エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

今日から奄美大島

2013年10月17日 | ポエム
午前の便で奄美大島へ飛ぶ。
昨日、台風は去って秋の気配が深まった。

奄美では、日中はTシャツ一枚で良いらしい。
それは快適であると聞く。
終日海を見ているのも善し、マングローブの自然林を眺めるのも、又善しである。

国定公園マングローブ原生林の写真国定公園マングローブ原生林 (トリップアドバイザー提供)

奄美諸島の内、喜界島には鹿ヶ谷の密謀に連座して僧・俊寛が配流されているのである。
その時代、奄美諸島は「絶海の孤島」であったのだろう。



後白河法皇の側近で法勝寺執行の地位にあった。安元3年(1177年)のことである。
藤原成親・西光らの平氏打倒の陰謀に加わって鹿ヶ谷の俊寛の山荘で密議が行われた。
だがしかし、密告により陰謀は露見し、俊寛は藤原成経・平康頼と共に鬼界ヶ島(薩摩国)へ配流されたのであった。
これを、鹿ケ谷の陰謀と云うのである。

今では、アッと云う間のフライトである。
羽田を飛び立てば、2時間20分の滞空である。

奄美のネット環境にもよるけれど、ブログの更新はお休みにしたいのである。
折角の奄美である。
目と、耳と、触覚と・・・とにかく身体の全部で楽しんできたいのである。



環境が整ったら、更新もあるかもしれないけれど期待しないでほしい。
帰京後にたっぷりと紹介する事としたい。

そうそう、今夜は十三夜。
十五夜を見た方は、必ず月を見上げて欲しい。
見上げなければ「片見月」となってしまう。
古来、それは忌み嫌われたのである。



         荒 野人

2013年10月16日 | ポエム
ススキである。
大きな狐の尻尾のように揺れている。
従って、別名「尾花」である。

尾花とは、ススキおよびススキの穂を意味する古名である。



ここは、箱根仙石原の薄野。
いまが見頃、なかなかの風情である。



十五夜には、月見団子と共にススキを供える。
この月見に用いた薄を軒に吊るすと、向こう一年間、病気をしないとの言い伝えもある。







「惜しむ時犇き競う花芒」







をりとりてはらりとおもきすすきかな
            飯田 蛇笏
すすきのひかりさえぎるものなし  
              山頭火
山は暮て野は黄昏の薄哉
              蕪村

高名な俳人の著名なススキの俳句である。



子どもがススキの中を歩いていた。
良い感じである。

因みに、山上憶良が万葉集(巻八 1538)にて「萩の花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花 また 藤袴 朝顔の花」と詠んだように、ススキは、古来から秋の七草の一つに数えられていることを言い添えておこう。



        荒 野人

赤いもの

2013年10月15日 | ポエム
ルビーのような、ウメモドキをお見せした。
しかしながら、赤いものはまだまだあるのだ。
そう、しかもルビーのような赤いもの。



ハナミズキの実生である。
光を跳ね返す姿は、あでやかである。







「赤き実や高く捧げて秋の澄む」







ハイビスカスの真ん中。
赤が鮮やかである。

このハイビスカス、東京の下町の地植えであって花開いている。
温暖化がここまで進んだ証左である。



水引の赤も又ルビーである。



これはコブシの赤い実生。
拳が弾けて、赤い実が地上に落下する。
赤味がいや増すのである。

忘れてはならない「赤」は言わずと知れた秋茜である。







「空にいる休むこと無き秋あかね」







昨日、実に一年ぶりにカメラに収めた。



赤味がまだ不足している。
季節が進めば、もっと赤味が増していく。

萌えるような赤になれば、冬隣になる。




      荒 野人

運動会

2013年10月14日 | ポエム
昨日は運動会であった。
体育の日の休日は今日だけれど、昨日終えたのであった。

孫娘の幼稚園である。
風が強かったけれど、子どもたちはものともせず、汗を流していた。

今日は一転、秋の涼風が吹いている。
長袖が必要である。
山は、化粧を終えている。

もうすぐ、白粉がはたかれる。



小学校の校庭を借りての運動会である。







「綱を引き大人も興ず運動会」

「得賞歌年長組の秋終わる」

「埃立つ入場の声アケビ生る」







どの子も可愛い。
写真にすると良く分かるのだけれど、瞳が清んでいる。
だから・・・空が綺麗に人見に映っているのが分かる。

無垢、とはこの事である。



校庭の片隅には、ススキとキバナコスモスが共生している。
鉄棒の後ろ側である。

また、緑のトンネルにはアケビが生っている。
秋を感じる造作であって、先生方の工夫が偲ばれるのである。



我が孫は「初めの言葉」を壇上に上がってやった。
はっきりとした声で、見事に大役を果たしたのである。

少し自慢である。




       荒 野人

梅擬・・・梅もどき

2013年10月13日 | ポエム
梅擬の実生は、赤く純粋な小粒である。
あたかも、ルビーのような輝きを見せる。



青空に映える実は、小鳥たちの恰好の餌である。
もっとも、小鳥に食べてもらわなければ梅もどきは種を残せない。

この実は発芽抑制物質を含んでおり、小鳥のおなかを通過しないと発芽しないしくみになっているのである。
従って、小鳥を使ってタネを遠くの方に運んでもらう。

賢くもいじましい赤い実なのである。







「細やかな粒の弾ける梅もどき」







この赤い実は、晩秋から初冬にかけて赤い実をつけるモチノキ科モチノキ属の落葉低木である。
この樹の下には、苔が蒸していて思わずその樹勢を写し撮った。



梅擬の花言葉は・・・。
「明朗」「知恵」「深い愛情」である。



         荒 野人