エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

碓氷峠の眼鏡橋

2012年01月15日 | ドライブ
軽井沢に食事に出かけたのである。
その帰り道、改めて碓氷峠の眼鏡橋を見上げ、歩いたのであった。



そう、あの吉永小百合がJRのテレビ・コマーシャルで映された眼鏡橋である。
サユリスト世代でありながらも、サユリストでなかったぼくであるけれど、やはり吉永小百合という名前は特別な響きを持っているのである。



このトンネルから吉永小百合が歩いて来たのだという。
不幸にして、ぼくはそのCMを見ていないのである。

「へぇ~、このトンネルね!」と答えるしかリアクションの取りようが無かったというのが真実である。
とまれ、ここを歩いたのである。
そして、ここがその撮影現場であるのだ。



この橋を架けるのは大変な工事だったと思う。
ものの本によるとこうである。



寒さはきつかったけれど、この橋を見上げ、あるいは見下ろしつつ観光客になりきったのであった。
橋から駐車場へ降りるとき、竈の跡を見た。



寒さが厳しい現場であっただろうと推察ができる。
あるいはまた、虫の襲撃やら、暑さの中で働いた群像が垣間見えたのである。

この竈で湯が沸かされたであろう。
この竈で飯が炊かれたであろう。
この竈で采が煮られたであろう。
この竈で汁が煮られたであろう。



寒さの冬には、この竈で作られた飯で暖まったであろう。
暑さの夏には、この竈の湯がその汗を拭きとってくれたであろう。



労役に服した逞しい男たちの汗や、喘ぎが聞こえてきたのである。

いまこうして考えてみると、涙なくして振り返られない。
艱難辛苦を乗り越えた人々に敬意を示さなければならないだろう。

便利さを追求したあまりの原発事故の悲惨さを彼らは許容しないだろう。
少なくても、最低の生活のために作った橋。
不便もあるけれど、この橋が人々に与えた光明。
その喜び。



この橋が完成して、どれほどの人の命や生活を救ったであろうか。
ぼくたちは、目先の利便性にのみ目を奪われすぎてしまった。

携帯電話然り!
家電製品然り!
である。

電気が不足したって工夫次第で生きていける。

改めて、自分の生活を見つめなおす良い機会になったと思うのである。
自己満足の感想であって、他者に求めるものではない!

と知りつつ書きたいと思ったのである。
暑苦しさを感じられたなら、許されたい。

あくまでも荒野人の独りよがりである。




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