今日の料理(こだわりがないのがこだわり)

フードリテラシーに沿いつつも、なるべく夢のある料理や飲食をジャンル・国境・時代・時間をボーダレスに越えて書いています。

カレー焼きおにぎり

2010年01月25日 | グルメ
カレーが余ってしまい、3日目の朝だし、何にしようかと考えた。
そうだ、こうしてみようと、ボールにご飯を入れて、混ぜてみた。
で、結んでみようと思って、握ってみる。これだけでも、結構食べられるのだが、

これを焼いてみようと思った。周りがカリッとして、中が優しくて、ちょっとコンビニとかのカレーおにぎりには無い食感になるのではないかと、
ここまで最初から一気に閃いた。(まあ、そんな閃いたとか大仰なものではないけれど)
握るところまでは良かったのだけれど、

最後、網で焼いたら、焦って網に油を塗らなかったせいか、ご飯がくっついて、軽く崩壊してしまったのがあった。焦らずにオーブンで焼けば良かったかなと少し後悔している。
チーズを入れたり、最後に乗せても良かったかなと思ったが、味と食感は、閃いた時に想像したものと同じだった。
この想像がにズレがあると、あ、腕が鈍ってきたなとか、味覚が少しズレたなとか自分の中の基準を修正したりしている。

そういえば、前、「dancyu」だか何かの雑誌に、30分焼いた焼きおにぎりが載っていて、俺当時焼き鳥屋をしていたから、網を焼き台に乗せて、40分、弱火で焼いてみた。(自分ちだから許される事だ、外でやったら殴られる。)当時畳み半畳のスペースで7つの熱源に囲まれていたので、洒落にならないくらい汗が出たけれど、当時の僕の学生時代の先輩に食べさせてみたら、一生忘れない味になってくれたらしく、何年か経っても「アレを作ってくれ」と言われるモノになった。
特別の事はしていない、根性と、常に焦げないように火の加減を見ること、返す絶妙なギリギリのタイミングを何度も繰り返す、醤油を塗るタイミングを、40分のギリギリの所で計る事だった。元々30分くらい焼いてギリギリで焦げる手前の所に醤油を塗って、焦げが一気に進まないわけないし、醤油の湿気でパリっとした感じが一瞬失われるのを戻す時間を考えなければならなかった。

随分、エゴをしてきたと思う。勿論、別の熱源や、空いているスペースで調理の仕事はしていたけれど、その為のガス代って、お客様に供するスピードも、20歳そこそこのモノを知らない僕は考えていなかった。

だから、今はこだわらない、こだわりの為に何かを傷付けるのは捨てたんだ。
(だって、ただでさえ、こだわってしまうのだから。)

飲食に入る時に板前の人に言われたんだ「この仕事は、どこで妥協出来るかだよ。」その言葉がもう10数年経つけれど、今も俺の頭の中に残っている。

この話を表に出すと、その人の声や、情景、背景が鮮明に瞼の奥に思い出される。
そこから出た答えが「料理と調理は違う」という事だった。
それが解らない、夢や理想だけ追ってしまう様なオーナーの下では仕事をしない事にしている。
オーナーって社員の家族の生活も視野に入れて物事を進めていかねばならないんだ、人は使い捨てではない、(でもそこまで思っても経営者は孤独だ。)

トップって、現実の為に、自分がしたい事が1番出来ないポジションなのかもしれないと僕は飲食で学んだ。
熱くなってしまった、
料理の話、普段、人対人の時は、絶対話さない様にしている。
こだわりを捨てれた時、本当にライフワークとして続けられる料理(調理)人になれるのではないか?と考えている。
その時は、味の為に人に迷惑をかけない人間になるんだ。
また料理の為に熱くなってしまった。