魚のアトリエ”うおとりえ”

新鮮な魚を美味しく食べたい!!
 「魚っ食いの365日

2012年問題・・・(4)選手交代の続き

2011年10月03日 | 真魚のたわごと

 主婦から・・・主夫へ バトンタッチしておいて方が良い。
 家事仕事は、たいてい主婦が担当し、次の世代がとって代わる。
 それはそれで大変幸せなことといえるが、途中で選手交代せざるを得ない
 ときが、突然来ないとも限らない。

 そうしたとき、家中の何もかにもが分からずに困ったという話もよく聞く。
 亭主関白を自慢するのならともかく、本当に困られたことと思う。

 専業主夫は実際やってみて、そう簡単に出来ることではない。だから、
 練習・準備しておいたほうがよい。いま、切実でなければそれにこしたことは
 ない。それならば趣味として余裕をもって存分に楽しめるではないか。

 一番困るのは、食事のことになる。とたんに出来合いのものを食べ、弁当などの
 世話にならざるを得ない。栄養的に見て粗食になる。家庭料理というものは、
 寄せ集めのようでいて栄養的には充足しているものだ。偏りのある食事は結果、
 健康を損なうことになる。

 団塊世代の退職は、「職」から「食」への就食の好機と思うのだが・・・。

  
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2012年問題・・・(3)選手交代、主夫の登場!

2011年09月29日 | 真魚のたわごと

 実際に家事をやってみてこれほど興味があることはない。
 専業主夫として、選手交代して10年になる。

 もちろん、交代せざるを得ない事情はあったのだが・・・。
 交代するからには、消極的にやるのではなく、積極的にやってみようと考えた。

 積極的にということは、楽しんでやることにであり、
 創意工夫をすることであり、
            こだわることであり、
            極めることである。
        そして、これを継続することである。

 たとえば、物のいのちを大切に、何でも最後まで使い切ること。
  歯磨きチューブ、マヨネーズ、ケチャップ、練りわさびなど、
  チューブ入りのものは、最後の最後まで絞りきる。
  歯磨きなどは、もう使い終わったと思ったときから、1週間分は残っている。
  我家ではこれを、最後の最後まで絞りきるので「一滴絞り」と称している。
  衣類でも何でも、捨てようかなと思ったとき、雑巾にでも何でも使って、
  もう一度最後のお勤めをさせている。
   この、一滴絞りが結構楽しい。

  冷蔵庫の野菜は、切れ端といえども瓶に入れたり、ラップに包んでとっておく。
  こうして、いつも在庫状況を確認しているから、古くして捨てることはない。
  残り物を上手に調理する技を身につけることになる。
  だから、新たな発展もある。創意工夫をすることになる。

  食材の購入にもこだわる。
  出来るだけ、その季節のものをもとめる。地元産をもとめる。新鮮なものを
  もとめる。誠意のある店を探す。生産者から直接買えるものはその生産者を
  探す。

  素材から調理することにこだわる。
  調理済み食品は買わない。豆腐、納豆、ハム、ソーセージなどは作れるかも
  知れないが、そこまではしない、出来ない。お茶、コーヒー、紅茶もしかり。
  しかしそのペット入り飲料は買わない。自分で淹れる。味噌・醤油・塩・酢
  などの調味料は欠かせないが、調合済み調味料は使わない。たいてい、本来の
  調味に不要な添加物・保存料を用いているから。出来るだけ自分で調合・調味
  する。

  養殖の魚も買わない、食べない。
  養殖しなければ仕方ないものはともかく、
  天然のものの方が美味しく、環境にも優しい。

  
 このようにしてみると、天然・自然・本来・本物・本質が見えてくる 
 ようで これも結構楽しい。
 年齢のせいかも知れないが、そうであれば年齢に相応しい 生活かとこれも納得
 する。時間にゆとりのない若い世代には出来ないことだが、 今の自分には出来る
 のでそうしている。

 他人に迷惑をかけるこだわりはいけないが、こんな生活も 趣味にまで昇華す
 ればこれまた楽しい。残念ながら、極めたと言えるほどのものはないが・・・。
 
つづく

 
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2012年問題・・・(2)家事労働について

2011年09月27日 | 真魚のたわごと

 前週は「家事」を趣味とすることをお奨めしました。
  ここで「家事労働」という言葉について考えてみたいと思います。

  「家事労働」という言葉には、「家事仕事」を貶めるいやな響きを感じます。
 <家事>に<労働>をくっつけた人はいったい誰なのでしょう。いつの時代のことなのでしょうか?

 家事に相応しいのは、<家事><仕事>なのです。
 「労働」という言葉を辞書で引いて見ましょう。

 ・労働・・・身体を使って働くこと。特に賃金を得るために働くこと。
  「金銭の貴い田舎では、新たに一軒の家屋を建てるためにもある個人の一生を激しい労働に費さねば
   ならないのである」  田山花袋[田舎教師]

 ・労・・・・物事に対して力を尽くす。一生懸命に骨を折る。
   「労を厭わない」「苦労」「労苦」「徒労」に対して「功労」「労作」といった労に報いる言葉もありますが、
   「対価を得るために仕事をする」という定義もあります。

 
 <家事労働>には、苦役を伴うというニュアンスがつきまといます。
  確かにつらい、厳しいことかも知れません。ですから、むかしお金持ちはそのための人を雇っていました。
特に対価を得るためにする仕事というところにひっかかります。

  主婦の家事労働を、金銭換算・評価すればなんてことを言う、似非文化人がいます。だから、家事という仕事の
 本来の姿が歪んでしまったのですね。生活に不可欠な仕事であるにも拘らず、できればしたくない事の代表格にな
 ってしまった・・・本音か嘘か知りませんが、そういう主婦が多いことも確かです。

