エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

刺子の布

2016年07月17日 | ポエム
刺子のコースターを頂いた。
とても嬉しかった。

刺子という民芸品は、かつては実用的な範疇であった。
けれど、その鈍重さから久しく見向かれることが無かった。

時代が、漸く追いついたと云うべきだろうか。
いま、人の温もりが見直された結果再評価されたのである。



小さな刺子のコースターだけれど、いまその命の重さに魅せられている。
大好きなアイス珈琲を少し少なめに注いで、そのコースターに載せて楽しんでいる。
藍色の刺子の生地に白く太い糸のライン。
誠に鮮やかである。







「花茣蓙や刺子の布のコースター」







このコースターは、リバーシブルになっていて一枚で二度楽しめる。
とてもお気に入りの一品、である。



この句は、いまだに悩んでいる。
中七と下五は、直ぐに決まった。
上五の措辞に悩んでいる。

候補は限りなくある。
白玉・・・夕涼・・・風鈴・・・糸取女・・・避暑の宿
手花火・・・ビール注ぐ・・・川床涼み
どれを置いても、季語としては動いてしまう。

しかも、動詞や形容詞だと刺子の布と矛盾してしまう。
やはり、名詞の季語が良い。
結果として「花茣蓙」となったけれど、まだ悩んでいる。

さて、この裏地も粋である。
実は、句友に頂いたのである。

この句友が、展示会をしていて・・・もちろん仲間たちと合同なのだけれど。
ぼくは、たまたま体調を崩して出かけられなかったのであった。
その後、句会でプレゼントされた一枚であった。

次には、来て下さいね!
そのお誘いも嬉しかった。

一枚のコースターは軽やかだけれど、古人たちの伝えて来た重さが感じられるのだ。
その重さこそが、血潮であって過去から未来へのメッセージである。
刺子の一針一針に込められた、生きると云うパトスである。

俳句を通じた友は、大切なのである。



     荒 野人