屋さんが、1分間に何本串を刺せるかで殴り合いの喧嘩(上司が部下をねちねち苛めたんだ)になって、うちの店が壊された。(結局弱い立場の部下の方が辞めていったが)
そういうのをカウンターのこっち側から見ていて、料理で競ったり、「俺が一番」って嫌だなって。

自分だって昔は若気のいたりで、こだわり過ぎていたこともあった。

昔は本当に、素手で熱の温度を調べたり、焼き加減を秒単位までこだわっていた。それこそ、この混み具合だとお客様に何秒で運ばれて、あの料理の進み方だと何秒で口に運ぶだろうなと余熱で通る火加減を計算して1本1本出していた。
だから串から抜かれるとそこから熱が抜けるので余熱調理が出来なくて本当に辛かった。
同じ物を何万本と作っていても1本1本が全く違うものなんだ。
そのうちスモーキー・フレーバー(油脂が火に落ちた煙で燻製されることに)にこだったり、わざと香ばしそうな焦げ目を付けたりする遊びを覚えた。(←やり過ぎた。)
無論、7つの火に囲まれながら、他の料理を同時進行をしながらだった。

若い板前が陥るのが「俺の料理で客を集めてやる~」って素材や設備に金をかけて、大事なものを忘れがちだが、自分も料理にこだわって、沢山の何かを犠牲にしてきたと思う。

長である以上、部下には負けたくないと思っている長の下では、無駄ではないかもしれないけれど何処へ行っても同じだし、今、やりたいことはこれじゃないから、ぶつかるな~と考えて、じゃあ、全く別の次元に居ればよいなと思って、下っ端に徹していた。

その別の板さんとは時給とか200円ぐらいしか変わらんし、仕込から毎日出るような責任もないので。
(つーか、自分には他にやる事がある。)

店長が居ない時は、板さんが俺に包丁を持たせてくれて、現場の人達は知っている俺が物を切れる事って感じ。にしておいたが、つい最近、店主に「ちょっと仕込が間に合わないからネギ切ってみろ」って言われて、ハンパな事も出来ずバレた。
「ウマイじゃん」とか言われたが、そりゃ、牛モツ煮込み出すのに、10年間毎日ネギ切ってりゃ、ある程度は~、と思ったが「ありがとうございます」と言っておいた。

昔よく、六本木で働いていた板前さんと話したんだが、
「料理ってあるルールの範囲内なら、無限の組み合わせの可能性があると思うんだよね、あと料理と調理は違うみたいな」と話したら、その板さんも「うん、解る、解る、料理はレシピが無くても出来るもので、調理はレシピが無いと出来ないものだよね」なんて話して、多分、店やって、毎日作り続けていないと、腹の底から出てこなかった言葉だったし、理解し合えなかった言葉だったと思う。

料理と調理は違う2(←リンク)



牛ステーキ・ロックフォールチーズソース

2010年01月09日 | 今日の料理
最近、ロックフォールチーズの余りで、牛ステーキに、生クリームとロックフォールで作ったソースをかけて食してみた。フランスの田舎のリストランテって感じだろうか?
生クリームを温めて、そこに砕いたロックフォールチーズを入れて溶かし込んで、ちょっとだけブランデーを入れてみた。(別に入れなくて良かったかも。)
昔、チーズのチの字も知らないガキの頃に、モンパルナス近くのある小さなレストランで食べた事を、思い出しながら作っていた。
ヘミングウェイが私財をはたいて雇った義勇兵と共にドイツ軍から奪い返したリッツホテル(とりあえず入ってみた)や、小説「日は又昇る」に出てきたル・セレクト、フランスの味を知りたくて、旅の中精一杯切り詰めたお金で、たった1回のレストランでの大切な食事だった。
とりあえず、何を頼んで食べてよいか判らなかったので、フランス料理といえばフォアグラだろうと、フォアグラと、その牛ステーキ・ロックフォールチーズソースを食べた。
今でもフランス料理はあまり食べないんだけれど、その時の旅の経験が、国や人種によって味覚のポイントが違う、ってことは人によっても味覚のポイントも違うんじゃねえか?って事に気付かされた。甘いだの薄いだの、辛いだの、色々言う客が居るけれど、それに悩むんじゃなくて、それこそ面白いんじゃないか?って。
今は、人と食べ物の話をすると、その人の趣向はこうかな?って考えてしまう。
自分が作った今回の牛ステーキ・ロックフォールチーズソースは、つい、自分の味になってしまうね。
自分は、フランス料理も、田舎料理に憧れてしまう。

ロックフォールチーズ風味のピザ

2010年01月09日 | グルメ
ロックフォールチーズを手に入れたので、とりあえずどうしようかと考えていて、このまま酒のつまみにしていてはもったいないと、とりあえずピザを作ってみた。
トマトもなかったので、チーズそのものの味で勝負してみたんだ。
チーズの味を知る為でもあった。
ロックフォールチーズの塩気が強かったので、フォッカッチャとオリーブオイルとチーズを食べている様な感じだった。熱々で中々美味しかった。厚みのあるピザもたまには良いもんだ。

eosはロックフォールチーズを手に入れた!!

2010年01月09日 | グルメ
世界三大チーズのロックフォールチーズが安売りされていたので、チーズ好きの僕はつい買ってしまった。僕の持っているチーズ辞典によると、ロックフォールチーズは、ブルーチーズを使うレシピにはとても都合が良いチーズと書いてありました。風味がとても繊細なので、料理の味を壊してしまう事が少ないそうです。
実際にかじってみると、う~ん・・・、塩辛い。その辞典によると、フランス国内向けのロックフォールに比べ、輸出用のものは塩分濃度が強いそうです。
1411年(日本だと、応仁の乱のちょっと前)、フランス国王シャルル6世の特許状を貰って、独占的な熟成権を得たロックフォール地方の人々の権利は、現在でも続いています。ロックフォール地方にある、コンバルー山の洞窟が、チーズ作りに適した一定の湿度と温度を保つことが出来るからとのこと。
さて、これをどうやって料理して食べようかな。。。