  今では、掃除は 電気掃除機が
      洗濯は 全自動乾燥洗濯機が
      炊事は おこげも作れる万能電気炊飯器が、炎の出ない電磁調理器が、スチームオーブンが・・・
  これらの、文明の利器が活躍して、労苦の部分は全く解消されました。

  この上、「全自動和洋中献立コースつき万能調理器・食材調達機付代金カード決済ソフトOP」なんてものも
  いずれは出かねません。

 いや、実際出来てしまっているのです。 「食事・宅配サービス」
はまさにこれです。

 生活から、衣・食・住をとってしまったらどうなるのでしょうか。
  衣=洗濯  食=炊事  住=掃除 これを究極・最高の趣味と言わずして何でありましょうか。

  それでは、次回は選手交代・主夫登場!


  
  


  
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2012年問題・・・(1)団塊世代の退職趣味探し

2011年09月25日 | 真魚のたわごと

 2012年問題があると聞きました。
  いろいろな、2012年問題があるようですが、ここでは団塊世代の65歳到達の諸問題。

  就労の問題、年金受給の問題、消費がどこに向かうか、いろいろ課題はあると思うが、
 団塊の世代が65歳を迎えるこのとき、一番の課題は人生の第三ステージの過ごし方だろうと
 思う。

  団塊の世代が迎えるこのときばかりではなく、どの世代の人たちもこの時期を迎え乗り越えて行った。
 どう時間を過ごしたらよいか、時間を持て余し、何をしたら良いか悩んでいる人も多いと聞く。
 そのための趣味探しをしている人も多いと聞く。

 趣味探しの方々に是非お奨めしたいことがある。
 「家事」を趣味とすることである。「趣味」として家事を行うことである。・・・どちらでも同じか?

  家事に代表されることは、炊事・洗濯・掃除に育児・子育てである。子育ての時期はもう過ぎたから、
 その代わりに「自分を養う」を入れたらよいと思う。

  これを趣味としてしまおうというわけである。趣味としてやるには楽しみがないといわれるかも知れない。
 確かに一見楽しそうには見みえない。そうだろうか、ゴルフだって、囲碁・将棋だって、毎日々々やって楽しい
 だろうか。とびとびにやるから面白いのであって、毎日やるものではない。

  第一相手がいる。絵画・音楽(演奏)はどうだろう。これだって観てくれる人、聴いてくれる人がいてこそ
 楽しいことだ。それでいいではないか、という反論が聞こえる。全くその通り。いやいや、大きなお世話を
 焼いてしまった。

 そういう趣味のない方にお奨めする「家事」の良い点を挙げてみよう。
 ・毎日、欠かさずできること。
 ・趣味と実益を兼ねていること。
 ・健康的であること。
 ・他人が喜ぶこと。
 ・ときに、芸術的才能が発揮できること。
 ・きわめて奥行きが深いこと。

   (それぞれの分野に専門家・評論家がいるくらい。家政学という学問もある)

  一つひとつに解説は要らないでしょう。
 これほどの利点を備えている「趣味」は他にあるでしょうか。とくに、これから、20年、30年とやるのは
 うってつけの趣味なのです。自らの健康を作り他人が喜ぶ、つまり「自分を養う」ことになるのです。

  続く。

 


  
 
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いまこそ、魚屋を起業するチャンスです!!

2011年08月25日 | 真魚のたわごと

     

 今日も近くの魚屋さんが一軒廃業した。
  通りかかるたびに気にかかっていたのだが、何もアドバイスですることなく、
  申し訳なく、残念に思っている。

 町の魚屋さんは、本当に少なくなってしまった。
  でもその分、消費者はどこかで魚を買っているのでだろう。
  あるいは、買わなくなってしまったかも知れない。

 たいていのスーパーで、鮮魚を扱っているが、
  どこのスーパーも鮮魚の扱いは不得手のようで、売り場の活気がない。

 確かに、消費者も鮮魚を買わなくなってしまったが、
  新鮮で美味しい鮮魚を扱う店がなくなったからか、
  消費者が買わなくなったから、店がなくなったのか、
  どちらとも言い難い。両方相俟ったのかも知れない。

 魚屋さんに限らず、八百屋も、肉屋も、町から商店街から少なくなってしまった。
  でも、一部には流行っているお店もある。
  何か客を惹きつける特長を持っているのだろう。

 特に魚の場合、流行っていなければ鮮度の良い物を売れない。
  それに、下ろし調理しなければ売れない。

 先日、デパ地下の魚売り場でビックリの光景を目にした。
  マグロのサク取りのパックを手にして、「これ、お刺身にしてください」と
  店員さんに頼んでいた。持ち帰って、自分で切って盛り付けしないんだ???

 すべてがそうとは思わないが、消費者の志向がそうであれば、
  (町の)魚屋さんのやりようもあろうと思う。

 新鮮で美味しい魚を食べたいと思っていても、それを買う手段を持たずに
  鮮魚を買えない消費者は少なからずいる筈だ。
  それを、わたくしは「鮮魚難民」と名付けている。

 わたくし自身も、かつては鮮魚難民だったから。
  わたくしは、自ら「魚屋」になって解決した。
  ごく、ささやかだがお客さまもあって、営業している。
  やり方と、一定の条件を満たせば、立派に営業できると考えている。

 鮮魚難民のニーズをどのように捉えるかがキーポイントだ。
  ともかく、スーパーが最も不得手とするのが「鮮魚」であればこそ、
  個人営業の町の魚屋さんに商機ある。
  いまこそ、起業のチャンスと思いませんか?

 
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